犠牲の上の戦場は
何事もなく、そう疑うこともなく、二つの大剣は大きく振り被られ――そして振り下ろされた。
頭の天辺を過ぎ、加速度的に尾へと落ちるだけ。
だというのに、二人はその時確実に時間を止めていた。一度振り下ろそうと傾けた大剣は意志に反して、切っ先をピタリと止めている。一度力を加えた物を停止させるには、それなりの腕力が必要となる。
だが、二人の腕は死後硬直のように硬くなり、異常なまでに強張った。
直感的に悟る。なんてことはない。幾度と経験してきた強者を前によくある絶望だ。
しかし、越えてきた死線のどれとも違うのは、自分の身体がまるで言うことを聞かないことにあった。
そして二人の視線は吸い寄せられるように尾から逸れた。
丁度二人の間に割り込むようにして、巨大で、異形で、禍々しい顔がこちらを覗き込んでいた。
何か唸り声のような異音が顔のどこかから発せられている。つまりはそれが生きているという証。
捕食する側とされる側。
そんな当たり前のことをまざまざと見せつけられているかのようだった。一瞬とはいえ、身体は明らかな死を目の前に、硬直を選んだ。
本来ならば反射的に動けたはずだが、今は脳からの指示を待っているかのような遅滞を生んだ。
セルケトが二人の内、どちらを見ているのか、それはわからない。
だが――。
我に返ったどちらかが、尾を切断すればいいだけのこと。
行うべきは、回避でなく“切断”なのだ。
途中で止まった大剣に再度活を入れ、全身の力を込めて振り下ろす。
だが、その意志が脳から身体へと伝達されると同時……セルケトの口が皮膚を裂くようにしてパカリと開く。到底口とはいえない、まるで即席で再構築したようなおどろおどろしいモノだった。
ただの空気孔といえば良いのか。硬質な外皮を引き千切って生まれた口らしきものは、不揃いな口腔内を敵意を晒した隊員へと向けられた。
逸早く我に返り、尾の切断に取り掛かった隊員は、大剣の切っ先が触れる直前に口に挟み込まれる。引っ張られるように宙に昇っていき、万力で挟まれているような奇妙な音が響き渡った。
魔物と同格の硬度を目指し、AWRとして魔物の外殻をベースに作られた、その鎧も今や天井付近でひしゃげている。
バイザーの奥から多量の血飛沫が噴出する。
一連の連携において、僅かな時間は大きな価値となったはずだ。だが、その価値も今や大暴落。
残された一人も仲間が死に絶える姿から目を外し、尾へと意識を持っていく。
だが、やはり、殺し合いにおいて無駄にしてよい時間は一秒足りとも存在しないだろう。
魔法で強固に縛り付けたはずの尖腕はその場で超高速の振動を繰り返していた。鎖から伝わる振動は微々たるものだが、次第に構成そのものに干渉し始める。
魔法に綻びが生じた直後、尖腕は強引に鎖を引き千切った。
解き放たれた尖腕の切っ先は鈍い音を立てて隊員の頭を叩く。
ガゴッという不自然な音に骨の折れる生々しい音を、傍で盾を持っていた隊員達は見聞きした。高速で振り抜かれた尖腕は、頭部だけを的確に叩き、いとも容易く首をあらぬ方向に折っていった。
大剣を落とし、膝から崩れ落ちる仲間を前にしても盾による要塞は維持しなければならない。
そしてすぐさま、盾の上を凄まじい衝撃が打った。
盾が一撃でヘコむ。貫通されないだけ良くやっている。
いったい何撃打たれているのか、正確に数えることは不可能だろう。ろくに見通しの利かない向こう側で鉄壁を誇る盾を前に、何が繰り広げられているのか。
止むことのない嵐に耐えているかのようだった。
仲間の死を音のみで判断したガルギニス。彼の次の行動は早かった。
一歩大きく踏み出し、地面に足を突き刺す。
赤い鎧を魔力が伝い、染み込むように魔法式を浮かび上がらせる。
「【無制限の武器庫】」
正しくは魔法とは異なる。ガルギニスが着用している鎧型AWRの、いわば性質に近い。
魔法式が反応を示したのは、やはり特殊な材質に影響されているに他ならなかった。
赤い色素が染み込むように鎧が輝き、尾の表面に幾何学模様のラインが引かれる。
ガルギニスの脇の下で尾の形状が組み替えられようとしていた。
ガルギニスの赤光鎧は近接戦闘を可能にした、対魔物用装具として特化されている。攻性魔法のダメージ軽減はもちろんのこと、物的攻撃に対しても最高水準の性能を併せ持つ。
だが、何より注視すべきはシングル魔法師足る彼が持つ、最高傑作のAWRである。
従来の対魔物用防具とは一線を画する。彼の鎧型AWRはそもそもの有り様が異なるのだ。ハルカプディアが推し進めてきた防具型のAWR――身体装着型AWR――の最大の特徴は魔物の外殻が果たしている役割を、忠実に再現していることにある。
更にはガルギニスが装着しているAWRは、更にもう一歩踏み込んだ。魔物の捕食、形質の変化までも組み込まれていた。
つまり、鎧に触れてさえいれば、同じ物質として形状を再構築することができる。
無論、魔法的要素は無視できないが。
魔法として魔力で生み出すのではなく、鎧の一部として我が物へと再構築する。
組み込まれた性質はガルギニスの魔力に依存されるため、どうしても武器に限定されてしまうが。
ましてや限度というものも存在し、彼が武器へと変化させられるものは限定的でもある。
試みるも、尾はセルケトの魔力によってありえないほど頑丈に情報定義されている。
それを変質させるのは不可能に近かった。
だが、攻撃の一手段としてはセルケト相手には有効だったらしい。
引く力は僅かに弱まった。
その一瞬を見逃さず、すかさず片手を突き出す。隊員の一人が持っていた剣をガルギニスへと投げた。
手の中に収まった剣型AWRは物質を魔力へと変質させ、再構築する。
一瞬で、いびつな大鎌へと変化した。
その頃には耐えきれなくなった盾の防壁に綻びが生じ、前面を覆っていた隊員達がじりじりと後退を余儀なくされていた。防ぐだけでも魔力はもちろん、身体中の骨が悲鳴を上げている。
互いの隙間は大きくなる一方だった。
そして、耐えきれなくなった隊員は盾がAWRとしても機能を失ったことを悟る。それでも誰一人その場から逃げ去る者はいなかった。
そして覚悟する間もなく、盾の防壁をこじ開け、尾の左右で構えていた隊員が貫通した盾と一緒に吹き飛ぶ。
セルケトと一二分振りの対面を果たす。
「ご苦労だった!! ――フンッ!」
そこではガルギニスが歪な形状の鎌を片手でやすやすと持ち上げ、雑草を根本から刈り取るように振り下ろす。