因縁の兆候
そして実技の授業も後半に差し掛かると、ほぼ自習へと切り替わる。そこでは得意な魔法を磨き上げ、または新たな魔法修得のための時間に充てるのだ。
魔法の修練は一切が無駄にならない。個人差はあれど魔力を消費するという行為は魔力保有量を増大させることにも繋がる。魔力は絶えず体内で生成されるわけだが、それも器を満たすまでだ。満杯になれば塞き止められるように増えることもない。しかし、訓練などで消費、補給を繰り返すことで器を少しずつ拡げることができるのだ。先天的な個人差はあるが、魔力量は努力の結晶である。
訓練場では新入生の生徒はまだ独自で訓練をするほど明確に課題が定まっていない。そのため、引き続いて模擬戦に熱心になっているわけだ。
そんな中でもアルスは図太い神経で一人読書へとしけ込む。訓練場はどこも似たような作りになっており、特に地面は土がびっしりと敷かれている。これは土系統の魔法師に対しての配慮なわけだ。
そんなわけで少し土埃っぽくはあるのだが、これも魔力を通すことで回避。
アルスを気にする者はいないはずだった。皆観戦や対戦相手を組むのに夢中で離れた落ちこぼれは埒外。
「やめなよ!」
「こいつには良い薬よ。ねぇ、付き合いなさいよ」
テスフィアがアリスに止められながらも座り込むアルスを見下ろした。
うんざりする気を隠そうともせず、ページの隙間に指を挟んで溜め息を吐く。
もう勉強の妨げをしているのは完全にテスフィアだった。
「君は本当にしつこいな」
「自分のしたことを軽く考えないことね」
「なんのことだ?」
「なっ――!」
テスフィアがアルスの胸倉を掴んで強引に立たせた。とは言ってもテスフィアの背はアルスの頭一つ分低いため、ただ掴んでいるだけの構図だが、その形相は怒りを湛えている。
「フェーヴェル家を侮辱しておいて忘れたとは言わせないわよ」
そんなこともあったか。僅か二・三時間ほど前のことだが、言われなきゃ思い出せないほどアルスにとって些事であることに変わりない。
「それがどうした」
「――――!! それですって、どうしたですって……」
本音だ。寧ろそんなことで散々読書を妨害したほうがアルスにとっては重要だ。
これ以上は本当に迷惑で鬱陶しいのだった。
「俺が悪かったから、もう構わないでくれ」
空々しく謝罪を吐き、その視線は開かれた本の中へと向いていた。
「馬鹿にするな!!」
怒気を発し、テスフィアの手が本を叩いた。
観戦していたクラスメイト達がテスフィアの怒声に視線を一挙に集める。一瞬にして何事かと視線が向き閑散と静けさが降りた。
気を抜いたのか模擬戦中の生徒までその手を止める始末だ。訓練だからいいようなもので、こういった思考の散漫さはやはり未熟な新米の証だ。
弾かれた本は宙を舞い、ページを捲りながら地面を転がって少しの砂埃を舞わせた。
「フィアっ!!」
咄嗟にアリスが叫んだが、それは一線を越えたことへの警鐘だ。
テスフィアは怒気の籠った窘めに一歩後ずさり、手を離す。それでもアルスを見る目には激しい憤りがありありと映し出されていた。
赤髪の女生徒、テスフィアがこれほどまでに突っかかって来るのだ、プライドが高いのだろう。アルスにとってはたかが知れている些事だが。しかし、彼女にとっては違うということだ…………それでも子供だ。
魔物も見たことのない子供、平和ボケした子供、魔物の侵入を阻んでいる崇高な防壁を何も感じずに享受しているだけの子供、まだ現実を知らないからこその価値観だった。
アルスは軍に入ってからというものやっかまれ、自分よりも一回りも二回りも大きな大人から洗礼を受け、散々鍛えられたのだ。大抵のことならばどうとも思わないほどには順風な道を歩んできたわけではない。
それでもテスフィアの行いは不愉快だった。
「立ち合いなさい!!」
もう、お互いに引っ込みがつかないところまで来てしまっているとアルスは感じた。
落ちた本までゆっくりと歩を進め、腰を降ろし拾い上げた。丁寧に汚れを払い落す。
勝たせるだけでは治まらないだろう。どの道、もう負けてやるつもりはなかった。ちょっかいが出せないように白黒はっきりさせておく必要があるということだ。
軍では恐怖支配なんて方法もあるが、それは周囲から反感を買い易い。魔法師として魔法に依存しやすく、順位によって見下す風潮は確かにある。それでも統率や指揮に影響を及ぼさないためにも徹底して体に叩き込むのだ。アルス自身、それも一つの方法で間違っていないと考えている。褒められたものではないが、それなりの成果は期待できるのだ。
今のアルスはそれぐらいしてもいいとさえ考えていた。寧ろそれぐらいでないと少ない三年を無駄に過ごすことさえ考えられる。
汚れは完全に落とすことは出来なかった。貴重な資料をぞんざいに扱った彼女には魔法研究の叡智を解らせる必要があるだろう。
労わるように本の表紙を撫で、敵意を向ける相手へと顔を上げた。
「放課後だ。訓練場は押さえておく、それで文句はないな」
「いいわ」
「フィア、アルス君も……」
「それと立ち会う条件として、俺とお前の二人だけだ。外野は連れてくるなよ。悪いがアリスだったか、立ち会い人になってくれ」
「それはいいけど……」
アリスは止めたい気持ちが顔に表れているものの、一言が喉の辺りでつっかえてしまっている。二人が望んだ結果だからだ。経緯はどうあれ、テスフィアの一方的な要求をアルスが呑んだことで、同意の上で成立してしまったのだ。もうアリスは見守ることしかできなかった。
アリスの選択は潰えた。外野が何を言おうとも収めることはできないだろう。アルスも同様に……。
ぬきさしならない状況は往々にして争いを生むという良い教訓になったということだ。
「放課後、訓練場で決闘を受けよう。この場にいる三人だけで……」
まだ昼までは一時間ほどあったが、アルスは手早く着替えて訓練場を後にした。
そして向かう先は……理事長室だ。
訓練場の使用はちゃんとした受付を通して申請するのだが、アルスの場合は順位を秘匿しなければならない、全面貸し切りにしてもらうために直接赴いたのだ。
「構わないけど、うっかりなんてのは勘弁よ」
「もちろん」
「で、あなたを怒らせた馬鹿は誰かしら」
溜め息混じりの質問は誰かは問題にしていないようだったが。
「テスフィアだったかと」
「――――!! フェーヴェル家の御息女じゃない」
見開いた眼は驚きよりも不吉の色が濃かった。
「やめるわけには……いかない?」
「無理ですね。向こうが俺の邪魔をしてくるのだから彼女に言って欲しいです。それに学生同士の模擬戦は認められていますし、理事長が仲裁に入ったら一層厄介なことになりますから」
理事長に釘をさすように視線でもって言外に告げる。
そして自分から視線を外し鬱屈としたため息を吐き出す間だけ瞼を閉じた。
ゆっくりと開いたアルスの瞳は明らかな面倒くささを訴えている。
「ただでさえ時間を削られているんで、これっきりにしたいんですよ」
理事長はまだ何か言いたそうに口籠るが、これについては諦めたようだ。だが、最後に――
「学院の訓練場は軍のものより設定が低い作りになってるから加減は間違わないでちょうだいよ」
訓練場内のダメージは全て心的ダメージへと変換されるのだが、シングル魔法師がその気になれば変換されたとしても重大な後遺症を残すという警告だった。
「わかってます」
それを最後に踵を返してドアへと引き返す途中、放課後に使う武器を見つけた。
「これ貰っても?」
「構わないけど何に使うの?」
「もちろん模擬戦に……手持ちの本は貴重なものばかりなんで」
そう言って無造作にテーブルの上にある学院のパンフレットを手に取った。厚さにして一センチにも満たない薄さだが大した問題ではない。
「いくらなんでもそれは……」
「これで十分です。彼女の実力はわかっていますので」
理事長にパンフレットの表紙を見せるように、魔力を纏わらせた。
わずかに湾曲していたパンフレットは紙面独特のしなりを見せたと思った瞬間――固定されように微動だにしなくなった。
それを見た理事長は目を瞠り、少し心配ごとが薄れたように胸を撫で下ろした。
「心配はなさそうね。そんなに綺麗な魔力付与を見たのは初めてよ」
「ありがとうございます。そういうわけもあってこれぐらいが丁度いいかと」
「そうね」
魔力の流動、伝達がスムーズなほど魔法の威力や強度に影響をもたらす。どれほどちゃちな物でも完璧なまでの魔力操作ができれば、それは武器だ。
だから、今のアルスが武器と呼ばれる物を使用し魔力を付与させたならば、名刀以上の出来になってしまう。それを敢えて紙にランクを下げることでうまくバランスを取ろうというのだ。
とは言え、アルスの思考は少し違う。戦闘において武器が衝突したり、その真価が発揮されるのは実力が拮抗した場合に限る。
この場合はアルスの攻撃を弱めるための格下げだ。
さすがに紙ならばいくら魔力を付与させたとて、理事長が懸念するような脳に障害を残すには到底至れない。パンフレットを使わずに魔法を発動させれば別の話だが。
礼儀正しくというよりも軍に居たせいで敬礼しそうになるのを既で思い留まって、深く一礼して退出する。
「じゃあまたね」
「…………」
教室に戻るのは面倒だった。
クラスメイトの視線が気になるというわけでは、もちろんない。昼休み後の授業が億劫なだけだ。
出席数が単位の取得に関わらないのであれば、間違っても授業に出ることはないだろう。
アルスは校舎を出た。歩む先は意図せず研究室へと向かっている。
カギを開ける手もスムーズだった。それほど大した手間はなく、扉の横にあるパネルに魔力を通すだけで施錠、解錠される仕組みだ。魔力ならいいというわけでもない。魔力によって本人確認が行われているのだ。日常生活の一環となったこの動作はパネルに触れるだけで無意識に魔力が漏れるように習慣化されている。
アルスは自室で不格好なおにぎりを片手に寂しい――本人は微塵も感じていないが――昼食を取った。
校内の食堂に行けば、上等なご飯にありつけるのだが、アルスは一度として赴いたことがない。それも昼食を取っている合間にすら本を読み資料を漁るからだ。
今も視線は一度として手に持つ米の塊へ向かわない。
アルスはここにきて模擬戦中の不可解な視線に思考が向かった。
過った程度だが……アルスを見つめる者が学内にいる時点で理事長が把握していないはずがないのだから、大したことではないのだ。暗殺者、刺客、テロ、どれも当てはめるには突飛過ぎる。なんにせよ危害を加えるつもりがないのなら取り立てて探る必要もなかった。いずれわかるだろう。アルスからすればその程度のことだったのだ。無論ある程度の予想があってこそだが。
アルスは併設された部屋、開け放たれた寝室を一瞥した。視線の先には真黒なアタッシュケース。
最前線でともに戦ってきたアルスの唯一の相棒だ。
アルスのAWRは特別製である。研究成果とも言えるが。独自にアレンジを加えた世界に唯一無二の一振りだ。
しかし、前線から退くことを決めたアルスは使わない生活を願ったのだ。これを持ってきたのは単に軍から逃れられないとか研究成果の賜物だからというだけではないのかもしれない。それは免罪符であってアルス本人は知らず外の世界にこそ居場所を求めたのかもしれない。
白亜の巨塔が魔物の侵攻を阻んでから五十年余、中から見上げる空は偽物だ。
鮮やかなスカイブルーが毎日続くフィルターが掛かった偽造の景色だった。だから外を知らない世代は雨を知らない、雪を知らないのだ。雲の動き一つ取ったって厚い雲やまだらに点在する雲の存在を知らない。風が青い匂いを運んでくることも知らず、知っているのは毎日同じ形の雲が同じ方向に流れるだけの空だ。本物の世界は魔物が跋扈する外の世界。
軍に居た頃は――今も所属はしているが――任務で魔物を倒すために幾度外界へと赴いたかわからない。しかし、その度に表情を変える世界にどこか心躍る自分がいたことをアルスは知らない。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)