因縁、格の違い
あっという間に昼休みが過ぎ去り、気が付けばすでに午後の授業は始まっていた。チャイムが聞こえないほどに集中していたということだ。
アルスは急ぐこともせず、後ろ髪を引かれる思いで読みかけの本を片手に教室へと向う。
たっぷりと時間をかけた歩みでは教室に辿り着いた頃には授業も折り返しに入っていた。たとえ自分のためとはいえ、人に迷惑がかからないようにする良識は持っている。
音を立てずにドアを開き、目に付く空いている席へと腰を落ち着けた。それでも人が一人入れば気づく者は多く、アルスへと向けられる視線は舌打ちすら聞こえてきそうなほどに威圧的だ。
泰然とした態度で受け止めるが、テスフィアとの一悶着が知れ渡っているのか、これ見よがしに悪態が飛び交う。
すでにテスフィアとアリスの順位は学校中の知るところとなっている。
それもそうだろう。新入生にして四桁という驚くべき順位はそれだけで将来を期待されるというものだ。
二人とも美少女と呼ぶに差し支えのない容姿はさらに拍車をかけて、一躍人気者だろう。
テスフィアは気高く美麗で、勝気な目が余計に品位の高さを醸し出している。背こそ低めだが、そこに愛らしさを覗かせている。
アリスは柔和な顔が慈愛に満ち、一方ですらりと伸びる肢体が艶かしく大人の色香を漂わせているのだ。
二人並んだ姿はさぞ絵になることだろう。
こんな二人と対立するようにアルスが目を付けられれば、それは一学年の全てを敵に回したようなものだ。さらに言えば、授業に取り組む姿勢一つ取ってもまじめな生徒を逆撫でするようなものだった。
迷惑をかけていないアルスからすれば釈然としないものがある。
個々人のモチベーションまで他人に原因を求めるような生徒にまで気を使うほどアルスは寛容でなく、蛇足以外の何物でもない。それこそ無駄な労力というものだ。
ひそひそと陰で言われる分にはアルスは関知しない。しかし、これがアルスの時間を妨げるような事態になれば動かざるを得なかった。
今も紙屑がアルスの脇を抜けて行った。もちろん躱した結果だ。
これがテスフィアの指示ならば放課後で借りを返すつもりだが、反対側に座るテスフィアは我関せずといった具合に喰い入るように授業に集中していた。見て見ぬ振りでもなさそうだ。その眼差しは全面に映し出されたディスプレイの文字を必死に写している。
アリスは気づいているものの、声を上げるまでには至らなかった。
これでやり返せば事態は悪化するだけだ。さすがのアルスも自分に物がぶつかって集中を途切れさせないほど図太くはない。それはそれで寧ろ欠陥だ。魔法師として戦う上で鋭敏な感覚は常に持ち合わせていなくてはならないのだから。
外界へと任務に赴いても日帰りなどまずない。魔物に襲われる恐怖に耐えながら寝食をしなければならないのだから、物音さえ聞き逃さないほどにアルスは鍛え抜かれている。
だから、彼らはアルスの時間を奪う略奪者だ。
アルスは飛んできた紙屑を拾い上げ、いくつかに千切って小さく丸める。
手の平に乗せた豆粒ほどのゴミに魔力を通す。
魔力で覆う技術は初歩中の初歩だが、感覚に頼る部分が多く、最初に躓くとなかなか先には進めない。それでも一度身に付けてしまえば感覚として覚えられることからも忘れるなどの事態にはそうそうならない。
アルスもまた軽く念じるだけで紙屑を魔力が覆う。これは武器にも転用されている。覆う時の感覚は対象物を自分の体の一部であると認識することだ。魔法師は体内から生成される魔力を知覚することができる。だから、練度の差こそあるが本来ならば体の部分部分へと巡らせることを意識的に行えるはずだ。しかし、魔力が体内から離れてしまえば、それを認識することは難しい。唯一、魔法の発動として具象化された現象によって認識することはできるが、それは魔力から魔法式を経て再構築された魔法である。そこに魔力が通っていることは疑いようがないのだが、魔力そのものというわけではない。
薄らと膜を張ったそれらを握ると誰にも気づかれないように親指で弾く。
教室の壁を跳弾して、五人の生徒の首を打った。一瞬ビクッと反射すると皆一様に机に突っ伏す。
今のは単なる豆鉄砲だ。少しばかり強化した紙屑が固くなった程度、しかし的確に首の付け根にヒットさせたため、気絶させることができたのだ。威力としては神経の集中している首裏部分に手刀を入れた具合だ。外傷はなく証拠は丸めた紙屑だけで誰も気づいてはいない。
おたおたと窺ってたアリスでさえも突然止んだことに疑問よりも安堵するだけで気づいた様子はなかった。
それから放課後までの二限分の授業をアルスは有意義に過ごすことができたのだ。未だ起きる気配を見せない彼らだが、もちろん息の根までは止めていない。
HRも手短に終わった頃、やっと目覚めた。彼等は何故寝てしまったのか不思議だというような顔で目を擦ったが、授業を聞き逃してしまったことに気付いた時の顔はやはり向上心の高さが窺えた。
アルスにちょっかいを出した時点で向上心云々の話ではないのだが。
そしてこれは日課なのか当然というべきなのか、帰宅や自主練に励むはずの生徒達は真っ先にテスフィアとアリスの下へと集っていた。漏れ聞こえる会話は、どれも魔法に関することだ。授業中のテスフィアは真面目を絵に描いたような優等生ぶりだった。だからというわけでないのだが、きっと頭もいいのだろう。
もちろん彼女らの人柄あってこそ人を惹き付けるわけだが。
それ以上に順位というのは魔法師を目指す彼らにとっては明確な上下関係だ。長い物に巻かれると言っては大げさだが、順位を上げることに目標を据えているのではないのかと思ってしまうほどだ。魔法師を目指す者は順位に縛られる構造になっているのだからそれも致し方ないのかもしれない。
今日は二人ともこの後の予定を忘れていなかった。
「ごめんなさい。この後少し用事があるの」
テスフィアがやんわりと断りを入れ、アリスも同じように続いた。
「二人で先生に呼ばれているの、また明日ね」
テスフィアが視線で促してくる。力強い瞳は忘れていないか、はたまた逃げるなという意味合いが含まれている。
先生、教師という正当な理由が出てきたことでそれを止める者は一人もいない。
「終わるまで待ってちゃダメ?」
そう声を上げた女性徒は手に魔法基礎学の教科書を持っている。小柄で愛らしい姿は小動物を思わせるが、それが効くのは男子生徒だけだ。
教師に直接聞きに行けば良いのでは? とアルスは思ったがそこにも魔法師社会が顔を覗かせている。要は将来有望な彼女達とお近づきになろうというのだろう。もちろん単に仲良くなりたいという線もある。
「本当にごめんなさい。どれぐらい時間が掛かるかわからないの。なるべく早く終わらせる予定だけど」
棘のある言が含まれているが、それに気づけるのはアルスとアリスだけだ。
「明日の放課後に時間を取るわ」
テスフィアは申し訳なさと明日ならという補填の半々といった具合に優しく宥めた。
その一言に満面の笑みを浮かべた女生徒は嬉しそうに「ありがとう」と言って鞄を手にした。
「アリス行きましょう」
隣で終始落ち着かない様子のアリスは溜息混じりに頷いた。
本来ならば 訓練場を貸し切るなんて所業が一生徒にできるはずはない。
だからアルスと言えど今回に限り特別扱いということなのだろう。広い訓練場の二階部分が観戦席になっているのだが、その隅で見つからないように理事長が様子を窺っていてもなんらおかしなことはないし、言えた義理ではない。
隠れたとは言ってもアルスには気づかれているのは百も承知だろう。つまり、テスフィア達に気付かれないための配慮だ。
そしてもう一つ。
模擬戦中にも感じた視線もある。つまりは理事長の差しがねと言ったところだったのだ。
「まさか本当にヘマをすると思ってるのか」
釈然としないまでも、それほどフェーヴェル家は有力だということなのだろう。テスフィア自身それを裏付けるほどの順位を示している。
魔力や魔法のスキルは血脈に依存しない。優秀な魔法師の子供もまた優秀とは限らないのだ。その逆もまた然りだ。ある程度の才能は遺伝するのかもしれない、それでも優秀な魔法師を親に持つと、幼少の頃から英才教育を施されるのが常だ。土台からして魔力の総量が違う。優秀であればあるほど、そのノウハウを叩き込むことができるためセンスや才能を抜きにしても大概エリートが出来上がる道理なのだ。
「待たせたわね」
訓練着に着替え終えたテスフィアが刀を片手に入ってくる。
アルスも同様にすでに着替え終えている。本来ならば着替える必要すらない。しかし、それによってまた一悶着あったのではただの時間の浪費にしかならないことは予想済みだった。
誰もいないことに気が付いたのか、テスフィアとアリスは周囲を一瞥し、小首を傾げる。
今頃役者が揃ったことで理事長が全ての出入り口をロックしたはずだ。
「誰もいないなんて珍しいわね」
普段から使用しているのか、そんなことを溢した。
「まあいいわ。さっさと始めましょう」
今回は訓練場を分ける必要もないため、存分に使い切ることができるのだが、アルスはそんな必要さえないと判断し、テスフィアもまた一瞬で地べたに這いつくばる結果を幻視し嘲るような笑みを浮かべた。
しかし、次第に笑みは不機嫌なものへと変貌し青筋を立てて眉根を上げた。テスフィアの視線は下がった位置に向けられている。
アルスの手に冊子が握られているのを見咎め。
「何のつもり」
「気にするな」
「とことん人を小馬鹿にして……」
アリスが二人の中間に立ち、少し距離を取る。
「始める前に条件がある。俺が勝った場合はもう俺に干渉してくるな」
「勝てたらね。なんならあなたの勉強を見てもあげてもいいわよ」
「いや結構だ。で、お前が勝った場合は?」
「もちろん謝罪してもらうわ」
「わかった」
すでに一度謝罪しているのだが、どうやら誠意の問題らしい。
アリスの操作によって広い訓練場内に高らかと開始を知らせるブザーが鳴り響いた。
――同時にテスフィアが刀を抜きながら一直線に駆けた。実技の授業で対戦した男子生徒と比べれば身体技能だけでも差がある。
アルスは右手に持ったパンフレットを丸めて魔力で覆う。
魔法師を評価するにあたって力量の目安がある。その一つがAWRだ。補助武器としての意味合いが強いAWRだが、その武器は一つの例外もなく希少な鉱物を素材に使われている。それは魔力の伝導に優れたものだ。これを武器の芯に混ぜることで伝導効率を上げることができる。さらに魔法式を直接書き込むことで難解な魔法を行使する補助にもなるのだ。
アルスの紙束も魔力で覆っているがAWRでなければ魔力を通せないわけではなく、通しづらいだけである。無論魔法式が刻まれていないため、魔法の行使を補助する役目はない。
伝導とは言うがこれはアルスが紙屑にやったように魔力で覆う必要があるのだが、それは武器の強度を上げることにも繋がる。そこで覆った魔力の淀みや形成で、ある程度の技量を計る目安になる。
とはいえこれが目安として役に立つのは三桁魔法師までだろう。二桁魔法師は寧ろ完璧な魔力操作ができていなくてはならない。
だからこの場合、まだ四桁のテスフィアの技量を計るには打って付けだ。
すでに模擬戦のときに確認はしている。
テスフィアの刀は言うだけあってかなり良質なものだ。しかし、まだテスフィアの技量がそれに追いついていない。現状では宝の持ち腐れだ。
刀に纏う魔力は他の生徒と比べるとマシという程度だった。魔力量も四桁にしては多めなのだろう。刀身を纏う魔力は明らかに余剰が出ていて、形も歪だ。
二桁魔法師ともなれば必要最低限の魔力で僅かに見える程度なのだが……魔力を多く纏わらせる利点は強度が上がる程度しかない。逆に切れ味が落ちるため、未熟さを露呈させているようなものだ。それ以上に魔力消費がばかにならないため、鋭利に魔力で刀身を象らなければ使い物にならない。
テスフィアの場合は斬るというよりも叩く鈍器のようですらある。
形無しとなった刀ではAWRであろうとも外界では使い物にならない。
「はぁああああ!!」
上段から振り下ろされる刀をアルスは避けずにわざわざ応じた。
ニタリと頬が持ち上がった直後――。
「「――――!!」」
テスフィアは振り切れるはずの刃が途中で止められたことに驚愕した。それは離れた位置で見届けているアリスも同様だ。
業物の刀がたかだか冊子に受け止められたのだから。それも傷一つ付けることができずに。
アルスはテスフィアが我に返る一瞬を待った。
テスフィアには大事な資料をぞんざいに扱った罰を与えなければならない。だからこそ学院のパンフレットは丁度良い。
ショックから立ち直ったテスフィアは大きく跳躍して距離を取った。
「嘘でしょ!! ……それただの紙じゃないわね!」
「いいや、ただの紙だ。お前ももらっただろ学院のパンフレットを」
「――!!」
アルスはパンフレットを広げて見せた。表紙に学院の校舎が写っている。
「嘘よ! たかが紙切れで防げるはずはないわ」
「現に防いだぞ」
歯を食いしばるように刀を握る手に力が入った。
「ありえないわっ!」
ただの紙ではいくら魔力を纏おうとも耐久力に限界があり、鈍器と化したテスフィアの刀であっても押し負けてしまう。それも並の魔法師がやったならばだ。
AWRですらない紙束では魔力を伝わせるのですら至難の業だ。こういった常軌を逸した技術の一つ一つがアルスを一桁魔法師たらしめていた。
すぐにテスフィアは刀を引きながら再度駆けた。
しかし、何度刀を振ろうとも全てアルスの持ったパンフレットに防がれてしまう。
そして大きく上段に振り被る。
「…………」
接近戦をしているのに目の前で大振りしようとするテスフィアは隙だらけにもほどがあった。
それを受け止めてやるほどアルスの気は長くない。
「――――!」
バシンッとアルスのパンフレットが盛大にテスフィアの頬を打った。張り詰めた空気を引き裂くような音が訓練場内に響き渡る。
それは紙ではなく鈍器のように重く冷たい一撃。
テスフィアは真横に吹っ飛び、地面を転がりながら倒れた。後ろで纏めてあった赤い髪は乱れて地面に垂れる。
「フィアッ!!」
数回転がってやっと止まったテスフィアに堪らず声を上げたアリス。
紙を丸めただけの威力ではなかった。魔物の攻撃にも匹敵するほどの威力にテスフィアのか弱い体は容易に吹き飛んだ。
この場で唯一第三者的な立場で見ていたアリスは今のが魔法による攻撃でないことを確信する。詠唱もなければ魔力が流れた様子もない。
だというのに紙束は人間を軽々と飛ばすほどの威力を持っていた。
女性の顔を叩いてしまったことに罪悪感はあるが、それも訓練場内では全て心的ダメージに変換されるため傷や痕が残ることはない。何よりも魔法師を目指す者にとって男女の力の差は無いに等しいのだ。彼女を魔法師として相対するからこそ手加減はしても、女性だからと区別することはしない。
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