動き出す魔法師の雛
◇ ◇ ◇
『わかっていたが? というか、事前になんの話し合いもなしに持ち出されるはずもなかろう』
「それがわかっていて俺を会合に行かせたのか」
『無論、シセルニア王女の要請もあった……その辺りは貴様も察しているのだろ?』
「…………」
会合から帰宅したアルスは早速、得た情報をイリイスへと報告していた。もちろん真っ先に会合の内容について事前に察知していたであろう彼女を問い詰めることも忘れない。
一息つく暇すらなく、さっさと終わらせようとしたのも、時間が良い時間だったからということもある。会合から帰るためにアルスとロキは予想以上に時間を浪費してしまったのだ。
それもハオルグに絡まれたというのが大きな要因であり、結局夕食もその場で食べてしまうほどに日も暮れていた。
通話口から聞こえる小馬鹿にしたような声音が、疲れたアルスの神経を逆撫でしていようとは彼女も思うまい。いや、わかっているからこそ、そんな口調なのかもしれないが。
アルスは分かりやすいように溜息を一つつく。
『文句は受け付けん。何事も円滑に物事を進めるにはそれに適した人選というものがある。協会を設立したのは間違いなく貴様だ。協会の意義が問われる場面で貴様が出ていかんでどうする』
「はぁ~、もうそれはいい。まだ言いたいことはあるが……で、そっちの調子はどうなんだ」
『ククッ……相当大変だったと見る。あぁ、こっちは順調だとも。学生を起用するにしても大掛かりな気もするし、不安がないといえば嘘になる。が、全ては今更だ……』
「外界に出すということはそういうことだな」
『昔からそれだけは変わらん。人の予測を越える存在でなければこうも追い詰められることもなかっただろうよ。後は結果を待つのみ』
通話口の声がワントーン下がったような気がしたが、それは気のせいではないだろう。
知る者こそが語れる口調、というものがある、重みがあるのだ。
「さて、こっちはこっちで明日も朝早いんでこれで失礼する。他に聞きたいことはないだろ?」
『十分貴様が苦労したいうことがわかったからな。それはそうと、外界任務か。順序が逆な気もしないでもないが、あの赤いのとデカ乳を連れて行くんだったか』
「それをアリス本人の前で言ったら、相当へこむぞ」
『若者をいじめるのは年寄りの特権ぞ? ククッ』
意地の悪い笑みを浮かべているだろうイリイスを想像して、アルスは大人げないと呆れた口調で窘める。
が、言うに事欠いて特権という辺り、彼女も二人を気にかけてはいるようではあった。
実際、アルスとしてはただの僻みにしか聞こえないから惨めな思いをするだけだぞ、と言外に警告したかったわけだが。
「それはそうと……」
徐にアルスの声が神妙なものへと変化する。重苦しい話題でもなく、ただの確認でしかないのだが。
やはりこの話題を出すと、罪悪感に近いものを自然と抱いてしまうのかもしれない。
「ラティファはどうしている?」
『随分と慣れたようだ。今部屋にいるが代わるか?』
「いや、また改めて伺わせてもらう。目のこともあるからな」
『そうか。でもまぁ、随分と楽しくはやっておるよ。最近は字の勉強も精力的だし、魔法についても、な』
「それを聞いて安心した」
バベルの人柱となったラティファは今も魔物の血から完全には脱していない。正しくは魔力情報体の変質と言い換えることができる。
それとは別に彼女は人柱となる前から患っている目の病も治らないままである。ラティファの兄、クロケルを殺したのはアルスだ。責任とは思わなくとも、少なくとも力になれることがあれば、と考えていた。
もし、それが助けた者の責務だというのならば……アルスは甘んじて受け入れるのだろう。それぐらいはバベルが人類を守ってきた功績を考えれば安いものなのかもしれない。
クロケルが一方的に押し付けた保険ともいえるのだろう。
イリイスとの通話を終えたアルスは切り替えるように椅子にもたれ掛かる。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です、か」
そう言いつつロキは、アルスの前へ眠気を誘発するような湯気を昇らせた紅茶を手渡す。
「そっちはどうだった」と受け取った紅茶を冷ますように息を吹くアルス。
「はい、フィアさんとアリスさんにはちゃんと明日の集合時刻を伝えました」
「そうか」
帰ってきて早々になってしまったが、外界任務については以前より計画していたことだ。今更変更も利かないのは、学院が休みである休日を利用しているからだ。
紅茶を手にしたアルスは徐に総督から送られてきた軍用品が詰まった箱へと向かい。
「いつものように手ぶらというわけにもいかないか」
「そうですね。いつぶりでしょうか。こうして外界へ出るために準備を整えるというのは……」
「……忘れたな」
テスフィアとアリスの分を除いた箱の中には間違いなく、アルスとロキの二人分の軍用品がびっしりと詰まっていた。どんな任務にも対応できる種類はある。
それから研究室の明かりが消えたのは、普段ではあり得ないほど早い時間であった。それでも日を跨ぐ程には夜遅く、二人は最後まで装備の最終確認をしていたのであった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
まだ陽が昇るにはもう少し時間を要することだろう。アルス達の外界任務に並行して、協会の学生を起用した初運用も時同じく始動し始めた頃合いだ。
最もフェリネラも参加する外界任務はすでに前日からバルメス入りしており、日の出とともに鉱床を目指すはずだ。鉱床付近には魔法師が待機できるだけの基地が築かれており、多くの高位魔法師やフリンを筆頭に治癒魔法師も待機している。
もっとも鉱床内部は完全に学生のみでの探査になるのだが。
アルスとロキは送られてきた対魔法繊維で編まれた防寒ローブを着用し、まだ街路灯が灯る中、学院の校門前で待機していた。少し霧も出てきたようで見通しも悪い、そんな夜との区別がつかないような朝。
こちらを不思議そうに受付の係員がチラチラと見ていた。
深いローブは二人の外見からでは何を持っているのかもわからない。必要最低限の荷物だけを持ち、しっかりとAWRも腰に下げているわけだ。
そして――。
「…………」
「……………………」
現れたテスフィアとアリスを見て、二人は言葉を失った。ロキに至ってはかなり口の端が引き攣っている。
「お前はとことん期待を裏切らんな」
「だから言ったのにぃ」
アルスのそんな苦言を予想していたように、アリスも隣の赤毛の少女に向かって口を尖らせた。
「アリス、お前もだ!」
「えっ!? 私?」
自分のことを指差したアリスは小首を傾げてから、キョロキョロと視線を落としてローブ姿の自分の身なりを確認する。
だが、問題はテスフィアの方にこそあった。
どこで調達したのか、特大サイズのリュックサックは最低限身動きはできるのだろうが、外界へ行くには大荷物であった。
彼女が歩く度に何かが擦れるような音が響く。
「ふぅ、よし! 行くわよ……ふぎゅっ!?」
先頭に立って意気込むテスフィアの脳天をアルスの容赦ないチョップが襲った。
「寝ぼけんな」
「な、何よ……」
薄っすらと涙を浮かべたテスフィアが、弱々しく抗議の目を向けてくる。
「アル、すみません」とテスフィアに代わって謝罪したのはロキであった。彼女曰く、昨日時間を伝えた時に散々持っていくものを聞かれてその場で答えていたらしいのだ。
軍の任務形式、という意味でもテスフィアとアリスの二人が外界に臨むのはそれこそ初めてのことでもある。課外授業とは別にこれから向かう先は、安全が担保されない。以前のようにアルスとロキによってレート管理がされていない、完全な外の世界。人類を守ってきた魔法師が最前線で生命をかける戦地なのだ。
そのため不安もわからなくもなかったが、いずれにせよ外界を熟知するアルスに言わせれば……。
「いや、予想はしていたが、あれだけ言ってもダメか」
「これでもかなり吟味したのよ?」
盛大な溜息をつくアルスを見て、テスフィアも自分の何がいけないのかを自覚していた。それでも、まだ見ぬ状況を想定すれば想定するほど軍用品はどれも必要になってきそうで選択することができなかったのだ。
不安が付き纏うからこそ、最大限対処しようと万全の準備で臨む。
その結果がこの大荷物である。確かに新人魔法師にはありがちな落とし穴だし、ある意味で誰もが理解していても通る道ではある。口で言ったところで、外界において一番必要な物がわからない。いかなる事態にも対処できるように装備を固めても、結局のところそれが仇となることがわからないのだ。
「大抵のことはローブとAWRがあればなんとかなる。それでも不安ならせいぜい機動力を損なわない程度の装備品三つまでが鉄則だ……ロキ、ちゃっちゃとやるぞ」
「はい!!」
持ち物検査の如く、ゴソゴソとテスフィアの荷物が解かれていく。
「待って待って!! その中にはああああ!!」
「ん?」
リュックに突っ込んだアルスの指に引っかかった淡いピンクの紐がその姿を露わにした直後、ササッとテスフィアが奪取する。
「長期の任務でもないのに着替えなんか持ってくな」
この過ちも新人のミスとして軍内部でも良く耳にする。だが、女性隊員の中でもかなり高位の魔法師は稀に着替えを一式を持っていく者がいないこともない……余計な情報をアルスが二人に与えることはなかった。
一般的には持っていかない、というだけで十分だろう。
「わかった、わかったから~。ちゃんと置いていくから」
「アル、こんなものも……って、結局渡した装備品のほとんどが入ってますね」
そう言って容赦なくロキは捜索の手を緩めることなく、次々と無駄な物が暴かれていく。
それをどこか逃れるように後ずさるアリスも小さめの斜めがけのカバンをがっしりとアルスに掴まれてしまった。
「お前も、それを降ろせ」
「嘘だよね?」
アルスにそう問うアリスも実は下着の替えくらいは入っているのであった。




