必要な根拠
「悪いことが続いているし、何かあった時に対処できないかもしれない。そしたらきっとロキちゃんはここには戻ってこないでしょ」
「そうだと思います。ですが、依頼を受けた以上、僅かでも情報を得ておくべきかと」
「こだわり過ぎだよ。アルが行かせないって思ったのはそこ……今回は私やフィアが同行しているからかもしれないけど、アルは最悪任務は成功しなくても良いと考えていたんじゃないかな」
それは些かロキからしてみれば腑に落ちない理屈だった。いや、この考えは昔のアルスを基準にしているのだろう。もしくはアルスの任務完遂率からの勝手な思い込みなのかもしれない。外界という場所がロキの思考を普段とは別のものに切り替えていたのだろう。
――アルは任務より私達を優先させた、ということですか。
内心でロキはそう口をついておきながら、胸がすくのを感じていた。
当初では任務を優先させていたはずだ。もちろん、それは彼女らに危害が加わらない配慮の上で求められる目標に過ぎない。
危害が加わる可能性を考慮した場合、アルスは任務を放棄する選択をする、そうアリスは言う。
危害が加わらない可能性には、その場にロキがいることも含まれているはずだ。
そう考えて……今のアルスを思い浮かべたロキは。
「納得しました」
「本当ッ!? 良かったぁ」
心底安堵するアリスにロキもつい苦笑が漏れた。
真実がどうであるにせよ、彼女達にはアルスがそう見えていたことが嬉しかったのかもしれない。
「言われてみれば、一か八かの賭けになってしまったかもしれません。やっぱりここは少し変な気がするのも確かです。アリスさんが抱く得体の知れない不安は、アルやフィアさんがいない今の状態を指してのものだけではないでしょう」
「それって魔物がってこと?」
「それもあります。アルファではまず見ない魔物が多数生息していることもあるのですが、やけにレートが高いのも気になります。それに加えて地形の問題もありますね。正直いってここまで起伏の激しい場所はアルファではほとんど限定されていますし、地図で見る限り、少し先から連なった山々があるため、上手いこと進軍を阻んでいるんです」
それに加えて河川が通っていることも原因の一つだ。目の前の小川は支流であり、本流は更に下降した場所にあるはずだ。
「アリスさん、一先ず明日のことを話しましょう。一応日の出とともに出立して合流地点を目指します。その頃には【闇夜の徘徊者】はいないはずですので、探知しながら探しましょう」
「了解!」
本当ならばもう一つの手段として、アルスを探し出したい気持ちもあるが、隊として考えた場合、きっとこれが正しい判断なのだろうと、ロキは自分に言い聞かせていた。
少なくとも外界でこの休息地を見つけられたことは助かった。魔物の目を気にせず、かつこれだけの時間滞在できるというのも珍しいことだ。
「というわけでアリスさん、ここは私が見張っておきますので、休んでください」
「えっ! いいよロキちゃんが先に休んで」
「いえ、私は数日不眠で動けるぐらいには訓練していますし、アリスさんは怪我のこともあります……それと休める時に、しっかり休むのは重要なことですから」
「う、うん。じゃ交代にしようよ」
「わかりました。では、だいたい二時間ぐらい経ったら起こしますので」
そういってロキは外が窺える壁際に腰を降ろす。
横になったのか、アリスはポーチを枕代わりにしてローブに包まって「先に寝るね、おやすみロキちゃん」と火の向かい側へと声を投げた。
「えぇ、おやすみなさい」
穏やかな声音でロキもまた揺らいだ火の先で返す。アリスからはロキの顔を正確に見て取ることができなかったが、それは安眠を保証する温かい声であった。
張り詰めていた糸が緩むようにアリスの瞼がゆっくりと降りてくる。不思議と身体は明日に向けて力を蓄えるようにして、力が抜けて行く気がした。
この場所が魔物にとって避けるべき場所であるのは確かだ。それは特別な状態、つまり興奮状態であったり、何かしらの危機的状況でもない限りは、魔物は近寄りもしないだろう。無論、それはこちらの居場所を教えるような魔力の放出であったり、物音がしたりする場合は別だが。
更にいえば、【闇夜の徘徊者】という魔物が闊歩する間、周辺の魔物を息を潜めるようにして身を隠すことも知られている。なぜそうなのかは誰にもわからないが、しかし、この現象は疑う余地がないほど確度が高い。
今、この場所は生存圏内並に安全と言える。
気がつけば洞窟内は、アリスの寝息も聞こえないほど静寂に包まれていた。いや、この外界そのものが寝静まってしまったかのように音が消えている。
こんな時は逆に神経がピリピリと張っていくものだ。
ロキは座りながら膝を両腕で巻き込むように抱き、左右に交差させた手が腕を強く掴む。
ずっとこんな調子だ。アルスが出ていってからずっと……。
心がざわつく感覚。その要因は様々だ。アルスが帰ってこないこと、あまりに不可解な魔物との遭遇。そう考えれば、そもそも任務からして不可解という他ない。
さすがのロキでも【夜会】という言葉ぐらいは耳にしたことはある。だが、それも噂話程度、都市伝説的な妄想のようなものしかないのだ。アルファではまず詳細な情報など入ってくるはずもなく、自国が管轄する任務範囲内で起こり得ないことを調べようとする奇特な者は少ない。
こういった噂話は尾ひれがつくものと相場が決まっている。実態は良くある話で片付けられることが多いのも事実だ。
しかし、アリスが今ロキが感じているものの断片を感じ取っていたように、今のロキはどこか落ち着かなかった。外界で一夜を明かすというのは時折、こういう心を脆弱にすることがある。悪い予感というものを全身で感じ取ってしまうのだ。
そういう時は大概――
「良くないことが起きる兆候……」
アルスはきっと自分達を優先させるだろう、とアリスはそう言った。ロキ自身もそんな気がするし、それは好ましいことなのだろう。
しかし、同時にロキにもアルスの考え、その一端を読むことができた。
――アルはたぶん、この任務を想像以上に無視できないものと判断しているはず……。
結果は変わらないだろう。アルスは二択を迫られた最後の決断では、アリスの予想通りになるはず。
言い換えれば、その選択を迫られなければ確実にアルスは任務を全うする。仕事だからというよりも直感に近く、それは外界に出る魔法師が経験とともに培う感覚だ。
アルスほどともなると直感以上の価値がある。多角的な分析を得意とするアルスが総体的な判断として、最後に委ねるのは直感であり予感なのだ。
死線を潜り抜ければ誰にだって理解できる話だ。失敗は何かしらの兆候を無視した先にしかないことを。回避できる可能性は終わってから気づくものだ。
しかし、死線を幾度と潜り抜けた者には、その分岐のようなものを見極める感覚が養われる。
アルスは任務の情報を受け取った段階で「予感」を抱いていただろう。そしてそれは魔物との遭遇を機に確実に予感を越えて、確信へと変わっていたはずだ。
「更には【闇夜の徘徊者】」
いくら外界が不測の事態しか招かない場所だとしても、ここまで揃ってしまえば……。
ぼんやりと焚き火の明かりを眺めて考え事をしていたロキは、時折その考えに情報を与えるように外へと注意を向けた。
ロキが目を向けた先には、【闇夜の徘徊者】が掲げる炎の明かりが、今も無数に樹海を不気味に照らし出していた。その行列は何かの儀式か、はたまた厳かなお祭りのようにとある場所を目指しているのがわかる。ここからではよくわからなかったが、この先には辺りで一番高い山があったはずだ。今いる場所からでは傾斜が強く、その頂は見えない。
がしかし、暗闇を押しのけるように遠方の空は薄っすらと明るく、赤々とした余光が見えていた。




