不信の新芽
アルスとロキが授業に出たのは翌日のことだった。
規則正しい時間に二人揃って研究室を出るのはいつぶりだろうか。そんな感慨に浸りながら頑丈なドアが閉まっていくのをアルスは眺めていた。
登校の時間帯であろうと、教員が泊まり込んでいない限り、鉢合わせることはまずない。
廃墟のように静まりかえった研究棟を出て、登校中の生徒の波に合流する。
妙に間隔が空いているのは気のせいではないだろう。
まあ、いつものことではある。
取り立てて出席する意味はない二人だが、在籍している以上不真面目の謗りは耐え難いものがあった。特にロキの沸点を把握しているアルスには彼女の静かなる激昂が想像できた。単位だけでも進級に必要な分は満たしたいものだ。
今更真面目かどうかの議論に興味のないアルスだったが、出席する目的は他にもある。
シングル魔法師であることが露見した今、単位不足で罷り間違っても留年なんてことにはならないだろう。学院の面子を考えればシスティが公正な判断を下すわけがなかった。
「さて、こうして探りに出てきたわけだが、正直わからんな」
「ですね」
アルスの隣で相槌を打ったロキはそれとなく周囲に視線を走らせる。
各国の学院生で行われた鉱床調査任務。この情報がどこまで公表されているのかの確認だ。
しかし、アルスとロキに向けられる視線は判然としないものばかり。天然記念物でも見るような目は変わりなく、一定の距離ができてしまっている始末だ。
「わざわざ足を運んできたのに成果はなし、か。どうして肝心な時にあいつらは顔を出さないんだ」
「帰ってきていることを知らないのでしょうね」
ロキの言うように昨日帰ってきたため、テスフィアとアリスが気付いていなくともおかしくはない。
だが、情報収集を期待していたアルスにしてみれば、こうして自ら調べる手間が増えたのも事実だった。
登校中にはなんの収穫もなかった。
アルスはそれとなくロキとの距離を縮めて歩く。
「問題は鉱床内部の魔物、そのレートだ」
「はい。アルが気にしているのは、魔法師に対する世論の動きですね」
ロキもいち早く察して声量を絞る。こういう場面での自然な装いはロキの方が巧みだ。
二人の間で交わされる重大かつ深刻的な会話に、誰も気づいた様子はない。
「世論を操作できるとすれば国と軍、まあシセルニア様が実権を握っているようなもんだから同じか。後は……世論じゃなく、一般的な魔法師の印象操作だな。その筆頭は学院の生徒」
「……確かに一番立場が定まらない存在ですからね」
ロキの同意は少し寂しさを孕んでいた。
学院の生徒はあくまでも、正式な軍人ではない。かといって一般市民とも違う。内地で暮らす多くの国民とは違い、高水準で魔法を扱うことができる存在。いわばちょうど真ん中にいる微妙なポジションなのだ。
彼らを上手く誘導すれば、自ずと道標となるシングル魔法師が矢面に立たされる。
逆に世論の先頭に立てることで、軍人や魔法師に対する反対勢力にもなる。
今の世界情勢にアルスは焦げ臭さを感じていた。
「今回の外界で出現した高レートの魔物は軍にとって不利な材料だ」
「そんな! これは偶然で、しかも被害は最小限に抑えられたはずです」
「関係ない」
そう、軍は国民の血税で賄われている。一度は足を伸ばした先に災害級の魔物が出現したとなれば、軍の失策と捉えられてしまう。イベリスなど目と鼻の先でSSレートの魔物を放置していたのだから、追求は免れないだろう。
「軍の怠慢を指摘する声は出てくるはずだ。で、その火種がここにある」
二人は本校舎に入っても、あまり人目を気にせず会話を続ける。堂々としていれば逆に割って入ってこようとは思わないものだ——約二名を除いて。
そうは言ってもここまでの道中、誰からも挨拶すらなかったのだが。
「情報が漏れるとすれば学院からだな」
軍部から漏れたとしても市井にはなかなかどうして情報漏洩が少ない。過去にも似たような災難があったと聞くし、軍や元首はそのあたりの火消しには慣れているのだろう。
アルスの指摘にロキは顔ごと向けて目を細める。細めても彼女の瞳に疑問が浮かんでいるのは一目瞭然だった。
「俺も正直軍以外に関してはたいした知識は持ち合わせてない。ようは“貴族”だ」
「——!? だからテスフィアさんなのですね」
「まぁ、貴族サイドの事情に関してはあいつにそこまで期待してないんだがな。ないよりは……といったところだ」
軽口を叩いてもアルファの中で三大貴族の一角を担っている名家ではある。可能ならばテスフィアの母親に話を聞きたいところだが、アルスにとっても苦手な相手であった。無難なところでいえば執事のセルバに話を伺いたいところだ。叶わないだろうが。
軍は良くも悪くも世論という監視の目がある。監視の行き届かないところで、内部から一端を担うのが貴族だ。あくまでも本来ならば、と付け加えなければならないのが歯痒い。
過去軍が行ってきた非道な研究は貴族も関与していたことだ。更に時を遡れば、7カ国建国時に起きた【貴族間抗争】は裏で確かに行われていた。人類が逃げ延びたこの地にはかつての貴族、爵位持ちも多く雪崩れ込んできた。その中で、元首によって新たな貴族制度が設けられたが、家財を失った旧貴族が最後に縋るのは目に見えない爵位だ。
要は多すぎたのだ。無論、これらはアールゼイト王家が治める王国以外の貴族位は全て自称とつくわけだが。故に起こるべくして起こった。
暴力による間引き。
暗殺や抗争で家の潰して合い。貴族による内乱。
そうして血を流した末にできたのが現在の貴族制度であり、爵位という勲章だ。
当然ながら力以外で他家を取り込んだ貴族もある。ウームリュイナ家が得意とする【貴族の裁定】もその名残りだ。
「貴族、ということは謀反ですか」
「クーデターかもな」
「アルはそれが起こると?」
「そうは思わない。でも、起こるには絶好のタイミングだよな。今回の鉱床任務だけじゃなく、外界の魔物のレートが軍に不信感を与える材料になる」
「学院には貴族の子息が多いですからね」
「流石にベリックもシセルニア様も黙ってるわけないからな。結局、取り越し苦労なのはわかってるんだよな」
「そうなのですか?」
深刻そうな話題ではあるが、その実小波程度で鎮静化するだろうとアルスは思っている。
「貴族連中っていうけど、こっちもフェーヴェル家にソカレント家がいるからな。大ごとにはならない」
「なるほど」
ロキからすればその二家の当主とほとんど面識がないので、実感がわかなかった。のでそれっぽく相槌を打ったに過ぎない。
「では何故、わざわざ探る必要があるのですか?」
「ん〜、まあそこはなんとなくだな。最悪生徒に死者が出なかったのが幸いしたな」
ただ、同時にこのタイミングで起爆剤となる鍵を握る人物がいるのも確かだった。
「ま、考えすぎだ。どの道、俺が考えた程度のことをベリックが取りこぼす筈がないからな。イリイスには問題ないように言ったが、どこの国もピリピリするのは確実だ。で、ピリピリすると大抵良くないことが起こるんだよなー」
そして今。学院内の空気を察知する能力は残念ながらアルスにはない。
敵意など、こと戦闘に直結する気配は機敏に察知できるのだが、裏で暗躍する貴族的な手法を見抜く目をアルスは持ち合わせていなかった。
だから、いつもと変わらぬ学院の風景に取り立てて目新しいものは感じられない。
「いずれにしても人類存亡の危機が迫っている感じじゃないな」
楽観的な能天気さも感じられない。廊下を歩き二人は避けられている空気に晒されていた。今に始まったことではないし、アルスに限れば入学当初から見られた光景であった。