ウェンコード家
手紙を受け取ると表と裏を見て、書かれている送り主と封蝋を確認する。封蝋は金色だった。
送り主は王宮から。
「父様、これは元首からということでしょうか。この国の元首というとシセルニア様……」
「正確には元老院からだ」
「何故そんなところがうちに。それも今更」
「ルサールカで貴族だったからだろう。最近アルファが貴族の締め付けを強化していると聞いたことがある。どちらにせよ、国が認めねば貴族を名乗れないからな。だが、今更というのは確かに気掛かりだ。それを知る伝手もいないがな」
「審問ということですか?」
「少し違う」
「まぁ、密偵ではないかなど……ようは話を聞きたいのだろう。心証を悪くすれば爵位の剥奪もあり得る。すでに話が決まってなければ良いのだが」
国家間で爵位は元首によって授けられるため、帰化する場合に効力はない。しかし、そうはいっても有力貴族など買収されることも少なくはなく、自国に見切りをつける家もないわけではなかった。
そのため、基本的に問題がなければ貴族位の移行が行われる。もっとも書類上ではあるが。
ウェンコード家はすでにアルファに移住しているが、貴族を名乗るのであれば話は別だ。いくら居を構えようとも元首に許可なく貴族を名乗ることはできない。
過去にも書類上の審査で貴族位の移行も一部例外を除き、スムーズに行われていたはずだ。が、こうして書状が届いてしまった以上、見過ごすことはできない。
このままでは貴族といえども他国の間者かもしれない家に、情報を流す売国奴はいまい。そもそも接触したいとも思わないものだ。国に疑われては貴族など立ち行かなくなってしまう。
誠意を示し、人々の手本として誇りと尊厳を示し、貴族の本来あるべき姿を取り戻す。真偽の是非に問わず、常套句は貴族にとっての対外的な仮面だ。
そうであらねばとは思うが、やはり理想は理想だ。もはや貴族は正義だけで維持できない時代になってしまった。
「元首の認めていない家に接触する貴族もいない、か」
通常貴族が他国へ移る場合のほとんどは亡命であったりする。故に爵位剥奪の覚悟で、身分を隠しながら逃げることが多い。
しかし、ウェンコード家はそれとは事情が異なる。傾きかけた家の再起を図っての移住だ。
「いずれは元首にお伺いを立てなければならないのはわかっていた」
「父様、これはつまり」
シュルトの神妙な顔にトムセンは小難しい表情で応じた。
「これが来る前に、三大貴族なりに取り次いでもらいたかったのだ。すでにどこかに所属しているとなれば、身元を保証してもらうのと差異はない」
アルファ国で三大貴族とは、それだけで身分を保証してくれるに等しい。この国で貴族社会が形成されている背景には力ある三つの家の存在が大きい。
確かに今や三大貴族の一角は急速にその権力を失っている。ウームリュイナ家の話は隣国のルサールカでも話題に上がった。新参者が一旗とは言わずとも、頭角を現すには絶好の機会でもあったのは確かだ。今となってはそんな幻想は捨てているが。
問題は時間をかけ過ぎたことにある。他国の貴族がアルファ国内に居を構え、必要な手順を踏まないとあればスパイなりの疑惑はかかって然るべきだ。
それにウェンコード家は先々代でルサールカの非合法な研究に携わっていたことも事実だった。ルサールカの、と言えば語弊がある。あれは一部の貴族の暴走として片付けられたのだから。
「シュルト、学院はどうだ」
唐突で、要領を得ない問いかけではあったが、シュルトは意図を履き違えることはなかった。
これまで学院での生活についてとやかく言われたことはないが、家がこんな状況では確かにままならない。
「フェーヴェル家の御息女であるテスフィア・フェーヴェル先輩には良くしていただいています。ソカレント家のフェリネラ先輩には残念ながらご挨拶だけ……。ですがテスフィア先輩ならば」
「そうか、女傑フローゼ・フェーヴェルへ繋がる糸口はできたか。できれば一番避けたかった相手だな」
頼みの綱として、フェーヴェル家配下の貴族にはすでにいくつかの書簡を送っていた。色良い返事は一つもないのが現状だ。
他国の貴族に関する情報は収集しづらく、トムセンが聞いた話ではどれもネガティブなものが多かった。その中でもフェーヴェル家は不評の筆頭だ。今の地位に上りつめるまでのやり口はかなり強引な手を使ったという話だ。
大隊規模の指揮官としても異色の経歴を持つ。厳格な人柄は有能な他家を配下に置くために、手段を選ばないとルサールカにまで伝わってきていた。
貴族を牛耳る御三家——現在は二家——二択ならばソカレント家が望ましかった。
もちろんどこにも所属しないという手段も選べるが、最悪でも懇意にしておくに越したことはない。
「もはや手段は選べないな。それとシュルト、アルファのシングル魔法師第1位のアルス・レーギンには」
「…………」
シュルトは言葉に詰まる。
貴族として権謀術数は常套句だ。計略なしに貴族は語れない。細い伝手だが、シュルトもテスフィア・フェーヴェルに口添えをお願いすることには抵抗なかった。
なかったが、アルスの名前が浮上した途端、シュルトの背中が強張る。
「父様、アルス様は貴族ではないんだ。それに貴族の事情に巻き込まれることに対して、怒りを買うと先輩方が……」
「そうだったな。いや、今の質問はそういう意味じゃない。お前が彼に憧れているのは知っている。だからお会いできたのかと思っただけだ」
「はいッ!」
家のゴタゴタと関係がないとなれば、シュルトの口は羽を与えられたかのように軽くなる。
「ご助言をいただきました」
「あら、それはよかったわ。7カ国親善魔法大会の映像を何度も見返していたものね。きっとシュルトの努力もお褒めいただけるはずよ」
母親の手放しの絶賛にシュルトはむず痒さを覚えた。嬉しいが、おそらく父母が想像する人物ではないことをシュルトは知っている。またそれが彼の憧憬を強めているのだが。
「シングル魔法師であっても同じ学院の生徒、是非ご教授いただきたいな」
「父様、流石に失礼に当たるよ。生徒とはいっても特待生のようなものだから、単位も免除なんだよきっと。あまり学院で見かけることも少ないんだ。ただ……」
「なんだ?」
「テスフィア先輩とそのご友人のアリス先輩だけは、特別に個人的な指導を受けているらしいんだ」
その訴えにトムセンは顎を摩りながら眉間に皺を寄せた。
「三大貴族の御息女か。余程の権力を持っていると考えるべきなのだろうな」
「——!! そうじゃなくて、確かに先輩方は学年でも上位に……いや、学内を通しても五本の指に数えられる実力者なんだ。二人とも二年生では成績もトップだし」
「ならば、お前にもチャンスは与えられるべきではないのか?」
「貴方」
宥めるような優しい声は、踏み越えそうになる手前で制止させる力強さを持っていた。
親心ではある。それが理解できるからこそ、この母親は身贔屓にならないように割って入った。
シュルトも母親に同調しながら。
「平等を言うのであれば、挙手したいよ。でもそれはこっちの理屈だよ。アルス様には関係がない」
「そうだったな。至極真っ当なことを言われてしまった」
ウェンコード家を背負うべき、才能ある息子についつい無限の選択肢を想像してしまったのだ。全力で魔法師の道を応援したいがために、取れる選択肢がタダだと勘違いしてしまった。
「そうだな。私たちが口を挟むべきではなかったな。いずれにしても喜ばしいことだ」
大きく頷く父に、母親は話題を広げていく。
「ところでシュルト、学院の友達は? 仲良くやれてる? 今度ご招待しましょうよ」
答えを決めてかかって、矢継ぎ早に話を進めてしまうこの母親にシュルトはほとほと悩んでいた。
そうは言っても望む返事をすることはできない。
「そんなのはいない。仲良くするために学院に入ったんじゃないんだ。魔法師として腕を上げるためだ。正直いってレベルが低すぎて同じ学年で話せる人はいないよ」
「頼もしいな」
誇らしげな父親とは対照的に、母親の方はやれやれといった様子でため息を吐いた。
シュルトの脳内にはもちろん、メインやフィオネが過った。もちろん一瞬だけ。
あの二人を友達と言うにはプライドが許さなかったのだ。
一人は完全に無知な田舎者。
もう一人は非効率な練習に取り憑かれた訓練馬鹿。
貴族として付き合うには値しないというのがシュルトの結論だ。
そして実はもう一人。付き合うに値するかでいえば、トラブルメーカーのノワールがいる。
だが、彼女は狂人過ぎて両親に会わせることはできない。素直に言うことを聞いてくれる性格でもないので、最初から候補にすら上がらなかった。
「シュルト、学院は友達を作る場でもあるのよ」
父親が見ていなければ鼻で笑ってしまいたかった。だが、隠しきれなかったのか、目敏く。
「この子ったら」と肩を落とされてしまう。
ルサールカの中等部でも言われた言葉が繰り返される。
意固地な息子に対する母の苦悩は尽きないものである。努力家でもあり、なまじ要領が良いがために友人の価値を物差しで計ってしまうのだ。
「そんなことは」と反論しようとするも、機先を制され。
「貴族ならば尚更ね」
「ハァ〜、わかりました母様。努力はしてみます」
「そうだな、社交性は欠かせない。嘘偽りない社交性がな」
装飾過多な言葉は理想論だとシュルトは感じた。性善説で救われるならば、今ウェンコード家は窮地に立たされてはいない。
我が父ながら一角の人物にはなれないのだろう。
学院の話題はシュルトに貴族としての意識を鈍らせる。両親に話せるだけの吉報を持ち合わせていなかったこともその一つだった。結局、自分自身が充実した学院生活を送れていないのが原因だろう。
「ところで父様、どうされるつもりですか」
話題を戻した辺りで、母親はシュルトに飲み物の注文を取ると静かに退室していった。
以前から母親は家の問題に無関心だ。貴族というものが女性を介入させない風潮があるのは確かだった。
旧貴族的な風習の名残りなのだろうか。
「その件だが、出向かざるを得ない。時期も悪い。協会の発足で軍は外に掛かりっきりだ。三大貴族への接触は後回しになってしまうが、仕方ない」
「そのようですね。協会の調査任務もその一環でしょう」
「心証を悪くすれば存続もままならないからな。査察でもなんでもすれば良いさ。やましいことなどないのだからな」
「今やうちはアルファの人間なんだ」
「そう言うな、国内の不穏分子に対して神経質になるのもわかる」
「で、場所は王宮ですか」
「そのようだ。なんとも光栄なことだ。それとシュルト、お前も次期当主として一緒にきてもらう」
「わ、わかりました」
シュルトは意外感を抱きながら、良い経験になると了承する。
貴族としてその忠誠は元来元首に注がれて然るべき。であるならば国を統べる者を一目見ておくのも悪くないのかもしれない。静かに湧き立つ興奮を隠しながら、シュルトは身を引き締めるように拳を握った。