風の拠点
魔物による計画的な人間狩りは、以前より問題視されていた。厳密にいえば魔法師への効果的な対応手段を用いるようになってきたのだ。部隊行動を主とする軍を相手に、一定のレートを有する魔物は狡猾に一人ずつ狙うこともしばしばあった。
待ち伏せも確認されている。未だ原始的な方法だが、数十年前では予想すらしなかった成長だ。
人類が未だに一定数生存している現状、何より安全が確保されている現状。これには魔法の急速的な発展が寄与していることは間違いない。
しかしながら、侵略者たる魔物にもつけ入る隙があったことも事実だ。
知性の低さ。人類が唯一対抗し得るための弱点であった。知恵比べと言うべきか……遙か昔にあった人間同士の醜い争いが生んだ罪の経験。
戦略・戦術といえば聞こえはいいが、いずれにせよそれらを活用してきたからこそ、多くの犠牲を出しながらも絶滅の危機を免れている。
だが、近年魔物に肉食獣が獲物を狩るような工夫が見られ始めたのだ。浅知恵、悪知恵と言う者もいれば、少なからず警鐘を鳴らす者もいる。一部例外を除き、人間が唯一魔物に勝っているものこそが知能なのだ。
一瞬、対抗手段として人間最大の武器である知能、それが追い抜かれた気分にフェリネラはさせられた。
統率というほど軍隊化はしていないが、それでも魔法師というものを分析されているような……。
単純な行動パターンが読まれている気がした。戦略の読み合いといった高尚な話ではない。
嫌な汗がフェリネラの背中を伝ったが、その理由を彼女は知識として知っていた。確かに近年そうした低レートの行動は一部で囁かれている。種が異なっていても連携する動きは特定の状況に限りあり得るのだ。
不吉な予想を一度振り払う。今は部隊の隊長として打開策を模索しなければならない。一人ならばどうとでもなる状況だが、全員無事に切り抜けるとなると極端に選択が狭められる。
仲間の荒い息遣いが状況の切迫さを伝えてきた。
包囲された状況下で各個撃破するにも情報不足がいなめない。さすがのフェリネラでさえ知らない魔物もいる。感じる魔力からして手も足も出ないなど、即時退却するような圧迫感はない。この中でも最も警戒すべきは【死体被り】だろう。
無論、いかなる状況も本番に備えて脳内でもシミュレーションしてきたフェリネラだ。そのための人選でもある。
だが、果たして足並みが揃う余裕もない今、その方法が的確かどうか判断しかねた。
「フェリネラさん!! 私が――」
声を張ったのはセニアットであった。
後方支援で主に防御系の魔法を得意とする彼女が今、声を上げてくれたのはフェリネラにとって決断する大きな後押しとなった。
先程まで猛然となりふり構わず逃げていた彼女からは、想像もつかない力強い声。
「お願いするわ」
「合図お願いします!」
セニアットの言葉の意図と汲み、最速で襲いかかってくるであろう【死体被り】とのタイミングを図る。
訓練通りに五人は背中をつける程小さく固まった。
フェリネラの合図は唐突なものであったが、すでに発動待機状態であったセニアットに遅れは見られない。
「今ッ!」と動き出した他の魔物の気配も感じ、絶妙なタイミングで指示を出す。
「視界塞ぎます――」
ダガータイプのAWRを目の前に突き出し、横に倒す。一見するとそれは戦うための武器というよりも観賞用の短剣にも映る。手入れが行き届いているのか、あまり使われていないようにも見える綺麗な刀身。
グリップもどこか装飾品めいた加工が施されていた。
この短剣が観賞用と見紛うには決定的に目を引く箇所がある。
それは刀身の根本、手を保護するためのガードの上に風車のような飾りが付いていた。そのせいか、刀身は根本を抉ったように半円を描いて細くなっている。
セニアットは中心にある飾りをコインを回すように指で弾いた。
「【渦撃の拠点】」
発した声が爆風を生み出し、まるで巨大な竜巻の中にいるように五人を包み込む。巻き上げられる髪をそのままに視線を塞ぐ程分厚い風の向こう側に注意を向けた。
半円状――ドーム状に覆われた風の防壁。セニアットが修得する魔法内で最も高ランクの魔法であった。
相当の魔力を費やしたのか、分厚い雲の切れ間に陽が差し込むように、反応したミスリルの光が漏れる。
上位級に属する【渦撃の拠点】は内部からの視界を塞ぐ代わりに絶大な効力を発揮する魔法だ。
防壁の外では今まさに五体の魔物が猛然と躊躇いなく襲いかかった直後であった。
一瞬にして分厚い風が渦を巻くように五人を覆い、四方から防壁の上を攻撃する。
それは魔力を通しただけの物理攻撃であれば、何かしらの魔法を発動しながら突撃したりなど――。
だが、それらは一つも攻撃として実ることがなかった。ましてや風の壁を突破することすらない。
【死体被り】の鋭利な足が【渦撃の拠点】に触れ……飲み込まれる。弾くのではなく、渦を巻く風に絡め取られていた。
各々の魔物が壁に触れた部位は魔法問わず、吸い付くようにして風に飲まれ、渦に巻き込まれる。加速する遠心力は、突如として解き放たれ、【渦撃の拠点】が消失すると同時に激しく魔物は壁面に打ち付けられた。
外殻を割り、不気味な色の血を撒き散らす個体もいれば、あまりの衝撃に部位が弾け飛ぶなど。
硬質なミスリルが結果として良いダメージに繋がったようだ。
フェリネラが危惧していた【死体被り】の魔法中和作用も、上位級魔法ではすんなりといかなかったようだ。
だが、やはり魔物の中でダメージ量としては一番軽傷ではある。【渦撃の拠点】は回転に巻き込む魔法と、回転させることで魔物の外殻に当たる部位の魔力を包む。
その結果、弾き飛ばす瞬間魔物は抵抗するための魔力移動を困難にする。中和には中和。
【渦撃の拠点】の効果を中和とひとえに言うことはできないが、似たような効果ではある。この効果とはより弾く衝撃を伝えるための手段でしかないのだが。
いずれにせよ――フェリネラ達を守った防壁は解かれ、全員が魔物を視界に捉える。
微風が吹き渡り、各通路へと抜けていく中。
フェリネラ達は一斉にそれぞれの魔物へと止めを刺しに攻撃を仕掛けた。
直接AWRで魔核の破壊を試みるなど手段は選ばない。確かに見慣れない魔物もいるにはいるが、フェリネラの知識から大きく逸脱するような外形を取る個体はない。となれば魔物にも取り入れる魔力情報によっては種とはいえ多少変異は見られるものだ。
僅かでもダメージを受け、壁面に打ち付けられれば一瞬とはいえ一撃を加える時間はある。
セニアットを中心にフェリネラとイルミナが対角線上に立ち、左右に男子生徒が臨戦態勢で構える。魔物が壁面にぶつかる音が合図だとばかりに全員の魔力が洗練されていった。
フェリネラも【死体被り】を視界に入れ、一直線にスタートを切った。すでに掲げ、構えられたAWRは螺旋状に魔法式が刀身を覆っている。
そして胸の前で手を返し、切っ先を【死体被り】へと向けた。
が――フェリネラが見た光景は一瞬彼女を驚かせるにたるものであった。
あくまでも表面的に冷静であるフェリネラだが。
――逃げた!?
内心の声の動揺は大きい。いうなれば戦略的に劣勢と見ての退却。
背中を見せ死に物狂いで逃げる様は、異様の一言に尽きた。セニアットの防壁を攻撃した足は削れ、更に細くなっていたが、【死体被り】が走り出した直後に中程から折れてしまった。
よろめきながら逃げるが……襲ってきた時程の速度は出ず。
腐敗し硬質化した皮はポロポロと剥がれ落ちていった。その内部に覗くのは濃い色をしたジェル状の液体だ。例えるならばそう、まるで卵の黄身のように感じられる。
来た道を戻っていく魔物の背中を見て、フェリネラの驚愕も一旦収まっていく。ここに来て逃がすわけにもいくまい。
すでに異臭程度では彼女の意識を乱すことはできなかった。
フェリネラは何かを描くかのように中空に向けてAWRを振るう。手首で指揮棒を操るように淡い光を放つ魔力が中空に線を刻む。バツマークを空中に描き、その上から縦に振り下ろし一線を加えた。
「【無影の星裂】」
死闘を繰り広げる前のデモンストレーションを思わせた。刻んだ斬撃が魔法へと構築され姿を無色透明に変える。しかし、確かにそこには風が擦り合わせたような歪んだ景色を覗かせていた。
最後に縦に割るようにして振り下ろされた一閃の直後、目に見えない斬撃は矢から放たれたようにして魔物へと一陣の風を吹き渡らせた。
魔法による隠蔽を主軸に置いた斬撃。
逃げるのに必死だったのか、【死体被り】は防御の気配すら見せずに斬撃を背に受けた。
斬撃は魔物の存在などまるで無視するかのように、強固な肉体を通り抜けていく。魔物が攻撃を受けたと自覚するまでに多少の時間を要し、ふと糸が切れたようにして勢いよく転げた。