姫の護衛騎士
アルス、ロキ、イリイスが階下へと向かって行った一方。
地下二階層を任されたファノンは一面を埋め尽くすかの如き、ボドスの群れにすぐさま臨戦態勢を取った。厳密に言えば、周囲を囲まれた状態であり、ファノン部隊はジリジリと互いの距離を詰めさせられている。
「さて、どうしましょうかね、ファノン様。ここまでの数を一度に戦った経験はないのですが」
男性隊員の弱腰の物言い。
そもそもあまりの物量によって、強制的に狭められた空間。隊員達は日頃そうするように周囲を警戒しつつ、ファノンを囲む、円形の陣形を取っていた。今や仲間同士、手を伸ばせば触れられる程だろうか。
AWRを扱うにもギリギリの範囲で、これ以上後退を余儀なくされれば必然と手段も限られてしまう。
全員がいつどのタイミングで口火が切られるのか、冷たい汗をじわりと背中に滲ませて身構える。
ボドスが一斉に襲いかかってくれば、それは乱戦を意味する。一度の魔法で複数を倒せても、それでは時間稼ぎにすらならないだろう。ボドスというより、魔物は仲間――同胞――という概念が希薄だ。仲間の死体など目もくれずに突っ込んでくるはず。
そうなれば結果は火を見るより明らかだった。僅かに耐えた戦線は数秒で崩壊する。
レートの高低など物量の前ではさしたる問題ではない。ましてや突破口を見いだすどころか、ボドスの数は増え続けている。百は優に越えているだろうか。
隊長であるファノンの指示を待つにしては、あまりにも居心地が悪かった。
そんな隊員の心境を嘲笑うかのようにファノンは。
「どうでもいいけど、私に汚い血を飛ばさないようにね。雑魚はあなた達が狩って……強いのは私が狩る、それだけ。死にそうになったら手助けぐらいはしてあげるわよ」
隊員を歯牙にもかけない声音に全員が思い違いしていたことに気づく。
この部隊では守るべき存在がいて、隊員はただひたすらに身を粉にして尽くすだけなのだ。ファノンは隊員達だけで切り抜けられると判断し、自分が手を下す程ではないという意味。
遠回しの言葉を誰もが、そう解釈し、胸に熱いものを感じた。
ふと、誰かの鼻をすする音が聞こえてくる。
感化されたわけではないだろうが、ファノンは傘をくるくると弄びながら追い打ちを掛けるように付け加えた。
「言っておくけど、死体なんか運んであげないんだからね」
そのぞんざいな物言いは隊員達の士気を著しく向上させる。魔法師というよりもどちらかといえば、大人としての、年長者としての意地みたいなものだ。順位や地位に関わらず、この部隊の隊員達の間では共通する暗黙のルールがある。この部隊には自らの生命を擲ってでも守るべきお姫様がいる。
ある種、盲目的な愛情。
崇高な思想を彼らはそうやって代替することで、身近に戦うことの意義を見出しているのかもしれない。
だからこそ、死んでまで迷惑を掛ける愚行を犯してはいけない。
後退する足を今度は前に踏み出して、粗暴そうに袖を捲る者がいた。魔法師としては品のない態度で、まさに怒れる親父的な意気込みであった。
ファノンは毅然とした態度で、傘の先端を地面に向かって打ち鳴らすかのように突き立てる。
「私のために働きなさい。こんなところで時間を浪費してる暇はないんだから、ちゃっちゃか片付ける!」
「了解!」などそれぞれに了承の返答を残して一斉にボドスを蹴散らしにかかる。
幾度となく死線を越えてきた猛者だけあり、戦い慣れた初動。
大規模な魔法は極力控え、基本的には間合いに踏み込ませず、一度に複数の撃破を試みていた。守る対象が背後にいる以上、彼らに後退はありえない。
前に踏み出し、圧倒していくほかないのだ。
少しずつではあるが、確実に輪を広げていく。ファノンの部隊では複数を相手にする場合の戦法として前線で至近距離で敵を仕留めていく者を、その後ろで一瞬の隙を埋めるため魔法でフォローする者とに分かれる。
手数で不利なのは目に見えているため、絶妙なタイミングでカバーしていく。息を合わせた連携ではあるが、中距離で魔法の援護を行う者の集中力は尋常ならざるものだった。
背中を預けて、前だけを見て突き進むこの連携は妙技といえる域で成立している。そのために、魔法の選択も含めて張り詰める神経の中、目を凝らす。
前線で剣を振る仲間の両サイドを風の斬撃がボドスの首を落としていく。
三体……確認できるだけでも一度に仕留められる数は部隊員の予想よりも少なかった。
それどころか、前線で戦っている仲間に目を向けても、次第に一撃で倒すのが難しくなっていた。一気に押し込み、一掃する算段は冷や汗とともに修正されることになる。
たった一分程、戦ってみて理解し始めた。初めは密集したボドスを倒すのは難しくなかった。だが。先程からファノンの隊員達は前進できずにいる。僅かとはいえ、ボドスの数を減らしたために動くスペースができたのだ。
つまり、ここのボドスは一体一体の戦闘能力が非常に高いことを意味していた。
この異変に気づき始めた援護要員の仲間らが僅かに首を振って、状況を確認している。
一刀で両断し、戦闘不能にまで追いやっていたのが、今は二合、三合と斬り結ぶ姿が至るところで繰り広げられていた。
一人崩されれば、ファノンに迷惑が掛かるだろう。状況の分析、現状を芳しくないと受け入れることに隊員達に抵抗はなかった。優先すべき順序を彼らは心得ているのだ。
想いを同じくした仲間達が視線のみで合図を出す。
援護していた一人が「やり方を変える!」と声を張った直後、前線で斬り結んでいた隊員が一斉に後退する。
隊員達の動きを見て、ファノンの隣でエクセレスは彼らの判断が適切であると感じていた。ボドスといえど、各個体が武器を所持している時点で常識は通用しない。人間から奪った武器を使うのではなく、本能的に必要であると判断したから体組織から分かれ武器を生成したはずだ。
鉱床での生存競争がそうさせたのは明らかだ。だが、武器という概念がそもそも魔物に備わるものなのか。
アルスの説明が正しければ、武器という概念――それも魔法師が使うような、人間が使う剣や槍といった殺傷性が高く、そして良く目にする形状を、魔物がゼロから創造したというのか。
これが外界、鉱床外ならばこのしこりのような疑念を持つことはなかったはずだ。魔物は魔法師を食らい、その魔力情報を読み解き反映させるのだから。
だが、彼が言ったように閉ざされた鉱床はいわば隔絶されたもう一つの世界だ。人間の痕跡が入り込む余地はない。
エクセレスの隣で無言を貫いているファノンも同様に気づき始めているのだろう。
やはりこの鉱床内部に生息する魔物は、不気味だ。
だが、今そんな雑念にも近い疑念に囚われては本来の目的さえも見失ってしまう。
エクセレスが振り払うように隊員達に目を向ける。
ボドスの数には警戒するし、通常種とは異なる様相からも細心の注意を払う必要がある。だが、それでも練度の差や越えてきた修羅場の数を思えば、物の数ではないだろう。
いかなる劣勢をも覆せる強者のみが、この部隊に残っているのだから。
応用力はどこの部隊にも引けを取らない。寧ろ、隊長であるファノンがこの性格なので、隊員のみでも十分な働きができる。
まるで心配などしていないようにエクセレスはいくつかの支柱へと目を向ける。ボドスを大量に生み出したかに見えた支柱からはついに途絶えたのか、ボドスの姿がそこから新たに出現することはなかった。
隊員二人が、ファノンとエクセレスの左右に陣取り、膨大な魔力をAWRに注ぎ込んでいた。
「【翼風の洗礼】」
「【溶流の右腕】」