旧敵で不敵
外の喧騒はイリイス達の想像とは少し違った。まるで遠くからこちらに向かって叫んでいるかのようだった。
異様な叫び声に、拠点内の魔法師達は浮き足立っている。
得体の知れない恐怖心からか、皆各々何に対しての警戒かもわからないまま臨戦態勢に入っていた。
幕舎から出た先で、イリイスは目に飛び込んでくる仲間達の視線が一方向に向いていることを覚る。
鉱床の外周部から逸れて、北へと注意が集中している。
鬱蒼と茂る木々に遮られた視界は、僅か数十メートルまで。そこから先は暗澹たる日陰の闇が広がっていた。
不吉を知らせるかのように、外は曇天となって厚い雲に覆われていた。今にも降り出しそうな気配は、昼夜逆転してしまったかのような陰を落としている。
鼻の奥で微かに雨の匂いがする。
「そう喚くな、みっともない。せっかく気分を持ち直したというに、これだから外界は事欠かん。そろそろ死臭で鼻が馬鹿になりそうだ。お前らは手を出すな」
うんざり気味の声色で、イリイスは肩を竦める。
そこへ警戒に当たらせていた部隊の一人が小さな少女へと、これ以上なく敬意を払って近寄ってきた。ただし、軍における規律正しい敬意とは異なり、端的に言えば目上に向ける礼儀とでも言うべきかもしれない。
「すみません、会長。困ったことに、どうも奥に踏み入った部隊が魔物を見つけたみたいですね。見つかったと言うべきかな」
膝を突きそうなほど腰を低くする男は、少なくともオルドワイズ指揮下の副官でもあった者だ。オルドワイズは自ら連れてきた部下を副官としたようだが、イリイス——つまり協会として編成したチーム内では彼がオルドワイズの次に責任ある立場としていた。
オルドワイズに全てを任せるには、彼はハルカプディアに染まり過ぎている。
彼が協会へと遣わされた廻者であろうとなかろうと、イリイスは最初から信用のできる男を組み込んでいただけの話だ。
オルドワイズが捜索に出た後の立て直しとして彼は十分な働きをしてくれた。
イリイスも彼にだけは他国からシングル魔法師に要請した旨を伝えている。
「オーレン、お前の親父はもう少し良い仕事をしたぞ」
「ははっ、こりゃ参ったな。親父を引き合いに出すのはずるいですよ」
「お前の祖父の方はもっと凄かったがな」
オーレンは二十代半ば。高身長に厚い胸板、目に掛かりそうな薄茶の前髪。
僅かな情報を並べれば彼は好青年と呼ぶにふさわしい。しかし、オーレンの眼は涼しげであり、年齢以上に落ち着いた雰囲気があった。それこそ物怖じや、探りといったおどおどした空気がまるでない。
戦場で鍛え抜かれた身体つきは、軍人とは違った野蛮な空気も併せ持っていた。
すみません、と言いつつも泰然自若と彼からは焦りが感じられない。
危険が迫っている口ぶりではなかった。
服装も軽装という他ない。彼の衣類には防具やそれに類する鈍色の光はなかった。上着はよれたシャツ一枚、ブーツも普通に売っているような安価なものに見えた。
ベルトに下げた剣一本を携えて、彼は頸を撫でていた。
「シングル魔法師の祖父はそりゃ偉かったけど」
「くくっ、思ってもないことを言うな。目がどうでもいい、と言っているぞ」
「お見通しですか。一応尊敬はしてるんですけどね。どうも……ね」
「弱いって? あの世のセイマスも鼻が高いだろうよ」
「そこまでは言っていませんよ」
数歩後ろでそんなやりとりを見ていたエクセレスは、厳しい顔でオーレンを観察していた。
(セイマスといえば、元1位のセイマス・シタイン。その孫!? でも、聞いたことのない名前ね。どちらにしても彼、相当やる)
エクセレスがそう感じたのは、最近ではアルスに対してぐらいだ——もちろんそれも魔力という情報次元で受けた印象だが。
端的にいえば、エクセレスはロキに対しても、ガルギニスに対しても然程戦力としての評価は下していない。要はファノンと比べてどうか、という物差しで見てしまうのだ。
「会長、オルドワイズなんだが、ありゃダメだ」
「死ぬとわかっていて行かせたな」
「俺が止める義理はなかった。死ぬなんて予想はしてなかった……あぁ、死ねば良いな、とは思ったけど。どっちにしても拠点には残らなきゃいけなかった。会長の指示だったんでね」
「臨機応変にとも言ったつもりだったが、どの道入らなくて正解だったぞ。中はまるで蠱毒の壺だ」
大きく息をついて、オーレンは「そりゃご苦労様でした」と事もなげに言い放った。
「アルスでさえあの様だからな」
「あんまり調子良さそうじゃなかったからな、彼は。さっき少し見かけたが、今の彼は入る前より、強くなった気がするんだけど」
「ククッ、わかるか? 彼奴はさらに一歩、私側に近づいた」
「嬉しそうですね」と他人事のように言うオーレン。事実、イリイスは自然と口角が持ち上がっていた。
「そうだった、オルドワイズは裏でコソコソ動いていたみたいだった。会長が遣わしてくれた協会の魔法師は蚊帳の外だ。なんというか、下手だった」
彼は参ったといった様子で、あっさりと爆弾を投下する。そして「下手だった」と失笑を漏らしながらオーレンは目尻を下げていた。
イリイスは乾いた笑みを口元に浮かべ。
「そりゃ下手くそだ。露骨過ぎるほど歯応えのない物はない。そうなると、やはりハルカプディアが間者を送ってきたか」
不穏当な指摘にオーレンは、顔の前で「ないない」と手を振る。
「元首フウロンは、もう権勢を振るう力も元気もないよ。ありゃもう頭の中はお花畑に飛び立ってる」
「歳も歳だからな。ということは……」
オルドワイズを師とさえ仰ぐガルギニスでもないだろう。彼も同様に隠し事や、画策が上手いタイプではなさそうだ。
元首を貶める言葉は、見る者が見れば裏の組織的な言葉遣いにも聞こえる。間違っても軍に所属している魔法師ならば、一発で首が飛ぶ失言だ。
「野心だけならばいいんだが」
「同感。……! おっとこれは失礼。遅れました、オーレンです、エクセレスさん」
突然の自己紹介にエクセレスは反応が一拍遅れる。差し出された手を反射的に取りながら、それとなく彼の笑っているような笑っていない目を油断なく見返す。
「こちらこそよろしく。私の名前は……」
「流石に探知魔法師1位の名前ぐらいは、有名人ですからね」
物腰の柔らかい気さくさに、エクセレスも一先ずは警戒心を解く。
無論、今の話は確実に、意図してこちらに聞かせていることもエクセレスは察していた。間者の存在を暗にほのめかす会話は牽制というよりも、情報の共有だろう。
今回の鉱床調査任務は7カ国協力の下、実行されている。内側から亀裂が入れば、各国間で不信感は高まるだろう。
挨拶を交わして、エクセレスは自らも会話に入っていく。
「イリイス会長、それよりも今は……」
「わかってる。で、オーレン、いくつだ?」
「いくつって、ざっと百ってところっすね。どこから湧いてきたのか」
「——!! ここからでも数を?」
本調子ではないとはいえ、探知魔法師のエクセレスを差し置いてオーレンはおおよその数をすでに把握していた。
エクセレスの狼狽ぶりを見ていたイリイスは、軽く鼻で笑ってみせた。
「気にするな、オーレンのは魔法じゃない。いうなれば御家芸みたいな、超感覚だ」
武芸として達人を越えた者に備わる直感とも言うべき能力。現2位のヴァジェットも似たような感覚を持っていると聞く。
エクセレスはその力を否定はしない。しかし……。
「私らが感じる魔力的な感覚に似ているところがある。もちろん、精度は落ちる」
高レートの魔物の魔力に当てられた際の、全身が総毛立つ感覚というのは外界に出ている魔法師ならば誰しもが経験することだ。それと似ていると、言われてもエクセレスにはわかるようで、わからないものだった。
「で、何故お前がヤらない。十分始末できる数だろ」
叱責じみた声に、オーレンは誤魔化すような愛想笑いを浮かべた。
「数が数ですからね。知ってるでしょ、俺の力は。数には不向きだし、出来たとしてもこっちが手薄になる」
語尾に向かってオーレンは一層涼しげな眼差しを肩越しに向けた。
エクセレスはその視線を追わず、思わず身体に力が籠るのを感じていた。
オーレンは先程話し合いの場を持っていた幕舎を指している。ガルギニスの魔力を受けて、彼は対処すべく余力を残しておきたいのだろう。
ガルギニスを指しての言葉でないならばさらに問題だ。彼はファノンさえも敵になり得る存在として警戒していることになるのだから。
エクセレスが反論の口を開くより早く。
「それはない。私が保証する、と言っても関係ないか」
誰が保証しようと自分の身は自分で守るのが鉄則だ。それがオーレンが生きてきた糧になっているのだから、今更それを直せとは言えない。
クラマと肩を並べる戦力という意味でも、彼は常に警戒の対象だった。昔を懐かしむようにイリイスは、ほくそ笑んだ。
犯罪者集団というわけではないが、オーレンは軍に所属しない荒事を専門に腕を鳴らしていた。雇い主は傭兵と同じでも、その仕事内容は違う。貴族や豪族の裏の顔、いわばアンダーグラウンドで腕を磨き上げてきた。
殺しもしてきただろう。
己を高めるために、バベルの防護壁を強引に突破して、外界で一人鍛え上げていた時期もあったという。
そんなオーレンと当時クラマに所属していたイリイスが衝突するのは必然だった。クラマは裏の仕事を請負うことで成立していた。半分以上は対価を支払わず、その命で支払わされることになる愚か者も多い。
故に、クラマを追っていたのは何も軍ばかりではなかったのだ。
報復として依頼を罠に利用する輩も多かった。
そこでオーレンと遣り合ったのは、まだ彼の胸板ももう少し薄かった頃だっただろうか。
そんな伝手もあり、また協会設立で彼の仕事も幅を狭めたことで誘い入れた経緯がある。
「で、どうするんですか? 結構近くまで連れてきてるんだが」
ここからでも魔物の侵攻がはっきりと聞こえてくる。
大群の移動、深夜でもないのに、ここまでの数が一斉にここへと襲い掛かってくるのは引っ掛かる。結局、見張りに出した魔法師が、こっちに逃げてきている以上、交戦は避けられない。
「私がやるよ。どうせ、それしかないんだ。チビの副隊長、悪いことは言わん、あまりヘタに動いてくれるなよ」
ニヤリと笑んだイリイスの片目が淡い光を漏らす。
それと同時、曇天だった空模様。そこからポツリポツリと雨粒が落ちてくる。
「雨……」と不思議そうな顔でエクセレスは、空を見上げた。
雨にしては大粒であった。