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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
10部 第1章 「黄昏の彼方から」
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塔の守り手



 少女はいつかこんな日が来ることを待っていたのかもしれない。

 誰かの役に立つ。

 それが無意識下であっても、なくても……それが痛みの伴う手段であったとしても。


 少女はその長過ぎる髪を引きずって車椅子の車輪に手を掛ける。自動走行ができる車椅子もあるのだが、運動不足にならないように少女は好んで手動式の車椅子を使っている。


 何かに車輪が躓かないように気を遣って、みんな足下は常に注意してくれている。一人で歩く練習をする時もそうだ。優しさが一際嬉しくて、人を認識するのが何も姿形だけでないことを教えてくれる。

 優しさに触れて、それに応えなければならないと必要以上に駆られてしまうのだ。


 自分で自分の表情を確認できないから、相手に不快な思いをさせまいと被り物までして、声だけで感謝を告げる。


 良い人たちばかりだ。

 この協会と呼ばれる場所で働く人達は、自分が知っている世界の住人とは違う。目が見えないだけで、世間は白い目を向けて、邪魔者扱いだ。記憶にあるのは随分と酷い目にあったということ。それも兄に負担を強いただけだ。

 自分を守ってくれる兄はもういない。


 そうじゃない、もう守られるだけの弱虫ではいけない。


 これからは自分でなんでもできるようにならないと。

 そしてこれからは誰かを守れる、そんな時間を歩んでいきたい。

 どんなことをしても、誰かの助けになりたかった。


 もう、そんなことでしか自分を保つことができない。目が覚めてから、この新しい世界で孤独を感じてきた。一人だけ取り残された寂しさは人と触れ合うことで埋めていくしかない。少女の何十年という器を満たすのは難しいのかもしれない。


 生きていて良い歳じゃない。目の不自由な足手纏いに優しくして良い世界じゃない。幼い声の、やたら年寄り臭い喋り方をするイリイスだけは、自分のことを目に入れても痛くないと言いたげに接してくれる。


 この世界はいつから弱い者に優しくなったのだろう。

 自分の知っている世界から放り出された気分だ。みんなも同じように何かしらの不自由を感じているのだろうか。自分と同じように目が見えなかったりするのだろうか。

 同じ境遇だから優しくしてくれるのか、とそんな自虐的なことまで考えるようになってしまった。


 自分がこの世界を、優しくなれる世界に変えたのだと言われたが、実感などなかった。


 それは私がしたことなのか。

 私の意思でないのならば、きっと私に代わって誰かがそうしたのだろうと思う。


 この世界のお偉いさんは、私を女神のように讃える。世界の守り手のように感謝を告げる。

 私じゃない誰かが世界を守っていただけなのに……。私はそれを笑顔で聞き流していた——笑顔だと思われる表情で聞き流していた。


(アルス——お兄さんは、きっと私のためにいろいろ良くしてくれている。たまに苦しさが声に混じってるけど)


 本当の兄を殺した張本人であるアルス。でも、もう今では何も思わなくなった。

 いや、最初から恨みなどなかった——不思議な程。

 兄を殺されたのに、私はアルスさんは兄を救ってくれたのだと感じた。本当は怒るべきなのかもしれないけど、全てを聞いて兄はやっと私から解放されたのだと思った。


 ううん、違う。あの兄はずっと私のことだけで、私だけが一番なんだ。私だけで手一杯だったのだ。


 悪者でも私にとっては正義のヒーローだった。だから、もう兄が安心できるように自分で歩いていかなければならない。ヒーローは昔よりずっと多いのだから。


 目が見えなくても今の世界は自分で歩くことができる。


 ただ一つ、兄に反抗するとしたら。



(私は好きだよ、ここの人達も、お兄さんもロキお姉ちゃんも、みんな良い人だよ。みんな大好きだよ。だから、何もできないのが嫌なんだよ。守ってもらうのがお兄ちゃんじゃなくなっただけで、私はまた守られてる……)


 兄が聞かせてくれた英雄譚はたった一人を守るために、その他全てを敵に回し、最後まで守り続けるというものだった。凄く好きな話だった。

 ロマンチックで、壊れた世界に僅かばかりの救いがあるのが好きだった。人としてのテンプレートがそこにはあった。人としての正しさが残されていた。

 だから今になって思う、守りたい物が世界ならば……世界だったならば、それは強欲なのだろうか。


 一人を守るより大変なのかもしれない。

 けれど守りたいと思える物があるのは、英雄譚のように素敵なストーリーを描ける。

 しかし、素敵で、綺麗なばかりな話などありはしない。その裏で英雄と呼ばれる者は孤独で、兄がそうだったように耐え難い苦痛を乗り越えていることも知っている。


 守るということは簡単ではないのだ。

 行動は勇気、達成は我慢なのだろう。



 ラティファは車椅子を細い腕で動かし、協会の屋上庭園より更に高い場所へと移動していた。

 協会本部にある尖塔は七つ。その中でも一番高い場所に登って、テラスへと出た。

 いくら自由に移動できるからといっても、ラティファにはまだできないことも多い。女性も羨まない病的な細腕では、すぐに疲れてしまう。

 数ヶ月で急激に知識はついても、体力ばかりは時間をかけていくしかない。

 それが口惜しい。


「本当に良いんですか? 誰もあなたにこれ以上の苦難を望んではいません、ラティファさん」


 ここまでラティファを運んでくれた女性は、声音に寂しさを込めて宥めた。まだ引き返せると。


「無理を言ってごめんなさい。私がしたい、そう思ったの。……ごめんなさい、我儘なの知ってる」

「いいえ、強引にでも止めようと思っていたのですが、ここに来て戸惑ってしまう自分がいるのも確かです」

「わからない」


 女性の独白じみた吐露に、ラティファは理解できずに悲しげに被り物の頭を下げる。


「良いんですよ。少し難しかったですから忘れてください」


 女性は苦笑混じりに訂正を口にした。自分の不甲斐なさから出た言葉を解説するほどみっともないこともない。

 ラティファが息を吹き返してからまだ日が浅いのだから、精神的な年齢で言えば幼い彼女に察しろと言うのは身勝手過ぎる。知識とはまた別の話だ。


 女性はそっと後ろから近寄り金色の髪を軽く纏め出した。女の子なのだから髪を引きずるのはやっぱり忍びなかったのだろう。こんなことで複雑な思考を紛らわすことしかできなかったともいえる。


「ラティファさん、もう一度聞きます。本当に良いのですね。きっと悲しむ人がいますよ。それでも本当に構わないのですね」


 再三に渡って確認を取る女性の声音は、責めるでもなく、寧ろ今からでも「止める」と言ってくれることを望んでのものだ。


 髪を纏めても、高台のせいか強風がラティファの髪をかき乱して行ってしまう。おそらくバベルを除けば、この辺りで一番高いだろう。

 強くはないが、ラティファの目を痛める日差しもある。できればイリイスの許可もなく、連れ出したくはなかった。


 ラティファの強い要望がなければ、こんな無茶は誰もしないし、誰も望まない。


 女性は極力感情を出さないために、自分の主人にするよう礼を尽くした佇まいで接した。

 主人からは、可能な限りラティファの願い叶えるよう言い付かっているが、その中でも絶対にさせてはいけないことも言い含められている。


 ラティファの身に危険がある場合。

 魔力的な異常を来す場合。

 それらを誘発する行為・行動を制限すること。


 だが、ここに来て主人から言い付かった約束を反故にしてしまいそうになっていた。


 ラティファは車椅子を少し移動させて、被り物を取った。

 そこには愛らしい顔の美少女が一人。

 長い睫毛に、病的に白い肌。

 そして今を生きようとする強い眼差しが、女性へと向けられた。


「私は英雄譚を紡ぎたいの。ううん、それを助けたい。ヒーローの手助けを。恩返しとかそういうんじゃなくて、役に立ちたい、ううん、難しいね、言葉って」


 ラティファは日差しに顔を背けて、はにかんだ笑みを向けてくる。被り物のせいか火照った顔にもどかしさが見え隠れしていた。

 彼女の言わんとしていることは痛いほどわかる。彼女の境遇を知れば、同情もしてしまいたくなる。

 ラティファはこの数ヶ月で多くの人と関わり、多くを学んだ。

 それは精神的な成長も促したはずだ。

 この主張はつまり……生きたい、という意味だと解釈できる。そんな強い目だった。



 胸が締め付けられる。

 これは止められないと思わせるし、止めてはいけないのだと思わせる。

 主人の言いつけはラティファを止めても、破ることになってしまう。彼女は自らの心に従って行動に移している。そういう人間は、止めることができない。止めたとしてもその後に何かしらの精神的な障害を生む。魔力的な異常を来す。


(ダメですよ。彼女を子供と見ていたのが、過ちなんです。ラティファさんは立派な大人です。一人で立ち上がろうとしています)


 これが何も知らない無垢な子供ならば、大人として諭すことも、実力行使することもできただろう。

 でも彼女はそうじゃない。


 ガクリと肩を落とした女性に対して、ラティファは無垢な笑みを向ける。


「お願い、手伝ってください。リンネ、さん」


 恐る恐る紡がれた声は酷く震えていた。

 一生のお願いとはこういう物を言うのだろうと、リンネは感じる。そしてそう感じてしまえば、説得する無意味さも知ってしまうことになる。


 しかし、何を手伝えと言うのか、詳しくはリンネにも聞かされていない。ただ、本の読み聞かせや、勉強を教えることではないのだろう。そうだったとしたら、無茶と引き換えに自分はいくらでも彼女に付き添える気がする。



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