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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第5章 「何人も触れ得ぬ者」
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戻らない余裕の気配



 【餓猿鬼シャヴァ】の背後、身体を覆うような形でそれは薄っすらと現れ、現実へと定着していった。型を抜いたようにシルエットだけが浮かび上がり、徐々に実体を帯びていく。

【餓猿鬼】の巨体をも包み込むようにすぐ後ろで、一定の距離を保って張り付いた。


 障壁を駆使した召喚魔法。完全に形が定まると、風化していくように鈍色の禍々しい色素が表面に浮き上がってくる。

 異様な形状は魔法という崇高さを貶め、寧ろ残忍的思想を具現化したかのようだった。



 頭部は人間の三倍はあろうかという大きさでありつつ、女性的な印象が色濃い。輪郭だけでもそれが女性を模しているのがわかる。

 その特徴はロープのような長い黒髪からも容易に想像することができた。人外でありつつも人間的な特徴を残した狂気的な造形。

 顔などは薄皮一枚貼ったかのように皮下の骨を透かしていた。

 眼球はなく、ぽっかりと穴の空いた眼窩は雑に縫われたような糸が上下に張られていた。


 巨人的な印象は顔まで……そこから下、頭部を支える首がない代わりに分厚い脊柱が百足のように伸びており、【餓猿鬼シャヴァ】の背中をなぞるように沿う。

 百足の脚が無数にあるように、脊柱の至るところに骨のような鋭い針が生えていた。



 肢体に沿った形で造形された拷問具は、しかしまだ完成には程遠い。作動までに幾ばくかの時間を要するのだ。

 【ヘレンの拷問具 三番サルルース・ジ・メイデン】は実体として、より密度を増していき、具現化の証として少しずつ錆びが目立っていった。女性を模した顔にもシミのような錆びが浮き始めている。


 太く黒い髪は伸び続け、地面に触れられない蜷局を巻き始めた。黒くはあるが、それはどこか霧状でありつつ、実体としての重みを感じさせない。つまり、拷問具は最後の最後にのみ実体として空間に定着する。



 そして脊柱から鎌型の湾曲したアームは、肋骨を拡げたようにいくつも左右から伸びている。対称的に伸びるアームは、二又となり腕を広げたかのようだ。

 アームの内側には鋭く長い針が無数に付き、今か今かと抱きしめるように閉じる時を待っている。


 形状は拷問具以外には言い表せない。もっとも魔物らしさともいう悍ましさもあるが、やはりそれは人間の残酷な部分が作り出したものなのだろう。


 エクセレスは見た目的にもこの魔法があまり好きではない。

 魔物を倒すための魔法であることは間違いない。なのだが、やはりこの拷問具は人間が人間を拷問するために考案されたものだ。一種の悪戯な残虐心さえ窺える。


 魔物とは別種の本能的怖気が駆け巡ってくるのをエクセレスは感じた。

 同時に、その強力な性質も認めざるを得ないものだ。

 “準禁忌指定魔法”、それは国際的に定められた禁忌とは似て非なるもの。いわば道徳的な観点で魔法式を公開していない傾向があるもの。


 その中には人間に対して有効なものでも、魔物に対して無意味な魔法なども含まれる。



 【ヘレンの拷問具】、その中でも誅殺的な意味を持つ“三番”はファノンが持つ【三器矛盾】を用いない魔法の中でもトップレベルの魔法だ。構成要件において“召喚魔法”に分類される。

 更にいえば、【ヘレンの拷問具】を扱える魔法師は極めて希少であり、それは【雷霆】よりも扱える魔法師が少ない。


 多種系統を踏まえる【ヘレンの拷問具】は、系統別に番号が振られている。それらは評価基準改定前で各系統の頂点にさえ位置づけられる程に強力だ。


 実在した人名に、実際に使用された拷問具がモデルとなり開発された狂気の魔法。無論、魔法開発に各国が躍起になっていた古き時代の魔法。人を殺傷することに重きを置いた魔法開発の負の遺産だ。


 今となっては名前すら知らない魔法師が多く、エクセレスでさえファノンが修得している程度で他に見聞きした覚えがなかった。


(時限式自律プログラム。召喚系の魔法でこれほど忌避されるものもないでしょうね)


 皮肉なのか、エクセレスは見た目の印象のみで感想を胸中に吐き出した。

 魔法としてそれは標的の傍で組み上げられる。つまり現段階では情報を蓄積された魔法のようなものとしか表現できない。故に干渉は困難を極める。


 考えられた魔法であるのは否めなかった。

 拷問具が実際に作動・発動するのはまさに一瞬なのだから。


 だから……。


 即座に気がついた【餓猿鬼シャヴァ】が背に密着する拷問具を破壊しようと腕を振るっても、暴れる程身じろぎしても無駄なこと。

 干渉の方向性がそもそも間違っている。

 魔物の扱う魔法を正当とし、完成形とするならば、人間の扱う魔法は邪道。

 未完成故の余剰な構成が時に、魔物からの干渉を防ぐこともある。


 エクセレスは視界内で無様に抵抗を試みる【餓猿鬼シャヴァ】に目を向ける。


(時間を浪費してくれるのは助かる。この手の召喚魔法は供給源となる核をピンポイントで干渉するか……術者を狙うかの二択しかない)


 召喚魔法は例外なく持続的に構成を引き継ぐためのプログラムや、魔力を供給する経路などが、核に集約されている。召喚魔法とはいわば“魔物”の体内構造を模倣・改良したに過ぎない。

 これは魔物では絶対に成し得ない人間ならではオリジナルと言えるのかもしれない。


 その中でもファノンが使った【ヘレンの拷問具 三番サルルース・ジ・メイデン】は比較的干渉されないように工夫されたものだ。



 二度、三度、【餓猿鬼シャヴァ】は召喚魔法への抵抗を見せていたが、ふと諦念したかのように腕をだらりと降ろした。


 エクセレスに続いて、ファノンもスッと目を細める。二人の予想は嫌な意味で当たった。


 「早いわね」とあまり意外感を感じさせない声音でそうファノンは口をついた。

 知能なのか、本能なのか、無駄だと覚るまでの時間があまりにも早い。


 そうなると必然的に【餓猿鬼シャヴァ】の敵意は迷うことなく術者であるファノンへと向く。

 意識すると同時、ファノンへと容赦ない一撃が空間を捻じ曲げて至近距離から放たれた。


 それをファノンは微かな視線の動きで障壁を構築、口にした通り防ぎきった。


 【餓猿鬼シャヴァ】の息遣いからして、憤りを感じているのは間違いない。

 いや、どちらかというと気持ち悪さのようなものを感じているのかもしれない。


 拳を振るう動作が必要以上に大きく、背中の拷問具を振り払うかのように感じられた。


「対応力はあるけど、それまで……知能は虫以下ね」


 嘲るようにファノンは言い放って、傘の表面を撫でるような手付きできつく縛った。

 硬い棒と化した傘を地面に擦りながら、一歩二歩と歩み出す。

 すると一瞬にして【餓猿鬼シャヴァ】の眼前まで接近。小柄な体躯ならではというか、シングル魔法師は心技体を極めた先の者に与えられる称号だと実感させられる。


 ファノンの姿を次に認めたのは、それこそ【餓猿鬼シャヴァ】の眼の前。

 タンッと地面を蹴ったファノンは裾をはためかせながら浮き上がると、傘を真横に薙いだ。


 【餓猿鬼シャヴァ】の横っ面を捉え、首が捻じ切れる勢いで巨体が傾く。

 ハンマーで殴ったような重い音がフロア内に響き渡る。


 傘から噴出する膨大な魔力。

 直後、傾いた巨体に同等の打撃が遅れて連続する。

 威力の複写増幅。障壁を駆使して再現する技術だ。


 【餓猿鬼シャヴァ】の横っ面に同等の攻撃が三度追加で加えられた。


 岩盤をひっかくように引きずられる【餓猿鬼シャヴァ】の巨体は、結局持ちこたえられる。九十度まで傾いた上体のまま、数歩たたらを踏み、一緒にボドスを踏み潰しながら、それでも倒れず踏ん張っていた。


 【餓猿鬼シャヴァ】は顔半分に罅を走らせながらも、反撃に打って出ていた。


 やんわりと着地したファノンは目の前に出現した拳を涼しげに見る。一度視認したファノンにとってこの程度を防ぐのは造作もない。


 刹那――その拳はバッと開き、掌を障壁越しにファノンへと向けた。


 研ぎ上げたように鋭い爪に炎が灯り、障壁に立てられる。


「――!!」


 爪が障壁に食い込む瞬間をファノンは認めた。打撃に特化した対物障壁――防壁は系統付与によって相手につけ入る隙を与えてしまったのだ。

 いや、これまでの耐久度では単純に耐えられなくなってしまった。


 障壁が破られたのは一瞬。


 突き抜けてくる巨手はファノンの小さな頭を握り潰さんと掴みかかる。

 瞬間的に上体を反らし後ろに飛ぶ。鼻先を掠める程、ギリギリでの回避。


 障壁の耐久力は系統を付与されると不十分と言わざるを得ない。

 瞬時に構成する障壁の強度には限度というものがある。それでも人類中、全魔法師中ここまでの強度を瞬時に構築できるのはファノンだけだ。


 だが、系統付与は【餓猿鬼シャヴァ】の攻撃に多大な付与効果――威力を加算させる。


 つまり、ファノンはこれまでの障壁強度に加えて系統に対する強度を追加で組み込まなければならない。


 奥歯が鳴るのは避けられない。

 更に【餓猿鬼シャヴァ】の局所的空間移動に制限がないことも状況を悪くする要因だ。移動した先で、更に魔法を構築することもできてしまう。


 鼻先を掠めて熱を引いていった巨手は虚空の中へと消えていく。

 入れ替わりに今度は真下から貫手のように揃えられた手が出現。


 ファノンは態勢を崩しながらもつま先で地面を蹴り、空中で前転する。

 視線がそのまま地面へと向き、自ら飛び込むように巨手に向かっていった。視界を塞ぐようにして現れた巨手を真っ向から迎え撃つ算段だ。

 傘を持っていない手を咄嗟に翳し、動作を加えた障壁を構築。


 動作を伴う分、更に厚みが増した障壁が間に割り込んだ。

 ガリガリと鋭利な爪が障壁を貫かんと衝撃を発したが、強固な壁を前に突き破られる気配はなかった。


 が、強度が増す一方で、速度は格段に落ちてしまうのが難点だろう。

 反応はできるが……脊髄反射並の速度で魔法を行使するは難しい。

 防ぎ切ったものの、ファノンの口元に余裕が戻ることはなかった。


 熱波は障壁を回り込んで、肌の上を熱してくる。目尻を熱が掠めていく。



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