王の番人
◇ ◇ ◇
フェリネラとカリアは培ってきた経験から全神経を注ぎ、持てる魔力をその一瞬に注ぎ込む。
第4魔法学院の部隊を狙った突きを前に、否が応にも彼らの身体に不要な力が籠もる。
微かに振り上げられた突き刺すためだけの両腕に向かって、それぞれ持てる最大の魔法でフェリネラとカリアは迎え撃った。
全力で駆け、二人が魔物の腕の射線上に入り、真正面から跳躍。自ら凶刃に突っ込む。
カリアは二本の短槍を無理やり片手で纏めて握る。
すると水が彼女の短槍から溢れ出し、瞬く間に短槍ごと包み込んだ。その僅かな後、水は冷気を発して氷へと姿を変える。カリアの手首ごと全てを凍結させた。腕と一体化したような形で発現する巨大な氷槍。
槍とは言うが、実質その穂先部分が短槍と腕を覆っていた。
「【貴姫の凍神槍】」
一方、隣でフェリネラも髪を振り乱しながら疾駆する。
レイピア型のAWRを胸の前で突き立て先端を標的目掛け、駆けた。螺旋状に描かれた魔法式が彼女の意志を受け取り、眩く輝き出す。
切っ先で風が渦を巻き、突きと一体化するような奔流は次第に構成段階を重ね、フェリネラの前で確かな大気の流れを作る。
空気さえも、風さえも断ち切らんばかりに濃密な魔力と混じっていくつもの層を前方に描いた。
周囲で渦巻き、吹き荒れていた風は切っ先の一点に凝縮され……唐突に風が凪ぐ。
フェリネラのAWRの特性上、一定範囲の風の動きを支配下に置くことができる。方向は限られており、風をAWRに「集束」そして「解放」といった二つの特性がある。その特性を用いた魔法を【圧縮解放】と彼女は呼んでいる。螺旋状の魔法式が風の圧縮を可能としているのだ。
音さえも呑み込んでしまったかのように凝縮された魔力が一点に集まり、微かな光を灯す。
それを極限まで圧縮した状態でフェリネラは真っ直ぐ切っ先を魔物の腕目掛けて突き出す。
「【厄神の颶風】」
風の擦過。風の層は互いに擦り合わせることで達人の一刀を凌駕する。
物質に存在する微細な隙間に入り込む風の斬撃。フェリネラの刺突――先端はいわば、無数の風の刃が重なる中心点である。
二者の攻撃が放たれた直後、魔物の両腕はあまりの速度にブレたように動く。
衝突までの時間的誤差はほぼなかった。ブレたと認識した頃には両者の攻撃は衝突していた。
フェリネラが圧縮した光点、それが弾けた刹那、数多の風の斬撃が瞬時に魔物の腕を絡め取り、襲う。断裂を強制される風の支配。肌の上をそよ風が撫でるように……そして心地良い風によって細かく切り分ける。
フェリネラとカリアが迎撃に打って出た、その瞬間を目で捉えられた者はいなかったであろう。
本人達でさえ、魔物の攻撃を正確に察知することはできず、尖腕が示す射線上からしか迎撃する術がないのだから。
攻撃をタイミングよく合わせることは不可能に近い。
幸いにも間一髪間に合い、最大威力を持って編まれた両者の魔法は、二つの大きな衝撃を生んだ。
爆発じみた衝撃音はミスリルを輝かせながら、地下階層の隅々まで駆け抜ける。
が、そのすぐ後に鳴った音は実に物々しい不吉な音であった。鈍く、そして生々しい重い音。
本人達ですら疑いもしなかった、攻撃の成果。触れた直後に魔物の腕は粉砕され、その余波は本体にも及ぶ……はずだった。
「フェリ!!」
全てを視界に収めていたイルミナの目の前には高火力で放たれた魔法が砕けた瞬間が焼き付いたように映っていた。ほろほろと灰が舞うように魔力残滓が宙を漂っては消えていく。
まるでボールのように弾かれたフェリネラとカリアは壁面に叩きつけられていた。ドサッと受け身さえも取れない落下音だけが虚しく響く。彼女達は痙攣したように身体を反射的に動かすばかりで、すぐに立ち上がることができずにいた。
7カ国に置かれる魔法学院。7校全てを見渡しても彼女達は確実に五本の指に入る。正確ではないが、少なくともそれほどの戦力なのだ。
「なのに……なんで倒れないのよ……」
イルミナの声は両腕を払いのけられたように少しだけ腕を引いた化物の姿だった。血はおろか、両腕には傷一つ見当たらない。
次元が違う。学生が相手にしてよい類の魔物ではなかったのだ。
だが、何もしなければただ死を待つのみ。しかし、この状況でできることはごくごく限られている。
「フェリ、カリア!! そのまま壁沿いに退避してッ!! なんとしても逃げるわよ!!」
声を荒げてイルミナは魔力の枯渇も恐れず、全力で魔力をAWRに注いだ。注いだというほど明確な意志があったわけではない、それはただ外に向かって撒き散らす魔力をAWRが拾い集めているような、そんな杜撰なものだった。
しかし、それでも【刃鞭】は残滓舞う魔力の中で的確にイルミナの魔力を受け取る。
フェリネラはなんとか上体を起こすが、地面に向いた視界の中に血が流れ落ちていった。頭から水を掛けられているかのように、血が溢れ出てくる。壁面に叩きつけられた際に頭を切ったのだろう。
カリアも無論、ただで済むはずがなかった。
意識が飛んでいたのか、我に返った直後、ゴホゴホッと血の飛沫を地面に飛ばす。ズキンッと痛む脇腹に彼女は恐る恐る手を当てた。少なくとも骨が折れていることだけは確実であったし、それは触れただけですぐに気づける程だった。骨が折れているという確認は、寧ろカリアに安堵を与えた。
そう、この程度で済んだだけ良かったのだ。
二人は魔法を交えて確かに感じ取っていたものがあった。この化物と戦ってはダメだということ。
鉱床内部に発生したイレギュラーな高レートの魔物。そんな認識さえも軽く吹っ飛ぶほどの脅威。この至近距離で初めてわかる魔力の異質さ。
熟練の魔法師が束になったとしても、果たして……。
傷口を押さえながらフェリネラは身体を起こす。鈍痛響く頭で、フェリネラもカリアもよろめきながら足を動かす。そう、まだ動くし、走れる。イルミナの動きに合わせて二人はがむしゃらに飛び退く。
一足先に第4魔法学院の部隊員二人を逃げさせ、イルミナは決死の覚悟で一歩踏み出した。
鞘に手を添えてイルミナは思う、自分のすべきこと……。
――今は一秒でも時間が欲しい。【部分断裂】!
腰の回転を利用し、一瞬にして刃鞭を抜ききる。狙うは脚だ。付け根ならば多少は脆いだろう。絶対に討伐はできない。両校を代表する二人でも傷一つ付けられなかったのだ。
逃げるにしても追い縋って来られたら、先に逃げた第4魔法学院まであっという間に追いつかれる。
自分達が逃げるにしても、相手の脚は一本でも多く切り落とすしかなかった。
銀の煌きが、幾重にも張り巡り魔物との間に刃の幕を作った。相手の視界を塞ぎつつ、その隙に――。
手首をしならせ、腕ごと横に薙ぐ。
――まず一本ッ!!
動き出す刃鞭は瞬時に脚の付け根を切り落としに走る。
……金属質な音が雨のように降り注いだ。
刃鞭は細かく砕かれた。魔物の四本の腕が繰り出す突きに刃鞭の刀身は葉っぱを突き刺すがごとく簡単に貫かれていた。ガラスが砕け落ちるように甲高く響く刃鞭の欠片。
一秒でも、とはいったが一秒も時間を稼げないとはイルミナも予想できていなかった。
が、イルミナの立て直しは早かった。正確には切り替えというべきなのかもしれない。呆けている時間はない。
刹那、コンマ一秒遅れて、立て続けにフェリネラとカリアがなけなしの魔力で追撃を繰り出す。
刃鞭の欠片は全て舞い上げられ、魔物の目があると予想して顔に向けて吹き付ける。そして壁を一枚隔てるようにカリアが、巨大な氷壁を生み出した。
現実的な防壁ではあるが、それは怖いものから逃げるように視線を塞いだだけに過ぎない。
「……逃げるわよ! 早くッ!!」
カリアの声に同意を示す間もなく、三人は後ろを振り返らずに全力で駆けた。先に逃げた第4魔法学院の背中は小さいがはっきりと確認できる。まだ上階へと繋がる横穴には到着していないようだった。
背後では死をカウントダウンするかのように、氷壁が崩れる音が地響きとともに鳴り響く。