変わり続ける顔ぶれ
【餓猿鬼】の報告例は一件のみ。
それも人類史に残る大災害であるところのクロノス襲来と時期的にも近い。厳密には7カ国に併合して間もない頃とされる。
現在のデータベースはライセンスによる情報の収集により、精密に記録される。そのためデータベースの確立後、以前までの記録は別途資料として保管されている。
魔物に関するデータはシステムの確立以前は目視による確認しか方法がなく、現在のデータベースにはその後の確認が取れなかったものや、真偽が疑わしいために抹消されたものがある――分けられているというべきだろうか。
軍事図書として7カ国で一応機密資料扱いとされる【魔物大典】は一般的には閲覧禁止である。機密といってもこれは軍属であれば誰でも閲覧が許可される程度のものだ。当然、何から何までもというわけではないが。
ただこれは各国で管理システムの体制が整った以降に発見された記録に限る。
故にそれ以前の魔物に関するデータというのは、現在までで確認の取れない個体が今なお多く残っている。それもそのはずだ、当時の記録は姿形に至るまでが手書きであり、信憑性に欠けたものだった。
魔法師間では“初期”や“最初期”という隠語を用いたりする。新種以外で正式に記録されていない魔物――つまり、クロノス襲来時期以前の魔物であり、以降報告例がないものを言う。
これらは【魔物大典】と区別され、通称【記憶大典】――旧魔物大典――として纏められた極秘資料である。
高レートの討伐を一任されるシングル魔法師は当然のこと、エクセレスも一通り目を通したことがある。
当時の魔法師が記した報告は、やはり正確性に欠けた。情報の誤りが多く、参考にはならないとされデータベースから除外されている。
が、年々データベースに記録されていない魔物の報告が増加する傾向にある。新種認定の前に【記憶大典】を参照後、酷似する記録が認められれば、新種登録ではなく再認知という形でデータベースに加えられるのだ。
再認知は稀であり、多くの魔法師は気にも止めないだろう。
しかし、シングル魔法師であり、その部隊員ともなれば手を抜くことはできない。無論、探知魔法師としてエクセレスも脳内容量が許す限り詰め込んでいる。
ファノンの口調からして、当時の魔法師は討伐に成功していない可能性がある。杜撰な報告書ではどちらにせよ鵜呑みにはできないが。
【オーガ種】、確かにそう命名したくなる異様な姿形。悍ましい容貌は決して相容れない化物だと本能的に覚るほどだ。
ワイヤーを束ねたような隆々とした筋肉。
ファノンとエクセレスの間でピリピリとした緊張感が走った。
当時のレート判別など今の基準に当てはめることはできない。忘れられた脅威として記録されている【記憶大典】にはレートや、それに類する脅威度などは盛り込まれていないことが多い。
だが、エクセレスの背をじわりとした冷たい汗が伝う感覚は、到底Aレートなどが発する程度のものではない。無闇矢鱈と魔力を垂れ流す示威的行為ではなく、寧ろその逆、内部に圧縮するかのように押し止められる魔力。そこから微かに漏れ出た魔力はゾッとするほど濃く、容易く視認できるほどだった。
「エクセレス、見た?」
傍で視線を鋭くしたファノンに唐突に呼び掛けられたエクセレスは、一瞬何を言っているのか、察することができなかった。
だが、背後で慌ただしく治癒しようと試みる隊員の浮足立った気配に思い直す。
「すみません。理由のこじつけになるかもしれませんが、魔法の痕跡としては極めて微弱なはずです。【不自由な痣】の使用を控えており、気づくのが遅れました。油断してました」
「いいよぉ。常時発動できても、そもそもこれだけ魔力が混合状態じゃ無理ないわよね」
寛大な返答に感謝を示すエクセレス。しかし、油断していたとは言っても、魔力の反応があれば僅かでも痣が疼かないはずがない。今にしてみれば気にも止められない程微弱であったというだけで、反応は確かにあった。
「……はい」と曖昧な相槌を打ったが、要は【不自由な痣】でさえ感知は一瞬のこと。つまり、感知できたとしても反応・対処に身体が追いつかない。
戦略的な思考はこの部隊を率いるファノンに任せるべく、エクセレスは探知魔法師として事実のみを口にするだけだ。
その上で隊長が作戦を考える。
これほど身構える事態を久しく思いながら、エクセレスは今度こそ見逃さないつもりで探知魔法師としての能力を駆使する。
ファノンは【餓猿鬼】がどのような攻撃を試みて部下を半殺しにしたのかを分析しているのだろう。だから僅かな情報も報告するのが探知魔法師としての役目でもある。
警戒をファノンに任せて一瞬、エクセレスは不意な攻撃を受けた隊員へと肩越しに目を向けた。
ひゅーひゅーっと掠れた呼吸音を鳴らす隊員の胸部は大きく凹み、肋を何本も折られたようだった。吐血が呼吸を妨げているのか、それとも肺に折れた骨が突き刺さったか。
ファノンが言ったように残念だが、死人がまた一人増えるかもしれない。いくらシングル魔法師の部隊であろうと、初期のメンバーから全く顔ぶれが変わらないなんてことはない。
それでもずいぶんと長く持っている古参の隊員もいるし、自らの部隊を新設するために旅立った者もいる。
ファノンの性格に関わらず、定期的に隊員が減っては補充されるの繰り返しなのだ。もちろん彼女が直々に選別する時もあるし、他の部隊から強引に引っこ抜いてくることもある。エクセレスなどはまさにそれだ。
初期メンバーの一人として部隊新設時からの付き合いだ。何もファノンは初めから素質のないものを部隊に入れたりはしない。彼女が見込んだ強者であるのは間違いない。
初日で音を上げて逃げる者もいるが。
できれば死人など部隊から出したくはないのだ。そしてその者の死を無駄にすることはない。
他の部隊よりもファノンの部隊は比較的家族のような雰囲気がある、とエクセレスは思っている。時には姫と奴隷というような状態にもなるが、基本的に隊員達の結束力は強い。
できればこれ以上、顔ぶれが変わるのは避けたい。
仲間の芳しくない状況にエクセレスがどんな表情をしていたのかはわからない。
だが――ボソッとそんな淋しげな声が傍で鳴った。
「もう、名前を覚えるのも面倒くさくなっちゃうわね」
「――!!」
つくづく同意だとエクセレスは軽く顎を引く。不謹慎だが、そんな胸中を吐露する愛らしい隊長にエクセレスの口端が少し持ち上がる。
「……ですね。もう少し鍛え上げた方が良さそうですね。根性も含めて」
最後にもう一度、仲間の容体を見、何か少しでも手がかりとなる情報を探ろうと試みた。
――!
エクセレスは痛々しい部下の胸部を凝視する。同時に首元の痣が微かに蠢いたようだった。
「魔力の痕跡……残滓じゃない!? これは……」
思案する時間はあまりにも短く、事態はエクセレスの懸念を置き去りに進行していく。
【溶流の右腕】を放った女性隊員がすかさずファノンとエクセレスの前に躍り出、そのまま新たな敵に向かって走り出すと、真っ向から打って出た。
隊長であるファノンの手を煩わせない配慮。主な狙いが情報収集のために必要な瀬踏みだと思われた。
「待ちなさい!!」




