数ある生きる道
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部屋に入ってまず、初めに目に入った内装の印象は、そう“偉そう”だった。
高官がふんぞりかえり、まるで人間を忠犬か何かと勘違いして見下すために作られたであろうソファーチェアが一つ。
自身の権威を象徴するのに一役買ってくれるアイテムである。少なくともそこに深く座り、足でも組もうものなら、顔を見ずとも人となりが想像できてしまう。
どんな人物で、どんな性格なのか。
きっと命令口調なのだろう。利己的な内容にしか興味を示さないような、そんな人間が座るチェアなのだろう。
類似する高官らを見る度に思う、偉そうに命令口調の上層部連中が、外界で同じように威張りくさることができるのだろうかと。
動じることなく、権力というメッキが剥がれずに済むのだろうか。
考えることもなく答えは否だ。
口を開けば同じことばかり、威圧的で高圧的。
いつか見苦しく死ぬのを拝めれば上々だと、当時は考えていた。
軍という場所はそんな平坦な凡俗の集団なのだと思っていたのだ。だから、風変わりな男との出会いは中々に衝撃的で、型破りな振る舞いは実に清々しいものだった、と記憶している。
そんな脳内にある嫌な人間を思い起こすのは、今アルスが座っているチェアこそまさにそれであったからだ。
どこまでも沈んでいってしまいそうなチェアだ。年配が好みそうな革の臭いが、たまに鼻を掠めていく。
協会の上層階、そのとある一室。
上層階にある一室は実に殺風景な内装をしていた。四方に扉があり、部屋が連なっている。
端的にいえば、部屋が九つ組み合わせているのだ。三掛ける三の九部屋。
この味気ない部屋はちょうど中心にあるため、どの扉からも廊下へは繋がっていなかった。実に不思議で、不便な作りになっている。
待合室を思わせる、簡素な調度品に廊下と同じ柄のカーペット。四隅には大きな水差しと、空のグラスが同じ数だけ用意されていた。この異様さも何かしらの魔法的関連性を見出すのは容易い。
魔法師の集うこの協会で、しかしも魔法師がこの場にいるならばなおのこと。
ここが密室だと思うのは窓がないだけでなく、四方の扉が厳重に施錠されているためだろう。魔力認証によるロックはもはや鍵として定番化しつつある。
貴族の豪邸を彷彿とさせる埃なき空き部屋といったところだろう。
客室にしては配慮に欠けているので、目的も用途もわからない部屋だった。
この一室にいる面子や、厳かな空間はさながら座った者に審問官の気分を味合わせた。
残念なことに座るべきでない人物がそこに腰を沈めていた。眉間に海を割ったかのごとき深い皺を築き、あからさまな不満を主張する黒髪の男。
アルスはこの貴族を擬似体験できるチェアが苦痛でしかなかった。
隣で直立不動を貫くロキは、ちらりとアルスの訴えを窺い、そして黙殺した。
そうするしかなかったとも言えるが。
(ここに私がいること自体おかしな話なのですが、なんでイリイスさんまで)
そう、この場には本来無関係なイリイスとフリンまで同席していた。それを言うならばロキも同じ、直に「外してくれ」と言われると予想していた。
そしてこの場にはもう一人。
「む、確かに俺が面と向かって話したいと言ったが、アルス……まぁ彼女達の前でも俺は構わんが……」
「いえ、正直元上司に土下座されるわけにもいかないので。それよりも本来ならばあなたがこちらで座っていなければならないと思うのですが、妙な感じがしますね。ヴィザイスト卿」
屈強な体格の割りには柔らかい表情で、ヴィザイストは肩を竦めた。
用件はただ一つ。
「フェリのことですね」
「そうだが、まずは礼を言わせてくれ。ありがとう、アルス」
軍人だからなのか、貴族だからなのか、ヴィザイストは華麗な所作でアルスに頭を下げた。
フェリネラが魔法師の道を歩むにあたって、ヴィザイストも覚悟を決めていたことだ。外界に出るとはそういうことなのだ。いくらアルファが外界任務における死者数が7カ国で最も少ないとはいえ、職業的には異常なほど危険なのだ。
そんなことはフェリネラが第2魔法学院を志望した時に覚悟した。
しかし、娘の危機には心臓が止まりかけ、生還の報告を聞いたときは数年分は老け込んだ気がした。
壁に寄りかかっているイリイスはつまらなそうに腕を組んで目を瞑っている。
「そのことについては好きでしたことですよ。ただ、フェリが助かったのは運が良かっただけです。それと最高の治癒魔法師のおかげでしょうね」
「無論、聞いている。フリン・ルアロス、聖女ネクソリスの孫だ」
グイッと食い気味に顔を回したヴィザイストは、イリイスの隣で縮こまっているフリンへと足を向けた。大股で二・三歩。
巨漢の男が圧迫感を持って、少女に接近する。
その際に、フリンは壁のせいで後ろに引けないことを呪っただろう。
引き攣った顔はすぐに怯えへと変わった。
すかさず大きな手がフリンの小さな手を包み込む。
「ありがとう」
「い、いえいえ、わわ私は大したことは何も。ちちちち治癒魔法師として当然の……ことを」
尻すぼみに小声になっていくのは、迫力あるヴィザイストの顔が眼前に迫っていたためだろう。
子供をあやすのに適さない顔は、無条件に相手を威圧していた。
関係者以外が見たならば、今の状況は通報待ったなしだった。
「やめろぃ! むさい男の自覚が足りんぞ、ヴィザイスト・ソカレント」
微かに片目を開けたイリイスは不器用ながらそう会話の切り口を作った。
「ほぉ、不思議なものだ。追っていたクラマの幹部がこうして同じ部屋にいるというのは。初めまして……じゃないな」
「そうか? 初めましてかもしれんぞ。いずれにせよ協会会長としては初めましてだがな」
軍の暗部として諜報活動をしていたヴィザイストが抱える案件は、比較的凶悪犯である場合が多い。特に魔法関連であり、国家存亡級の重大案件がそれにあたる。
過去、アルスがクラマの幹部を始末した際も、情報源はヴィザイストだった。
因縁は多少なりともあるのだろう。追いかけるものと逃げるもの。
「イリイスだったか。鞍替えした目的は聞いている。風の吹き回しも察しがつく」
「私を捕らえられなくて残念だったな。文句はその若造に言うといい」
険悪なムードではないが、和解することは難しいだろう。彼の部下も任務中に命を落としていることは想像に難くない。
アルスはそんなやり取りをただじっと眺めていた。起き上がるのも反動が必要なほど沈み込みながら。
「その辺に関しては今更ですよね、ヴィザイスト卿」
「まあな」
居心地の悪さからやっとのことで立ち上がったアルスに、ヴィザイストは今更だと言いたげに相槌を打った。おそらくアルファ国内でも彼ほどの情報通はいない。
加えてヴィザイストの手の者は他国にまで及んでいるはずだ。一般人として6カ国に忍ばせているのは間違いない。
アルスでさえその真偽を確かめることはできていないが。
とはいえだ。彼との付き合いから馬鹿親の心労を察するのは容易であった。
厳しい顔でイリイスにも礼を述べたヴィザイストは改めて身体をアルスに向ける。
この部屋だけでなく、周囲にそれとなく配置した警備にもヴィザイストは気づいているだろう。
その原因は間違いなくフェリネラにある。
アルスに伝え辛さは一切なかった。相手がヴィザイストであろうと、気持ちを慮る配慮など持ち合わせていない。そしてヴィザイストも望んでいないだろう。
「フェリは一命を取り留めましたが、体内に魔物の片鱗が残っています」
「————!!」
この中で一番の驚愕を見せたのはヴィザイストでなく、ロキであった。視線をあからさまにアルスへと向けた彼女の動揺は手に取るようにわかった。
それは友達の身を案じる類の感情だ。
肝心のヴィザイストは、親であろうと軍での経験があまりに長いせいか、その辺りの自制が効きすぎてしまう。表に出せない感情の揺れを外から見分けるのは難しかった。
「そうか。命があるならば良かったのだろう、な」
沈み込む声音は敏い。
「取り除くことは不可能です。魔力的に心臓に同化してしまっていると言っていいでしょう。体内を巡る魔力経路をフリンが正常に稼働するよう調整してくれましたが、魔力の過剰な移動は心臓に負担を掛けると思われます。どんなリスクがあるのか定かではありません。初めての試みなので」
「それでもやはり、俺は命があるだけ良かった、としか言えん」
魔法師であるが故に命の重みを理解している、そんな声が返ってきた。
「そうですね。詳しいことはフリンから聞いてください。今わかっているとすれば、フェリの体内には魔物が今もいるということ。そして魔力に反応を示すことです。魔力経路を上手く分けることができましたので、日常生活に支障はないでしょう」
アルスの目配せにフリンが、治癒魔法師兼担当医として口を開く。
「現状では経過観察をしながら魔力情報を記録していきます」
「わかった………」
短く答えたヴィザイストは沈黙を間に挟み、大きく息を吐いた。
アルスの説明を聞いた上で、父としての顔を覗かせる。
「フェリに魔法師を諦めさせよう。あの子が助かるならば、生きていく方法はいくらでもある」
アルスはその役目を肩代わりしようかとも思ったが、結局声は出なかった。
「それについてはそちらで話し合ってください。確かに方法はありますから……」




