新魔法
「ちっ……」
比較したアルスは無意識に気分を害された思いで舌を打った。
これがグドマの研究だ。
胸糞悪いというのがアルスの結論である。だが、同時に意義がある研究でもあった。
後天的に優秀な魔法師を作れるならば、魔物を退ける戦力としては十分だろう。光系統がエレメントと取り分け呼ばれているのは、何も先天性にあるだけではない。つまり、光系統の魔法は対人戦においても優位なものがあり、上位級魔法を扱えることができれば魔物との戦闘においても付加効果をもたらす。光系統と呼ばれる魔法は再生能力を有した魔物の再生を妨げる作用があるからだ。
グドマの研究はアルスの目的と一致するはずだった。任務でなければ見逃すということも考えたかもしれない。
だが、今のアルスはグドマの研究を否定した。
もちろんそんな都合の良い物のはずがないという研究者としての予感もあったが、少なくない時間を割いて育てた教え子の成長を阻む障害でしかないという気持ちが一番強かった。
感情に左右されることはない。任務に支障があるわけではないのだ。
ただの研究者としての在り方に不満があった。
テスフィアとアリスをいっぱしの魔法師にしたとして、それでアルスがどれだけ楽ができるのか? グドマの研究のほうがよほど人類を救う可能性もあるのだ。
だが……すでに二人への教育プログラムは始まっている。ならばアルスは最後まで面倒を見るだけだ。
「遅くなりました」
ロキが小走りで扉を開ける。
いつ出て行ったのかわからないアルスからしたら遅いのかもわからない。
きっとアルスが先に帰っていただけで付いた言葉だろう。
「お帰り」
ロキはすぐに夕食の支度に移る。すでに下ごしらえは済ませていたようで、刻まれた素材が次々に出てくる。
アルスは気分を一新するために自分から話題を提供した。
「アリスの訓練はどうだ?」
「何かコツを掴んだようですよ」
「そうか、ロキは中々教えるのが上手いのかもしれないな」
ハハッと笑い出しそうな口調。
「…………どうかされたのですか」
訝しんだロキが料理の手を止めずに返した。彼女の気遣いだったのかもしれない。あまり神妙にならず何気ない疑問程度に収めたのは……。
機微なパートナーに苦笑交じりにアルスは口の端を上げた。
「いいや、何もない」
それが何かあると含んでいてもアルスは知った上で答えた。
「そうですか」
だが、何気ないやり取りで、ロキが気を使って装っても彼女の気苦労が解消されることはない。
机の端末が何かを受信したことを知らせるアラームがなったのは丁度、会話が途切れた時だった。
「特に変化はなしか」
総督直轄の諜報部隊からの報告だ。
これも毎度のことだ。情報は大きく任務の達成率を左右するため、何もなければその日の調査報告がアルスの元へと届けられる。
指定では三日後の早朝に開始予定だが、動きがあればその日の内に任務が早まることも珍しくないため、引き受けた時点で、この定期報告はすぐに目を通さなければならない。
「後ろ盾、パトロンが判明してないということでしょうか」
「だろうな」
総督直轄の諜報部隊とはヴィザイトス卿率いる精鋭だ。
それでも進展がないということは。
「結構でかい山か、厄介ということだろう」
何が釣れるのかと思ったが、案外あっさりと引っ掛けた針を外されてしまうかもしれない。
そうなればもう姿を掴むことは難しいだろう。
人類の生存圏は湖のように隔離されてしまったが、一度潜られれば軍でも探すことは難しいだろう。
「大丈夫でしょうか」
「どうだろうな、根っこから崩壊させないと意味がないとはいえ、それは俺たちの任務じゃないしな」
同時に今回の賊侵入の件によって任務が大規模になる可能性は十分だった。
フェリネラの言っていた実験体があそこまで実用的になっているのであれば、実験体が逃走することも考えなければならない。
任務の達成目標がグドマの抹殺と資料の抹消だ。実験体が逃げたとなれば被検体である実物は資料と同等のもの。
個体数もわかっているだけで5体以上……確認は出来ていないが街で襲ってきた連中も関係しているとすれば8体以上はいるだろうか。
「変更があれば早めにして欲しいけどな」
「そうですね」
相槌を打ちながら次々に運び出される料理がテーブルの上を彩っていった。
「少し多くないか」
「……!!」
ここ数日アリスがいたせいか、明らかに一人分多い。
「――――! 失礼しました」
その原因がわかったのだろう。少し恥ずかしそうに戻そうとするロキをアルスは止めた。
「食べきれないほどじゃない……それにしてもアリスにはもう少し居てもらった方がよかったかな」
横目でチラリと見ると、気恥ずかしさからかロキは顔を逸らす。
「最初から泊るなんてことをしなければ問題はありませんでした!」
ロキの口からはぁ~と溜息が零れたが、それをアルスはなんだかんだで楽しかったようだと笑みを浮かべた。
そして一人分多い料理も舌鼓を打って完食する。
手を合わせたアルスは満足のいく料理に不安を覚えるのだった。
(運動しないとまずいな)
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
昨日の今日だが、アルス達の三人は訓練場に来ていた。昨日の今日というのはすでに訓練場の予約をしていたからだ。
まだ早朝、休みでないなら登校する時刻だろう。
今日はアリスの新魔法を試すためにわざわざ確保したのだ。
それを聞いたアリスは「もう出来たの!!」と驚愕したが、実際は出来たというほど大げさなものではない。
だから新魔法と呼んでいいのかすら悩む。オリジナルではなく、他系統の魔法構成を光系統に組んだだけのものだ。
共通の《アロー》やもう一段階上の《バースト》をいじっただけのものなのだ。
今回元となったのは風系統の中位級魔法である【風鎌】である。
当たり前のように黒幕が降りて区分けされた訓練場。
更衣室で訓練着に着替えたアリスとロキが入ってきて耳を傾ける。
「本当なら魔法式を直接刻んで慣らした方がいいんだが、AWRとなる材料がないから、プロセスを頭に叩き込んでゆっくり段階を踏めばその程度の魔法は出来る筈だ」
「うん……」
渡した二枚の紙にはびっしりと魔法式が描かれ、その下に翻訳と補足が丁寧に書き込まれていた。
紙に視線を落としたアリスはわかりやすい解釈にすでに出来る気がして鼻息を荒くするように高揚している。
「ありがとうアル」
「礼なんていいからさっさと移れ、それは序の口なんだ」
「……はい!」
アリスは訓練場の隅に移動して座り込んだ。魔法式とのにらめっこだ。
「ロキはそうだな……ここではいつもの探知訓練はできないから別のアプローチをしよう」
「お願いします」
考え付いた訓練方法は目を瞑ったロキに一方的な攻撃を加え、それを防ぐというものだ。
「正確な動きまで探知できれば、死角を作らずに済む」
これは以前、ロキとの模擬訓練からヒントを得たものだ。背後からのアルスの一撃に気付けたのも探知魔法を使ったからだ。
まずは、遊戯用のゴムボールに魔力付与して投げつける。
それをロキは目を瞑ったまま避けるか受け止めるというものだ。
「った!!」
手で掴もうとするが、タイミングが合わず頭にボールが直撃する。魔力を付与しているとは言っても攻撃のために堅く固定しているわけではないので、当たっても大したことはない。
「ソナーの連続投射が遅いんだな。いつものように広範囲に放つのではなく、10mぐらいで秒間50ぐらいで放ってみたらどうだ」
「はい」
額を擦って拾い上げたボールをアルスに投げ返す。
直立で目を瞑ったロキ。
「おっ! さすがにこれだけ連続するとわかるな」
肌に魔力が僅かに触れる感触はある。
相当機敏に感じ取らなければわからないほどだ。
その証拠に範囲内にいるアリスは気付いた様子がない。
アルスは面白いと少し距離を縮めて、力を込めて投げた。さっきよりもスピードが速い。
バシッと綺麗にロキの手の中にボールが収まる。
すぐに目を開けたロキは手の中を視界に入れた。
「アルス様出来ました」
「良い感じだ。魔力消費はどうだ」
「それほどではありませんが、使い続けて5分ぐらいかと」
つまり今のは5秒間放ち続けたわけだから250回、5分使い続けて1万5000回のソナーを放つことになる。
それほどとロキは言うが戦闘を想定したものだけに他の魔法を使うこともままならないだろう。
「燃費が悪いな。とりあえず、今の要領で出来たんだから捕捉できるまで回数を下げよう」
とボールを持ったまま、まだ成功していないアリスの下へと向かう。
「どうだ」
「ん~、何がいけないのか発現しない」
貸し出し用のAWRを握って紙を凝視するアリスは小首を傾げるばかりで原因が思い至らなかった。
意気込んでいただけに不安が滲み出ている。
「見てやるからやってみろ」
「う、うん」
AWRを見ながらロキにボールを投げる。
感覚のため、ソナーの回数はロキ自身で調整してもらうとしてアルスはただ投げる役だけだ。
成功したかまではわからない。
アリスの魔力がAWRを伝い、プロセスをクリアしていく。
刃が輝き、アリスがそのままAWRを振った。
刃先に集中した魔力は形作ることなくそのまま霧散するだけ、結局無意味に魔力を放出しただけだった。
「ねっ」
ねっじゃない。アルスは一目でその原因に至っていた。魔法式を暗記し、ただ起こりうる事象を脳内で映像化するだけの行使ではこういう時に手を拱くのだ。
ロストスペルの魔法式を暗記して、その魔法がどういう魔法なのか正確にイメージすることができれば発現することはできる。それでも威力などの調整が一切出来ないのは先にも述べた通りだ。
威力や形状、その他もろもろのプロセスをすっとばす癖は授業でも間々見られる。それも古代失語学と専門的に呼ばれる魔法式に関する授業がないからだ。
そのため魔法を構成するプロセスを認識して行うということをしてこなかったがための見落とし、アリスは試験勉強の際にテスフィアと一緒に少なからず、魔法式の理解度を深めたため、こういう時には一言助言するだけで理解してくれるはずだ。きっと。
「ちゃんと見ろ」
床の紙を指差す。
「形状の指定が出来ていない。まぁ今まで《リフレクション》のようなAWR自体に作用する魔法しか使って来なかったんだからしょうがないかもしれんが」
アローのようなメジャーな魔法は矢の形をしているため、形状の指定はすでに頭の中で出来ているのだ。
だから初めて使う魔法の場合は正確にプロセスをなぞっていかなければならない。
「あっ!!」
うっかりといった具合にテヘッと舌を出すアリスに呆れるのだった。無論、理事長のように違和感はないので見逃す。
投げ返されたボールを掴むと、また同じようにロキに向かって投げる。
アリスも心の中で段階を追っているのだろう。イメージが出来上がると。
「ふぅ~……」
AWRを握り魔力を通す、刃に魔力が集まり、魔法式を輝かせる。
「《シャイルレイス》」
振り下ろされた刃から斬撃が飛んでいき、壁面にぶつかると爆発した。白煙が上がって訓練場の壁が魔力を吸収して波紋を広げていた。
「出来た!」
呆然と余韻に浸るように壁を見据えたアリスは次第に嬉々とした顔に綻んでいく。今にもぴょんぴょん跳ねそうな勢いだった。
「出来た! 出来たよ」
「見てたから知っている」
研究の成果を見届けたアルスはやっぱりかと内心で納得していた。
光系統は他系統よりも自然の摂理から少し外れたところがある。
そのため、発現自体に物質としての影響がない。炎魔法を放てば燃焼に必要な要素を魔力で補填しなければならないのだ。
しかし、光系統は発現する、留めるだけに必要な魔力は他系統よりも少なくて済む。
まったく必要としないのではない。正確には光系統とは根源を太陽の光に起源があるとされている。そのために人工にしろ光のある場所では消費魔力も抑えられるのだ。
外界の太陽ならばさらなる恩恵が得られるだろう。逆に暗闇ではその力を半減させかねないが。
「おめでとうございます。アルス様、アリスさん」
「ありがとうロキちゃん」
今の爆発で手を止めて賛辞を贈る。ニュアンス的にはアルスに対しての賛辞だろう。
「この程度は俺じゃなくても出来ることだ」
「ご謙遜を……」
「そうだよ。凄いんだよ」
嫌味に聞こえたのかと思ったが、実際既存の魔法を光系統に転用した結果こういう形になったと言うだけなので、大したことがないのは事実だ。
その手の研究を知らない彼女達からしてみれば偉業なのだろうと素直に受け取ることにして反論は呑込む。
アリスも自分の系統で三つ目となる魔法が使えることに興奮冷めやらぬどころか増す一方で鼻息も荒くなった。
「アリスはいつでも使えるように反復しろ。これで魔物にも多少は通用するだろう」
「はい!」
「反復とは言ったが、咄嗟に使えるのは当然だぞ。いつでも加減、最大威力を調整出来て習得だからな」
「そうです。アルス様の作品を最高水準で使いこなしてこそ意味をなすのです」
どこか羨ましそうに弁舌を振るうロキにアルスは赤くなった額を小突いた。
「そんなことよりお前は回数を把握したのか」
そんな暇はないだろ、と言ったつもりだったが。
「もちろんです。25~30で十分把握できます」
「言ったな……次は実戦形式でやる」
「はい! お願いします」
昼を挟み、それからもぶっ通しで暗くまで訓練は続く。
アリスが《シャイルレイス》をほぼ自分のものに出来たのは大きな収穫だった。
動作を伴った魔法の発動は得意なのか、他の生徒とは一線を画する才能だろう。
ロキも実戦で使うには使用タイミングにラグが生じるものの、これも経験を積めば近い内に探知しながらの戦闘も可能だ。
解散となったのは時間も時間だったこともあるが、アルスのライセンスにプライベート通信が入ったからだった。
相手は意外にもフェリネラ。
父から登録ナンバーを聞いたと弁解しながらで全然本題に入ろうとしないので、一先ず研究室で会うことになったのだ。
ライセンスからの個人通信は一般的なもので、意外にも簡単に傍受される。
その手の通信妨害対策はアルスのライセンスにも施されているが、相手側も対策を取っていないと片側でも傍受されるのであまり意味がない。