地下ニ階層捜索
◇ ◇ ◇
地下二階層へと降り立ったアルス達は息を整えつつ、状況確認のため一旦足を止めていた。
極度の緊張から解き放たれた呼吸音が、静かに鉱床内に響いている。
「あの木偶ッ」
爪を噛むような仕草で、そう悪態をつくのはファノンであった。現在地下二階層へと降り立ったのはアルスとロキ、イリイスに加えてファノン隊である。
セルケトのいる中心部を避け、左右の通路を駆け抜けて生き残った者のみがここにいるのだが、アルス側で一人が死に、ファノンの方でも一人……つまり彼女の部隊から戦いもせずに二名が殉職したことになる。
眉間に寄った深い皺は、隊員が生命を落とした理由によるものだろうか。精鋭と呼ばれる魔法師で構成されているのだから、運が悪かったではあまりにも酷い死に方だ。そして国、人類にとって大きな損失でもある。
しかし、実際ファノンが考えていることは別であった。魔法師が外界で生命を落とすことに理由などないし、誰かのせいになどできない。
それが人為的であるならば話は別だ。敵前逃亡など軍規に背けば重罰が課せられることも多く、厳正な判断よりも倫理的な判断が優先される。だからこそ現場判断というものが、隊を任せられた者に与えられている裁量権でもある。
ファノンは隊員の負傷具合や欠けた人数の報告を聞くまでもなく、遣る方無い感情を地面へぶつけた。
傘からは大量の魔力残滓が噴き出しており、それを埃でも振り払うように二度程振って、尖端部――石突――を地面へと突き刺したのだ。
ファノンはエクセレスからの報告を無視するように顔を振って、会話中の二人へと歩み寄った。
左右で結った髪を勢いよく振り、彼女はその細腕で会話中の一人――アルスの襟に掴みかかる。
「あんたら知ってたわね! 知っててあえて情報を伏せた!」
掴みかかられたアルスだが、その手を面倒くさそうに払いのける。
アルスとイリイスの間で交わされた確認事項は一部を伏せても、隠し通せるものではなかった。
だから、あくまでも予想はしつつも確信を得た段階で説明しようと思っていたことでもある。周囲の斥候が帰るのを待つまでもなくアルスは口を開くことにした。
「八つ当たりするな。言ったはずだ魔物は各人での討伐になると。判断は現場に任せている。不確定な情報に踊らされるよりは現場での判断を優先させただけだ。もちろん確信が持てた以上、話すつもりだった」
「知っていたとて、どうなるわけでもない。こちらの判断だが、いちいち可能性の話をしていたのでは時間の無駄だ。小娘もそれぐらいは承知の上だろう」
イリイスも加勢する形で一旦、ファノンを諌める。
部隊の隊長を任された経験がアルスにはほとんどなく、レティのように隊員に肩入れしてしまう感情がわからない。理解はできるが、それでは日々入れ替わりの激しい魔法師の世界を渡り歩くことは難しい。
きっと茨の道なのだろう。心を傷つけながら、前へ進み続けなければならないのだから。
そうは言ってもアルスは、ファノンのことをレティのような人の良い魔法師ではないと思っている。
彼女はアルスに次ぐ若年のシングル魔法師だ。数年という長きに渡ってシングル魔法師の座に就いていることを考えれば、そのあたりのことを心得ていないはずがない。
ムスッと不機嫌さを顕にしたファノンの背後から、そんな彼女の態度を申し訳なく思ったエクセレスがファノンに代わって無言の謝罪として軽く頭を下げてきた。
要は自分の障壁があっさりと尾に破られ、隊員を一人失ってしまったと悲痛な訴えがエクセレスの顔に浮かんでいる。やや押し付けがましい訴えだったが、一先ずそういうことでアルスも納得することにした。
エクセレスはクレビディート代表魔法師としての彼女の体裁を守った。ただ、長年ともに任務をこなしてきた仲だ、だからこそ彼女にはファノンが次にこう言うだろうと予想してもいたわけだが。
「知っていたら、歩いて行けたのに! 私の壁が壊されるために張ったみたい。無駄なことをしたわ。木偶がどうなろうと、別に良いんだけど、とばっちりは腹立たしいの!」
エクセレスのみが本音のところを理解している。が、そうではない者は――。
たどたどしい物言いに、アルスはファノンという魔法師がなんとなくだが、わからなくなっていた。彼女という魔法師はてっきりこちら側にカテゴライズするだろうと勝手に思っていたのだ。レティとは別物で、彼女は自己の欲求に対して無垢なのだろうと。
やりたいことをやる。自分がそうしたいからする。大人の事情など一切汲まない、最強の我儘なのだろうと。
アルスのいう“こちら側”とは魔法師としても、人としても壊れてしまっている側のことだ。
だからといって親近感が湧くはずもない。似た部分を見ても彼としては癖の強い奴であることに変わりなかった。
それから程なくして、斥候からの情報を元にアルスらは行動を開始する。
鍾乳洞のような深みのある鉱床内部は更にミスリルの輝きを増したようだった。時が経つ程に不思議な感覚に陥るようだ。
ここが果たして地下どれ位深くにあるのか、ざっと脳内で計算しないと広大な空間に呑み込まれてしまいそうだった。
地下二階層は上階に比べ更に天井が高く、道幅も広い。複雑な構造ではなく、天井を支えるような太い支柱が無数に立っていた。
まるで腐食したために、風通しが良くなったかのような虫食い状態に近い。
道という明確な通路は存在しない。適当に掘削していった跡のようだった。はたまた浸食作用によって通り道が作られているかのよう。
幾本も並び経つ支柱は太く、外界に自生する巨木の幹程もあった。そのせいかずっと同じ景色が続いており、遠近感も狂ってきそうであった。
天然の柱そのものの内部に多くミスリルが含まれているおかげで、支柱自体が淡い光を発し、周囲を照らし出している。
アルス達は階下へと繋がる通路をまずは発見しなくてはならない。
「エクセレスさん、確かここの階にレアメア姉妹がいそうだということでしたよね」
「はい、少しお時間をいただければ探知してみますが」
「お願いします。ついでに階下へと繋がる通路も……」
「私の探知は主に魔力感知に近いものなので、構造自体は把握できないんです」
「……わかりました」
構造の把握はアルスの探知が役に立つはずなのだが、今の彼には体内魔力の乱れのせいか、ミスリルがそうさせるのか、いずれにせよ機能しない。
「時間を無駄にするぐらいなら穴を開けるか。さて……」
そう話を一旦切ったアルスは、エクセレスからの探知が終わるまでの間、改めて本題を語りだした。イリイスからの無言の圧を受け止めて余計なことを口走らないように気をつけながら。
「お前も気づいただろうが、カリアが言っていたように通常種とは異なる。推測を話しても意味ないが、絶好の獲物であるオルドワイズが食われていないことがその証だ」
この件についてはファノンもすぐに気づいていた。魔物の行動原理はシンプルだ。種――個体としての進化であり、そのために必要な行動を優先する。
もちろん、魔物がすぐに人間を捕食するとは限らない。個体差やレートによるが取り入れた魔力を置換する時間があるためだ。
だが、一日や二日という期間を置くわけもなく、せいぜいが数時間。これは安全な場所に獲物を持ち帰る時間であったり様々だ。置換の都合で誤差はあるが、意図的に保存しておくこと……つまり知性ある行為に等しい。
しかし、一つ言えることは、保存食のように飾り付けることはありえない。魔物の習性からも逸脱した知性ある行動といえる。どちらかというと動物的習性と言ったほうが良いのかもしれない。
アルスに説明を任せて一先ず、イリイスは聞くことに徹している。
ファノンは眉間に皺を寄せて、考えるように手元で傘をくるくると回していた。
「私達の知っている魔物の行動、その原理原則から掛け離れているのは見ればわかるわよ。わ、私には関係ないのだけど、部下が対応できるし……」
唐突な言い訳にアルスは小首を傾げるが、無駄に長引かせる予感から無視することにした。
「原理原則という程、こっちは魔物について何も知らないんだが、まあいい。おそらく魔法師、人間を食うという捕食行為を必要としていないんだろう」
ファノンの部隊はアルスに対して疑心的な目を向けていたが、話が進むにつれて驚愕を貼り付けていく。既存の知識、彼らの経験に基づく知識が、役に立たないかもしれないと思い至るまでに時間は掛からなかった。
それはある意味で、未知との遭遇に等しい。
へーっと適当な相槌を返しながらも彼女の視線は、思案するかのように中空に据えられていた。
そして代表するかのようにファノンは
「確かに不可解ね。で、問題はその先よね。それによって何が変わるのか? よね」
手を返して腹を見せるように、指を一本突き出す。
これに対しての回答は今のところ誰も持ちえない。勉学によって知識を豊富に獲得したアルスと、経験によって膨大な知識量を誇るイリイスが辛うじて、この問題に触れることができた。
イリイスも、ふむ、と唸って見せてから「そういうことだろうな。小娘の言いたいことは理解できる。ただし確定的ではない情報にやはり意味などなかろうよ」と話を締めに掛かった。
「あなたも小娘小娘って、貧相な身なりで良く言うわね」
「あん? どちらが貧相か鏡の前でじっくり見直してから言うのだな。正直、男か区別がつかんぞ」
「――!! クゥゥ~……」
僅かに垣間見せた舌戦は、年長者であるイリイスに軍配が上がったようだ。ファノンは喉から小動物的な鳴き声を発して真っ赤に染まった頬を膨らませた。
シングル魔法師特有なのか、どうしても売り言葉と買い言葉はセット販売されるらしい。でもって即完売までが一連の流れとして定着しつつある。
幸いなことにどんぐりの背比べにロキが参戦することはなかった。
なんとはなしに、アルスは今後シングル魔法師が共闘する機会は減るだろうと予知してしまった。
これではあまりにも時間を浪費してしまう。
頬を引き攣らせるアルスだが、彼としてはファノンの問いは食指を動かすには十分過ぎた。変な頭痛に悩まされずに済んだというべきなのかもしれない。
エクセレスが仲裁に入らない辺り、こうしたやり取りは何も無駄ではないのだろう。時間は無駄にしても部下を失くしたばかりの彼女にとっては意識を切り替えるのに必要な“無駄”だったのかもしれない。
そういう意味ではイリイスは年長者としてナイスなフォローを入れたのだろう。
「まぁいい。今の続きだが、その結果、この鉱床内部でのみ食物連鎖が発生したと考えるべきだろう。人間ではなく、魔物同士の共食い。つまり、魔物としての進化の果てに到達したと考えるべきだな」
それで、とファノンは怒りを押し込めて話の先を促す。
特段に気にしていないのだろうが、彼女のこめかみが痙攣しているようにピクピク反応しているのは見なかったことにする。
「今まで誰も知らない形態だからな、レート通りの脅威とは考えない方がいいだろう、な。知っててもやることは変わらない。事前に言った通り、外界の種とは別と考えてことに当たる他ないんだ。それでも推測の話をするならば……」
アルスは一旦言葉を切って、暗に伝えてくるイリイスからの警告に、
――わかってる。少し洩らし過ぎたかもしれんが、さすがにこれ以上は。
と返答する。
「推測の話をすれば、俺らでも真正面からの魔法戦じゃ勝ち目がなさそうだってところだろうな」
「そんなの――」
割り込んでくるファノンの言葉をアルスは静止。
「そう言うだろうから現場判断なんだ」
反論を受け付けない姿勢で一蹴した。
その後、エクセレスの痣が完全に引き、探知の報告がなされた。まずは、事前に言われた通り、彼女の探知では階下へ繋がる通路は発見できないということ。
それでもエクセレスは申し訳なさそうに、階下への通路内に魔物の反応があれば、可能性としてそこが地下三階層へと繋がっているかもしれないが、とのことだ。
さすがにそんな時間的猶予もない。
次に、レアメア姉妹の探知だが、エクセレスは曖昧な探知結果を報告した。
「彼女達なのですが、痕跡は追えているのです。ただ、とある場所から反応が消えており……」
エクセレスの報告では、アルス達がいる現在地から3kmも離れているという。外界でその距離ならば近いのだが、鉱床内部で3kmはかなり遠い。
真っ先にイリイスが核心に迫った言葉を割り込ませる。
「生存確認は取れないと?」
「はい……いえ、おそらくですが、生存はしているはずです。魔力の痕跡自体はそう古いものではありませんので」
「なるほど劣化か」
アルスがポツリとエクセレスの探知に関わる根幹に触れる。彼女が生存確認の根拠としている魔力、その劣化具合から予想したのだろう。つまり、戦闘の痕跡にせよ、彼女達が移動を開始した後、消息を断ったわけだ。
地下二階層にはエクセレスの探知によれば、上階同等レベルの魔物――Sレート級の魔物が二体はいることになる。
そこでエクセレスは前言を撤回するような内容を口にした。
「外からの探知ではこの地下ニ階層はBレート級の魔物が多くおり、それによって魔力の混在が起こっていると報告したのですが……その大部分は強い魔物の物とみて間違いなさそうです。下位の魔物がまったくいないわけではないのですが」
「要は混在と誤認したのは、複雑怪奇な魔力を持つ二つの個体が主な原因というわけですね」
どう伝えたものか考えていたエクセレスに、アルスが噛み砕いて訳した。
一先ず、それを聞いてもしっくりこないのか、浮かない表情のエクセレスだったが、大凡当たっていると判断したのか小さく首肯した。
「となると俺らは穴を開けた方が手っ取り早く下に降りられそうだな。上の暴れ具合からしてたぶん大丈夫だろ」
階下へと向かうロキ、イリイスの二人から異論はでなかった。
正直、鉱床全体を揺るがすような極大魔法でもなければ、岩盤同然の地面を貫くことは難しい。無論、崩落を気にして魔法の威力を抑える必要があったが、上階で戦っているガルギニスの暴れ具合から多少のことでは心配ないだろう。
最も時間に余裕があれば、そんな無茶もしないのだが。
「この階はお前らに任せる。レアメア姉妹とフェリネラが発見できなかった場合、三階層での捜索に向かってくれ。一応、三階層はイリイスが担当することになるが、お前達はいずれにしても一度合流してもらわにゃ連絡が取れないからな。と、もか、く――!」