決意と覚悟
アルスがテスフィアを視界に収めた時、真っ先に目に付いたのはその手に持っている紙の束だった。
最悪の事態はすぐに予想できた。
「アリス、制服に着替えて行ったみたいで」
だから、どこかに行ったと思ったのだろう。
校内なのだから休みとはいえ制服に着替えることに不自然はない。
が、制服を着るメリットとしては一つ。
対魔法繊維で作られた制服には、ある程度魔法によるダメージを緩和してくれる。
それはアルスが危惧する結論を裏付けるようなものだ。
「それにアリスの机の上にこれがあったんだけど」
突き付けられた紙はフェリネラからの報告書だ。
アルスの名前も入っている。だからアリスの部屋にあること自体おかしなことだと思ったのだろう。
天を仰ぎたい気分でアルスは机の上からライセンスを取った。
「グドマってアリスの……」
「――――! 知っていたのか」
「うん……それよりもどういうこと」
テスフィアが憤慨するのも仕方のないことだ。今更過去を掘り起こすような人物であることは間違いない。
「アルス様どうしますか」
通信回線を開き、コールが鳴ったライセンスをロキに手渡す。
「一先ず、フェリネラに連絡をして作戦の前倒しを要請しろ」
アルスは浅黒いローブを羽織り、AWRを腰に装着した。
それを呆然と眺めていたテスフィアが声を荒げる。
「どういうこと! アリスは……アリスはどこに行ったの」
「ちっ……」
時間が惜しいのは事実だ。
アリスが出て行ってから3時間は経ってるはず、説明に時間を掛けるのはもったいない……がそうもいかないだろう。
アルスとしては迂闊だった。自分の失態であるのは明白だ。
常に独断で動くことしかなかったために、気が回らなかったというのが本音だ。
資料がないことには気が付いていたが、ロキが処分しといてくれたのだと思い込んでいた。なんともチンケで間抜けなミスだ。
「それは俺に回ってきた任務だ。そのターゲットがアリスと関わりのある奴だというだけ……おそらく一人で行ったな」
「……!! なんで今になって……」
哀愁を帯びた声音が掴んでいた紙をクシャッと歪めた。
「俺のミスだ。アリスは必ず連れ帰る」
わざわざ声に出して告げたのは予防策のつもりだった。役に立つとは思っていなかったが。
「私も行くっ!!」
力強く踏み出した一歩はアルスのローブを掴むためのものだ。容易く予防策を踏み倒す。
しかし、そのか弱い手には全力だろう力が込められていた。
テスフィアをこの場で気絶させるのは容易だ。無論後々何を言われるかわからないが。
ロキは通信のため部屋を出ている。この場で聞いていたら真っ先に却下しただろう。
「足手まといだ」
「それでも行く!」
アルスの手が拳を形作った。
それを間近で見ていたテスフィアは離れるでもなく、ただ顔を強張らせるのと同時に口の端を上げた。
「やってみなさいよ。抵抗はしない……無駄だろうからね。でも、気絶なんかしないわよ、絶対に……地を這ってでも行く」
テスフィアの手から報告書がこぼれ、床に散乱する。
すでに場所も把握しているのだろう。
次の瞬間、テスフィアの手がアルスの胸倉を掴んで引き寄せた。その手は小刻みに震えている。
顔が急速に近づき、息のかかる距離まで切迫して。
「親友の危機に助けに行けないほど悔しいものはないわ」
潤んだ紅玉のような瞳がアルスの瞳を見返した。
それをアルスは冷ややかに見降ろすだけだ。
「力がない自分を恨め」
一言にテスフィアの目がさらに見開く。ドッと押し寄せた雫が流れることを躊躇うように溜まっていく。
未だテスフィアの手はアルスの胸倉を掴んだままだ。
それが最後の命綱ようなものだったのだろう。これを離すことは諦めたのと同じことだと思ったのかもしれない。
ちょうど後ろからロキが連絡を終えて入室する。
ただならぬ雰囲気と嗚咽を堪えるテスフィアに口を噤んで、アルスに向かって頷いた。
「時間がない、離せ」
アルスは力強くテスフィアの手を振りほどいた。
よろめいたテスフィアは俯いたまま立ち竦む。
「ロキ、すぐに準備しろ」
「……はい」
アルスの顔は焦りの色を帯びていた。こんな表情を見たことがないロキは返事が遅れる。
「何が1位よ……何が最強よ」
ボソッと紡がれた言葉はアルスとロキの足を止めた。
最初に動き出したのはロキだった。無論準備のためではない。
踏み出した一歩は怒りを表しているだろう力任せのものだった。
アルスは俯いたままのテスフィアを呆然と見据えていた。
動いたのはテスフィアに近づいたロキが平手を作った腕を振り上げたからだ。
テスフィアは視界に入っているはずのロキの手に反応を示さない。毅然と見返している。
「――――!!」
驚きに振り返ったのはロキだった。それは振り上げた腕をアルスに掴まれたからだ。
首を振ってロキの手を離し、続きを待った。
「なんのための力、最強っていうなら足手纏いだろうと全部守ってみせなさいよ!」
溜まった雫が一つ、床を打って波紋を広げたようにアルスは感じた。
1位に固執はしていないが、最強というそれは厳然とした事実だ。
アルスは思いを馳せていた。
外界で任務に就くとき、いつから一人だったのかと。
誰かを守れないことは分かっていた。魔物と戦えば必ずチームの誰かが命を落とす。
だったら最初から自分一人で出れば誰も死なずに済む…………そう思うようになったのはいつだったか。
力を持つ者には責任もついて回る。その責任を自分一人、任務に就くことで果たしていた。いや、放棄したのだ。
自分が全ての人間を守れるとは思っていない。それは傲慢で不遜だろう。
それどころか目に見える仲間すら守れないと思っているちっぽけな人間なのだ。
みんなが言う人類の貴重な戦力という言葉は魔物を倒した後の結果だ。
今、テスフィアが言っているのは守るために戦うということ。
目的が違い、されども結果は同じ……しかしそこには絶対的な差異があるのではないのかとアルスは気付かされた。
ロキが更なる怒りに震えるのも仕方がないことだ。
言葉だけを聞けば軍がアルスに課してきたことと変わりはないのだから。
アルスは面白いと口の端を上げた。
(いいだろう、お前らぐらいなら守ってやる。ほかの奴なんて知ったこっちゃない)
そんな悪巧みのような悪態を内心で告げ、口を開こうとした直後。
「誰も守れないような力なんてこっちから願い下げ…………きゃっ!!」
「言い過ぎだ」
許可を出そうとした直後、間の悪い追い打ちをアルスは鉄拳を持って止めた。
頭を押さえたテスフィアが涙目で睨み、文句が口から飛び出す前に。
「はあ~、わかった……連れてってやる」
「――――! アルス様」
「こいつ一人ぐらいなら何とかなる。それにアリスが正気じゃなかったらやっぱりこいつがいたほうが助かるだろ」
それでもリスクに勝るものではないと思うが、と内心で付け加えた。
「ありがとう」
指の腹で涙を拭ったテスフィア。
無論それで済ませるつもりはアルスにない。
足手纏い、力不足がその場にいるということが周囲にどれほど影響を与えるか。
「もういい、お前に気を割く分他の魔法師が死ぬかも知れんがな」
「…………!!」
「戦場に不相応の力で臨むんだ。それぐらいの覚悟はあるんだろうな」
恐れや怯えが見える。
それを自覚させるための言だ。一部ハッタリでもあるが。
アルス自身目の届く仲間を見捨てるという選択はない。無論仲間の境界は敷いているわけで、任務をともにすれば仲間、同じ学徒程度では仲間とは言わない、といった具合に。
一時的なものであるが、アルスはそうして守るべき者の区別をしている。
「それでも……それでも私はアリスの元に行く」
貴族としてではない。友達、親友として駆けつけるのだとテスフィアは言い切った。
任務がどうとかの話ではない。
ただただ真っ直ぐな視線がアルスへと向けられた。
「実力が伴ってれば何も言わないんだがな」
「…………」
「さっさと準備しろ」
「ちょっと待ってて!」
「誰が待つか、遅い」
「えっ!」
アルスはテスフィアを抱えて窓から飛び降りた。その後をしっかりとロキも続く。
過ぎ去る風景を眺め、あっという間に女子寮の屋上に着地する。
女子寮の屋上はテラスになっており、屋根でないためドアから建物内に入れる作りだ。
「よかったのですかアルス様」
準備に向かったテスフィアを待つ間。
「任務のことを考えれば絶対に連れて行かんな」
「ならどうしてです?」
「魔物を倒して、人間を殺して、が飽きたのかもな」
「…………」
アルスの顔は見慣れた儚げなものではなく、無感情で希薄な表情の中に人の感情が確かに内包されていた。
「よかったです」
風でかき消されたロキの呟きはアルスには届かない。
「何か言ったか」
「いいえ…………なんにも」
過酷な任務になるかもしれないのにロキは含むような微笑を浮かべた。
その後すぐに制服姿のテスフィアが戻った。腰にはしっかりと鞘に収められた刀型のAWRがぶら下がっている。
「行くか」
サークルポートを経由して中層までを飛ぶとそこから富裕層に向かって駆ける。
もちろんテスフィアを抱えているのはアルスだ。恥じらいながらも反対の声は上がらなかった。
ロキの話では前倒し要請をしただけで結果までは帰ってきていない。
するとアルスの胸ポケットでライセンスが着信のコールを鳴らす。
「取ってくれ」
「ちょっ! このスピードでどうやって」
「無理なら落とすだけだ」
「わかったわよ」
大きく跳躍した浮遊感によって振動が軽減された。その隙にテスフィアはアルスのライセンスをスピーカー機能に変えて落とさないように抱える。
「どうだった!?」
『いきなりだなアルス、それと無愛想だ』
「――――! ヴィザイスト司令でしたか」
野太い声は通話越しでもはっきりと聞き取れる滑舌の良い声だった。
『お前がしくじるなんて初めてじゃないか?』
「申し訳ない」
『こっちも多少の遅れはあるが事前に準備していただけあって、浮足立つことはない』
「ありがとうございます。それで夜戦になりそうなのですが」
アルスの心配はそれにある。
光系統を使う相手は日中に利があるとはいえ、魔法戦ならば物量でどうとでも覆る。
しかし、夜戦ともなれば身体技能が高い実験体相手に並みの魔法師では太刀打ちできないだろう。
『心配するな、その分数を揃えたんだ。戦いにすらならんだろう。不測の事態だろうとこれは殲滅戦だ』
「わかりました」
杞憂である確認が取れただけでも収穫だろう。
『夜戦が何も敵にだけ利があるわけではないだろう』
「と言いますと?」
『お前は夜戦のほうが得意だ』
「少しはですよ」
『ハッ! よく言う』
ヴィザイストがこの調子ならば経験上問題はないと考えてもよい。
『包囲網は30%ってところだ、30分ほどあれば完了する』
「――――!! さすがですね」
連絡を入れて30分ほどだというのにすでに配置している手際の良さに驚愕の声を上げた。
『動きがあったから準備していただけだ』
たまたまだとさらっと言うが、それでもかなり徹底していることに違いはなかった。
「それでは任務達成後に……」
『あぁ達成後に』
これは彼の部隊にいた時の決まり事のようなものだ。
「健闘を祈る」の代わりのような意味として使われる。本人は完遂を決定事項として達成後に変わりない光景であることを願って使っているらしい。
テスフィアが通話を終えたとみて回線を閉じようと指を動かしたとき、
『っとと、そうだアルス、娘を頼んだぞ』
この時のヴィザイストの声音は司令ではなく父の物だった。
「お借りします」
『扱いてやってくれ』
実際フェリネラにはすでに別用を頼んでいる。
それを最後に向こうから通信が途絶えた。
「一先ずと言ったところか」
これで任務がおしゃかになればその責任はアルスが取ることになるだろう。
主に軍への復帰という形で取られることは想像に難くない。