治癒魔法師の尊厳
外界。
鉱床近辺にて鉱床調査任務のため設営された拠点には、今も多くの魔法師が常駐している。
拠点の防衛としては十分過ぎる戦力が集結していた。
任務開始から数時間で発生した、異常事態にクレビディートのシングル魔法師ファノン・トルーパーと、ハルカプディアのシングル魔法師ガルギニス・テオトルトが助力に駆けつけた。
加えて、協会最高責任者であるイリイスに、人類最強の第1位アルス・レーギンまでもこの地に集結したことを考えれば、その事実は異常と言わざるを得ない。
だが、現場の魔法師達はどこか高揚した気配を押し殺していることもまた事実。
純粋なシングル魔法師への尊敬とは異なり、二国と協会の最高戦力が力を合わせていることこそ彼らに衝撃を与えていた。いがみ合う、とまでは言わないまでもこれまでシングル魔法師同士が共闘関係を結ぶのは、限りなく少ない。
様々な制約の下、助力を請うことはあっても、それとて年に一度あるかないか。
ましてやこれだけのシングル魔法師が一堂に介する機会はそうそうない。
今回の任務は各国が協力し、協会主導での依頼だ。その思惑は人材育成にも繋がっている。
防衛にあたっている魔法師らは皆、緊張の面持ちで警戒していた。拠点に留まらず、外周部の見回りなど気を張っている時間は、魔法師の最高峰、そこに名を連ねるもの達が鉱床に入ってからずっとだ。
だが、そんな彼らの気の張り様はさらに一段引き上げられている。
つい数分前、鉱床内部で行方不明となった学生ら三名を救出に向かった魔法師達が帰還した。その一報が入った後、魔物を一匹たりとも拠点に近づけるな、という命令が下ったのだ。
鉱床から帰還を果たし、その目的を達成できたかは、彼らに知る術はない。
拠点で今、シングル魔法師同士の話し合いの場が持たれているのか、それとも負傷し治癒に専念しているのか。
今回各国が協力することで初めてなし得た試み。学生を起用した外界調査任務、その是非は……。
ここでケチがつけば、今後未成年者を外界に連れ出すハードルは高くなる。世間からの反発を抑え込めなくなるだろう。死者を出せば、協会は発足以降初の二の足を踏まされる。
現場の魔法師は実感する。
今、人類は大きな転換期を迎えている、と。
かつて魔物の跋扈するこの世界に、打って出ることなどなかったのだから。7カ国が一斉に外を向き始めている。
着々と奪われた地を取り戻そうとしている気配は、現場に出ている魔法師が一番感じていることだ。
だから、今回の任務でヘマは許されない。死傷者、それも学生から出すなどあってはならないのだ。内地の平和はバベルの防護壁が取り払われても、まだ多くの人々は今も安寧にどっぷり浸かっている。
中にはこの限られた箱庭が安全であるならば、打って出ることに否定的な意見も多いのだから。
警備にあたっている魔法師の数は然程多くはないが、皆手練れだ。
だから小隊規模のメンバーがそれぞれ離れていようと、現場で判断できるだけの経験を積んだ者しかいない。
しかし、ふと彼らが向かう進路上に微かな異変が生じる。
数十メートル離れた仲間からも警戒の気配が伝播してきた。サッと足が、危険を察知して止まる。
外界では安全ほど信用ならない言葉もない。だからこその警戒だ。
AWRを構えて、いつでも戦闘に入れるよう身構える。
「騒がしいな」
小隊の仲間へとハンドサインを送り、全員が身を屈めて目を凝らす。
そして徐々に歩を進めた時。
遥か前方から並々ならない音が地響きとなって届いてきた。男は徐に地面に耳を押し付けた。残念ながらこの場に探知魔法師はいない。そうした場合、古風ではあるがこういう方法を取ることも多い。
まだ遠い、だが確実にこちらに迫っているのは確かだ。本来ならば音を聞くだけでは距離の測定もできない。だが、今回は異常とも言える地響きが足元を揺らしている。
そしてどこからともなくポツリポツリと雨が男達の頭上に落ちてきた。
♢ ♢ ♢
バナリス鉱床近辺に設置された拠点は、滞在する人数のせいもあり大規模なものである。
幕舎の数も中隊規模を超え、基地と化している。
鉱床任務に当たっていた各学院の生徒らはすでに内地へ向けて帰路に就いている。
そういう意味では拠点内は腕に覚えのある魔法師しかおらず、必然、その空気もピリピリしたものになっていた。
拠点内にある複数の幕舎でも、大掛かりな作りのものはいくつか存在する。
指揮官クラスの会議に用いるためのテントもその一つだ。救出作戦前、アルス達シングル魔法師が集まった場所がそれだ。
今となっては役目のないテント内はもぬけの殻となっている。
しかし、拠点内の人々はその足をゆっくり動かす者はおらず、忙しなく動かし続けている状況であった。
というのも鉱床に乗り込んだシングル魔法師三名を含める多くの高位魔法師の負傷が原因であろう。
特にトレンドマークの白衣を纏った治癒魔法師の忙しさは、今回同行して初めての大仕事にてんやわんやである。
外界における治癒魔法の設備としては、前代未聞レベルに整っているが、それでも外界であることには変わりない。内地での施術と比べると医療器具が圧倒的に足らないところだ。
現在、拠点内で最高権力を持つのはシングル魔法師でもなく、指揮官でもない。治癒魔法師であった。
たとえ協会トップのイリイスであろうと、口を挟める空気ではない。
急遽設営された無菌室を作った幕舎などで、治癒魔法師は手当てに全力を注いでいる。
それ以外でも三十名を収容できる広さの幕舎では、今回同行した治癒魔法師部隊が出たり入ったり、内部を忙しそうに動き回っている。外界に作れる幕舎の限界に近い広さであっても、狭いほどだ。治癒の終わった者から、場所を空けるために放り出される始末である。
「その患者は後回し! 処置を終えたらこっちの患者に二人回して! そこ! 時間をかけ過ぎない。傷を塞いだらすぐに他へ」
幕舎内で指揮を振るうのは治癒魔法師部隊の隊長でもあり、協会切っての治癒魔法師にして、聖女ネクソリスの愛弟子であるフリンであった。
彼女は重症患者を優先的に処置し、すぐに他の患者へと施術に移っていた。額の汗は治癒の精度もそうだが、人数による負担が大きい。何よりシングル魔法師の治癒は神経も擦り減らすものだった。
鉱床から帰還した魔法師達は時間が増すごとに増えていく。すでに幕舎に入りきらないほどだ。
ただ、それでも彼女が直接処置しなければならないのは重症患者のみ。生死を彷徨うような瀕死の状態に限られている。
この部隊にはフリンが直接指導するなどして、並の治癒魔法師以上の働きが期待できる。勉強会も頻繁に行っている。
しかし、それでも外界という土地柄隊員の力が存分に発揮されているとは言い難かった。
(無理もないわ。治癒魔法は神経を使う。こんな現場はそうそう出くわすものでもないもの)
フリンは自分で汗を拭って幕舎内に声を響かせる。
「踏ん張りなさい。早く慣れて! みんなの力次第よ!?」
奮起させる言葉を掛けた。「はいッ」と湧く声が、フリンの表情を一層引き締める。
名の知れた治癒魔法師は、比較的内地でその力を奮う。誰も好き好んで外界で働きたいとは思わないのだ。軍によって強制的な徴兵対象ではあるが、軍ではもちろん治癒魔法師不足は否めない。
「フリンさん、準備整いました」
「わかりました。すぐに行きます」
声を掛けてくれた仲間へ、フリンは声だけで返事を返した。治癒中に目を離すようなミスはしない。聖女と呼ばれた祖母に見つかれば、一両日中ずっと正座で施術を見せられたものだ。
聖女、その孫という下駄はフリンにとってプレッシャーでもあるが、同時に誇らしくもあった。だから誰よりも祖母の技術を盗み、孫というレッテルに恥じぬ治癒魔法師を目指すと決めたのだ。