余韻の会食
奪還計画を正式に定めた議定書。
奪還計画の大筋はできているが、これから実際にどういった手順を各国が踏んでいくのか、それを決めていく作業は各国軍が連携の上で行われるだろう。
それでも今後、シングル魔法師は各国を行き来することが多くなるだろうことは予想できた。
公開会合は一端の終息を見て、瞬く間に大広間内は立食パーティーの様相を呈した。交流の場といえば随分と可愛げがあるだろうか。
実際、会合前と比べるといくらか穏やかな表情が並んでいる。それでもある意味で、残された者はあくまでも体裁として立てられた生贄だったのかもしれない。
用事が済めば、数名の元首はこのバラール城を去ってしまった。もちろん、今後の計画を軍部に持ち帰るためだろうと推察はできる……が。
元首がここに残ったからといって実はあまりやることがないのも確かである。寧ろ、他国の要人の挨拶だけでも辟易するだろう。
しかし――。
視線の端を使って、それとなくアルスは大広間を見回す。そこには一箇所だけやけに盛り上がっている場所があり、豪快な笑い声さえも聞こえてきていた。
「あれには関わらないようにしないとな」
「ですね、ここまで匂いが漂ってきますね」
表情には出さないまでも、ロキもアルスの意見には賛成のようだった。というのもその人垣の中心にはあろうことか元首がいるわけで、この場にはふさわしくないような気品もへったくれもないような酒樽を抱え込んでいた。
酒を酌み交わしているといえば、男らしいのだが、間違ってもあれが元首というのだから如何ともしがたいところだ。
ついでにいえば、彼の国のシングル魔法師、ヴァジェットはすでにこの場にはいなくなっている。
その元首ことハオルグは酔えないと以前アルスに言っていたはずだったが、今の彼の姿はそんな言葉を妄言へと変えてしまうほどである。
さて、とアルスは視線をもう一度振った。本音をいえば用もないので直ちに帰りたいところではあるが、さすがに挨拶もなく立ち去るというのは、協会の代役として出席した身としては常識を欠いている気がした。
ロキを連れてアルスは目星をつけた人物へと歩み寄った。
礼儀作法としてロキはさりげなく、差し出されたアルスの肘を見、添えるように腕を組む。
やはり元首の周囲には多くの重鎮がまるで飼い猫のように擦り寄っていた。群がる可愛げのない猫は、アルスたちを見るや恭しく腰を折って退く。
そんな中心にいた人物はホッと胸を撫で下ろしたようにアルスとロキを出迎えた。
「お久しぶりです。リチア様」
アルスに続いてロキも上品にドレスの裾を摘んで、軽く頭を下げた。
「まぁ、アルス殿。先程は面白い物を見せて貰ったわ。でも、さすがのあなたも疲れたのではなくて?」
「えぇ、多少は……」
肩を出した綺羅びやかなドレスを着込んだ上流階級然としたリチアは、取り巻きに解放され、深い息をついた。
一度お茶会に招いているせいか、外交的な探り合いはなく、知人とした気兼ねない会話に彼女も自然と頬が緩む。
「ですが、本当に疲れるのはこれからかもしれません」
「そうなりますわね。協会の戦力としてアルス殿には期待させていただきたい、というのが今回の主旨のようでしたし」
あまり快く思っていないのか、リチアは元首間で決まった情報を潜めてはいても小言のようについた。
「今のところ協会には実績と呼べるものがありませんからね。元首様といえど軍部を動かすにはそれなりの根拠を示さなければならない……その判断材料とされるのは致し方ありません」
そんな受け入れるべきことと割り切っているアルスの様子をリチアはあえて無言で見守る。その艶やかな唇は微かに持ち上がっていた。
立ち話としてはそれなりに入り組んだ内容として、リチアは協会に対しての提案を告げる。というよりも彼女の口ぶりはすでに必要不可欠なものとしてその提案が通る機会を窺っているようであった。
それは各国の情報を統括する役目を協会に与えるという旨である。
「なるほど、それは現実的に必要なことですね。それに協会の役割を考えると打ってつけです」
「アルス殿もそう思いますでしょ。各国の外界調査報告を一つのデータベースに収めてしまうのです。現状では各国がそれぞれ外界に関する一切の情報を占有してしまうのは今後の計画を考えると……そこは推して知るべし、といったところかしら」
「だから協会独自のデータベースを持ち、外界の状況を整理・管理すると」
満面の笑みでリチアは頷く。
やはりこの元首もまた、シセルニアと違った異彩を放っていた。必要な物が見えている、必ず必要となるものを事前に察知できる。
当然のことながら、外界の調査に関しては各国軍は閉鎖的である。故に協会がいくら求めても、応じられるとは考えづらかったのだ。
だが、実際に元首が先導するとなると話は現実味を帯びてくる。
そこで思い出したようにロキも言葉を交えた。それは元首というよりも気心の知れた上司に対した気軽な口調のようでもあった。
「アル、もしかすると今回調べたハイドランジのような状況も、各国は把握しきれていないのかもしれませんね」
正しくは各国は推測している。状況を大まかには把握しているが、全てとなると残念ながら知りようがない。あくまでも国家間で共有されはしていても一部秘匿されがちではある。たとえばアルファでのアルスの功績など、その詳細はこれまで伏せられてきたのだ。
「わかりました。今度、俺の方からイリイス会長に伝えておきましょう」
「それは助かりますわ。今はそれどころではないかもしれませんけれど、ゆくゆくは……」
「いえ、早急に草案が必要でしょう。問題は各国が承諾してくれるか、というところですが……」
「そこはおそらく大丈夫でしょう。議定書にも盛り込まれていますもの」
そう、各国は情報の提供を惜しまない。これに似た条文が含まれているのだ。
実際に、いくつか共闘関係を築くにあたって、弊害となりそうな懸念を取り除くものも多く含まれており、その大半はリチアが提唱したものだ。
だからこそ今、リチアは協会に対しての提案を示したのだ。
奪還計画が認可された今、これまでのように軍部が難色を示すとは考えづらい。
それからというもの挨拶程度で済ませるはずが、アルスは思いもよらず情報収集の役目を果たすこととな
った。ただ、途中からはアルスもロキも諦め、食事を取る姿も見て取れた。
さすがに各国元首が集うということだけあり、食事に無関心なアルスといえど、その彩りだけで食欲がそそられる。多彩な料理をロキと二人で回るのであった。
ふと、アルスは先程わざわざ謝罪をしにきた人物について思いを巡らせる。
それはクレビディートが有する探位1位のエクセレスであった。当然なのかはわからないが、終始アルスたちをチラチラと窺い見る、ファノンの面白くなさそうな姿が視界を過ぎってはいたのだが。
彼女は自分の異能についていくつか情報を提供してくれた。おそらくリンネの口添えがあったと予想できたのは、彼女が会話でリンネの名前を何回か出したからでもある。
もちろん、自国の魔法師でさえ秘匿案件とされるであろう能力をアルスに明かした意図は正直わからなかった。ただ、これもまた協会というものへの、または魔法師1位というものへの、信頼の表れなのかもしれない。
そう語りながらも必死に背後のファノンを隠すような位置取りをしており、アルスとロキに気を遣ったようだった。
異能とはいってもそれがどういったものなのか、程度の解説であったのは確かで、全てを明かしてはいないのだろう。
――それにしても魔力情報の感知か。俺と似た探知方法だな。
魔力そのものを感知する探知ソナーとは違い、魔力の情報によって識別する能力。それがあの痣のような印が持つ異能らしい。
ただし制限もあるようで、無闇矢鱈に使えるものではない。つまるところ彼女が探位1位と順位にいるのは異能よりも通常の探知能力の高さに起因していることは間違いないだろう。
だが、アルスの物体としての情報を脳内に投射する探知方法とは違い、遥かに精度が高い探知能力ではある。魔法というよりも正確無比な超感覚と呼べるのかもしれない。
「それにしても思いもよらず、収穫があったな」
バラール城を後にしたアルスとロキは事前に聞いていた不安要素を加味しても、予想以上に楽しい一時だった気がしていた。それは最初にリンネが言っていたように、図らずも懇親会に近い様相だったのだろう。
協会への期待の声もかなり聞こえてきていた。近日まで迫ってきている試験運用についてもかなり前向きな意見が多かった。成功すれば協会は自他共認知され、7カ国に並び立つ人類の力と認められる。
帰りの馬車の中で、向かいに座ったロキが徐に顔を上げ、小さく笑みを向ける。
「協会の期待は、きっとアルへの期待なのですね」
面映ゆいそうに言葉を紡ぐロキは、それが嬉しかった。彼の功績が認知され、世界が回り出す。
だが、やはりアルスは――。
「俺への期待は勘弁して欲しいところだな。ただでさえ忙しいんだ」
クスリと笑みを返すロキは、思っていた言葉が返ってきたことに手の甲を口元にあてがう。
そんなロキをアルスは真正面から見返さず、馬車からの遠くの景色を見た。
「協会は協会だ。次は出来の悪い二人を外界に連れて行くんだ。気が休まることはないだろうなぁ」
「そうですね。でも、お二人はやる気だけはあるようですよ。当初の目的通りですね」
憂鬱そうなアルスだが、テスフィアとアリスの二人を鍛える目的は、魔物と戦えるようにすることである。万事順調だとロキはアルスの横顔がばつの悪い表情になるのを面白そうに見つめるのであった。
口を尖らせるアルスも、すぐに受け入れたように溜息を溢す。幾度となく外界に出てもそれはアルスが自分一人のために戦ってきたという経験でしかない。
誰かのために、それこそ隊員のために死力を尽くす、なんてことを当時はただの死にたがりだと思っていたのだ。それが気づけば彼らと同じようにアルスは部隊として彼女らを生かして生存圏内に送り返さなければならない。
――さて、俺も気を引き締めなきゃな。




