箱庭の狂
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アルファ国内でも市民街と呼ばれる中層と富裕層の間には距離がある。
というのも地価はバベルの塔に近づくにつれて高騰するためだ。
言ってしまえば整理されていない区画というところだろう。いくつかの道や転移門が設置されている程度。
人間の生存域で一番緑が豊かな場所と言える。主に広場などがあるだけで人口の激減からある程度回復した人類が最近になって切り崩しを始めたのだ。しかし、反対運動も多く、手付かずなのは事実である。
樹海と言えば大げさだろう。それでも背の低い山々には緑が生い茂っていた。唯一外界に似た場所とも言える。
そんな山深く、唯一中層から富裕層へと向かうための道から大きく離れた場所だ。山が影となって昼間であろうともまず見つけることは出来ない。
ひっそりと佇む廃棄されたはずの研究施設がそこにはあった。
過去の汚点――忌避すべきものがそこには多く残っている。過去、人類が生存権を縮小されたのち魔法の研究に躍起になった黎明期、軍が様々な非人道的な研究に手を染めた名残だ。
無論その全てではないが、大半が明るみに出れば追求は免れない物であったのは言うまでもない。
現在では廃墟と化した建物だけで内部は蛻の殻だ。
4階建の施設は荒廃しているが崩れ落ちた外壁の隙間から露わになっている頑丈な作りの鉄筋は倒壊する可能性が低いことを示していた。
仮に調査隊などがこの場所を見つけたとしても外側はカモフラージュせずとも疑わしげな所は何もない。しかし、その地下3階分ほどの場所にその者はいた。
「本当にいたんだな、アルス・レーギン」
見上げた男は眼鏡をクイッと上げ、白衣のポケットに手を収めた。いかにも研究者という風情だ。髭は伸ばしたままで、白髪混じりの髪はボサボサに後ろで雑に結われているだけだった。
グドマ・バーホング。人体実験が露呈し、逃亡したのち隠れ家としてこの場所を提供された者。
5人の実験体は台座の上で仰向けに寝かされ、入院患者のように様々な機器に繋がれている。
学院を襲わせた実験体が帰還し、その目から見たものを情報としてスクリーンに投射していた。そこには銀髪の少女との戦闘が記録され、その背後にいる二人の生徒に焦点が当たる。
画面を拡大し、解像度を上げ、その顔を凝視した。
「噂は本当だったということかな……」
全魔法師最強の男がこんな子供だとは……以前に軍の機密文書をハッキングした時はフェイクだと思っていたのだ。
そして軍から離れて学生へと成り下がったという噂を耳にしたのは最近。
体格は街で実験中の3人が遭遇した不審な男とも一致する。画像の解析では適合率が99%と表示された。
「厄介な奴がいたものだ。軍に飼い慣らされた番犬の分際で」
忌々しげに睨みつけるがその口元には余裕の笑みが浮かんでいる。
「得られるものはあったということか」
スクリーンに5人分の映像があるにも関わらず白衣を着たこの研究者は残りの4つを一顧だにしなかった。
すでに保存は出来ている。
帰還した実験体はほとんどが重傷だった。その中でもアルスへと向かわせた実験体はすでに事切れていた。
グドマは近づきその内の一つに歩み寄る。顔は慈愛を窺わせる優しいもの、事切れた実験体の茶色い髪を指で掻き分け、露わになった汚れた頬に手を添えた。
しかし、慈愛とは反対に冷淡な言葉がグドマの口から放たれた。
「残念だが廃棄しよう。でも安心しておくれ、君らの代わりはこんなにあるんだから」
グドマの背後には無数の実験体が整然と横たわっている。
廃棄処分となった実験体が乗っている台座はリモコン操作が可能だ。だというのにグドマは一つ一つ手ずから押した。
向かう先にはぽっかりと大きな穴があり、その蓋を開けるとどこに続いてるとも知れない暗闇が口を開けていた。
手前に台座を着けると、脇に備え付けられた複数のボタンの中からグリーンの淡い光を放つボタンを指で押し込む。
すると台座の片側が持ち上がり、角度が増していく。
実験体は転げ落ちるように穴の中へと身体を転がしながら放り込まれていった。
まだ意識のある実験体も処分の対象だ。実験体の視線はグドマではなく真正面、天井に最初から固定されていた。感情が窺えず、糸の切れた人形のように微動だにしない。たとえ瞬きをしていようと生きているというには生気が一切感じられない。機械仕掛けの人形のように意図的に操作されたような、そんな微かな動作。
そして最後の5体目を穴へと葬った直後、通信回線を受信したコールが静かに鳴り響いた。いつものように秘匿回線でグドマからは連絡が取れない。
それを一仕事終えた後のように通話ボタンを押す。
「どうしたイノーベ」
『予定通り明日襲撃が行われるようだ。大丈夫なのだろうな』
画面の向こうは何も映っておらず、通話回線だけが開いていた。声もくぐもっており、辛うじて男だということしかわからなかった。グドマはこの男をイノーベと呼んでいる。
『ここまで援助してきたのだ。必ず成果を持ち帰れ』
グドマはこのイノーベという人物の正体を何一つ知らない。軍から追われ、逃げ場を提供してもらっただけでなく、研究が続けられるように様々な支援をしてもらっている。
それだけで詮索の必要性はないのだろう。単に研究が実ることだけの欲望しかなかったグドマにはどうでも良いことだった。
「わかっている」
『アンデルの麓で落ち合おう』
アルファから北に2カ国を横断した国境沿いにある。つまりアルファとは反対に位置する。
今後も研究を続けるに当たっても成果は見せなければならない。街で人間を襲わせたのは手始めだ。
グドマの研究は、このパトロンの求める水準には到達していた。だが、グドマは満足していなかった。
これでは完全ではないとわかっていた。光系統の魔法を使うために優良なエレメント因子を上書きした所までは良かったはずだ。
しかし、実際に光系統の魔法を使うことはできなかった。その原因は自我だ。
経験が蓄積する後天的な系統がある以上、上書きしたエレメントと反発するためだ。
これをグドマは魔力情報を全て抹消するようにエレメント因子で埋め尽くすことで解消した。その結果として自我が崩壊してしまったのは都合がよかった。
命令に従う傀儡を作り上げることができたからだ。
難点は上書きするためのエレメント因子が少ないために光系統の魔法が1つしか使えないことだった。
それもイノーベがもたらした強化プログラムによって身体的に強化人間を作り上げたことでカバーすることができた。グドマの到達地点とは少し違ったが、それでも一つの成果として十分だろう。
体に刃物を入れることに抵抗はない。
寧ろそれによって三桁にも劣らないほどの魔法師を作り上げられるという高揚のほうが大きかった。
「私は軍を蹴散らし、戦場を悠々と闊歩して向かうとするよ」
『油断はするなよ。アルファには1位がいる』
「わかっている。だが、1位といえど人間だ。200いる実験体の敵ではない」
『だといいがな』
「安心しろ、貴様等が誰だろうと後悔はさせない。アルファの国力は削ぐ。舞台は向こうが用意してくれているのだからな」
通信相手のイノーベが懸念するアルス・レーギンもこの男がもたらした情報だ。
それでも街での戦闘情報から得た試算では実験体を30ほど投入すれば問題はない。
たかだか子供とは思わないまでもそこには侮りが含まれている。
自分の研究成果に陶酔している節もあるのだが、グドマがそれに気付くことはない。
「逃走経路に従えば、4日後になる」
『構わんさ、持ち帰れるのならばな。では健闘を祈る』
淡々と述べられた言葉を最後に通信が切られた。
用意周到というべきだろう。彼等はグドマに一切の情報を知らせてはいない。足が付かないためだ。
グドマは興味のないことではあったが、見当は付いていた。
指定場所や強化実験からも北に位置する7カ国が1国【ハイドランジ】もしくは【バルメス】が関係していると。
それも強化人間を作り上げる研究に最も精を出していたのがハイドランジであり、バルメスは各国が魔物を退けているのに対してバベルの防護壁が張り巡らされて以降も2回防衛ラインを突破される寸前までの失態を犯しているのだ。全体的に魔法師が不足していることに起因しているし、ここ数年はシングル魔法師と呼べる絶対的強者を欠いている。
何かの反魔法師組織である可能性も十分に考えられるが、資金提供の額からも相当な権力者、はたまた財閥が絡んでいることだけは確かだった。
途絶えた通信をしばらく見据えていたグドマは徐に戦闘履歴のスクリーンに再度目を移した。
実験体に何が足らないのか、わかっていたからだ。
「あ~アリス……君が欲しい。君さえいればきっと完成するんだ」
映し出され、拡大されたアリスの顔に手を触れた。
数年見ぬ間に成長してもあの時の面影は十分に残しているのだから、見間違えるはずもない。
恋に焦がれるような陶酔した瞳で凝視していた。
無論エレメント因子を抽出できたのは偶然の産物だ。それはグドマにもわかっていた。だが、解決の糸口は新たな因子を求める以外に手立てがないのも事実。
「君ほどのエレメント因子を手放してしまうのは残念だ」
学院への襲撃は実験体の戦闘力を図るために仕掛けたものだ。これによってイノーベが逃走に手を貸してくれるにたる十分な成果を示すことができたのだ。
想定した打撃を与えることは出来なかったが、サンプルとしてまだまだ改良の余地があることが明確になった。
その一方でグドマはアリスの拉致を指示していた。女子寮の場所まではよかったが目的の場所にはおらず、代わりに黒髪の女生徒に撃退させられる失態。
アリスはアルス・レーギンと一緒にいたのだ。当然一体では相手になるはずもなく、確保できず帰還。
1位が学院に在籍しているはずもないと決めてかかったのがいけなかったのか。
それが唯一の心残りだった。
「君が手に入った暁には僕の前からいなくならないように感情を全て消してあげるのに……」
グドマはその日が待ち遠しいように目を細めた。
この国にもう用はない。自分の崇高な研究を理解できない国など見限るには十分過ぎる理由だ。
だから、少しでも魔法師を殺して亡命する。それがイノーベ等が望むことでもあるのだ。
全ての情報を保存して抹消する。手に持ったスティック型のメモリに全ての研究データが入っているのだ。
グドマの背後には200もの実験体その内の3体は街での実験から帰って来てからというもの膝を抱えたまま蹲り爪を噛んでいる。
感情を奪い去り、指示がないと動けない人形は何も与えないと禁断症状のように小刻みに震えるのだ。じっとしていることができない。
そんな未完成な人形の一人に歩み寄った。
「キクリ君、君たちは良くやった、ただ相手が悪かっただけだ」
返事はない。聞いているのだろうが反応すらなかった。
「もちろん君たちは一回失敗したからと言って廃棄になんかはしない。でも、あまりにもだらしないと他の子達に示しがつかないんだよ。わかるね?」
独白は続いて、同じ目線に腰を降ろしたグドマは被りっぱなしのフードを両手で頭から脱がせた。
焦げ茶色の髪が露わになる。女性の実験体は唇を噛み切ったのか赤く血が滲んでいる。
彼女はアルスと街で対峙した一人だった。
「君達は特別なんだから……」
グドマの口が弧を描いた。
血の滲んだ唇に指を這わせると傷口を爪で押し当てた。それで彼女達実験体が眉一つ動かすことはない。
立ち上がると白衣のポケットからリモコンを取り出していくつかの操作をする。
照明が奥まで順々に点灯、全ての実験体がゆっくりと同時に瞼を開けた。
「さぁ、起きるんだ」
手を打ち鳴らすと高らかに声を上げた。まるで子供を起こすように……。
先頭には列を乱すように突出する実験体が一人。
「君の役目はわかっているね」
肩にポンと置かれた実験体は短い髪ながらも女性の輪郭をしていた。ローブの上からでも胸の膨らみが確認できる。
唯一他の個体との違いは瞳の色だ。それは眼球というには潤しくない、乾いた陶器を思わせる光を宿していた。
女性らしい唇がゆっくりと開き、
「逃げる……帰る」
とだけ機械じみた声音が繰り返された。