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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「黒衣のアズローラ」
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無為な葛藤に最大の意味を



 ロキの瞳に映った悩ましき事実。

 魔物の内部にフェリネラが取り込まれていたという光景。その顔を見間違うはずもなく、ロキの心臓を大きく跳ね上げた。

 一瞬のこととはいえ、己が見たものを疑う余地はない。それほどまでに衝撃的であり、味わったことのない驚愕は網膜に焼きついたかのようだった。


 この期に及んで生存を確認する余裕はないし、それをする必要すらないのかもしれない。何故ならばその一手間はどこに向かうともしれない凶刃になり得る危うい考えなのだろうから。


 だが、これをどう捉えて良いものか、刹那的にロキの脳内で混乱が渦巻いた。


(血の気はなかった……でも、それにしてはあまりにも綺麗な状態……)


 冷たくなっているだろうと思われる程に、フェリネラの顔は青ざめていた。凍らされていると思える程だ。まさに魔物が模したような彫刻的な硬さは、いっそ死んでいることの証なのではないだろうか。

 深い眠りの更に奥、目覚めを感じさせない永眠に近い安らかなものだった。

 いっそ穏やかな寝顔のようにも見える。


 個体差はあれど魔物は人間を捕食する際、当然のように食い千切り、細かく捕食し易くする。結果、生存の有無など確認のしようがない程、無残なものになる。行儀の悪い食事と言える。

 残骸を吐き出す時もそうだ、それが人であったかなど間近で確認し、骨や衣類の欠片から確証へと近づけていくほかない程である。

 いずれにせよ、ロキが見たフェリネラは過去喰われた人間の“それ”とは大きく掛け離れていた。


 経験にない不測の事態に、ロキは躊躇という意味で、結論に至るまでに二の足を踏まされていた。いや、答えを持ち合わせていないことに気づいた。

 あまりにも知識不足と言わざるを得ない。状況を分析することさえも困難な事態に、ロキがしたことと言えば事実を受け止めるというだけに留まった。


(つまり、フェリネラさんの身体に甚大な損傷は見当たらない……ということ)


 見えたのは杭の差し込まれているだろう胸部から顔までの僅かな範囲だったし、瞬き未満の一瞬だった。鉱床調査という割には無傷な状態に等しい。不気味な状態は学院で見るフェリネラとなんら変わりないものだった。


 だからここだけは経験による推測によってロキの解釈が変わったことになる。巨大な魔物でもない限りは通常捕食時に丸呑みなどほとんどない。ましてやそれができるような魔物でもないだろう。

 無論、今対峙している異例の魔物のことさえ何もわかっていないのだ。


 全ては無知蒙昧な憶測の域を出ないのかもしれない。しかし、“魔法師”がこと外界で頼りにすべき――信ずべきは“経験”によって培われた生きた知識だということも確かだ。

 ロキの脳内では完全に生死の判断が付かないところにあった。ほぼ間違いなく手遅れであることは確か、確かだが、そこには可能性として高いか低いかという割合の問題が含まれている。

 詰まる所、断言できないのだ。心の弱さがそうさせているのか、長年外界で凄惨な現場を目の当たりにし、割り切って来たからこそ今日まで生き長らえることができた。それでもなお、この状況に白黒付けることができずにいる。


「――!! アル……」


 魔物との死闘の最中としては長い間、ロキは混乱する思考に理屈を求めていた。

 ようやくロキが分析から意識を離したのは、しっかり一拍置いた後のこと。


 思考を断ち切るきっかけとなったのは、ロキの手が両方とも地面を突いていたことに気づいたからだった。今やアルスの歩みを止めるための物理的障害はない。

 だが、ロキの視界の端で何かが動いたという気配もなかった。


 ロキ同様、いや、ロキ以上に今の光景をアルスは確認しているはずだ。

 それよって齎される影響は想像の埒外。でも、確認しないわけにはいかなかった。改めてアルスを引き止める手をロキは動かさず、顔だけを傾けた。


「…………アル」


 小さく溢れたロキの声は優しげであり、最初からわかっていたかのような響きを伴っていた。

 驚きはなかった。

 まだ正常な方の瞳から溢れていたのは紛れもなく澄んだ涙だった。一筋、細く流れる涙は、黒く染まる片目とは対照的と言わざるを得ない。

 片方は黒く禍々しい涙。

 片方は人間が流せる涙。


 片目の黒が正常の方の目を浸蝕するかのように滲んでいく中、やはりまだロキの知るアルスが残っていたのだろう。そんな気がするのは彼の目を見た後で、ロキがアルスを引き止める気をなくしてしまったからだ。


 自分が何を殺すのかを理解しないまま、乱心し突き進もうとするアルスには身が引き裂かれる思いがあった。

 それこそ逃げだ、とロキは思う。

 そんなことならば本当に逃げた方がずっと良い。


 でも、そうでないのならば向き合わなければならないのだろう。

 アルスはやはり自分の声に反応を示すことはなかった。でも、その涙は昔のアルスでもなく、【暴食なる捕食者(グラ・イーター)】に飲み込まれようとするアルスでもない。

 僅かな期間ともに過ごした学院での生活で培われたもの――今のアルスなのだ。


 もうロキの中で決まってしまった。


(大丈夫、大丈夫……アルとなら)


 つくづく都合が良い身体で、心だとロキは自嘲した気分になった。まだ頑張れる、頑張れてしまう自分が酷く卑しい物に見えてしまう。

 身体の限界を超えるなんて不可能なことぐらい子供にだってわかる。

 気力で傷が治らないことぐらい子供にだってわかる。

 でも……。


(でも、ははっ……これまでも無理なところから立ち上がってきた。自分にとって瀕死なんてまだ動ける証)


 胸の内で吐き出す余裕の言葉。いつだってアルスのために無理だと思ったところから頑張ってこられた。

 自分の中で大きな決断を下したはずなのに、大きな決意を表明したはずだったが、思い返せばそれはロキにとって当たり前のことだった。

 何度も経験してきたこと。

 あれほど死に直面していながら彼のために命を使うという最大の役目は、未だ果たせていないのがなんだか笑えてしまうが。



 フェリネラを模した魔物は、その内部に包まれたフェリネラを完全に覆い隠してしまった。一回り程小さくなったせいなのか、細部に渡るまで魔物の姿はフェリネラの形に近づく。

 目を覆うベールのような黒い靄が帯のように背後で棚引き、黒装束の花嫁は涼し気な口元に陰りを落としていた。


 するとどこからともなく口笛のようなか細い音色が部屋ポケットに響き渡った。

 同時――草原に吹き付ける微風が足元を洗っていく。風の向かうところは本来ならば気にも止めないだろう。

 だが、風系統を操る魔物を前に、風や空気の変化はロキの身を引き締めさせた。

 変わらない。肌の上を幾本もの針で突っつくような鋭い気配は、何度と無く身体を強張らせてきたものだ。


 今回はそれまでとは明らかに違うのだろう。魔法という緻密な構成情報はすでに“密・粗”という判断基準に該当しない。濃密な魔力と緻密過ぎる構成情報は芸術の域さえ越えた創造に等しいものだった。

 果たしてどれほどの魔力量がそこに集約されているのか。気がつけばこの広い階層全てにまでその魔力は波及しているように感じる。


 アルスの周囲を悠然と泳ぐ黒い捕食者は、その魔力を放置していた。意図してのことなのかは定かではない。

 ただ間違いなくミスリルが行き渡らせている要因ではあるのだろう。


 どこからともなく吹付け、魔物へと集まっていく風はこれまでの黒い風とは掛け離れた純粋な空気。

 この階層だけではないだろう。この鉱床全てが給気口となって集っているようだった。



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