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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
【幕間】「百戦一敗」
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地獄の底で



 響き渡る絶叫は、レア自身の耳さえ麻痺してしまうほど。地獄の釜の底で叫び散らかすかの如く、レアはその痛みに声を枯らす。

 必要以上に傷を広げるその動作は、レアの全神経を塗り潰していく。早くこの痛みから解放されたい。

 反射的にレアは、大男の太い手首を掴み、爪を立てた。


 これ以上1ミリたりとも動かされたら、頭のどこかがショートしてしまう。

 限界まで目を見開いたレアは、すかさず鉈型AWRを大きく振り被る。腕ごと切り落とす、そんな瞬時の判断は掴んだ手首がびくともしなかったためだ。


 レアは空中で肩口に刺さったナイフに支えられている状況に等しい。そうなれば全体重は傷口へとのし掛かる。

 身体の一部を引っ掛けて体重を支えるなんて——しかもそれがナイフなのだから、ただ刺されたのとは遥かに異なる激痛だった。短い刀身は肩口の肉を押し上げて、背中に突っ張った痛みを与えてくる。


 レアは喉を引きつらせて大男の腕へと全力で鉈を振り下ろす。

 血が噴き出すことなど構いもせず、今はただナイフを抜かなければ……。


 レアの一刀はスッと腕を引かれたことによって空を切った。それでもあの傷口をほじくる動きがなくなっただけでも良い。


 すぐさまレアは肩口に刺さった小さなナイフを引き抜いた。強引にでも抜かなければならないのは、刃があまりにも粗悪な作りだったからだ。まるで肉の壁を引っ掛けるように抵抗してくる。


「あああああああぁぁぁぁぁぁ——」


 一思いにナイフを抜いた直後、トプッと血が流れ出る。

 魔物のナイフだ、感染症を発症する恐れもある。レアの額は汗でビッシリ埋まり、彼女の服も異様な量の汗を吸っていた。


 希望が一つもない。

 痛みに堪えながらもレアはそんな予感を抱いた。どうしようもない、まるで嬲られているような気分だった。

 確実に獲物を仕留める狩り(ハント)のようだ。相手を追い詰め、着実に死へと誘っていく戦略。


 レアの視界にはすでに能面の大男はいなかった。ナイフだけを残して本体はまた身を隠したのだ。


 これほど大量の魔物の中で、能面の魔物は、レアの動向を正確に分析し一瞬の隙を突いてきた。避けることすら適わない、思考の途切れ、そんな間隙での一撃はレアに大きな衝撃を与えた。


 量だけの問題じゃない。


(んッ、フゥー、ふぅー……ふぅ、ダメなのです。殺される)


 意識的に呼吸を整えるも、状況は何一つ変わらない。それどころか、どちらが狩られる側なのかが決定した瞬間でもあった。


「レア、レア!!」


 そんな己を呼ぶ叫び声に、レアは自分が絶望の底に飲み込まれようとしていたことを悟る。諦めが首をもたげて、穴の底から生者を手招いている。誘いに乗ってしまいそうなレアをメアが引き揚げてくれた。


「だ、大丈夫なの、です。でも……」


 続く言葉が出てこない。大丈夫って何が? そんな自問さえ湧いてきてしまっていた。何が大丈夫なのか、まだ死んでいない意味での大丈夫なのか、とも思ったが、それも時間の問題だった。

 メアにだって体力の限界はある。こんなことをいつまでも続けていられるだけの体力も力も二人には残されていなかった。


 鉈を持った手で傷口を押さえてはいるものの、まるで血が止まる気配はない。この場で傷の手当てなどできる余裕もなかった。それに……。


「また増えたのです。メ、メアだけでも……」


 不意にそんなことを心から思ったレアは、それが形式だけの“姉”という立場からくる責任だとは思わなかった。いつだって窮地に陥ったら自分よりメアを優先してきた。最後は常にメアでなければならない。妹ではなく、メアなのだ。


 それは同時に、メアが考えていることでもあった。


 どちらも助かる道があるならば、全力でしがみつくだろう。しかし、一人でも助かるかすらもわからない現状、二人はせめてもの儚い希望を抱いたに過ぎない。


「こうなったらメアだけでも、レアが道を作るのです。死んでも道を作るのです。だからメアは」

「何言ってるのさ! レアが逃げなよ。そんな状態で出来ないことは言わないんだよ! 一人生き延びるなら、私が殺しまくった方がいい!!」


 あぁ、とレアは己の中で奇妙な喜色が込み上げてくるのを感じた。こちらがいくら提案しても、理論で言いくるめても、メアは最後の最後で嫌だ、の一点張りで覆してしまう。ただの口喧嘩ならばレアに軍配が上がる。でも、決して譲れない場面ではメアは一歩も引かない。


 しかし、今回ばかりはレアも譲るつもりはなかった。


「嫌ッ!! 絶対にメアが生き残るのです。それが良いのです。レアよりもメアの方が賢いのです。一番ったら一番なのです!!」


 ここに来てレアにしては珍しく声を張って、我儘を吐いた。

 メアだけを生かす、そのためならばもう腕の痛みさえ引いた気がする。


「怖くなんてないのです」


 震える唇は止める手立てがなかった。震える喉も止める手立てがなかった。

 でも、痛みは消えた。闘争心に火がついた。力を絞り出せる。


 レアはメアを無視して全力で駆けた。おそらくメアも同じ行動を取るだろう、と予想しながら、彼女も頑固だ。決して譲らない。二人は、二人だから一人なのだ。

 片方だけでは生きていけない。片方だけでは価値がない。魔力的な繋がりがレアにそう思わせているのかもしれない。


 結局は、二人して死ぬ道を突き進むしかない。


 レアは雄叫びを発しながら、突進する。その口角は一度だけ小さな微笑みを描いていた。


 殺して殺して、殺し続ける。そして前へ、一歩でも前へ前進し続けるのだ。いつかは開けた最後尾に到達できるはずだ。


 足を止めずに突っ込んだレアは息も切れ切れに、ひたすら鉈型AWRを振り回した。腕を切り飛ばされたら、その間に十体は殺す。そんな破竹の勢いであった。

 横目でチラリとメアの様子を窺ったのは、負傷しながら前進し、この窮地を切り抜けられるかもしれない、という淡い期待を抱いたからだ。メアが並走していることなど、最初からわかっていた。


「へ?」


 しかし、そんな頓狂な声がレアの喉から漏れ出す。

 横にいると思っていたメアの姿を認めることが出来ない。

 弾かれたようにレアは手を止め、視線を背後に向けた。そこには大男の魔物、その頭上を舞っているメアの姿があった。


 彼女の小さな身体はまるでバウンドしたかのように、砂礫を巻き上げ、奇妙な態勢、且つその瞳は意識の光をなくしていた。


「メ、メア?」


 問いかける声はあまりにも弱々しいものだった。宙を舞ったメアは天井にぶつかるかに見えた。

 しかし、直前で彼女の足を握る異形の手が見えた。

 そして凄まじい勢いでメアの身体は地面へと急降下し、鈍い音が地面を打った。


 メアの足を掴み、地面へと叩きつける。鉈型AWRは乾いた音を奏でて地面を転がった。

 再度、振り上げられた時、メアの頭からは血が飛び散り、天井に紅点が描かれた。


「お前えぇぇぇ!!」


 レアは全力で来た道を引き返す。もはや彼女が怒りに我を失うには十分過ぎた。血走った瞳が、メアに注がれ、憎悪に燃える憤怒が叩きつけている魔物へと向いた。鬼の形相を模した仮面をつけた魔物だ。


「メア!!」


 今行く、今すぐ駆けつける。胸中で吐かれた言葉は、レアの足を限界を超えて動かした。

 が——とどめなのか、最後に強烈な一撃で、メアを地面へと叩きつけた。


 そしてまだ筋繊維が柔らかくなっていないかのように、メアもろとも振り上げる。


 目に付く、進路を阻む魔物をレアは乱雑に薙ぎ払い、メアの元へと駆けつける。しかし、間に合わせるにしても、地面に叩きつける音は、あまりにも手遅れ感を彼女に抱かせるものだった。


 が、レアの呼びかけが功を奏したのか、振り上げた頂点でメアの瞳がカッと見開く。

 そして彼女は、身体を捩りながら、手に魔力を集めて魔力刀を形成。そのまま大男の脳天へと突き刺した。頑強な魔物ならばこうはいかなかっただろう。だが、人間のような大男の魔物は利点である、外殻を捨てた。


 濃緑色の血液が脳天から噴出し、くぐもった苦鳴をあげた。感情もなく、抑揚すらないただ音を発したに過ぎない奇妙なものだ。

 そしてまるで邪魔なものを捨てるかのように、メアはそのまま乱暴に投げつけられる。他の大男にぶつかりながらも、メアは身体を乱回転させながら壁面に叩きつけられた。


 勢いが弱まったおかげか、メアはそのまま地面に腰を落とした。

 手を突いて、なんとかといった具合に座る。


 そこにレアが到達したのは程なくしてだった。

 魔物を殺し、鬼の仮面をつけた大男もちゃんと首を落としてきた。

 追ってくる大男に背中を何度か斬り付けられたが、メアの元へは辿り着くことができた。


「ハハハッ」と掠れた笑い声が俯いたメアの口から聞こえた。


「メア、だい、じょう…………メア!?」

「ねぇ、見てレア、これでも痛くないんだよ」


 ぺたりと座り込んだメアは虚な目を少しだけを動かす。

 そして魔物に掴まれていた足からは夥しい血が流れ、メアの座る一帯を真っ赤に染めていた。何より、脛の辺りからは骨が飛び出ていた。


 気でも狂ったのか、これでも痛くないなんて。そんなことを思ったが、レアは最初から正常な物など何一つないことに気づく。痛みがないなら、それでいいや、程度だった。

 痛くないなら、もう痛い思いをすることもない。


 レアは鉈型AWRを地面に落として、メアの前で膝を突いた。

 途切れることのない荒い呼吸。

 彼女は小さな笑みを口に浮かべて、そのままメアの頭を抱えた。姉らしいことなど、一つもできなかった。


 だから最後くらいは……。

 妹を守れなかった姉でもできること、最初に死んであげることなのかもしれない。

 一緒に死んであげることだった。双子に姉妹という立場を明確にしたところで、何かが変わったわけではない。

 でも、姉になってからレアは大きく変わったつもりでいる。メアは守られるほど弱くもないけれど、それどころか度胸だってあるけれど……。


「最後くらいはお姉ちゃんみたいなことをしたいのです」

「うん、良いよ。お姉ちゃん」


 静かに目を瞑って、レアは残った力でメアを抱きしめる。









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