噛み合わない足音
広大な敷地をフル活用し、建てられた協会本部。
本部まで一直線に延びる舗装された道路。その両脇には整備された庭園があり、更に奥には簡単な演習場も完備されているようだった。
もちろん、建造時にも立ち寄ったことのあるアルスは敷地の大部分を把握している。協会本部は独特な造りになっており、真正面からでは旧時代風の城を連想させる造りになっているのだ。縦に伸びる尖塔が七つ、丁度背後にバベルを背負っており、宗教的な匂いすら感じさせる荘厳な美しさを醸し出している。
一種の遺産のような建築様式である。正面からだと城が連なっているイメージだが、横から見れば訓練施設などの演習場や、育成設備が入った棟と繋がっている。構造自体は古めかしい印象を与えるが、使われている材質や技術は最先端のものだ。
まず目につくのは真正面にある巨大な石造りの支柱であろう。綺麗に磨かれた柱がずらりと並ぶ中央では、大口を開けた門戸がある。
人の出入りも多くあるが、そのほとんどが魔法師や職員のようであった。
協会所属魔法師への登録者が急増していたはずだが、すでにある程度は各国に置いてある支部で対処できているのだろう。
アルスとロキの姿を見るなり、頭を下げる者が多いことから中には魔法師も相当数いるようである。それはこれから依頼を受ける者か、はたまた依頼を遂行した旨を直接報告するためか、いずれにせよ本部とは言っても役目自体は支部の統括だけではない。
当然、支部と同じように魔法師の育成にも精を出すし、登録審査や、依頼内容の精査もここで行われているはずだ。
元首が住まうような豪邸や宮殿を彷彿とさせる光景である。
アルスが資金提供をしたが、当然各国も金銭面でサポートしており、このデザインにも一枚噛んでいると思われた。触れただけでも注意を受けそうな芸術的造りだ。
「頭の硬そうな連中が考えそうなデザインだな」
呆れながら眺めるアルスは、立ち入り難い衝動に襲われていた。
「芸術的な感じがしますけど……ダメなんですか?」
ロキの目からはこの本部は合格点らしい。さすがにセンス云々を出されればアルスに自信など微塵もない。芸術的といった美的感覚ではロキの方が遥かにこだわりもあるし、敏感な気がするのだ。
「なんというか、年寄りが好きそうな感じがしないか?」
「はい? アル、誰が年寄りですか?」
器用に首だけを不気味に回したロキの顔は笑っていた――陰った笑みを向けて問いかける。
何かを踏んだ気がしたのは、気のせいではないだろう。アルスとしてはこういった芸術的な良さがわかるのは年を食ってからと相場が決まっていると思った程度なのだが。
長くなりそうな気配を感じて、アルスは気持ち早く本部へと足を踏み入れる。
「おぉ、さすがにそれっぽいな。軍みたく規律正しい、堅苦しい感じもないし」
真正面の受付兼窓口を見て、アルスは感嘆の声をもらした。受付は基本的に女性事務員が担当しているようで、その背後には電光掲示板がある。映し出されているのは依頼に関するものだ。
アルスとロキが見えたことで、協会本部依頼受注窓口は水を打ったように静まり返った。
ざっと見渡しただけでも協会魔法師を示す、ロゴの入った外套や記章をつけた魔法師が見て取れる。しかし、ここにいる者達は新参というよりはもとより、魔法師の肩書を持っているような者達なのかもしれない。
一目見ただけでも積んだ訓練や経験が、そうした熟練の雰囲気を纏っていた。
――それなりの順位だな。
軍部でも良く感じられる空気だ。アルスへの敬意とは別の緊張感がある。
実はここに集まっている魔法師は、協会の仕組みを逸早く理解している者達である。協会の依頼は全て本部で精査される。信頼に足る依頼の多くで、特に外界や軍絡みの依頼には慎重だ。
審査を通った依頼は本部から各支部へと行き、同時に依頼データベースに追加される。
依頼は基本的には条件を満たせば早い者勝ちになる。本部で新たな依頼が追加された場合、ライセンスなどからアクセスできる依頼一覧に追加されるより、本部にある巨大なスクリーンに表示される方が早いのだ。
ここに待機していれば誰よりも早く依頼を受注することができるというわけだ。
いずれにせよ、近々バルメスへと協会魔法師の大部分が派遣される予定になっているのだから受注競争になりにくいはずではある。とはいえだ、学院生でもない協会魔法師は協会の外界依頼をこなすことで順位の向上も望めるため積極的である。
そのせいか本部で直接依頼を確認する魔法師は外界経験のある強者だと一目でわかるのだ。
本部の玄関ホールの中心でアルスとロキは自然に周囲へと目を配った。魔法師や事務員に限らず、ここにいる多くは遠巻きに眺めているだけだった。それはアルスの漏れ出ている魔力が原因なのだろう。
敏感に魔力を察知する必要があるとはいえ、魔法師でなくとも生来気配として感じ取れる者もいないことはない。ようは近づき難い雰囲気を魔力から感じ取ってしまうのだ。
もちろん、端にアルスの目つきや順位のせいだとも言えるが。
「協会も順調に機能しているようだな。ハイドランジの状況からして、協会も協力せざるを得なくなるんだろうがな」
ハイドランジの外界はそれこそ常識を軽く越えてくる。曲がりなりにもシングルを冠するアルスが言うのだから、何も知らない魔法師は新人のように戸惑うことだろう。そして新人のようにつまらないミスの末、あっけなく死んでしまうに違いない。
それはそれで忍びない。
「協会の運営に口を出すつもりはないんだが、見て見ぬふりは通らないしな」
後々イリイスに小言を言われる姿を幻視したために、こうして赴いた節もある。
「アル」とふいにロキに袖を引かれたアルスは、彼女が示す方向に目を向ける。
「どうもアルス君、ロキさん」
軽快な足取りの男は手を頭の上まで持っていき、激しく左右に振っていた。まるで異国の地で唯一の知人を見つけたような安堵を浮かべている。
そして一斉に彼へと向けられる視線は、興味が移ったことを示してもいた。
白衣を着た男はギリギリ二十代で指先を辛うじて引っ掛けて堪えている年齢だ。もちろん歳に固執するようなことは、彼に限ってはないのだろう。研究者的思考といえば良いのか、基本的にはいつだって時間がない、が口癖なのだから。
ともかく彼は今年度から第2魔法学院で講師をしている男だ――名をクレイスマンと言う。
講師としての顔は仮の顔であり、彼はアルス同様研究者でもある。新任として初の講義にはアルスもロキも参加したものだ――変質者同然のマスクを被って。
極秘ではあるが、クレイスマン教諭は若き研究者としてバベルの解析チームの一人でもあった。いつから剃っていないのか、彼の口周りと顎からモミアゲに掛けて髭が伸びていた。
触るとジョリッと音がしそうである。
「珍しいですね。協会の、それも本部にクレイスマン教諭がいるなんて」
「いや~さすがに僕も一生縁のない場所だと思っていたんだが、中々そうも言っていられなくてね。授業の方も理事長が気を利かせてくれたもんだから、僕としては助かったよ。この場合はアルス君が居てくれて助かった」
小首を傾げるロキと同様にアルスも疑問を抱く。そもそもここに講師であり、研究者でもあるクレイスマン教諭が訪れること自体不可解なのだ。
衆目を集めていることに気がついたのか、クレイスマンは場所を移すように二人を誘導し始めた。
石畳の通路を歩きながら、クレイスマン教諭は腰を低く声を潜めて語り出した。
「実はイリイス会長の耳に入れていきたい話があるのだけれど、そこはほら、僕は一介の教師という肩書しかないしで、断られてしまってね。さすがにバベル案件のことは公にされていないわけだから、早々口外するわけにもいかない。ほとほと困り果てていたところにアルス君がいたわけなんだ」
さすがに天下のシングル魔法師がいれば、断られることはないと思ったのだろう。
だが、やはり疑問は募るばかりであった。
「ですが、各国の元首が正式にチームを作り、解明に当たっているのであれば、元首様からすでに話が通っているのではないのですか?」
「……う、う~ん」
そんな疑問の声を上げるのはロキで、彼女の問いにクレイスマン教諭は言葉を濁すように渋面を作っていた。
「まさか無断で?」
「い、いや!! そんな神をも恐れぬ所業私にはでき、ない……よ」
ほぼ確定である。研究者の特徴ともいうべきか、こういったデッドラインを見誤りがちなのだ。それもそうだ、研究者とは一つのことに異常な執念も燃やす者の名なのだから。
また、彼のような一研究者は上にその成果を握りつぶされることもあると聞く。事実なのかは定かではないが。
「クレイスマン教諭、情報の漏洩は案件が案件だけに、死罪ものですよ。そしてそれを俺に言ってしまうし」
「いやいや、だから違うって!? 僕はちゃんと報告しているし、許可も貰っている。君に話したのはちゃんと僕ら解析チームの報告者リストに君もいるからなんだ」
「……そんなことだろうと思ってましたけど」
さすがに研究者として名高いアルスが、バベル解明に加えられていないはずがない。どこかしらで報告が上がってくる気はしていたのだ。そもそもバベルの機能を停止させ、第三のバベルを開発したのもアルスだ。であれば、その機能向上など何かしらの研究に役立つのでは、と元首らが考えるのは至極真っ当な話だ。
安直な思惑が透けて見えるようだ。
となると、アルスはそのリストとやらに載っている人物を想像、いや想像するまでもない。
「つまり、イリイスもそこに名を連ねているわけか」
ウンウン、と首を縦に振るクレイスマン教諭は手間を省くかのように辺りを一度見回した。
聞き耳を立てている者がいないかの確認だろう。無論、そんな者がいればすでにロキが報告していたはずだが。
「僕が進言したのは現段階で判明したことだけでも、報告した方が良いのではないか、ということで、言い出した私が直接赴くことになったわけなんだ。アルス君にも報告をと考えていたから、よければ君から会長に話してくれると助かる。僕はあまり伝えるのが得意ではなくて、ついつい端折ってしまう癖があるものだから」
学院の教諭がそれでは元も子もない気がするが、アルスは取り分けその気持ちが良くわかった。わかっている前提で話を組み立ててしまうせいか、自分の頭の中の考えをそのまま口にしてしまうのだ。
「それは構わないですけど、歩きながらでいいですか?」
「な、何を言っているんだよ。口外できないって君が言ったんじゃないか」
「だからですよ。雑談程度に話せば誰も気にも留めません」
「報告だけなのに、ヒヤヒヤものだ。ここまで心臓に悪い挑戦は初めてだよ」
「でも、不要な単語は出さないでくださいね」
クレイスマン教諭はすでに汗を掻いており、かなり神経を使っていた。生命の懸かったゲームは魔法師でもない彼にとって、生まれて初めての経験だろう。
そもそもある程度はロキが監視してくれているし、話しながらでもアルスは周囲に注意を向けるつもりだ。
卓越した技術ではないが、こういった気配の察知は軍関係者でもない限り疎いのは仕方がない。
おそらくリストには載っていないはずのロキについては、アルスが責任を持つことで了解してもらう。
さすがに元首らも問題視はしないだろう。彼女もバベルが機能を止めた、その場に居合わせているのだから。
しかし、ロキは咄嗟に「アル、イリイスさんの場所がわからないのでは?」と肝心要の疑問を背後から投げた。
アルスは最初に受付で場所を訊くつもりだったのだ。
「ん~、まっ大丈夫だろ。だいたい偉い奴は高いところにいると相場が決まっている」
「なるほど、さすがです」
褒められた話ではないが、事実総督や位の高い役職の人間が一階にいるなど訊いたことがなかっただけの話だ。アルファの軍本部も地位が高くなるにつれて、上階で仕事をすることがあり、そういう部署の配置になっている。
階段を見つけて、一先ずそこから上がっていくことにする。
「で、その報告はなんなんですか?」
クレイスマン教諭はことさら小声になり、口の形はアルスへ向けて不自然にすぼめられ小さく紡がれた。
「バベルには地下が存在する。これは調査開始からすぐに発覚したことなんだけど、地下と言っても何か設備があったりするわけじゃなく、掘削作業を途中で中断したような痕跡があったというだけなんだ。地下は土砂が散乱していたしね」
――元は研究施設だったはずだし、それは入った段階でわかっていたことだ。しかし、重要な設備など主な実験は上階だったはず……。
施設自体に地下を設けるのは不自然なことではない。特に非道な研究などの場合は人目につかないようにするものだ。各国が過去に行った研究の数々も、人目につかない場所で研究が行われていた。
クロケルの妹であるラティファが人柱として、利用されていたのはバベルの中心部であった。周囲の構造からして、魔力の供給は中心がもっとも効果的であり、バベルの塔に波及しやすいためだ。実験区画などは比較的上層階で行われていたはずである。
そもそも階下につながる連絡通路はなかったはずだ。無論、アルスはバベルの内部構造をほとんど知らないのだから、ないと断言することはできない。
「それで?」
「問題はここからなんだ。実は土砂やバベルの建設時に出たとされる瓦礫の山を撤去してる段階で、巨大な地下トンネルが見つかったんだ。それが一週間前になる」
それまで雑談として軽く聞いていたアルスの顔が、初めて横のクレイスマン教諭へと向けられた。驚くでもなく、既知としていたわけでもない。
これまでずっと払拭されなかったバベルの疑問が今、アルスの中で組み上がっていく。
無感情な目は何も語らなかった。
二・三歩後ろを歩くロキの肩が、逸早く察知し、物憂げな目をアルスへと向けている。これまでも多くの研究など、アルスが熱中する顔を見てきたのはロキ自身だ。
僅かな癖も今となっては熟知しているつもりである。
画期的なアイデアだったり、行き詰まった研究の糸口が見つかった時とは違い、時折アルスが先を思考し過ぎてしまうことで、断念する顔だった。例えば研究の行き着く先で、有益とならないもの、人々にとって悪い方向に進んでしまうもの、そういった研究は最初の段階ではわからないことが多いのだという。
だから研究が進み、とある瞬間アルスは研究が実を結ぶ半年、一年先まで計算してしまう。その結果として断念するのだ。集中し過ぎることで、意識的な計算ではなく、思考自体が独立して先を予測してしまう感覚。
それを言葉で言い表すだけの材料や、研究を放棄するに足る理由はこの段階ではアルスにも説明できないのだ。ただ、彼の経験上、そのまま続けてもやはり数字が出揃った時点で断念という舵を切らざるを得ないらしいのだ。
今のアルスはほぼ確信に近い形で、良くない結果を予測したのだろう。
冷淡ともとれる目をロキは良く知っていた。確かに集中し研究を途中で断念せざるを得ない結果に行き着く時の目だ。だが、それはアルスが心を切り離す、感情を切り離す時に見せるものと似ている。
ロキの不安を助長させるような虚ろな瞳であった。




