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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「黒衣のアズローラ」
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無口な人の殻


 ◇ ◇ ◇


 ただの汚れ役でよかったのに……。

 あなたは何故、そんな悲しそうな顔をするのですか?

 それじゃ、私は自分が行った愚かしい行為に後悔しないじゃないですか。


 間違ったことをした自覚はある。もっと良い方法はあったはずなのだ。なんなら逃げてもよかった。

 でも私はあえてその間違った選択を自らの意思で選び取った。


 間違っていると知りつつも、そうせざるを得なかった。

 何故なら……私が、ロキ・レーベヘルなのだから。


 

 己に偽らない正しさを確認したロキは、掠れる視界で悔し涙を流した。

 頬に伝った涙がどんな意味を持つのか、入らない力で歯を食いしばった感情の発露……口内に溜まった血を噛む……とてもじゃないが自責に堪えない。


 力が足らなかった。自分では何も成し遂げられなかった。

 それが唯一の後悔。情けない決意が最悪の結果を招いてしまった。

 彼に見せてはいけなかった。それは今でも変わりない。


「あ、う……ああ……逃げ……」


 脳内を埋め尽くす次なる手段が声にならない音となって漏れた。

 逃げて……。

 身体が動けば一緒に逃げることもできたが、もうそれも叶わない。


 なら逃げてもらうしかない。

 でも、言葉は血に混じって上手く発せられなかった。


 魔法師の頂点でも勝てない。彼がアルス・レーギンである限り勝てない。

 ロキはアルスの呆然とした姿を見て――酷く感情の混在した表情を見て確信した。

 悲しげであり、それはショックに起因する感情。そしてやはり怒りという感情も確かに彼の顔に浮かんでいた。

 総じてアルスはすぐに動けない程、青白くなって立ち竦んだ。彼の心境を察することはできない、できないのにこうなることはわかっていた。


 大きく揺れる彼の瞳は、一体何を映しているのか。いや、何も映していないのだろう。

 即座に何をやるべきかも考えられず、何も決断できない状態。

 逃げることも戦うことさえも拒んだ姿に、選択の意思はなかった。



 ◇ ◇ ◇



 誰かを救うため、そんな妄執に取り憑かれた記憶はない。

 自分が立っている感覚すらも酷くあやふやで、目の前の光景を拒絶するかのように己に言い聞かせる。


 ――これは何の冗談だ。


 震える唇は自分の身体だというのにピッタリと閉口したまま。

 わかっている。


 ――俺に力がないから、俺が不甲斐ないからだ。


 十分戦えると自惚れていた結果が、目の前の光景。戦闘の余波を微かに感じ取り、急いで来てみれば自分のあまりの愚かしさに反吐が出そうになる。

 最悪の場合、ロキがどのような行動に出るかなどわかっていたはずだった。


 ここに到着するまでの間、過る不穏な予感に脳は自分を責め立てるように痛みを発した。

 今もバクバクと破裂しそうな勢いで脳を圧迫する痛みが断続的に続いている。


 もう怒りすら感じない。

 微かに震える身体は、まるで海底に沈んでいくように暗く静けさを増して行った。底に蟠った暗がりに名をつけるならば“恐怖”なのだろう。

 恐れていたのだ。こうなることを頭では理解していても、それを目にすることが怖かった。


 合理的思考が感情を引き連れて、決断を邪魔する。


 泥濘に足を取られているかのように重い。

 ただ、考えるまでもなくこの状況を瞬時に理解してしまった。フェリネラを模した魔物、そして瀕死のロキ。

 この二点が足を地面に貼り付けている。

 やはり間に合わなかったのだ。ロキは自分のために、重荷を背負わせないため、格上相手にそれこそ決死の覚悟で挑んだのだろう。

 負けるとわかっていても彼女なら迷わずそうする。


 どれだけロキには自分が頼りなく見えているのだろうか。

 自虐的な嘲笑が込み上げてくる。自らの状態も正確に把握できなかった自分自身のミスだ。


「もういいや」


 虚ろな目を地面に落とし、アルスの口から滑り落ちるようにポツリと溢れた一言。

 直後、身体の震えは収まり、頭の痛みが引く。

 傍から見れば、それは異常な光景だっただろう。まるで機械のように切り替わる瞬間は、記憶そのものが剥落したかのようだった。敵と認識した瞬間、そこに相手を思うノイズは一切合切排除されていた。


 フェリネラはもういない。憎しみもなく、ただ排除すべき対象としてインプットされる。


 身体を壊して、心を砕いて、アルスは淀みない動作でAWRを抜いた。

 変わらぬ鎖の擦れる音だけは寂しく周囲に響く。


 巨大なフェリネラを模した化物は奇っ怪な動作で小刻みに震え、そして前傾するように顔を突き出した。

 ブチブチと口端を裂いて、大きな口を開くと不快な叫びを放った。


 まるで待ち焦がれていたかのような変化を見せる。

 その様は歓喜に打ち震えているかのように見え、全身を使ってアルスへと狙いを定める。


 直後、何の兆候もなくアルスを風の球が取り囲む。風が閉じ込められた小さな球がいくつも地雷原の如く空間を支配した。

 逃げ場のない暴風の球体。

 だが、その球体が何かをする前に一瞬でアルスは風の球を置き去りに魔物へと肉薄していた。


 覆いかぶさるような巨体を前にしても、アルスには化物らしい異形として感じない。


 躊躇いのない太刀筋が、アルスにいつから自分は壊れていたのだろうか、と疑問を残す。

 友人であろうと迷わない己が恐ろしくすらあった。

 何かが変わった気でいたが、こうして冷徹になれるのだから、もう壊れて久しいのだろう。


 人間で有りたかった。人間臭く有りたかった。そんな心の底で埋もれた欲が今にして浮き出てくる。


 最初に仲間を介錯してから、今まで何一つ変わってなどいないのだろう。

 何も成長していないのだろう。昔のままだ。幼いまま、怖いことには耳を塞いで目を閉じて、もう一人の自分に任せているような冷たい感覚が身体の中を心底冷やしているのだ。


 いつだって身体は冷たいままなのだから、温かみを求めていたのかもしれない。



 長大に伸ばした魔力刀が逆袈裟斬りの要領で、魔物へと走る。


 だが、その名刀見紛う魔力刀はいとも容易く受け止められた。握るように魔物の細く、歪な手が魔力刀を直に掴む。

 ビシッと掴まれた箇所から一気に罅が走り、魔力刀が砕かれ、実体ある短剣だけが空を切った。


 直後、アルスは手からAWRを落とし、両手を左右に突き出す。コンマ一秒の誤差もなく左右から挟まれる風の渦を即座に構築した障壁で防いだ。

 一方向に回転する風の渦はさながら旋削するかのように、ガリガリと障壁を掘削していく。本来、視覚的に捉えづらいという利点が風系統にはあるが、この黒風はその利点を捨て、風系統ではありえない程の情報量を組み込んでいる。


 アルスがほぼ無意識下で構築した障壁は自身の中で最硬度を誇るといっても過言ではなかった。端的にいえば空間そのものに干渉し、座標を固定。ありとあらゆる魔法的要素の侵攻を拒むものだ。


 だが、黒風の渦はそうした障壁に対して絶対的な優位性を持っていた。

 障壁ごと削り取るという芸当は、単純な魔法の優劣にあらず、空間自体の破壊に等しい。


 その事実に動じる素振りをアルスは微塵も見せない。

 直後、アルスの口が何事かを紡ぐ。


 氷系統における魔力の凍結。

 魔力を朽ちさせ氷に置き換える最上位級魔法――【朽果ての氷華(マリス・フロム)】。


 両手から凍結の支配が始まり、障壁を削り取っていた風の切削は瞬時に凍らされた。

 更にそこから枝葉を伸ばすように、魔力を伝って凍結させていく。


 空間内に満ちていた魔物の魔力を瞬時に凍結。無数に枝分かれする光景は毛細血管のようにあちこちに分布していた。

 凍結した傍から割れる氷は、けたたましい騒音となって部屋ポケット内を埋め尽くす。


 魔物を前にしてもアルスはその顔を直に見ることはない。寧ろ、視線を外すように少し俯き、前髪で目元を隠しているようにも見えた。

 どこか暗く翳りの差した顔で、ただ黙々と倒すべき手順を踏んでいるかのようだった。

 これまでもそうしてきたように、何も考えず殺戮人形になるだけなのだ。


 戦術の組み立ては蓄積されたデータによってのみ算出される。

 間合いと呼べる距離感において、アルスはその場に留まった。風系統は一般的に中・遠距離範囲の魔法が多い。これは大全に収録されている魔法の傾向ではなく、単に性質上の問題だ。

 故にアルスは接近戦を選んだのだろう。


 合理的な戦術に基づく行動。

 当然、フェリネラを模した魔物は目の前にいても、優雅な振る舞いを見せ、両手を持ち上げる。

 歪な掌から掬った水が溢れるように、禍々しい黒い霧がゆらゆらと落ちていく。


 同時、アルスが鎖を引きAWRを手元に引き寄せた直後――。

 魔物の足元から黒角が三本。鈍い光を内包した黒角が生え、絡み合いながら螺旋状に伸びていき天井を目指した。

 が、それらは本来、魔物の外皮を貫き、時には三本の黒角によって捩じ切るはずだった。

 それこそ最硬度を誇る【三子の黒角(メメリアント・オルガ)】の強み。


 しかし、荘厳な角は魔物の足元から逃げるように生えた。その様は芽を出した植物が障害となる物を避けるように天を目指す弱々しいもの。

 ただ、囲っただけの無意味な魔法はその実、構成における情報強度に問題があるとともに、魔法として体を成しただけの脆弱なものだった。


 そのことにショックを受けるでもないアルスに、先程落ちていった風が足元を冷たく攫っていく。

 今度は魔物の手の上に黒風の渦が生まれ、それはいつの間にか肥大し高速回転を始める。アルスの魔法が無意味に終わった頃には円盤状に引き伸ばされていた。


 薄く伸ばされたのは二つの風の円盤。

 両手に生み出された高速回転する風の円盤は、地面に溜まった風を巻き上げていった。風系統における攻性魔法の極みとさえ思わせる異常な魔力密度。

 各系統の斬撃系の魔法――端的に言ってしまえば切断といった結果に対して作られた魔法の中でも、風系統は特に強みを持っている。だからこそ、結果に導くために魔法という現象を用いるわけだが、二つの円盤状の魔法はその中でも頂点に位置する類の……人間では成し得ない次元の魔法だった。

 

 耳を劈く高音は風の擦過音であった。それが放たれた直後、【三子の黒角(メメリアント・オルガ)】をいとも容易く切断し、眼前に迫る。

 アルスはインプットされたような動きで一気に後退する。一つはアルスの目と鼻の先で一定の距離で追い詰めていた。

 そしてもう一つは半円を描くように真横から迫る。


 壁面に接触しながらも、速度を落とすことなくミスリルさえも切断していく。

 障害物など有って無いようなものだ。

 真正面と真横から交差する円盤にアルスは鎖を巧みに操り、空間に固定。

 真横から飛来する円盤に鎖を当て、軌道を下に少し逸らすと足を浮かせて僅かに生まれた隙間に身体を潜り込ませる。人一人分できたスペースに身体を捻って回避したが、アルスの代償は大きかったのかもしれない。


 防御として使った鎖は軌道を変えることに成功はしたものの、物々しい金属音を立ててアルスの干渉下から離れた。

 バラバラといっても差し支えないだろう。これまで傷一つ付かなかった鎖が断たれたのだ。

 ただの物として落ちる鎖の破片。


 アルスの手の中に残ったのは短剣と途中で断たれ、僅かに残った鎖の片割れだけだった。

 だが、それでもアルスに動揺といった感情の変化はない。

 誰が見てもアルスの誤算であったのは言うまでもないことだ。だというのに、歯牙にもかけず次なる行動に移している。


 メテオメタルで作られた唯一無二のAWRが破壊されたこと、その最大の原因は魔力自体の脆弱性にあった。鎖単体であっても魔力との親和性は高く、まず破壊される事態には陥らない。

 というのも魔力による強化性がAWRには備わっているからだ。


 だからこそアルス自身の魔力が原因であり、加えて受けた魔法も悪かった。切断に特化した魔法には相応の対応が求められる。然るべき対処を取らなかったのではなく、できなかったがために鎖は断ち切られたのだ。


 

 通り過ぎていった二枚の円盤は旋回するように壁面を物ともせず滑空する。

 そして再度、アルスへと迫った時、分裂するかのように四枚に分かれた。


 それら全てを紙一重で避けるアルスに魔法を構成する余力はなく、寧ろ身体の節々が軋み反応が鈍くなりつつあった。無理やり動かしている状態に等しい。


 ただそう、考えなくなればなるほど黒々とした何かが胸の靄を埋め尽くしてくれるような気にさせている。身体は言うことを聞かないのに、まるで負ける気がしない……死ぬ気がしない。

 殺し合いの中でずっと感じていた魔力も次第に感じられなくなっている。

 代わりに魔力以外の物が、身体中から溢れ出ていた。それに包まれているせいか、どんなに傷を負おうとも、逃げ惑うばかりだとしても死ぬ気がまるでしなかった。


 それどころか――。


「後、少しで殺せそうだ」





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