手負いに躾
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バナリスから離れたこの鉱床近辺は、ようやく一段落という名の落ち着きを取り戻そうとしていた。
鉱床から帰ってきたシングル魔法師は、その他多くの魔法師に驚愕をもって事態の深刻さを伝えることになってしまった。
シングル魔法師の負傷、それも現6位のガルギニスだけでなく、クレビディートの最硬と謳われるファノン・トルーパーまでもが重傷を負った。
ファノンの腕は完全に折れており、作戦開始時からは予想も付かないほどボロボロの状態。
ガルギニスも手首の骨折や脇腹の裂傷、内臓の損傷など数えきれないほどの重症を負っていた。見方によっては怪我とも言えてしまうのは、純粋にフリンによって回復の目処が立っているからである。
怪我の度合いで言えば、ガルギニス本人に加えて彼の部隊も甚大な被害を被っている。死者六名、ガルギニスは全治三ヶ月の怪我を負う重症。
厳密にはフリンのおかげでベッドで安静にしていれば、という条件付きで全治一ヶ月程度にまで軽減されたが。
彼の部隊から死傷者が出たのは、やはりガルギニスの特殊なAWRによって、武具を失ったことが大きい。鉱床内部の状況を知る者達からしてみれば、寧ろ六人で済んだことの方が驚きではあったが。
内四名は移送中に息を引き取った。
治療後、ガルギニスは彼の巨体に収まるよう三つを合わせたベッドの上にいた。寝返りを打つにしても、腕に刺さる点滴や、簡易式治癒魔法でほとんど身動きすることができない状態にあった。天井に瞑った目を向けて、死んだように安静にしている。
彼が受けている術後処置は、外界で得られる最善のものだ。
豪胆にして豪快を標榜しているが、さしものガルギニスも治癒魔法師相手に無駄な言い争いを避けた。
言われるがまま、ベッドに縛りつけられるようにしてガルギニスは巨体の疼きを鎮めていた。
無論、監視の目があるうちは、従順な姿勢を示すためだ。
治癒魔法師という生き物は、良くも悪くも患者に対して平等だ。要はフリンは相手がシングル魔法師であろうと、一歩も譲らないのだ。それこそ身体を起こそうものならば看守の如き、凄まじい勢いで怒声が飛んでくる。
ようやく若草色の髪をした治癒魔法師がいなくなるや、ガルギニスはムクリと上体を起こして、適当な上着を羽織った。彼はその表情に怒りとも付かない冷徹な感情を貼り付けて、幕舎を出ていく。
作戦会議用幕舎は、今は亡きオルドワイズ公のためのもの。総指揮を任された彼に用意された特別な幕舎である。
しかし、主なき今、そこには人類の最高戦力たるシングル魔法師の面々が揃っていた。面々というには語弊があり、実質シングル魔法師は一人だけである。
彼らを幕舎が受け入れるのは二度目。
それも皆、たった一日の間にずいぶんな変わり様であった。
援軍として駆けつけたファノンはエクセレスを引き連れ、腕を吊ったままドカッと椅子に座っている。なぜそれがここにあるかは別にして、ファノンの前には一切れのケーキが置かれていた。金細工が施された食器は、曇り一つない新品。
つい外界であることを忘れてしまいそうになるが、誰もそのケーキの出処について言及しなかった。
「エクセレス」
「はいはい」
命令口調で呼ばれた副官は、フォークで器用にケーキを掬い、ファノンの口元へと運ぶ。片手が使えない程度で、そこまでしてもらう必要は——側から見ても——ない。場違いな空気感ではあるが、主従関係じみたその行為に口を挟む者はいなかった。単純に突っ掛かれたくないだけなのだが。
この場にはファノンとエクセレス以外に、イリイスとアルスの代理としてロキが同席している。
ロキがいることについても、イリイスはとやかく言うのを諦めていた。安静にしている必要がある負傷を負いながら、治療室を出て、ロキがやってきたのがこの幕舎だ。
彼女の行き先だった場所を想像するのは容易い。
イリイスでさえ、近寄ることをアルスから禁じられているのだから尚のことだ。
(あやつの言い分も分からんではないがな。かと言ってその間に嫌な役割をやらされるハメになった)
ロキの容態も注意して見ている必要があるだろう。何かあればイリイスに責任が飛んでこないとも限らない。
何よりアルスからの依頼もまだ生きている。
ちらりとそれと気付かれないよう、ロキの腕を見る。包帯で巻かれているので、その下にあるはずの模様、もといマーキングの印が浮かんでいるはずだ。
ともあれここに集った主な目的は情報の整理だ。無論、彼女が召集を掛けたわけではなく、イリイスがここに詰めていたら勝手に集まっただけのこと。結果としてここの総指揮を執る彼女に取っては手間が省けたというものだ。
皆各々、当初の役割は果たした、そこまでイリイスも聞き及んでいる。
何せ、地下二階層ではイリイスがファノンに任せて地上へと引き返してきたのだか、その後の状況を聞く必要はあるだろう。
厳粛な空気になるはずだったのだが、そんなファノンとエクセレスの妙な空気に当てられて、イリイスはもうさっさと済ませてしまおうと机に頬杖を突く。
おそらく今回救出のため、鉱床に進入し無傷で帰ってきたのはイリイスだけだ。無論、エクセレスも後方支援が主な立ち位置であるため、負傷らしい負傷はないが。
だが、本題を切り出すのは容易い空気感とは言えない。
なんせファノンがここへ訪れたのは、何もケーキを食べたいからではないのだから。
それでもイリイスは年の功ともいうべき胆力を兼ね備えている。というか、経験し過ぎていちいち考えるのが面倒なだけだが。要は一歩を踏み出す勇気、それを絞り出すための葛藤が意味を成さないほどには生きてきた。
失敗を経験というならば、イリイスは痛い程経験してきたのだ。
うんざり気味に切り出すイリイスは向かいに座るファノンへと、茶番の終幕を告げた。
「さて、先に話を聞くべきか、それとも話をして欲しいのか。まっ、後者だろうな」
ロキも居住まいを正して耳を傾ける中、ファノンはエクセレスに口元を拭いてもらう。彼女の表情はケーキを食した後にしては随分と硬い。
「えぇ、そうね。それがイイわね。それしかあんたに選択肢はないと思うけど」
「小娘が随分と上から言ってくれるじゃないか。臍を曲げたか?」
机上で交わる舌戦じみた棘の報酬は、聞いているロキをハラハラさせるものだった。なんせ彼女達が何を言っているのか、ロキには理解できなかったのだから。
ファノンからの射抜くような視線をイリイスは小馬鹿にするような余裕を見せて、受け止める。
微かに持ち上がった口角は何を意味しているにせよ、ファノンの感情を逆撫でするようなもの。
しかし、結局のところ第三者的視線で見ているロキには、二人が本気とは程遠いところで会話しているのがわかっていた。
「ファノン様、まずはイリイス会長のお話を聞きましょう。それに言っておきますけど、まだ反省会は済んでいませんからね」
ファノンの肩にエクセレスが手を乗せた。
無論、ファノンが戦った魔物に対して、その戦術をエクセレスは言っている。強さは慢心と表裏一体だと、ファノンへと説教することこそエクセレスの役目でもあった。
「うっ……」とぎこちない呻き声を漏らしたファノンは、不毛な応酬に自ら幕を閉じた。
「負傷者に気を使うのも大人の嗜みか。ふむ、良いだろう。一応生徒の救出もなったのだから、私は機嫌が良い」
「イリイスさんも! どうやらその話、アルス様とも無関係というわけではないですよね?」
場を弁えてロキは、アルスを敬称付けで呼ぶ。今更な感はあるが、シングル魔法師であるアルスの代役として同席しているため、しっかりと順位を再周知させておく必要があると考えたのだ。
イニシアチブを取りたいわけではないが、立場をはっきりさせておく必要があった。どちらかと言えばファノン向けの牽制だ。
建設的な話し合いの場を作るのに、ロキの言動が一役買ったのは確かだった。
「無関係、ではないな。というか奴が言い出したことだしな。貴様らもそこに行き着いたのだろう?」
「…………」
ファノンとエクセレスは、先に言ったようにまずは話を聞く姿勢として無言を返した。
イリイスはアルスの懸念まで察しているが、それを全て明かす危険を考慮していた。
(言葉を選ぶべきか。アルスのことだ、あやつの予想通りの中身だったわけだが、その先についてどこまで考えているか。やれやれ、もう少し突っ込んで聞いておくべきだったか)
だが、結局ここで全てを話さないわけにもいかないと、イリイスは思案を止める。
「時間的には、一昨日になるか。アルスの……」
そう話し始めようとした矢先、幕舎に新たな来客があった。
「その話、俺も混ぜてもらう。文句は言わせない!」
包帯で腹部をグルグルに巻かれた巨体には、上着を羽織っただけという簡素な身なり。
ギラつく眼光は、手負いの獣のように、幕舎内に緊迫した空気を齎した。
ガルギニスが医務室を抜け出してきたのは想像に難くないが、彼が発している敵意とも取られかねない魔力に、ロキは反射的に身体を強張らせた。
ガルギニスは今、間違いなくこの幕舎内に向けて威圧的な魔力を放っていた。
「都合が良い、と言いたいところだが、あんまり挑発するな。昔の馬鹿を思い出して……ついつい乗ってしまいたくなるだろ」
そう言って顔を傾けたイリイスは不敵な笑みを貼り付けていた。