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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
9部 第1章 「黄金姫」
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それは一体いつから……



 それからというもの、前々から気になっていたことがアルスにはあった。

 イリイスは現代魔法師とは画した存在でもある。数十年もの間、裏の世界で技術を磨いてきた彼女は独自の理論を築き、それを魔法に応用していた。

 魔眼の存在を抜きにしても、いや、上手く魔眼の特性を活用しているというべきなのだろう。

 その一つが、イリイスがAWRを持っていないことと関係していた。


 もっとも彼女が持つ魔法式と、ロキが腕に刻まれた魔法式に関連性を見出し、解決の糸口を探そうとしていたわけなのだが……如何せん、真面目なのはアルスだけだったようだ。



「ん、はあんッ――んはッ」


 室内に甘く、ゾクッとするような温い吐息が漏れ聞こえた。堪らえようとするが、意図せず少女の口からおよそ外見から想像もつかないほど艶っぽい声が鳴った。

 熱にうなされるように喉の奥から意志に反して溢れる。そして、その度に少女は腰をくねらせたり、首を竦めたり、時には身体の筋をピンと伸ばしたり多様な反応を見せた。


「おい、やめっ!? さすがにそこまで許した覚えはないぞ! あひっ!?」


 少女――イリイスは肌から伝わる感覚を鋭敏に感じ取り、電気ショックでも受けたかのように勢いよく天井を仰ぎ見る。

 きっとこの光景を屋上庭園から窺い見る者がいれば、それは機密性の高い話などではなく、些か如何わしくも卑猥なものに見えることだろう。


 取り分けイリイスの反応を見れば、きっとこの室内はさながら王侯貴族が昼下がりに繰り広げる逢引のようで、それは当然の如く年齢規制が掛けられて然るべき展開が想像されるはずだ。

 無論、相手の容姿如何では犯罪の匂いすらも漂わせてしまうわけで……。


 いずれにせよ、そんな少女の奇行とも取れる反射行動をアルスは遺憾を表した顔で抗議する。


「腕の魔法式を見てるだけで、誤解されそうな声を上げるな。こっちが恥ずかしくなる」

「たわけが! そんな皮膚の上を触れるか触れないかみたいな触り方をする奴があるかッ!」


 真っ赤に染まった頬に僅かながらの威厳を残しつつ、イリイスは声を荒げた。歳は食えども、幾ばくの恥じらいは残っているようだ。

 これが年相応に老いていれば、さすがのアルスもこの部屋からすぐさま逃げ出しただろう。


 ともかく……屋上庭園から一心に注がれる、よもや、といった強張ったロキの視線があまりにも痛い。監視目的の視線ならば理解もできよう、しかし、ロキの目は限りなく無感情に近い人形めいた眼をしている。


 アルスは居住まいを正して、改めてイリイスの腕に刻まれている魔法式に視線を落とす。今度はしっかりと腕を掴んだ。

 ハリ・ツヤがある若々しい皮膚の表面にはアルスの見たことのない式が見て取れた。系統式からしてかなりアレンジが加わっており、イリイスの編み出した魔法式の知識が集約されていた。無論、原理的に身体に直接魔法式を刻むことはできる。魔法の行使も十分可能だろう。


 ただ、これが上手く魔法式の回路として持続的に機能するかは別問題だ。いや、魔法式の組み立てがAWRに刻むものとは違う点から、アルスは納得する。


「そうか、肌に刻むという点で魔法式を組み立てようとすれば、AWRに刻む式の構成も変わってくる」

「魔眼の力がなければできんのだから、参考にはならんだろ。それより、もう良いだろ。こそばゆくて敵わん」

「あぁ、そうだな。ロキに刻まれた式を読み解く手がかりになるかと思ったんだが」


 本来の目的はそこにある。あまり期待していなかったが、完全に解読することができれば、解く術がもしかしたら見つかるかもと思ったのだ。

 もっとも魔物が用いるとされる完全なる魔法。構成する式の【失われた文字(ロスト・スペル)】を解読することができればおそらく可能だ。

 だが、解析はアルスであろうとも、途方もない時間を代償にせざるを得ない。


「やはり術者である【世界蛇ヨルムンガンド】の討伐しかないか」

「私もあまり知識としてあるわけではないが、魔法師が使うこの手の追跡魔法は術者の魔力や情報の強度次第で持続時間が変化するからなー。通常ならば術者が死ねば魔法も消えるのは必然であろう……だが、それが、こと魔物に該当するかと言われると」

「断言できないのが、面倒なところだな」


 完全なる魔法とは、何ができ、何ができないのか、寧ろできないとは何か、を想像しなくてはならない。それは無から有さえも生み出すことができるのかもしれない。いわば無限の可能性を秘めていた。

 打てる手は魔物を倒すことだけだ。だが、それさえも刻印が消える保証がない。


「ありがとう。一先ず早めに討伐しなきゃいけないことだけはわかった」

「ならよかった。後は悪いのだが、その熱烈なまでに私の腕を掴んでいる手を放してくれれば言うことはないな」



 アルスの拘束からやっとのことで抜け出たイリイスはふぅ~と深い息ついて、ハタハタと手で首元に風を送った。その後、袖を引いて腕を隠してしまうと、暑さを紛らわすようにキッチンへと入っていく。

 イリイス自らが淹れたのであろうお茶とミルクが用意される。一つは湯気が昇った低気温には相応しいお茶で、もう一つはグラスに水滴を浮かばせた冷たいミルクである。


 真っ先に冷たいミルクの方を掴むと、イリイスは一気に飲み干す。いっそ清々しいまでの飲みっぷりである。


 続いてアルスも一言入れてからお茶を持った。インスタントなのかこれといって上品な味わいではなく、何の嫌がらせか苦味が濃く、いつまでも舌の上を痺れさせている。癖の強いお茶だった。

 くぅ~っと目の前で美味しそうに飲む幼い少女を前に、アルスは眉間を寄せっぱなしとなった。


 気持ちの良い飲みっぷりに、いちいちツッコンでやるのですら面倒な気分になってくる。

 食わず嫌いはするわで、大人として扱われたい一方子供っぽい一面はそのままなのだ。身長でも伸ばしたいわけではないのだろうが。


 ここでミルクを美味しそうに飲むイリイスに何か言おうものならば、とくとくと長時間喋り続けるかもしれない。


 複雑な心境のままアルスは再度、お茶を啜った。まさに今の心境にぴったりな苦味が口腔内に広がる。



 屋上庭園にいる二人は随分と楽しげで、花壇に水を上げている最中であった。これがまた微笑ましい光景であり、ラティファの手に銀色のじょうろを持たせ、ロキが誘導するように彼女の手首を握っていた。

 共同作業で水をあげているのだ。


 その様子からもう少し時間が掛かりそうだと思い、アルスは今のうちに処分しておきたい話題を提示する。

 さすがのアルスもお茶を立ったまま飲む無作法を弁えて、今は椅子に腰を落ち着けている。


「クレイスマン教諭から言伝がある」

「誰だ、それ。いちいち名を覚えてやるほど、私も暇ではないんでな」


 もちろんイリイスの反応は予想していたが、教諭といっているのだからもう少し言葉を選んでも良さそうなものである。


「いや、イリイスは初めてだと思う。第2魔法学院の教諭をしている学者だ。でもって【バベル】の調査隊の一員でもある」


 ピクリとイリイスの眉尻が反応を示し、彼女の意識が明らかに背後のラティファへと注がれた。彼女を気遣ってのことだが、そのことは当然アルスも織り込み済みである。

 とはいってもバベルに関する報告をイリイスにしたところで、何か進展が見られるとは思えなかった。

 報告というのも実は各国元首と並び立つ存在と位置づけての配慮でもある。


 だからアルスは一先ず聞いた通りに彼女にも伝えることにした。


「バベルの地下から、巨大な横穴が見つかったらしい。その報告だな」

「何かが出てきたわけではないのか」

「まだ、のようだ」


 これといってイリイスは深い関心を示さなかった。それこそ装うでもない。彼女自身、その報告を聞いた所で、と軽く流している様子。

 同時に些か疑問もあったのだろう、すぐに小難しい顔を作って首を傾けた。わかりやすい疑問符が彼女の頭上に浮かんでいるのがわかる。


「あぁ、言いたいことはわかる。その段階でわざわざ報告する程でもないって言いたいんだろ」

「そんなところだな」


 重大な事態や新たな発見があったわけでもない、調査段階で報告する必要が果たしてあったのか、と聞かれれば神経質過ぎる気もする。

 ましてやイリイスにまで事細かな詳細が逐一挙がって来たのでは、取り合う方も大変だ。


 理屈では確かにそうだ。多忙な会長職にあるイリイスが限りある時間を有効活用するためには確かに重要性はない。

 が、アルスが行き着いた思考の先、その結論は不吉な言葉を選んでいる。


「バベルについては以前話したよな」

「あぁ、長々とな。クロケルが研究を引き継いでいた、というのも概ね納得ができる。バベルで行われていた研究についてもお前の意見に賛成だ」


 バベルで行われていた研究。具体的にはクロケルが引き継いだとされる、ラティファの代わりとなる人柱の研究だ。少なくとも彼はラティファを救うためにいくつかの手を打っていた。その一つが世界の再構築でもある。


 クロケルが引き継いだ研究もそうだが、そもそもラティファが人柱となった当初の研究も存在したはずだ。

 これらの時系列を整理したアルスは違和感を残したように、そっとカップをテーブルに置く。一拍程、間を置いた後その考えをそっくりそのまま伝えることにした。


「バベルの建設時期は明らかに魔物が発生した後のはずだ。だが、それよりも以前に何かしらの研究はなされていたはずなんだ」


 その研究所を兼ねていたのが、件のバラール城だとアルスは睨んでいる。今は何も確証がないため、その推測を横に置き、続きを語りだす。

 アルスがこの横穴――つまり地下トンネルを聞いた時に超速で様々な可能性が広がりを見せていた。上手く出力することができない計算を今、やっとアルスは意識的に追いつくことができたのだろう。


「なぁ、俺がバベルで研究の被験体とされた、というなら……他の被験体もあったはずだよな。もっといえば、クロケルが引き継ぐ以前より行われていたというならば、少なからず失敗作はあったはずだ。あいつ(クロケル)は魔物への変貌の兆候が見られたといった。ならば、失敗作は魔物へと変貌したんじゃないのか」

「――――!!」


 喉を詰まらせ、大きく目を見開いたイリイスも同様、いくつもの可能性を計算していた。

 嫌な予感を抱きながらも、確かに無視できない内容だ。


 一部、もしかするとその失敗作は魔物へと変じてしまった可能性について考える。


「ちょっと待て! そんなことができるのか」

「できない、と思っていたんだが……ラティファのあの姿を見てしまったからな」


 そう、ラティファは身体の大半を魔物へと変貌させていたのをアルスのみならず、各国の元首も確認済みだ。

 クロノスの体組織など、主たる要因はあるのだろう。どんな魔物でも良いというはずはない。そうでなければたちまち魔法師は魔物の体液を浴びるだけで感染してしまっているはずなのだから。


 様々な条件で肉体に取り込むことで、何かしらの侵食が見られるのだろう、とアルスは考えている。


 地下に横穴、嫌な予感しかしない。

 そしてその予感はアルスがずっと抱いていた気掛かりに、一つの解答を示そうとしていた。


 感情の伴わない声音でアルスは、自らが最後に行き着いた最大の疑問を口にした。


「なぁイリイス。失敗作となった被験体はどこに捨てられたんだろうな。魔物へと変貌した物をクロケルじゃあるまいし、そうそう外界に運び出せるはずもない。何より失敗作は本当に死んだのか?」

「…………」


 アルスでさえ一度は死んだとされている、しかし、魔眼の力にせよ今はこうして生き永らえている事実。人間としては死んだのかもしれない……では魔物へと変貌した物はどちらなのだろうか。

 魔物ならば、それは魔物としての死を意味しているのだろうか。


 あの身体が灰のように崩れ散っていったのだろうか。

 そして研究者しかいない研究施設に変異してしまった魔物を即時始末する者がいたのだろうか。


 疑問は疑問を呼ぶ。

 結局アルスは解決の糸口を見つけられなかった。それでも考えれば考えるほど解せないのだ。


 アルスは断言できない予想を口にしたことについて、少しバツの悪い気持ちで、濃い目のお茶で舌を痺れさせてみた。





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[気になる点] 人体の魔物への変貌って話ならクドマの実験が…。あれはクロケルが裏で手を引いていたんだろうけど…。
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