貴族の柵(しがらみ)
「どうだフェリネラは」
突拍子もない質問、ヴィザイストがフェリネラをアルスに付けることで任務の参加を許したと聞いた。
つまりはそういうことなのだろうと。
「だいぶ鍛えましたね。外界にも出しているのでしょ?」
「もちろんだ。私の全てを叩き込むからな」
甘いながらもしっかりと鞭を持って育てているのだろう。
「戦闘は見ていませんが、探知は現時点でも重宝されるでしょうね」
「あぁ、あれは俺を越えていく才能がある」
「引退されるのですか?」
「馬鹿を言え、俺は一生現役だ」
敢然と言い切ったヴィザイストは鼻息を荒くした。
「俺があいつと同じ歳だった頃はもっと酷かったからな」
それだけに三桁という順位を示した娘を誇りに思っているのだろう。
実はこの手の話は何度も聞かされているのだ。娘自慢はいつものことだった。
「学内でも頭一つ出ているようですし、人望も厚いですよ。今から将来が楽しみといったところですか」
が、すぐに返答は帰ってこなかった。
何か苦味のある苦悩がその眉間にしわを刻んだ。
「そうじゃなくてだな……アルス、お前に娘をやろう」
「はっ?」
出し抜けの言葉にアルスは反射的に訊き返すような声を上げることしかできなかった。
なんでそうなる、というのが本音だ。
「おっしゃる意味が……」
「貴族とは不便でな、男ならまだしも女は早婚を求められる。いや、いずれは覚悟しなければならんのもわかっている」
ヴィザイストもこの年齢だ。いくら男とはいえ相当後ろ指をさされたのだろう。
「貴族の位には固執していないと以前に言っていたはずですが」
「無論、惜しいとは思わん。俺だけならな、あいつが外界に出て、軍に入るとなればそうはいかん」
貴族と呼ばれる家にはそれなりに恩恵がある。無論地位に関わらず軍や国策などにも発言権がある以外にもバベルの塔付近に居を構える権利がある。
軍でも同格の地位だった場合、貴族のほうが立場的にも上として扱われる。
魔法師の私兵を雇うことも許されているのが貴族だ。
ヴィザイストが現役を豪語するのもフェリネラのためだ。軍内部でも地盤を確固たるものとして地歩を作るためなのだろう。娘の将来を考えれば貴族という位は手放せなかった。
「それにそんじょそこらの魔法師なんぞに娘をくれてやるつもりはない」
そこで白羽の矢がアルスに立ったわけだ。知らない仲というわけでもなく、現魔法師最強の少年ならばと考えるのは必然なのかもしれない。
「お前が俺の下に居た時は悩んだものだが、今のお前なら許す」
確定の方向に進んでいるが、悩んだということは入隊後すぐということはないにしろ、アルスが10歳ぐらいの時にはそんなことを考えていたのかと呆れるというものだ。
貴族という立場を考えれば分からなくもない……いや、わからなかった。
「ヴィザイスト卿、俺は結婚するつもりはありません」
「――――!! お前フェリネラが不服だというのか」
凄い剣幕がアルスへと向けられる。
「あれは嫁に似て絶世の美女だぞ。俺が苦渋を呑んでやると言っているんだぞ」
絶世と言う点について愛娘だからという身贔屓だけではなく、アルスから見てもあれほど均整のとれた顔立ちに見事なプロポーション、艶美な女性であるのは認めている。婉然とした中に端正な仕草があり、学内の男子生徒が惑わされる話はちらほらと聞こえてくるほどだ。
立ち上ったヴィザイストをアルスは物怖じせず続けた。
「そういう意味ではありません。俺には様々な秘匿事項があります……無論ヴィザイスト卿が知り得ないことも」
「…………!!」
それがあることによって婚姻が躊躇われるということ。
アルスとしては異能がある以上、解明しないことには縁遠いものだと考えていた。
これを知る総督は許可を出すまい。
「べリックか」
秘匿だが、そうでも言わなければ納得させることはできなかっただろう。
一応、アルスにその意思さえあれば突っ撥ねられることはないはずだ。用はアルス次第……だからこそ頷くことはできなかった。
不確定要素をそのままにすることはできない。何せこの自我を持つ異能――魔力――は魔物の性質と酷似しているのだから。
「それに娘さんの意思を無視して決めてしまっては反感を買いますよ」
「その点については問題ない」
明け透けに言ったヴィザイストは顎を撫でる。
アルスはその一言を聞き逃すことができなかったが、すでに解決済みのようだと諦めを以て押し留めた。
「一先ずは保留だな、単純な問題ではなさそうだ」
一先ずはアルスの方にこそ言えた。早婚は貴族に限った話だけではない、そういう風潮が強いというだけだ。
順位の高い者はいずれは結婚せざるを得ないだろう。ましてや1位ともなればある意味で義務のような暗黙の了解が存在する。
力を持つ者の責務というべき観念は多くの人間が持つ。
だから婚約という手法は現代では当たり前のような風習になっているのだ。
それでも一夫多妻が認められているわけではない。人口の激減を経ても無秩序な急増を望んではいないのだ。
子育てを国が援助するという施策は多く取られているため、愛人のような第2妻は存在する。それを国は黙認しているのが現状だ。
いくら魔法の才能が遺伝しにくいと言われていても、まったく無関係というわけでないのが数十年前の研究によって実証されている。
だからどうしても順位の高い魔法師が有力馬とされるのは仕方のないことだ。
それこそが高ランカー魔法師に婚姻を急かす。
極論すれば子どもを作れってことだ。
一生独身を公言すれば白い目で見られる――――なんと世知辛いことか。
「わからんかもしれないが、お前の力は後世に残すべきだ」
アルスもこれには賛同しかねる。
「いくらなんでもそれは期待しすぎですよ。実証されたと言っても魔力情報体の遺伝は僅かです。一桁になれる保証なんてないんですよ」
「いや、わかってはいるんだがな」
期待せずにはいられないということか。
ヴィザイストはアルスの功績が今のアルファを作っているのを知っているだけに。
「俺も一生独身を貫き通すつもりはありませんよ」
微苦笑気味な返事。
おためごかしの言葉なのは否めなかった。現代ではアルスの異能を解明することはできないだろうと思っていたからだ。
「お前もまだまだ若い。そういう意味では学院に入れたべリックは考えたということか」
それを自分の前で言うか、と思ったが口には出さない。
「では、婚約を結ぶというのはどうだ」
「いえ、逆にご迷惑をおかけすると思いますので」
「ちっ!! まあいい、その内、気も変わるだろう」
これにもアルスは苦笑いで答えるしかなかった。アルファ内でソカレント家からの縁談を断る者はまずいない。
だからというわけではないが、本当は嬉しい申し出なのだろう。アルスの意志を無視してはいるが、女性から好意を寄せられることは男にとって誉れだ。
だが、アルスはそれを知識として認識してしまう。悪い意味で大人なのだ。まともな幼少時代を過ごしていないアルスでは疎いを通り越して理性が先に立ってしまう。
魔法に関する全知を探求する者は同時に愛だ恋だのはさっぱりだった。
「あれに籠絡されるのを待つとするか」
「籠絡とは穏やかじゃないですね」
ヴィザイストは目を見張ったかと思うと大声で笑いだした。
「穏やかなものか、俺が落とされたんだからな。その血を引いているんだ覚悟しとくんだな」
「では要塞を以て迎えるとします」
「張りぼてなら助かるんだがな」
そこで思い出したといった顔の後、ニンマリと笑んだ。
「そうなるとお前もこの後大変だぞ!?」
「何がです?」
「そろそろだろ」
何かあったかと脳内でスケジュールを洗ってみるが、該当するものはなかった。
「何のことです?」
「【7カ国魔法親善大会】」
「俺には関係のない話ですよ、それ」
「いいや、べリックはやらせる気満々だったぞ」
7カ国が保有する魔法学院間で年1回開催される、生徒同士で日頃の魔法を競わせる趣旨のものだ。親善などと言っているが、国同士の視察の趣が強い。無論育成に力を入れているなど、国力を誇示する側面もある。
大会とは言っても至ってシンプルなものだ。実技授業でもよくやる対人戦闘が主な種目だ。
当然アルスがそんな学生同士の大会に出るなんてことは予想もしていなかった。
「何を考えているんですか」
「そう言うな、アルファが7カ国中で功績を挙げているのは事実なんだ。その立役者であるお前が出んでどうする」
「その茶番に付き合えと……冗談でしょ、総督に直訴してみます」
「国の威信が掛かっていると言っても過言でないんだ。たぶんダメだと思うぞ」
心底ため息をついたアルスはうんざりしながらうなじを撫でた。
「お前が出るとなれば婿を探している連中は黙ってないだろう」
好成績を残せば将来有望であるのは男女ともに言えることだ。
そういう意味でも番探しの場というのは観戦に来る保護者に共通するのかもしれない。
いつになく悪い笑みを浮かべ。
「その点、婚約しとけば火の粉を振り払えるぞ」
「出場しなければいいだけの話ですし、自分に降りかかるものは自分で何とかしますよ」
「ふん、可愛げのない奴だ」
皮肉めいた悪態は半ば予想していたのだろう。他愛なく放り込まれただけだった。
「それを言うなら娘さんだって引っ張り凧でしょう」
「ぬかせ、その程度で嫁に出すほど俺の眼は曇っておらん」
親馬鹿とは良く言う、これは相当重症だなと思っただけに、アルスを諦めるという選択は難しいようだ。
「それに娘の意思を尊重するのがソカレント家の教育方針だ!」
泰然と構える初老の司令官は不退転の覚悟だった。
フェリネラが帰って来たのは話が終わった直後のことだ。見計らった間は気のせいかフェリネラは目を柔和にしていた。
「お父……司令、完了しました」
言い違いは何を意味したのか、アルスは深く考えず、動揺からのものだと思った。
「御苦労、それと他の実験体については処分しかねるぞ」
研究資料の大部分が入ったデータの抹消には成功したが、外に転がる100体近くの実験体はそうもいかない。
フェリネラが来たことで話が再度引き戻された。
「大丈夫でしょう。おそらく実験体からは表面的な観測結果しかわからないはずです。そもそも未完成の研究です。国が主導で着手するには不確定要素が多すぎますよ」
「まあ、何ができるわけではないのだが、お前がそう言うのならば大丈夫だろう」
軍が興味を持つ、ということ自体忌避すべきことだが今言っても始まらない。最悪、研究データを押収されることさえ阻止できればいいのだ。
上で踏ん反り返っている連中が現場に足を運ぶことなどまずありえないのだから。
逆に手綱を握ってやるくらいがちょうど良い。
「よし、後はこっちの仕事だ。アルス、お前はもう帰っていいぞ。フェリネラもやることはないから送ってもらいなさい」
これが意図した策略なのかはわからないが、えらい後ろ盾もあったものだなと考え、今占いでもしてもらおうものなら女難の相が出ているに違いない。
穿ち過ぎだとしてもアルスが送らないということはない。送ると言えば語弊がある、同じ場所に帰るだけなのだから。
「任務はこれにて完遂、報告は追って連絡する」
「了解」
いかにも軍人らしい覇気のある声が通る。
それに規律を以て答えると踵を返し、すぐに背後から人の悪い言葉が投げ掛けられた。
「アルス、送り狼には気をつけろ。ん? ……この場合は逆か、送られ狼に気をつけろよぉ」
「…………」
「お父様っ!!」
真っ赤に染まった顔でギリッと睨みつけたフェリネラはアルスの手を引いて急いで本部を後にした。
しばらく無言で引っ張られ、中層のサークルポートまでを足早に向かう。
外は薄らと明るくなり始めていた。まだ夜中といって差し支えないだろう。それでも青い葉が傾いた月光を浴びて、昼間とは違う光を放っていた。
この時ばかりは、夜の不吉な森も幻想的なベールに包まれる。
「ご、ごめんなさい」
顔の火照りが冷めた頃、本部はすっかり闇に隠れて見えなくなった距離だ。手を繋いだままであることに気がつくとフェリネラはパッと手を放して速度を落とした。
「その、父が申し訳ありません」
いつもとは打って変わって弾かれたように頭を下げる。
「いや、気にしてない。ヴィザイスト卿には世話になっているし、今更そんなことを気にする浅い関係ではないと思っている。貴族の慣習までは理解しかねるがな」
と片目を瞑ってみせるアルス。
「いえ、その……」
言い淀みにアルスはすぐ気がついた。
「あぁ、フェリは聞いていたんだったな」
アルスとヴィザイストとの会話を途中から聞いていたのだ。というと大袈裟だ。単純に入りづらかっただけのことで、自分のことだけに悪いと思っていても離れることができなかったのだ。それにアルスとの結婚は以前から話として持ち上がっていた。