鉱床探査
◇ ◇ ◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そこはどうしようもなく、暗く冷たい場所だった。身動きすらできず、真っ暗闇に閉じ込められてしまう恐怖心が湧き起こってくるのだ。人は暗闇の中で長い時間留まることが出来ない、光を求める存在なのだとつくづく感じてしまう。
全身を余すことなく覆ってしまう、肌に張り付く恐怖感がある。でも、そこは思ったほど恐ろしくはなかった。
一筋の光すら注がず、まるで迷路の中を彷徨っているようだ。ただし、どこを彷徨うにも自分という意識はそこはかとなく希薄なようだった。
朦朧とした意識は心地良さなどまるでなく、かといって不快感があるわけでもない。ただただ彷徨うだけの人形のようだった。自分の意思などまるでなく、流されるように身体が動いてしまう。
あぁ、凄く寒い。凍えてしまう程冷たい。
でも、慣れてしまえばそれが当たり前のような気にもなってくる。冷たく暗いそこが、自分のいる場所なのだと不確かな感覚が教えてくれる。何もわからない、何も見えない場所で、自分の意思とは関係なく動く身体がどこか安心させてくれた。意思が働かないということはつまるところ、思考する必要もない。
それならそれで……良いのかもしれない。
脱力の極致とでも言うのだろうか、ふわふわした感覚が全身に広がり、考える力も薄れていく。それは凄く幸福なことなのだろう、ということだけはわかった。身を委ねてしまいたいと、ありとあらゆる俗世の柵から解放された気分だ。
白昼夢のように抗うことができず、その気力すらもなかった。
直に歩けなくなってしまうだろう。
真っ暗な闇の中で、強制的に動かされる身体は疲労の限界を迎えているに違いなかった。
なぜなら、どうしようもなく眠たいからだ。
身体はドロドロになってしまったかと思う程感覚がない。最初からなかったのかもしれない。身体を動かすにはどうすれば良いのだろうか、ふとそんな疑問が過ったが、依然として考えることさえできなくなったままだ。考えるとはどういうことをいうのだろうか、そんな疑問すら湧いてくる始末だった。
しかし、そんなことすらも些細なことなのだろう。だって自分は……私は今もこうして歩けているのだから……まだ歩いているのだから。
◇ ◇ ◇
アルス達が協会の依頼で、ハイドランジへと赴いた同日。バルメスの外界、排他的領域内では協会が今後正常に活動していく上で最も重要となる任務が始まろうとしていた。
かつてこれほど外界に魔法師が集った試しというのは、過去を遡っても数えるほどしかないだろう。
アルファ外界南西部における新たな拠点【ウィクトル】や人類初めての戦果とも言われている【ゼントレイ】などである。
それらの拠点にも引けを取らないほどの戦力が集結している場所があった。
バルメスの外界約20kmで発見された鉱床。
災厄の再来。記憶に新しい【背反の忌み子】が討伐された場所の近くである。数百メートル先にはアルスが戦ったとされる巨大なクレーターがあり、今も戦闘の爪痕を色濃く残したままだ。
今、その麓には協会の意匠が入ったマントや戦闘服を着込んだ魔法師が集っていた。そもそもこの場所は鉱床から取れる希少鉱物ミスリルを採掘するために整備された一帯である。
そのため周辺の魔物は一掃、更には仮設拠点が作られていた。無論、魔物の侵攻を阻める類の強固な壁はない。
ここを仮設としているのはゆくゆくは、ミスリルで壁の建造を計画しているためだ。
そうなれば外界において魔物に探知されにくく、最硬の壁がこの拠点を覆うことだろう。
魔物がいようとも継続的に掘削作業ができる安全地帯という意味でも期待は大きかった。しかし、今は頼りない石造りの低い壁や、気休めの土嚢が積まれているばかりだった。効果の程は定かではないが、建造中の外壁の周囲には幅広の溝も掘られている。
拠点ではあるが、ここが完成する頃には要塞と化していることだろう。
現在、この拠点の防御力、その信頼度はここに集った魔法師が保証しているといえた。
まるで統一性のない軍服が目につく。ともすれば強者にのみ許されるラフな格好も見て取れた。
そしてこの拠点には魔法師として正式に認められていない学院生の姿もある。歴戦とは無縁な、綺麗な肌には初々しさが窺えた。
各学院の制服を着込み、その上から協会支給の対魔法繊維で編まれた強化ローブを羽織っている。
時刻は早朝。
冷え切った外界の下、各学院から選抜されたチームが一堂に会していた。これから鉱床内部の探査を目的とした任務を前に彼ら・彼女らの表情は少し硬く引き締まって見える。
無論、何も外界という場所だけがそうさせているのではなく、ここに集う名だたる魔法師の面々に圧倒されている節すらあった。軍人さながらの隊列を組み、学院生達は肩を寄せ合うように一箇所に集合している。
アルファの第2魔法学院から選出されたチームは装備を整え、これから始まろうとする任務を目前にやることはやったといった様子で立ち話をしていた。当然のことながら立ち話という程あからさまではなく、寧ろその手のスキルは、この隊のリーダーであるフェリネラ・ソカレントならば造作もないことだ。
そして彼女と言葉を交わすのは、同じ貴族であり、サブリーダーでもあるイルミナ・ソルソリークである。二人は顔を突き合わせるでもなく、傍目から会話していると判断がつかないほど巧妙に言葉を交わしていた。外界というだけあり、少しピリピリした雰囲気が感じられたためだ。
学生の如何にも子供っぽい行動は慎む方が良い。
絶妙な声のトーンで背後からイルミナの声がフェリネラへと発せられた。表情は一切変えず、音のみを的確に伝える。
「それにしても各国がここまで協力的だと逆に不審感を抱くわね」
人類の危機、普段目にすることのない戦力に嫌が応にも不吉な予感が頭を過る。もちろんそんなものは杞憂なのだろう。教師に呼び出しを食らって、そこに理事長や軍関係者、はたまた保護者まで同席していたと思えば自分がとんでもないミスを犯してしまったのではと被害妄想が膨らむものだ。
各学院から選出されたメンバーの中でも、貴族と思われる者たちの所作は巧妙である。
それはアルファ三大貴族であるソカレント家の子女ともなれば、お手の物だ。
フェリネラは泳がすように視線を振り、一瞬で記憶にある魔法師の名と一致させる。
「二桁魔法師が多いだけじゃないみたいね。順位以外にも外界で一目置かれる方々も多い。各国が如何に今回の任務を重要視しているかが容易に察せられるわね。奪還目標に協会が欠かせないから、という思惑があるのでしょうけど」
あくまでも涼しげにフェリネラは小さく返答した。