寒さ際立った日常
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寒さもいよいよ本格的になってきた時期。季節の変わりは唐突と言わざるを得ない。
緩やかな気候の変化を人の手で操作し、実現させていた時代は終わった。
魔力を微かに纏い寒さを和らげるアルスは、自然の猛威に身が引き締まる気がしていた。外界で死戦を潜る緊張がない代わりか、やけに寒さが身に染みた。
「寒いな」
「——!!」
ギョッとしたロキの顔に、気圧されてアルスは自分の発言を思い出す。特段おかしなことを言ったはずはなかったのだが。
「あ、いや、本当に寒いわけじゃない。気温もだいぶ低いから寒い気がしただけだ。実際寒いは寒いんだけど……」
責められているわけでもなかったが、言い訳がましい言葉がポロポロ出てくる。
魔力で覆っているのも寒いからそうしているだけで実際、嘘は言っていない。
「え〜と、なんといいますか、アルがあまり言わないような台詞だったので」
「まぁ、確かに口に出したからと言って暖かくなるわけでもないしな」
「学院に戻ってきたからでしょうか」
「…………」
その指摘にアルスは苦笑を漏らす。
できれば勘弁して欲しい、という願いからだ。学院の平和ボケに当てられて、気が緩んだと思われるのは心外だった。
アルスとロキは家へと帰ってきた。学院の敷地にある家だ。
少し前に帰ってきたばかりだと思っていたが、テスフィアとアリスを連れて外界へ行ったり、その流れで鉱床任務の救出に加わったり。
その間、半月も経っていない。
南に位置するアルファに帰ってきても気温に変化は見られず、寧ろ寒波が厳しくなっている気がした。
この日はアルスもロキも、授業には出席せず、自室で過ごすことを選んでいる。
帰ってきて早々学業に励む気にはなれなかった。というと実に学生らしい、取って付けたような理由なのかもしれない。
実際にはやることがあるのも確かで。
「テスフィアさんとアリスさんの実地訓練ですが、どのように批評されるのですか? 私が言うことではないかもしれませんが、今後の訓練もどうされるのでしょう」
室内だというのに身なりを整えたロキは、アルスの机の隣に簡易テーブルを設置して仮想液晶を立ち上げている。テーブルの高さは少し低く、座ると一段とロキが小さく見える。
フォーマルな格好でタイトな服装をチョイスしたのは、彼女なりの仕事モードということらしい。
どこで買ったのか、黒縁の伊達メガネを掛けているが、慣れないせいかコメカミを揉む仕草が多かった。
いきなり痛いところを突かれた気分だったが、ロキの真剣味がずれているせいか、身構えずに口を開く。
「あいつらの前じゃ言いたくはないが」と前置きをしつつ。
「心構えとか短絡的な感情を抜けば……悪くない。というか、出来過ぎる」
「……やっぱりそう思いますよね。アル、私に隠れて二人にどんな訓練を?」
「そんなことはしない。半年ぐらい学院を空けていた間……それはないな。実力は見てるしなー」
「とすると、アルが殺気を持って付けた訓練が予想以上の効果を発揮したと?」
「それもあるはずだ。正直、二人の成長速度はあまりにも速い」
教えている身として、随分ほったらかしているのは事実だ。その間に欠かさず訓練していた二人の実力は飛躍的に伸びており、それから死を体感する訓練によって実戦で使える精神を鍛えた。
確かに己の死を自覚することは実戦では必要だ。
アルスは考える、二人の力は突出している。学生のレベルはとうに超えているだろう。
「……今の二人の力だと」
「なんでしょう」
続きを促すロキを一旦思考から追いやって、アルスは以前二人に残した訓練マニュアルを思い出す。
二人にそれぞれ課す予定の訓練や、達成目標など事細かにスケジュールを組んだ計画表だ。その中には適性魔法は勿論、二人に合った魔法もピックアップしているし、習得しやすいように順番も決めている。
辞書並みの厚さだ。他系統で覚えておきたい魔法や、外界での戦術や行動パターンなどいくつか例を引いている。
純粋な戦闘能力という意味では…………。
「不味いな、これ……」
「どうかしましたか?」
「正直、二人に教えるべき項目がかなり減ってる。というか、すごいスピードで達成されていってる」
知識などの机の勉強はアルスにできることは少ないし、マニュアルが一種の教科書代わりとなっている。
当初想定した「外界で戦える魔法師」その一点において、二人は達成しつつあった。
かなり荒削りだが、実戦で戦えるレベルには達している。後は実戦経験で身につけるものが多い。
部隊での行動や連携なんて、アルスには門外漢もいいところだ。知識はあろうと、本人がろくに出来ないことを教えるのは難しい。
純粋な戦闘能力だけですでに魔法師を名乗れるまでに至っている。一人前の魔法師にするのは実戦経験が伴わないことには難しく、それこそ在学中には不可能というもの。
で、あるならばだ。教えるべき項目というのは現実的に少ない。
あとどれくらい、二人に教えられることがあるのか。
ふと、熟考に決着をつけた時、ロキが静かに声だけを飛ばす。簡素で、そして多くを内包した良い質問だった。
「アル、二人は今どこまで来ているのですか?」
ロキは作業に戻りながら、こともなげに言う。
それに応えるアルスの方が、逆に作業の手を止めていた。
「できるできないで言えばまだまだだ。けど、反復練習なり、復習できるような基礎は教えた。あいつらのことだから、傷だらけになっても習得するだろうな。んで、俺が想定したレベルまで、費やす歳月をみてもざっと二年は早い」
「——!! 成長著しいとは感じてましたが、そこまで……」
魔力操作の時点で随分と予想を覆した二人だ。
そもそもアルスの作った訓練マニュアルは、最初から在学中には達成できないよう設定されている。
先日連れ立った外界で二人が討伐した魔物。Bレート程度とはいうが、それはアルスの感覚での話。
一般で、広く通常と言われる定義で計れば、初陣でBレートなどにわかに信じ難いだろう。軍に入隊すれば即エリート扱いだ。
卒業後、履歴書の討伐項目に堂々と書ける。
つまり、当初予定していた「外界で戦える魔法師」に届こうとしていた。
「とは言っても、今すぐ実戦投入できるかは甚だ疑わしいがな」
「でも、基礎能力としては十分だと」
アルスは頷かされる——納得しかねるが。
ここまで来れば自分の指導が良かったなどと誤解もすまい。
「いっそ、卒業までの期間でどこまで行けるかやってみるのも面白そうだよな」
「他人事のようですね。知りませんよそんなこと言って。どうせ余計な苦労が増えるだけなんです。安請け合いするのは感心しません」
「そうは言ってもだぞ、ここから先は俺が教える必要ないものだったりするしな〜。戦いの心得を説くか? ……時間の無駄だな」
いつの間にか、アルスは頬杖をついて先の予定が暗雲に翳っているのを確認した。
「イリイスも戦力不足って言ってたしな、ちょっと考えてみるか」
「あの、アル?」
「ん?」
「もしかしてなのですけど、ここで訓練を終わらせるのも手では? 別にそれで二人から解放されるわけではないでしょうし、どうせ毎日のように研究室に入り浸るのだと思いますが」
「だな」
「アル、もしかして途中で終わったと言いたくないとか? まさかですよね」
こういう時は必ず疑問形で、半信半疑で訊ねるものだ。
だというのに、疑いの目を向けるロキは、心の内を看破しきっていた。
「そんなわけない」
イントネーションがおかしかった。
更に深まる白い目。
「ロキ、魔法師になるってのはそう簡単なことじゃないぞ。血の滲むような努力と、濃厚で実りある経験が物を言う」
「また一番似合わない台詞を…………ふざけてますよね、アル」