ただ一つ、役割の責任
イリイスはすでに予定を変更せざるを得ないと感じていた。
フェリネラとレアメア姉妹の救出。最初に行ったエクセレスの探知を元に推測するならば、フェリネラは地下三階層より下にいる可能性が高い。だからこそアルスが直接階下に向かったのだ。
レアメア姉妹の捜索は三階層をイリイスが請け負い、発見できなかった。戦闘の痕跡が認められなかったのだから、ファノン達のいる地下二階層にいるだろうと思われる。
探知には当然、エクセレスが適任だ。寧ろ、彼女頼みと言っても過言ではない。
だが、とイリイスは疲労困憊のファノンをチラリと見る。
折れた腕をこの場で完治させるのは難しい。場合によって戦線から離脱させる必要も出てくる。実際、ファノンの腕は複数箇所で折れ、一部で粉砕されている。今ここで出来る最善の処置を尽くしても、この先、腕を吊った状態になるのは避けられないだろう。
脅威的なレートの魔物がこの階層にもう一体いるとなれば、エクセレスが言い掛けたように今のファノンでは頼りない。基本的に各階層に一部隊が捜索を一任されているとあって万が一、隊に壊滅的ダメージを受けた場合、捜索どころではなくなってしまう。
ここは順当に考えてもイリイスが交代を申し出る場面である。
あるのだが。
(チッ、誤算と言わざるを得ないな。十分な戦力を要請したつもりだったが……いや、この戦力が限界か)
客観的に見ても、今協力してくれている部隊は人類最高峰の魔法師達。これ以下はあっても、以上はありえない。言ってしまえば人類が投入できる戦力の限界に等しいのだ。
「仕方ない」
ちんたら作戦会議をしている時間もない。なればこそ、ここはイリイスが受け持つのが最善である。
だが、問題はアルスからの依頼。つまり、ロキに刻印を刻んだ魔物の存在だ。
万が一を考えれば、自分が地上に出て目を光らせておくのが最善。
「問題ないわ」
イリイスの思考を遮る声が割って入った。失くした選択肢が再浮上を望んでイリイスの言葉を押し返してくる。
エクセレスの肩に手を置き、立ち上がったファノンは復調を訴えるかのように折れた腕の具合を確かめた。手を開閉させたり、腕の可動域を試したり、その都度ファノンの頬が反射的にピクピクと動くが。
「十分ね。ありがとう……エクセレスも。でよッ!」
髪を振って勇ましく向き直ったファノンは、口元を不敵に持ち上げて、イリイスを指差した。微かな腕の痛みに堪える彼女の意志を尊重し、エクセレスは口を噤む。
最終的には彼女の背中を押してあげるつもりだが、意地だけで立ち向かっていける程この鉱床は優しくはない。魔物の巣窟、それで済む話ではなかった。
当然、ファノンも身をもってわかっているはずだ。
「この階は私が担当する。そっちはまだ何か隠し事があるようだけど、ここで追求する暇もないしね。目的を達成できれば一先ず良いわ! 最も効率が良いのは各々与えられた役目をこなすことだけ。この階層は私が制圧する」
「気前の良い威勢を吐くじゃないか……言っておくが、この戦いは一方的でなければならんぞ。私らの蹂躙でなければならない」
犠牲は最小限、何よりシングル魔法師を欠くなど、救出作戦を根底から無意味へと変えてしまう。だから、この任務は圧倒的でなければならない。
額に汗の玉を浮かべている今のファノンは、お世辞にも万全とは呼べない。
ただ、さすがシングル魔法師というべきか。品定めしろと言わんばかりに纏われた魔力は、十分継続して戦えることを証明していた。
(戯言ではなさそうだな。いずれにせよ、ならばこちらとしても都合が良いのも確か。正直、上の心配に比べればこの階層を任せた方が安心か)
無論、ファノンと交代することも考えていた。
負傷を負った彼女が、少数で地上を目指し帰還すれば良い。探知魔法師であるエクセレスさえ残ってくれれば発見は難しくないだろう。いずれにせよ、レアメア姉妹の行方について何かしらの答えが得られるはずだ。
考えれば考える程、リスクはどちらにも生じる。
幼い外見に見合わず、イリイスは考え込むように顎に手を当てる。眉間に寄った皺が物語るように、これは苦しい選択だった。
「さっさと行きなさいよ。ここで考えても埒が明かないわ。答えが出るならとうに出ているわよ」
呆れ顔でファノンは無駄な時間の浪費に辟易と溜め息を溢す。
そしてイリイスの前まで寄ると、指先を鼻先に向ける。
「お守りはいらない。あんまり私達を嘗める、な!」
語気を強めた最後の一語と同時に、イリイスの筋の通った鼻先を押す。
「フガッ!?」
力加減的に、指先で刺したと表現できるだろうか。イリイスは仰け反るようにバランスを崩して、たたらを踏んだ。
鼻を押さえたイリイスは迫り上がってくる抗議の声を一先ず呑み込む。自分が上げてしまった情けない声が羞恥心として彼女の脳内を埋め尽くしていた。
もっと可愛らしい悲鳴を上げたかった。そんな後悔がイリイスの胸で渦巻いていた。
同時に、陰鬱な気分にさせられた。
(年は食っても、女でありたかった)
おっさんの声と見紛う可愛らしさの欠片もない反応。
「ま、まぁ構わん! ただし条件がある」
間を与えず、体裁を維持しながらイリイスは条件を付け加えた。
「貴様らは極力戦闘を控え捜索しろ。発見に至らなかった場合、戦況的に不利な状況になった場合はもちろん、可能な範囲での捜索が終わったら即帰還だ。お前さんのAWRも壊れてしまったようだしな」
「仕方ないわね。いいわ! それで行きましょう」
「帰還後は一度状況を見て、再編成するべきだろう。ルート的にもそう時間は食わんはずだし、こっちの懸念も解消しているかもしれん。それとガルギニス隊の戦況も鑑みて、こちらで捜索させることも考えている。一先ずこんなところか」
話は上手く纏まった。
少なくとも当事者二人は方針が決まったと感じたはずだ。
そんな折、唐突に発言したのはエクセレスだった。水を差すとわかっていながらも、口を挟まざるを得なかった。
「ちょっといいですか。今、簡単に探知してみたのですが、その……二人の痕跡は微かに確認できます。ただ、この階層に存在すると思われる魔物の反応が捕捉できません。勝手な推測ですが、レアメア姉妹がこの階層にいるならばそれは最奥部ということになります。そしてもう一体いるはずの高レートの魔物も。それならば、ここからでの探知で痕跡しか追えない説明もつきます」
「チッ、まあいい。それはそっちで考えてくれ。私は地上に戻る。くれぐれも忘れるな、できうる範囲での捜索……」
「わかってるわよ! お婆ちゃんみたい」
「――!?」
頬を引き攣ってイリイスはくるっと反転する。眦は釣り上がったまま、上手く表情を保てなくなっていた。
長年ともに裏の仕事をしてきたハザンとは違い、同性だからなのか、的確な嫌味を放ってくる。
一先ず、大人としての対応を取るべく、イリイスは言葉だけを発して重い足取りで上階へと逃げるように駆けていった。




