女教諭
女教諭からの嫌がらせ——もとい、不真面目な生徒への折檻は、優しい愛の鞭で終わった。
講義内容に関しては現実的な問題、特に魔法師となれば否が応でも見なければならない現実——リアル——が題材だったのだろう。
彼女の口調は淡々としており、良く聞き取り易い分、非情な実態をわざわざ赤子同然の生徒に突きつけた。
アルスから言わせれば、平和ボケを覚ましてくれる一撃であったのは言うまでもない。
生徒たちの脳天を打ったような顔に、女教諭が辟易していたのが印象深かった。内心を代弁するならば、中等部からやりなおせ、と言ったところだろうか。そもそも魔法学院がこの有様なので、どこへいっても変わりはしないのだろうが。
新たな知識とは違うが、アルスは学院に来て初めて真っ当な講義を聞いた気がしている。研究者としてクレイスマン教諭の講義も、なかなかに面白いものではあったが、魔法師の学び舎での講義ならば女教諭に軍配が上がろう。
彼女も研究者だったならば、学院から研究費予算がたんまり下りるかもしれない。
そう彼女ならば——彼女?
ここでアルスはふと講義を受けた女教諭の名前を知らないことに思い至った。無論、先生や教諭、教員などと一括りにできる呼称はあるにはあるが、一杯食わされた相手が、名無しでは失礼に当たる。アルスは彼女の名前を、個人をちゃんと認識するために名前を知りたかった。
そして現在、アルスとロキは連行される気分で、女教諭の背中を追いかけている。
後ろから見る歩き方は、すでに威圧感があった。
何故〝連行〟なのか、というと、理由も分からず女教諭から職員室に、一緒に来るよう言われたためだ。
理由を聞けなかったのは、彼女がそそくさと、二人に気遣わない態度で、もとい問答無用で歩き出してしまったためだった。
そうでなくとも、あまり声をかけたくない人物ではある。
クール過ぎるのだ。目つきが冷徹過ぎるのだ。
怖過ぎるのだ。
表情筋などいらない、とばかりに笑いを捨てたかのよう。
自分勝手な想像を膨らませるアルスと違い、隣のロキも萎縮気味ではあった。
「コラ! 廊下は走らない。あなた名前は」
鋭い叱責が弓矢のように飛んだ。小走りの生徒を見つけた女教諭は、名前まで聞き出そうとしたが、生徒が即座に頭を下げるのを見ると「気をつけなさい」と諭した。
名前まで聞こうとする態度は、一見行き過ぎにも見えるが、反省させる脅し文句にはもってこいだ。
図らずもアルスは、やり手の教員が配属されてきたものだと感じた。
配属されてきた、というのもアルスが一度も彼女を学院で見たことがなかったからだ。
突如——。
「アルス君、今後も講義にはちゃんと出席できそうかしら。あなたの事情は理事長から聞いているから、優遇はしないけれど、考慮はするつもりよ」
全く後ろを振り返らず、声だけで会話を始めた。
「え、っと、そうですね。俺自身は先生の講義は出ておきたい、と考えているのですが、如何せん、自分の身の回り以外で時間を取られることが多いもので。それに、緊急を要する問題も山積しているわけなんですよ」
「そう」
たった一言。呆れるでもなく、溜め息もない。ここまでノーリアクションでは「そう」にどんな意味が込められているのか読み取れない。残念なのか、仕方ない、なのか。はたまた追加課題を今から考えているのだろうか。
声に抑揚もないので、肩透かし感があった。
兎にも角にも、相手の反応を知るために、アルスは一旦口を閉ざす。不覚にもロキと顔を見合わせるハメになってしまった。
彼女も察しかねるといった具合で、顔を振る。
「ということはロキさんもね。可能な限り講義には出るように。遅刻してもいいわ。あまり人気のない講義ではあるけれど、参加してくれると助かるわ。生徒たちへの良い刺激にもなるから」
本当に生徒のことを想ってなのかは、やはり判然としない。そうは言っても、教員としては当然の主張だった。
単位が引き合いに出されないだけでも十分なのだろう。
卒業が安泰とはいえ、教員としての誇りもあるはずだ。講義を一回も出席しない生徒に、単位を出したくはないだろう。
「もちろん、可能な限りは出席させていただきます。理事長のコネがあるとは言っても、先生の講義は必要であるとは感じています」
知識欲が満たされたわけではないが、一年生の時に受けた講義の内容と比べると、いかに有意義かは明白だ。
御膳立てされていたかのようなハードルの低さが、アルスにここまで言わせていた。ましてや真摯にお願いされてはすげなく突き放すわけにもいかない。
ただ、やはり女教諭の担当科目が不人気なのは確かなようだった。アルスとロキが自動履修で登録されたように定員割れしているのだ。見たところ空席もだいぶあり、生徒数は一クラスを満たすどころか、半分にも満たなかった。
「有り難う。それと二人は履修期間中の講義説明には顔を出さなかったわね。初回の講義も欠席だったのだから、まだ名乗ってなかったわね。私は、エレイン・ルングドベルンよ。専門は魔法鉱物と考古学。考古学は主に魔法関連からの派生で、趣味に近いわ」
挨拶のはずだが、これも握手を求めるのではなく、前を歩いたまま発せられた。無駄を省いた効率優先なのか、たんに無作法なのかわからない挨拶だ。
だが、ここでロキは「専門が魔法鉱物、考古学ということは先ほどの講義内容とは……」と納得の疑問を呈する。
するとエレイン女教諭は、苦笑混じりに。
「少しの間、軍で新人研修の教官をしていたことがあるの」
望んだわけではないと、この時ばかりは彼女の声色が言っていた。
研究者らしいが、聞けば聞くほどに異色の経歴だ。
そしてアルスが学院で見たことがないと思った通り、彼女はクレイスマン教諭と時同じくしてこの学院に来ていた。
学院の教育方針の転換を思わせる人事登用だ。
一連の話でアルスは一つ窺っておかなければならない知的好奇心を抑えられなかった。
「ルングドベルン、ということは他に魔法学なんかも……」
「そちらは父の専門分野ね。私は魔法鉱物の研究が大半よ。今となってはようやく研究費を確保できるといったところね」
なるほどとアルスは得心する。魔法学院は研究する上で最適と言って良い機関でもある。
国からの予算も出るし、国内の学者も研究場所を求めてやってくることもある。クレイスマン教諭が良い例だ。彼は今は極秘の案件に掛かりっきりになっているのだが。
とはいえ、設備諸々国内でここと同等レベルを探すのは困難だ。公的研究機関では、それこそ軍の研究施設の専属研究者にならなければ十分な研究はできまい。
先にアルスが思ったように、彼女ならば研究費を捻出しても良さそうなものだ。が、自分の物差しで物事を判断することはできない、学院や軍、延いては国にだって事情はあるのだ。
「研究者と名乗る上では国立教育機関の認定が必要でもあるのよ」
「学位の取得ですか」
「アルス君は言ってみれば論文博士のようなものだと聞いたわよ」
「そんな称号はいただいた記憶はありませんよ」
それもそのはずで発表者名は伏せているので、アルスは正式には研究者とは名乗れない。もっとも学会に行けば即日発行ものなのだろうが。
「私の場合はそうね。今は特任准教という不安定な扱いではあるのよね」
「なるほど、そこで学院なわけですか」
「ストレートに言えば利己的に思われるけど、学位は必要よ。研究する上では尚更。経験を活かして教員にね」
味気ない会話ではあったが、エレイン女教諭はまだ若い。研究者として言えばエリートの部類に入るはずだ。
だが、実績がなければ個人で研究費を賄うのは大変だ。魔法鉱物なんていかにも膨大な費用が掛かりそうな分野ではある。
職員室に到着すると彼女は一目散に自分のデスクに向かった。
軽く会釈するアルスとロキに、職員室の教員らはこぞってギョッとした目を向けてきた。生徒とはいってもシングル魔法師の威光は翳り知らずだ。
平静を装う他の教員を他所に、アルスとロキはエレイン女教諭に手招きされ、彼女の下へ向かった。
空気感が職員室だけは違う。教室と違うのは生徒の場所ではないからなのだが、かといって理事長室とも違う。
あそこはシスティの居城でもあるので、職に関係なくシスティの空気に汚染されてしまっている。
職員室は悪い意味で、教師のテリトリー。
ここで全校生徒の一進一退が決められているのかと思うと、ついつい迂闊な言動を控えざるを得なくなる——気持ちも分からなくもない。
だから、アルスが気にするかと言えば、全く気にはしない。
エレイン女教諭のデスク前までくると彼女は、机の下から重厚なアタッシュケースを引っ張り出した。
ピシッとしているイメージが強すぎるためか、小さくしゃがむ姿はやけに〝女の子〟ぽかった。丸まった背中はタイトな上着を引っ張って、スカートに入れたシャツが引っ張り出される。
あと少しでシャツが完全に引っ張り出されるかというギリギリのところで、エレイン女教諭は机の下から体を出すことに成功した。隠す目的があったのか、随分と奥に仕舞い込んでいたらしい。
アタッシュケースは一目で厳重に保管されているのが窺える。見るからに頑丈なケースにダイヤル式ロックと、魔力認証式の鍵が二重にかけられていた。
魔力認証式ロックは初めから解錠されているようだったが。
彼女は乱れた服装を直そうともせず、やや興奮気味に口を開いた。
「さて、これは実はアルス君宛ての荷物なの。理事長から預かったのだけど、中身を聞いて是非私から渡したいと一時預かっておいたのよ」
しっかりと事の経緯を説明するのはいかにも研究者っぽかったが、追及を逃れる予防線でもあったのだろう。少し言い訳っぽく話す口調には、申し訳なさがあった。
ともかくケースの表面には宛先などの欄に国外からを示すマークが入っていた。
つまりはこれは国外から直接学院に送られたもののようだった。