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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第3章 「巣窟の中で築く」
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赤い髪を靡かせ宙を舞う



 闇夜に響いたテスフィアの叫び。


 ――大声出しやがって……クソッ、頭に響く。


 突発的な刺激に対する反射のように、目の奥がズキリと痛む。【2点間情報相互移転シャッフル】を使ってからというもの、目の端に靄がかかり始めていた。眼球に傷でもできたのか、小さな虫のような影が視界に混じりだす。


 テスフィアが妙案でも思いついたかのように駆け出すが、それは同時に無防備を晒すことにも繋がる。


 当然、【名もなき無存在(ノーフェイス)】がこの好機を見逃すはずもない。根本的に魔物は高レートになるほど獲物を前にどちらかを選択するという思考がそもそもない。食うべき順序こそあれ、逃すということを人間相手にはしない。

 二兎追うものは一兎をも得ずなんてそもそも考えもしないのだ。ただし、獲物の捕捉に失敗した場合など、魔法師が逃げる隙は生じる。


 背中を向けて全速力で走り出すテスフィアは、この最悪の状況から脱するべく足を動かすことだけに専念する。その証……いや、信頼というべきなのだろう。彼女は全力で走れるように武装を解く――刀を鞘に収めていたのだ。


 ――大丈夫。方角ならわかる。だいぶ離れちゃったけど、水の音もする。


 脳内でアルスに抱えられてきた距離などを考えて、小川がどこにあるのか、その場所を思い浮かべる。道筋はわからなくとも、真っ暗なこの場所ではいくら考えを巡らせても、彼女に打開策は思い浮かばない。それでも小川まで行けば、幾分視界は開けるはずだ。


 もし全く違う方角であった場合が脳裏を過るが、テスフィアは自分を信じて走った。


 ――そこにさえ行ければ……。


 Aレートとアルスは言ったが、テスフィアが視認できていない以上、彼は今、Sレートの魔物と戦っていることになるのだ。それは都市さえも壊滅させうる脅威。一国を蹂躙し得る存在である。少なくとも一部隊で討伐に当たるにはあまりにも無謀な脅威だ。


 しかし、そんな不安もいつものアルスだったならばきっとものともしないはず。「面倒くさいな、ちゃっちゃと片して帰るぞ」、こんな軽口が出てきそうなものだった。

 だが、今のアルスはすでに軽傷とはいえない傷を負っている。魔物の一撃を受けたのもそうだ。


 抱えられている時から、彼の息は乱れ、かつ身体からは異様な程の熱を発していた。それに今更気づいたテスフィアは歯を食いしばった。今は後ろを振り返らず、何が起こってもただ前だけを向いて目指す。



 背後で繰り広げられるのは、一進一退の攻防などではなかった。アルスがすべきことはテスフィアを守り抜くこと、それだけに注力している。

 刹那的な【名もなき無存在(ノーフェイス)】の出現を、ひたすら追い続けるアルスの動きは、次第にテスフィアの後を追う形で展開されていた。


「ハァ、ハァ、ハァァ…………目がかすみ始めてきたか」


 肩で荒い呼吸を繰り返して、アルスはまた大きく息を止めて駆け出す。

 どこに出現するのか、それを察知するための視界はほとんど役に立っていなかった。魔力の痕跡を追って、上手く構成できない魔法をひたすらそこに向けて攻撃することしかできなかった。


 今のアルスはほとんど無酸素運動の状態であり、呼吸の合間すら遅延に繋がってしまう状況にあった。

 テスフィアの周囲を広範囲で移動し、当たらない攻撃を続ける。


 が、それも長続きしなかった。空間を一瞬で移動する【名もなき無存在(ノーフェイス)】を相手に今のアルスでは追いつくことすらままならなくなっていたのだ。

 それが意味するところは……アルスが正確に魔物を捉えられなくなってきている。

 アルスの知覚状態を映像化した場合【名もなき無存在(ノーフェイス)】の魔力痕跡は区別できないほど無数に点在しているのだ。


 これでは次にどこに出現するかもわからない。

 痕跡はいわば、魔力残滓に近いものだ。それが数秒の内に数十にも上るため、まだ残滓が残った状態であった。


 ――いずれにせよ、もう感覚が鈍くなっていたところだ。


 魔力の痕跡を追うには、今のアルスでは限界に来ていたのだ。

「ハァ、次だ」と吐き捨てるように口をついた後、即座に残された手段へと移行する。この手段が限界を迎えれば、アルスの意識は完全に真っ黒に塗り潰されるだろう。それを覚悟の上で、今度はアルスが声を張った。


「フィア、お前を信じるからな……」


 だから……そう言いかけて口を噤む。いつものように余計な一言が出そうになるアルスは、口の端を持ち上げることで飲み込んだ。


 真っ直ぐ走るテスフィアの小さな背中、その上をせわしなく赤毛が跳ねる。辛うじて姿を捉えられるその距離でアルスは手を彼女に向けて伸ばした。

 今まさに【名もなき無存在(ノーフェイス)】が出現したところだ。


 確信めいた魔物の行動を認めて、アルスは翳した手の指を交差させた。


「【2点間情報相互移転シャッフル】」


 一瞬にしてテスフィアとアルスの場所が入れ替わる。

 背後まで迫った魔物の腕に、アルスは振り返りざまにAWRを一閃させるが、やはり空を切るばかり。


 一方でテスフィアは一瞬にして視界が切り替わったことで、つんのめるように止まる。瞬時に自分の居場所を確認して、先程通ってきた場所に戻ったことを覚る。

 乗り物に酔ったようなクラクラする感覚を押しやって、進行先で一瞬だけアルスの姿を見て、テスフィアはまた走り出した。


 その口は呼吸するためだけに開かれるのではなく、実に分かりやすい喜色が篭っていた。


「わかってる!」


 勢い良く踏み出す足。

 確実に近づいている気配を確かにテスフィアは走り出す。だが、少し進んではアルスの魔法によって戻される、この繰り返しによってテスフィアのほっそりとした顎に汗が伝う。

 口の中はずっとカラカラだ。唾液もろくに出てこない。そのくせ、まだ口の中を乾かそうとして酸素を取り込む身体。


 転ぶ暇などなく、不確かな足下でテスフィアは真っ直ぐ出口のない樹海を駆け続ける。こんな自分を信じてくれたアルスに応えるために、彼女は絶対に……。


 ――絶対に応える!!


 決意の直後、それは唐突に抜け出た。真っ暗な室内で朝を迎えたように、それは朝日を塞ぐカーテンを引いた時のように一変した景色を目の前に広げた。


 水を激しく打つ音が、遮る仕切りを取り除いたように直接耳朶を叩く。


「出た」と息継ぎの合間に溢したテスフィアは急いで見渡す。樹海から飛び出した彼女は小川に面した大岩の上で首を振る。それは次の動作に移行する直前の一瞬で行われていた。

 休息地と比べると流れも多少速く、川幅も広い。何より上流まで上っていたせいか、その流れは切り取られたように少し先で途絶えていた。そう、水気を含んだ空気の元、滝だ。


 水を打つその音は、滝が間断なく流れ落ちたものだった。


 その直後、テスフィアの横で、一直線に小川を横切るようにそれは吹き飛んできた――川の水を吹き飛ばすように。アルスはそれでも倒れなかった。膝までを川に浸からせて、なんとか持ちこたえていた。


 ほぼ同時にテスフィアはアルスの容態を確認せず、彼女は全魔力を費やして、魔法ともいえない魔法を足下に打ち、高々と跳躍していた。それは風系統に属するものなのだろう、ただの風を地面に叩きつけるだけだったのだから。


 薄雲から微かに見える半月を背にテスフィアは地上のアルスを認める。


 眼下では満身創痍のアルスがそれでもなお、高速でAWRを振るっていた。一呼吸もアルスに与えられず、追撃が加えられていたのだ。

 

 無数の杭がアルスの周囲を取り囲んでいた。取り囲むように放たれたのではなく、すでに取り囲まれるようにして生み出されていた。その距離は魔法に関する座標指定を無視した空間移動である。突き刺さるまでの距離などあってないようなものだ。


 身体の周りに【暴食なる捕食者(グラ・イーター)】を纏うのが早いか、その杭の群れは一分のずれもなく一斉に襲い掛かってくる。

 だが、それを全て撃ち落とす勢いでアルスは身体を捻り、鎖を駆使して迎え撃っていた。

 全てが一瞬で終わってしまうその瞬刻。しかし、その全てを切り伏せるも、避けきることもできなかった。一斉に射出されたその杭はアルスの身体をいくつも浅く傷つけていく。


 皮膚が裂け、遅れたように血が流れ出す。なんとか致命傷だけは避けられたが、すでにアルスにできることは限られていた。


 足は鉛のように重く、腕には力が入らない。AWRから手を放してしまえば、もう一度握って振るうことは難しいだろう。何より、頭がぼうっとする。


 その時――頭上から離れかけた意識を呼び起こすような聞き慣れた声が降ってくる。


「アルゥ!!!」


 その声にアルスは足下を攫っていこうする川の水に呆然と視線を落としたまま「聞こえてるよ」と微かに口が動く。


 ここに来て彼女の狙いがやっとわかった。至極シンプルなその作戦だからこそ、今のアルスは応じることができたのだ。


「むちゃさせやがる」




 高々と飛び上がったテスフィアは、身体を宙に踊らせて仰向けのまま落下していた。

 そしてその背後にはやはり【名もなき無存在(ノーフェイス)】が現れていた。


 テスフィアの手には小太刀【雪姫セッキ】が握られており、ゾクリッと背筋を撫でる気配を合図に斬るようにして何もない空間へと薙ぐ。


 テスフィアの目の前にはごく一般的な氷系統の防壁が生み出された。長方形の氷壁が七枚、湾曲するように並び立てられた。しかし、こと造形技術に限って言えば【アイシクル・ソード】然り、完璧なまでに洗練されているといえよう。


 生み出された氷壁は鏡のように背後の魔物を映し出す。


「見えた!!」


 全体ではないが、確かに【名もなき無存在(ノーフェイス)】がそこにいた。無防備を晒してまで、テスフィアは自分を囮に魔物の視認を果たす。

 彼女が視界に映した時、すでに魔物はテスフィアを殺そうと持てる力で捻れた腕を突き刺そうとしていた。本来ならば匙を投げて、死を待つばかりの間。

 走馬灯でも見そうなものだが、テスフィアが魔物を氷の鏡の向こうで見る、その目は力強いものだった。


 命を預けることを厭わないし、迷わない。今日まで彼といて共有した時間が、それに足る信頼を生むのだ。


 落下の風を全身で感じ入るかのようにテスフィアは身を委ねた――後は任せたわよ、と胸中で小さく呟いて。


 それに応えるかのように、落下するテスフィアを押し上げそうなほど膨大な魔力が吹き上げる。


 【名もなき無存在(ノーフェイス)】のすぐ傍でそれは突如生まれ出でる。氷の茨で覆われた形であり、その隙間からは核となる魔力の凝縮体のようなものが認められる。巻きついた茨は触手のように【名もなき無存在(ノーフェイス)】の身体を絡め取る。


 ありとあらゆる魔力構成そのものの時間を凍結させ、魔力を取り込む魔法。魔物の身体は掴まれた時点で余すことなく氷の彫像と化していた。瞬く間に魔物の肉体構成を分解、魔力へと変換し、茨は成長を遂げる。


 そして巻きつかれた部位から【名もなき無存在(ノーフェイス)】は粉々になって砕け散った。

 ガラスが砕けるような、破砕音を背後で聞き届けたテスフィアは、着地に向けて体勢を立て直す。その頃には魔物と一緒に茨は魔力残滓へと還りつつあった。

 何より、今は高レートの魔物討伐に一役買うことができた安堵の方が強い。


 まだ着地までは時間もあるだろう、そう思ってアルスへと目を向けようとした時、テスフィアの耳にバシャンッと水飛沫の上がる音が飛び込んできた。


「――!!」


 そこでは気を失ったのか、アルスが倒れ、流されそうになっている姿があった。

 テスフィアは上手く魔法を併用し、着地の衝撃を軽減する。なんとか川に着地したテスフィアは被るほど跳ねた水を煩わしげに、すぐにアルスの姿を探した。


 水の中を分け入って、流れに沿ってテスフィアは重い足を動かした。彼女の目の前にはアルスが流れに攫われていく姿があったのだ。

 そして流れる川の先に目を向ければ、膨大な水が泡状になって次々と落ちていく――すぐ傍には滝が待ち構えていた。


「待って、ダメ!!」


 がむしゃらに走るも、アルスの身体は滝に飲み込まれる寸前であった。後数歩あれば……だが、無情にもテスフィアが伸ばす手はアルスを掴むことができない。

 もうここから引き上げることはできないと見るや、テスフィアは迷いなく大きく水底を蹴って落ちるアルスに抱きついた。

 空中でアルスの頭を抱き、衝撃に堪えるように目を瞑る。



 二人は、水音だけを響かせる滝壺へと消えていった。


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[気になる点] ロキの助けが欲しかった気がする。…信号弾は?
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