培った者故へ偏向
休息地としてアルスとロキが選んだいくつかのポイント。
それはいわば、動物が行き来する獣道から逸れた岩場であった。魔物の生態、その多くは解明されていないが、現場での経験が長くなれば自ずと気づくことがある。
魔物は好んで動物を殺したりせず、生息域を分かつことが多い。夜ともなればその限りでもないし、興奮状態など例外を上げればキリがないわけなのだが。
いずれにせよ、通常魔物が立ち入りにくい場所というのはいくつか存在するのだ。
その一つが動物が多く、休息地とする縄張りなどだ。季節を考えれば冬眠しているのだろうが、動物と魔物はこの大自然の一部で住み分けているといえる。わかりやすくいえば、営巣地が該当するだろうか。
魔物が動物を捕食対象として見ないため、通常その棲家を荒らすことはない。その逆もまた然りだ。
地図からそういったポイントを探し出したアルスとロキは、任務遂行に必要な安全地帯に目星をつけていたのだ。
その一つがこの切り立った岩場のある渓谷であった。近くには小川まである。水場となる支流さえ見つけることができれば、どこかには休息できる場所がある。
予想した通り、岩盤が自然に削れて洞窟化している場所を見つけ、そこを休息地にした。
近くを流れる小川のせせらぎは、寒さからかどこか鈍く聞こえる。
洞窟内部はそれほど深くはなかった。それどころか外から丸見えの状態である。それでも天井があるだけましだし、十分な広さも確保できた。アーチ状に形成された洞窟、いや窪みというべきなのだろう。
朽ちた葉や枝、湿っぽくすらあったが、確保できただけでも一安心である。
アルスのポーチを枕がわりにアリスの頭に敷かせ、横に寝かせているが特に異常はなさそうだ。直、目を覚ますだろうと思われた。
ここまでの道中で、アルスはポーチに入った魔力残滓を散らす結晶を砕いて散布しており、早々場所が特定されることはないだろう。それでも外界に完全ほど不完全な言葉もない。長期に留まることができる場所など、外界のどこにもありはしないのだから。
洞窟内部は日が沈む黄昏時の陰鬱さをそのままに溜め込んでいた。暗闇がこの世界から明かりを喰い、いずれ薄っすらと地に溶け込む暗がりは体温を知らず知らず奪っていく。
「少し距離がありますね。時間的にはそろそろ【夜会】の予測地に向かう他ないかと。現状では高レートはおろか、魔物の総数自体も少ないようですが」
小さな焚き火を灯し、火の近くで地図を広げたロキが難しい顔でそう告げる。
「ここで待っていても埒が明かないだろうな。ここら一帯を調査するしかない」
「アル、それでは……」
「あぁ、俺一人で行く。戻らない場合は指示した通りだ。合流地点で落ち合う」
無論、これはアルスが帰れない状況を想定した場合だ。今回は【夜会】と呼ばれる現象の調査が任務の目標であることから戦闘は避けられるかもしれない。
だが、それは同時に身動きが取れない状況であることも意味していた。
夜の外界は息を殺して身を隠すが、常套手段だ。いや、ある意味ではそれしかできないとさえ言われている。
季節柄陽が落ちるのは早いとはいえ、アルスの出立はもう少し時間が経過してからだろう。そう、完全に闇が侵食してから、魔物が活発に動き出す時刻になる。
自ずと舞い降りた息苦しいほどの静寂。
壁に寄りかかったアルスはため息をついて、そっと目を閉じた。
その間にもアリスの容態を慮ってテスフィアが傍で寄り添っている。
隊の士気がこれほど低下するのは珍しいことだ。これでは居心地の悪さから休まるものも休まらないだろう。
そんな時、静寂を破るようにしてアルスは「フィア」と淡々とした声音で彼女の名を呼んだ。
明らかな動揺を肩の震えで示したテスフィアは重たい腰を上げるようにして、立ち上がる。彼女がアリスの世話をしていたのはきっと紛らわすためだったのだろう。自分のミスが今の状況を作っていることも理解していたのだ。
任務さえも支障をきたし始めていることも、わかっていた。だが、彼女はこういう時になんと言えばいいのかわからなかった。
あの時も……魔物から目をそらし、ロキの助けを借り、その後の逃走すらもままならなかった。足を引っ張ったことがわかっているからこそ、悔しくて挽回するために死に物狂いで戦った。
でも、きっとそれが正しくないことはアルスの反応を見れば、いくらテスフィアでもわかる。
ただ、何をどう間違えたのか、それがその時にはわからなかったのだ。後になって間違えたことだけがわかった。そんな自分の過大評価していたことが、今となっては胸を締め付けるように痛む。
テスフィアは俯き気味にアルスの前に立った。安易な謝罪を吐こうとそれが正しいことなのかもわからないし、その原因すらも未だわからない。
「お前は帰るまで魔物と戦うな」
「待って!? 私……ちゃんとやるから。今度は失敗しないから……」
必死に何かを訴えるかのようにテスフィアは声を張り上げた。必死に、必死に、自分ができることを証明したかった。
これまで手を掛けて見てくれたアルスに応えたかったのかもしれない。
無意味だと思われたくなかったのかもしれない。
それとも、魔法師になるという夢を否定したくなかったのかもしれない。
きっとその全てなのだろう。もっと上手にできるはずだった。
だからもう一度、チャンスさえ貰えれば……。
「何をだ」
「な、何って……」
言葉に詰まるテスフィアにアルスはただただ説明的な口調で続けた。その瞳は駄々をこねる子供を相手にするように、興味すら抱かない冷たいものだった。
「何をやる。お前は何を失敗した。それがわからない奴に次があると思うか。お前は同じことを繰り返して同じ失敗する」
「やらせて。今度は絶対に魔物を倒すから!」
力強い目を真っ直ぐアルスへと向けるテスフィアは、胸に手を添えて自分の価値の再考を要求する。目に宿る訴えは、彼女が本来持つ真摯的な純粋を失い、向こう見ずな勇気でしかなかった。
必死になることしかできなかったテスフィアをアルスは見つめ返す。彼女の疲労は小一時間休んだ程度では回復しないものだ。無論、魔力の消費は著しく、これも完全に回復はしないだろう。明日は今日より早く限界を迎えることになる――それだけは確かだった。気力や威勢だけでどうにもならない現実を彼女は理解せず、戦うと懇願する。
「ダメだ。今のお前に何もさせるつもりはない。これは命令だ」
「誰の。アルの? それとも隊長としての? だったら尚更戦って――!!」
◇ ◇ ◇
頭がズキズキする。ドラム音が頭の中で響いた。
意識を断ったその傷みは、次第に意識を覚醒させる雑音と頭痛へと変わっていった。
目を開けようとアリスは突如として飛び込んできた覚醒の兆候から「うっ……」と呻き声を漏らして、ゆっくりと目を開ける。
横たわっていたのもわかるし、眠っていたのもなんとなくだか理解できた。床の硬さがここをいつものベッドの上ではなく、外界だと知らせてくる。
「アリスさん、大丈夫ですか」
「う、うん……でも、一体何があったんだっけ……私どうしちゃったの?」
頭痛がする患部に手をやるが、そこには包帯が巻かれており、触れた瞬間に走った傷みがアリスの目を反射的に閉ざさせた。
「まだ、動かない方がいいです」
「ありがとう…………!!」
そうはいうものの、一先ず起き上がるアリスの背中をロキが支えた。その直後の出来事だった。ここがどこなのかも外界ということ以外は知らないアリスの耳に反響した乾いた音が届いた。
アリスが音のする方へと顔を向けた時。
そこには片頬を押さえたテスフィアが顔を背け、その向こう側ではアルスが手を振り切ったところだった。
黒い陰でアルスの顔をはっきりと視認できないまでも、アリスには頬を叩いたであろう自分の手を見るアルスの顔が、不思議な傷みに堪える沈痛なものに見えた。
「少し頭を冷やしてこい」
その言葉にテスフィアは顔を向けることすらせず、髪を振り乱して外へと走って出ていった。
引き結んだ口からは悔しさを湛えた白い歯が見え、自分への憤りとわけもわからない惨めな気持ちがポタリと雫を落とす。




