結末として
自分のことならばまだいい。そんな風にアルスが考えるのも自分自身のことならば、時間を掛けて研究すればいずれは何かしらの成果を出せるからだ。
検査対象がいるのだから、これまでのように全く成果が出せないということもないだろう。
だからこそ、アルスはズキッとこめかみが痛むのを感じる。自分の手の届かない範囲で、起こった出来事がこっちにまで影響して来ている。
「あぁ、頭が痛くなるばかりだ、ホント。正直人類に生き残る道はないんじゃないかと思い始めてきた」
常々アルスは、自分がいなければアルファ軍は高レートの魔物に対して数日で陥落するとみていた。SSレート級といったら、それこそ持ち堪えられる体力はどの国もないだろう。
にも関わらず、ここ数日で耳にしたのはSSレートのことばかりだ。
「全くもって同感だ。戦力が足らなさ過ぎる。正直二人だけじゃこの世界は救えないなぁ」
「——!! 言っておくが、俺は勘定に入れるなよ」
アルスの訴えをイリイスは鼻で笑った。世界を救う、そんな子供が描くヒーローをやることのなくなった老いぼれが残りの余生を使ってやるのが丁度良い塩梅なのだ。イリイスにはもう馬鹿みたいに救ってやることぐらいしか、やることがないのだ。
遥か昔は、愚直に人類を救うという理想を疑問に思いながらも、戦い続けて、讃えられて、小さな称賛獲得欲求も十分満たした。
そして今度は人に対して憎悪を抱き、軍から追われる犯罪者にもなった。
なら最後は、子供がヒーローごっこをするように、大人が敬遠してしまうぐらいの正義を振りかざしてみるのも一興なのだろう。
「ククッ、何を今更。これから私と外界へデートでもしに行くか? それもまぁ良いだろう。死ねるなら、そんな暇潰しの最中に逝ってしまいたいものだ」
「ラティファのことでネジでも飛んだか?」
「チマチマ動き回るのも面倒だって話だ、アルス。お前も気付いただろ。魔物の進化速度に人類側が追いつけなくなりつつある。本当に価値ある魔法師が足らない」
目を細めるアルスは「仕方ないが、かと言って俺が何かしてやる義理はない」と冷たく言い放った。
イリイスの外見が本当に仮初の膜でしかないことを思い知らされる。生きることは成長だ。
今日から明日へと跨ぐ時に、経験値を授かっているかのようだ。
その意味で、やはりイリイスはこの場の誰よりも大人なのかもしれなかった。
「それも良いさ。でも、なら何故助ける。悪役面の正義の味方なんぞ、可愛げがないからな」
勢いをつけて腕掛けに乗っかると、持て余すかのように小さな足を揺らす。
感慨深げにイリイスは顔を上げて、眩しい物に手を翳した。
腹を括ったのはイリイスだが、アルスにもそろそろ腹を括らせる頃合いだと感じたのかもしれない。
「肝心なのは偽物か本物かじゃないのさ。動機はいらない、要はお前がどこまで本気かが重要なんだよ」
「…………随分真っ当なことを言うようになったな」
「これでも、これからは真っ当に生きようとしてるからさ」
茶化す声に覇気はない。
「言われなくてもわかってるつもりだ」
「だと良いがな。お前の言い分もわかる。立ち位置もな。それでもお前は上手くやってきたのだろうよ。私以上に大立ち回りを演じているしな」
二カッと老婆心を潜ませて、イリイスは破顔してみせた。
場を仕切り直すためか、次に口を開いたのはロキであった。
タイミングを見計らった彼女の言葉は話題を次のステージに押し上げる。
「デートがどうのという話は承服しかねますが、今回のラティファさんの一件でわかったことがあります。まず超長距離からの攻撃が魔物側に可能であるということ。人類側に防ぐ手立てがないこと。やはり今の魔物との戦況は芳しくない、ということですね」
そう、想定以上にバベルの効力は絶大だったと言う他ない。現状配備されている《第3のバベル》は影響範囲で遠く及ばないようだ。こればかりは比較のしようもなかったので、仕方ないことだが。
「あれを防げるとしたら……」
「私とアルス、それとあのちっこい生意気娘ぐらいだな」
鉄壁を冠するファノン・トルーパー。
イリイスはファノンの戦闘を同階層で感じ取っていた。魔力的な要素もそうだが、あまりにも防御に適した性質は7カ国で随一。
イリイスとアルスは同等の魔法をぶつけ相殺するという、いわば力技を用いざるを得ない。少なくともアルスならば【グラ・イーター】を用いるだろう。
イリイスも手段を考えてもやはり防壁や障壁魔法で“防ぐ”という方法は取らない。
いずれにせよ、今回の攻撃によって齎される各国軍の混乱は想像を絶する。
イリイスは苦虫を噛み潰したような顔で告げた。
「この問題は想像以上に各国の尻に火をつけたぞ」
「俺もそうだが、一旦シングル魔法師は生存圏内で待機だろうな。各国軍の方針が決まらないことには手の打ちようがない」
これに同意を示したイリイスとアルスは同時に息を吐いた。
一拍置いてから多忙の原因を愚痴っぽく放ったのはイリイスである。
「早まったな」
「おい! それは禁句だ。つーか、ラティファの救出が最優先だったろ」
この後に及んで、イリイスはバベルの塔の機能を停止させたタイミングに言及する。
結果論な上に、あの時期を逃せば次はなかったはずだ。それはイリイスも理解しているはず。
要は、その後の厄介ごとにアルスを巻き込むための口実だった。
イリイスが言うように、昨今の外界は様変わりしつつあった。SSレート級の魔物などそれこそ人類存亡に関わる致命的一大事だ。災厄級の魔物の出現は、人類にとっての絶望の意味を示す。
「あ〜そうだった。一緒に暮らしているせいで、当たり前になっていたな、ははっ」
「ラティファにチクるぞ」
「やめんか!! 言葉のあやだ、あや」
人間と魔物との戦況を理解しているからこその冗談は空虚だった。
「魔物の問題は正直、協会というより各国軍次第だろうな。体裁は必要だ、協会は少なくとも7カ国と同等以下でなければならないからな。主張が強すぎると国家間の不和に繋がる」
協会と国ではない。おそらく協会の方針に同調する国はあるだろう。しかし、足並みが乱れれば、国家間に要らぬ軋轢を生む。
「避けられんものは避けられんさ。争いは人の世の常だ。なんとか共闘関係を築けているのは、魔物という共通の敵がいるからに過ぎない。平和に越したことはないが、平和が続きすぎるのも考えものだ。ま、それでも気にするな、こっちはこっちで手駒を抱えつつある。ハイドランジだと、ボルドーとかな」
「「——!!」」
アルスとロキはそのつい最近聞いた名を思い出す。
テスフィアとアリスを連れて行った外界任務だ——その依頼主。
「裏でイリイスさんが糸を引いていた、ということですね」
「人聞きが悪いな、ロキよ。協会は各国軍の浄化作用も兼ねているということだ。情報は命とは良く言ったものだ。自浄作用にはなれんがな」
イリイスの含み笑いが怖いと、ロキは言えなかった。代わりに呆れた顔を皮肉のつもりで向ける。
協会という新たな戦力の台頭は、やはり様々な障害を明確にしてくれる。無論それを見越しての会長抜擢である。
もはやアルスに驚きはない。彼女の顔の広さは折り紙付きだ——悪い意味で、だが。
「これは元首会合が開かれる事案だな。各国が立てた目標に翳りが生じた」
公平中立を謳う協会も、元首達の判断を待つしかない。