者に潜む物
バラール城内の大広間には続々と各国の要人が集結しつつある。
中央に大円を描くように置かれた円卓には各国のプレートがのっているが、そこに着席している者はいない。まだ式典は始まってすらいないのだ。
リンネの言葉を借りれば、名目上は懇親会ではあるが、正しく解釈するならばこれは会合を公開する試みである。情報共有の場として設けられたのは言うまでもない。
同じ国の者同士で立ち話も見られた大広間も、元首とシングルが到着するにつれて彼らに配慮し、立ち話を止めた。そうした配慮が大広間内を粛々とした様相を呈し始めた。元々高官や貴族などの会話は、政治に関わる内容だけに慎重である。また、懇親会という場を考えれば歩み寄るべきだが、彼らはそういったことに興味がなかった。
談笑に花を咲かせるにはどこかギスギスとした雰囲気が漂っている。
唯一、外界の脅威という話題に関しては比較的前向きに話し合われていたことも確かだった。注目の的は現シングルを擁していない国、そこが擁立するシングル魔法師についてである。
事前に情報を仕入れているのか、ここでは探り合いよりも、新たに一桁入りする魔法師の評価についての話題が大半であった。
そんな彼らが水を打ったように口を閉ざしたのは使用人が姿勢を正し、儀礼的な口調で彼らの到着を大広間に響かせたからだった。
人垣が割れ、その者達の姿が見えると誰もが恭しく頭を下げた。
まず最初にシセルニアと付き人のリンネが先導し、一拍置いてアルスとロキが続く。
二人の美貌に息を呑む音は雑然と室内に緊張をもたらした。なお、ロキはアルスの腕に掴まり慣れないヒールで慎重に歩いている。
だが、彼女は緊張した面持ちではあるが、しっかりと役目を果たそうとさり気なく周囲に視線を飛ばしていた。
ここはすでに戦場なのだ。ロキはそのことをシセルニアに教えてもらった。意図があったかは不明だが、他国に妙な勘ぐりをされないよう、アルスの「時間を空けたほうが良いのでは?」という提案をシセルニアはワザとらしく驚いて見せた。
「今更ね」とそういって彼女は不敵に微笑んだ。アルスがアルファに所属していたことは周知の事実であり、現在も第2魔法学院に在学していることも知れ渡っている。ならば協会とアルファには太いパイプがあると考えるのは自然なことだ。
無論、そうした目論見があってシセルニアは事前にアルスの元を訪れてもいた。
邪推はこの場では必要不可欠な疑念である。最もシセルニアからしてみればそんなことは些細なことなのだろう。彼女はそれほど今回の会合に入れ込んではいなかった。
元首に参加の義務があるから仕方なく来ている程度――それもアルスがこないのであれば、それほど楽しみも見いだせなかったはずだ。
「それではアルス、またね」これもまたワザとらしくシセルニアはにこやかに告げた。会合までの時間を考えれば着席するにも暇を持て余すだろう。
他愛ないやり取りの間もアルスは注意を払う。すでにここにはシングル魔法師もおり、感覚に頼るまでもなく異質な空気が至る所に蟠っている。
とはいえ、ずっと警戒していたのでは肩も凝るだろう。
アルスは隣を歩くロキをチラリと一瞥して溜息をついた。緊張しているというよりも臨戦態勢に近い警戒心が彼女の手から伝わってくる。
腕を引きロキの身体に引き寄せてアルスは微かに口元を動かした。
「やめておけ。お前は何もしなくていい」
動揺を見せずロキも平静を装って小声で返す。そう、彼女は今まさに神経を研ぎ澄まして魔力ソナーによる探知を実行しようとしていたのだ。
「ですが……少々不自然な感じが……」
「気にするな。お前は慣れていないかもしれんが、俺に取っちゃ日常茶飯事だ。ここでのソナーは確実に気づかれる。わざわざ注目を集める必要もないだろ……それにせっかくのドレスだ。火の粉は俺が振り払う。それぐらいはさせてくれ」
「はい。ではよろしくお願いします」
一度は目を伏せたロキだったが、彼女なりにアルスの言葉から推察して情報の共有を申し出る。
「つまりは、何かあるかもしれない、ということですね」
事前の予感とは違い、今のアルスはその気配を感じ取っていた。
無表情を貫き通す二人はさながらスパイのように何気ない言動の隙間に情報を挟み込む。この辺りは元々感情が希薄なロキにはお手の物だった。
「まぁな。俺以外に気づいた奴もいるが……人じゃないのが紛れ込んでるな」
「――!? 妨害工作、テロでしょうか」
「違うな。言ったろ、俺以外にも気づいている奴がいるって。特に問題はないだろうが、気にしておくか……」
アルスの特殊な視野を用いた時にも気づいたことだが、正直異質というだけで何一つわからなかった。人の形ではあるが、その中身は大きく乖離しているようにも思えたのだ。今も姿までは視認できないが、こちらに注意を向けているのは明らかだった。
それも言ってしまえば、大勢の中の一つに過ぎないのだが。
「面白い話をしてるっすね」
場違いなテンションで唐突にアルスの肩にしなだれかかった人物は、問答無用で周囲の視線を集めた。
密着度合いでいえばロキの比ではなく、それこそ顔と顔がくっつきそうな程に近い。
パーソナルスペースを土足で踏み抜く人物をアルスは不覚にも、調子の良さそうな声音と左肩に押し付けられた膨らみから予想した。
「レティか」と意に介さないかのような声を肩越しにアルスは放った。
「レ、レティ様。お久しぶりです」
「お久っす、ロキちゃんにアルきゅん。それはそうとシセルニア様以外に男どもの視線を釘付けにしてると思えば……これはこれは、よかったっすね」
気さくな笑みを向けて、レティはロキの内心を透かし見たように言う。
「い、いえ、そんなことはありません。それにレティ様も今日は一段と素敵ですし……良くお似合いになられています」
手振りで謙遜するロキはすかさず、レティの装いを見て一瞬言い淀みながらも率直な感想を述べた。
今のレティの姿は見たまんま黒の正装。薄っすらと縦にストライプの入った、ジャケットとスラックスの組み合わせである。男装のような格好だが、男勝りな面もあり身長も高いレティにはよく似合っていた。
執事のような黒の手袋も合わせると中性的な男性なのではないかと一瞬思えてしまうが、アルスの肩に当たる感触はその可能性を否定している。
「ありがとっす。褒め言葉として受け取らせていただくっすよ。さてさて私はどちらかというと今の話のほうが気になるっすけどね~。一応警護も兼ねてるんで」
軽く彼女を押しのけて、アルスは「良く許したな」と改めてレティの格好を視界に収める。他国の要人も多いため、どこの国に所属している人間なのかがわかるように配慮された服装が、この場では求められている気がしたためだ。
現に他の魔法師ならば自国の軍服、勲章などそれとなく示している。
もっともシングル魔法師がどこの国に所属しているか、それを知らない軍関係者はいないだろうし、その程度の者が呼ばれるはずもないのだが。
「これぐらいはって感じっすね。何せアルくんが抜けたせいで女だけになってしまったもので」
「…………そういうことにしておくか。お前の性癖については興味ないしな」
「酷いこという口はこの口っすかね。お姉さんを傷つける趣味の人には言われたくないっすけど」
冗談を混じえて人の少ない場所へと移動すると、アルスは唐突にレティが知りたそうにしている情報を提供する。彼女も探知は使えなくとも微細な魔力を肌で感じたのだろう。ここでは誰もが無意識に魔力を微量ではあるが漏洩させている。それも高位魔法師ではない限りわざわざせき止めるようなことはしないだろう。
こういう野性的な感覚の鋭さは歴戦の猛者といったところか。
「言うほど気にすることもないんじゃないか?」
「何故ですか?」
レティに代わって質問をしたのはロキだった。彼女も危険視しない理由まではわからなかったのだ。
「見てみろ、ここにも何人か警備のための魔法師がいるだろ。俺は知らんが立居振る舞いから名の知れた魔法師なんだろうな。二桁クラスが警備にあたっているわけだ」
「そうっすね。外だけじゃなくてここまでというのも少し神経質な気も……というかシングルがいる場に警備っすか」
「ここには高官も多い、と納得できる理由はあるにはある。じゃあ、もう一つ……さっきから使用人、ここでは特にウェイターが少し挙動が不審である。何かを気にしている節があるな」
「さすがによく見てるっすね」
「レティも人間を相手にしていたら自然と身につくぞ」
「うちは門外漢っすよ。内側には向かないっすからね」
彼女の魔法特性上、人間に向ければ跡形もなく吹き飛ぶだろう。それもド派手に。
乾いた笑みで応えるが、すでにレティは察したようだった。
この手の技術はまだロキにはなく、探知魔法師としては探知に頼り切ってしまうところもあるため、考えてもわからない部分だ。
ムッとなにごとか言いたげにロキはアルスに回答を求める視線を向けた。
「わかったわかった。警備の魔法師は洗練されているが、彼らの注意は全体を隈なく監視する一方で必ずある一点に偏る。ざっと数人見たから間違いない。意識せずとも警戒対象として事前に知らされているから無意識に警戒心が働く。でもってウェイターも明らかに回るコースに偏りがある。これも事前に知らされているからだ。無意識に避けても意識的に近寄っても必ず違和感が出るからな」
「ということは警備の魔法師とウェイターは知っているということですか?」
「そうなるな。だから心配しなくていんじゃないかと考えたわけだ。ついでに言えば、この城に仕える者はほとんど知っているんじゃないかな」
ロキの問いにアルスは断言するように頷いた。一部とはいえ、このバラール城を管理している使用人達が許しているという事実から導いた答え。
だが、彼らがそれらに注意している素振りは、結果的に僅かばかりの警戒心をアルスに抱かせてもいる。




