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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第3章 「巣窟の中で築く」
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片隅で少女は強く想う




 そこは真っ暗闇だった。全身を突き刺す冷水は体温をみるみる奪っていく。どれほど深く水中に沈んだのかわからず、何より上下の感覚すらないかのようだ。

 どちらに向かって泳げば良いのか、どっちが水面なのか彼女にはわからなかった。


 それでもパニックになることがなかったのは、水面に叩きつけられた衝撃以上に動かなければ待つのは「死」だけだからだろう。


 何より今、水中でテスフィアの手は一緒に落ちたはずの彼を掴んでおらず、そのことに焦りを抱いていた。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 なんとか月明かりを頼りに水面に出たテスフィアは、すぐさま大きく息を吸い、またあの暗闇へと引き返していく。霧のような飛沫が大量に舞う滝壺の近くで顔を出したテスフィアは、彼の――アルスの姿を見つけることができなかったのだ。


 そして真っ暗闇の中をテスフィアはひたすらに潜る。時間が経つにつれて襲い来る恐怖心と身体の芯に湧き上がる冷たい予感。それでも闇雲に彼女は探し続けた。

 薄っすらと目を開けて必死に探すテスフィアの視界は、それこそ目が持つ役割を果たしているとはいえなかった。それは目を開けていても閉じていても、見える色に違いなどない暗色なのだから。


 しかし、ふとテスフィアが目を閉じた時、それは確かに見えた。閉じているのに見えるという矛盾が起こったのだ。

 落水が作り出した深い水底。そこに溜まった膨大な水量。

 その水に鮮やかな光が混じって星の海に沈んだ感覚に見舞われる。この一時は自分が目を開けているのか、閉じているのかすら判別が難しかったほどだ。


 多彩な光の粒が一帯を覆っているのが感じられる。それは紛れもなくアルスの魔力の奔流に他ならなかった。発生源に顔を向ければ、一際強い光を放つそれが水底に沈んでいた。



 水底から掬い上げたテスフィアはそのまま川べりまで連れて行く。先に上がって水を吸った服を引っ張ってアルスを引き上げる。


「アル、アル!!」


 胸に耳を当てて呼吸を確認した、その直後、アルスは水を吐き出して、苦悶の表情で薄っすらと目を開けたかのように見えた。

 だが、その途切れかけた意識は再度、彼を深層へと引き込んでいく。


「どうすれば……!?」


 月明かりが辛うじて差し込むこの川沿いでテスフィアは泣き出しそうな顔で周囲を見渡す。今、魔物に襲って来られでもしたら確実に喰われるだろう。

 何より、今のアルスとテスフィアはこの寒空の中ずぶ濡れ状態だ。魔物に喰われずともいずれは……。


 必死に頭を回転させるテスフィアの視線を攫っていったのは、とある異様な光景であった。誘導されるようにテスフィアは顎を上げて、奇妙な明かりを追う。

 光源は月ではない。

 先に見える一帯で一際高い山々の頂上で、炎のような明かりとともに、空間すら歪んで見えるほどの濃密な魔力が結集しているようだった。まるでそれ自体が先程、水中で見たアルスの魔力のように、発光している。


「な、何……」ポツリと零れ落ちた奇妙な現象に対する無意識の反応。

 ただ、それがあまり良くないものだと察したのは、この外界という場所が持つ特性のようなものだと感じたからだ。人智が及ばない場所、それが外界という二つ目の世界なのだ。


 テスフィアは小柄な身体でアルスの腕を肩に回して、ゆっくりと離れるように木々の中へと歩いていった。彼女の目からもアルスの変調は明らかだった。

 今は一刻も早く休息できる場所を見つけなければならない。




 しばらくして。

 パチパチと枯れ木が燃ゆる音がその場所に小さく鳴っていた。そこは奇しくもアルスが休息地として、候補に上げていた岩壁の窪みだった。ただ地図上の候補地として挙げられたそこは、実際とは異なりせいぜい二人分のスペースしかない。ここら一帯は岩壁が崩れたのか、大岩が雑然と視界を悪くしており、足下には湿った落ち葉と不格好な小石が敷き詰められていた。


 テスフィアはアルスを抱え、その隙間を縫うように奥へと休める場所を求めたのだ。


 たどり着いた先で、吹き付ける風を凌ぐためか、入り口にはテスフィアが羽織っていたであろうローブが簡易的に止められている。

 寒さに歯を鳴らしながらテスフィアは狭い空間で、隣に横たわるアルスへと目を向けた。濡れた服は乾かすために枝で組んだ物干しに掛けたり、壁面の突き出た岩肌に引っ掛けてある。


 今、テスフィアは無地のキャミソールと下着姿であった。しかし、アルスは火を魔法で熾した辺りで一度目を覚まし、その時は「何もするな、直に収まる」と息も絶え絶えにそう発したきり、眠るように瞼を閉ざしてしまった。



 幾分温まってきただろうか。混乱するテスフィアは唇を巻き込むようにして噛んだ。


「助けられてばっかり……」


 膝を抱えて顔を伏せながらテスフィアは小さく自責の声を発した。ここに到着した直後、腰砕けにホッとしたのも束の間、彼女はすぐさま魔力結晶を外に撒き、少しでも魔力の痕跡を残さないように努めた。その際に焚き火用の枯れ木も拾ってきていた。



 「アル!」と反射的に声を発したのは、アルスの呻き声を聞いたからだ。震える喉から漏れた苦しそうな声。

 覆いかぶさるように窺い見るテスフィアは、アルスの容態を改めて視界に収めた。彼の手の先は身体へと向けられており、何かに堪えるように押さえつけていた。

 服を捲って見たテスフィアが見たのは……。


「血が止まってない!? それに身体も冷たい!」


 心配ないと彼は言ったが、どうみても異常事態に他ならなかった。

 即座に服を脱がせると、身体に走る無数の傷が痛々しいほど走っている。脱がせようとするテスフィアの手を遮ったのもこれを隠すためだったのだろう。


 迂闊だった。またもテスフィアは歯を食いしばって脱がせた服を強く握りしめる。ずっと不調の中、守ってくれたアルスが無傷のはずがない――大丈夫なはずがないのだ。第1位の魔法師も一人の人間なのだ。いくら超越した力を持っていても、その身体は紛れもなく人の身なのだ。


 縋り付くように、そして問いかけるようにテスフィアは横たわるアルスの上で項垂れる。


「なんで……言ってくれないのよ」


 ポタリと自分の不甲斐なさがテスフィアの目を濡らした。心配させまいとしたのか、アルスの考えることはいつだって彼女にはわからない。


 直後、テスフィアは顔を上げて強引に目元を拭う。

 考えなくてはいけない。そう、何もかもアルスが教えてくれるはずがないのだ。それは甘えでしかない。


 だからテスフィアは今できることを考える。いや、もう何をすれば良いのかわかった上で、彼女に迷いはなかった。そこからの行動は躊躇いや不安を感じさせない決意を宿していた。


「できる。やらなきゃいけない!」


 手を温めてテスフィアは靴底から縫合用の針と糸を取り出す。脱がした服でアルスの傷口を拭う。


 ――アルは一人で戦ってきたのかもしれない。それでも今回は一部隊――一チームとしてここに来ている。アルが言ったことだよ。アルが教えてくれたことなんだよ……。


 かじかんだ手の感覚も戻ってきた頃、白い息を発しながら、テスフィアは意を決して一つ一つアルスの割れたような傷口に針を通していった。

 その都度、無意識に身じろぎする身体をテスフィアは必死に押さえつける。


 どれぐらいの時間が経っただろうか、一つ一つ丁寧に施術したテスフィアは、最後の傷の処置を終えたところだ。いつの間にか彼女の額には汗が浮かび、ほぉっと細い安堵の息が吐かれた。


「血も止まったし、たぶん大丈夫」


 テスフィアは一段落とアルスの胸板に手を置いた。

 が――。


「嘘ッ!! なんでこんなに冷たいの!?」


 そう、アルスの体温は異様なほど低下しており、風に晒された岩肌のような冷たさだったのだ。

 両手でアルスの顔を挟むも、やはり血の気は失せ青白くなったままだ。


「火は!」と振り返っても焚き火の炎が弱まった気配はなく、拾った枯れ木も十分焚べられている。


 立ち上がったテスフィアは額を押さえて俯いて考える。こんな時、どうすればいいのか。眉間に寄った皺に苦渋の表情。

 しかし、いくら考えても良い方法など出てこない。いや、良い方法など現状ではないのだろう。限られた道具の中では何もできやしないし、その知識もない。それがわかってしまった。ロキの下までいけばまだ手段はあっただろう。それも叶わぬ願いだ。


 するとテスフィアはアルスの顔を不安げに見下ろして。


「散々助けておいてそれは許さないから……絶対、死なせない!」


 キャミソールの裾を交差させた両手で掴むと勢い良くテスフィアは脱ぎ、次いで腕を背に回して下着にも手をかける。少しでも早く温めるために、できるだけ余計な物は身につけない。そして掛けてあったアルスの大きめのローブを羽織ると、テスフィアは彼をローブで包み込むように覆い被さった。


 肌を重ね、体温を共有する。

 全身でアルスの身体を温めるためにテスフィアは肌を密着させた。小さく脈動する心音は果たしてテスフィアのものか、それともアルスのものか……。

 冷たくなったその身体を一つに重ねて、テスフィアはアルスの手に自分の手を重ねて握り締めるのであった。



 

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