バラール城
魔導車に揺られること二時間。
やはり転移門を使った方が早いのは確かだし、なんなら準備運動がてら走って向かっても時間は短縮できただろう。
それでもリンネが運転する魔導車はその性能に見合わない速度を維持し、予想よりも早く富裕層のいる界隈を抜けた。
魔導車が高額故に一般的にはあまり普及していないことを良いことにガラガラの国道を全速力で突き進む。
確かに彼女の眼を駆使すれば事故は回避できるのだが、だからといって速度を上げて良い理由にはならないのだろう。鼻歌でも歌いだしそうな調子でリンネはペダルをベタ踏みしていたのだ。
仮に事故が起きても大丈夫なようにアルスとロキは両側のドア近辺に座り直している。何かあればそのまま飛び出すつもりだった。
そんな心配をよそに魔導車は富裕層から湖を超えるための転移門の前で制動距離を長く引いて止まる。
アルスもロキも二度とリンネの運転する魔導車に乗ることはないだろう。それほどまでに疲れ切っていた。
「申し訳ありません。少々乱暴な運転になってしまいました」
ペコリと軽く頭を下げたリンネの顔はストレスを解消した後のようなスッキリとやりきった感を湛えている。程よい緊張感がアドレナリンを分泌させ、上気した赤みを帯びる頬で彼女は悪びれずに微笑む。
すぐさま転移門を経由し、一瞬で湖を越えるとそこでは以前の会合の時のように馬車が待機していた。今の状態ではアルスもロキも会合場所となる古城まで走る気には到底なれない。
一先ず、バベルの塔が立つ陸地まで送り届けたリンネはすぐにシセルニアの元へと送迎のため戻っていった。
御者が走らせる馬の蹄がカタコトとキャビンを揺らす。
「ア、アル……これから向かう場所というのは……」
二人っきりになったことでロキが情報収集のために口を開いた。バベルの塔をこれだけ至近距離で見ることもそうそうは出来ないのだが、以前ロキはアルスとともにバベルには訪れている。正直いってここまで近づけば見えるのは湾曲した白い外壁だけで天辺などはいくら仰ぎ見てもここからでは正確な高さすら測れない。ただ、巨大なだけの塔としか言いようがないのだ。
「白亜の古城だな。昔、アルファとされるこの地で王族が建てたものらしい。今では所有者もおらず最もバベルに近いことで会合時に用いることになっている。御者や古城に仕えている使用人も代は変われど元々古城に仕えていた使用人だった、と聞く。城の名は【バラール】だったかな。つっても一度再建されている。そこで初めて7カ国が【7カ国共戦協定】を結んだんだ」
「そうだったんですね……それにしてもなんか物々しい名前ですね」
「元々が研究施設に近いものだったバベルだ。そのカモフラージュとしたのかもしれんな……いや」
ふとアルスはいつもの悪い癖で思案顔で目を細める。時代的に考えてもバベルの建造は魔物の発生とほぼ同時と考えた場合、当時【バラール城】は遥か以前より建てられたはずだ。王族という単語からアルスはせいぜい一世紀、誤差があってもそれぐらいだと思い違いをしていた。
そんなアルスの表情を見てロキはフフッと口元を柔らかくする。
ものの数秒でアルスは解決に至ったような顔をロキに向けた。
「なるほどな。憶測だが、【バラール城】は元々バベルとして建てられた可能性が高そうだな」
「――!!」
「今、俺達の横にあるこのバベルの塔がそもそもカモフラージュとして建てられたのかもしれない。魔物の発生に伴い人々はこのバベルの塔を御旗として集ったわけだ。偽物が本物として成り代わったのが今の姿か」
今では強固な外壁で何重にも補強されているため、ここまでの巨大さになったのだ。
これと言って重要な話ではないのかもしれない。そう、直近の危機や歴史が変わるようなことではないのかもしれない。今のバベルは今のままそこに建っていることで人々に安息を与えているのだ。
嘘であろうと、明かすことに意味などないのだろう。
真実が全て正義とは限らない。であるならば、嘘は時に正義と成り得てしまうのだ。
そんな誰も知り得ないような結論を仮定の話とはいえ組み立てることにアルスは珍しく高揚した面持ちでロキに語る。バベルを解放したアルスのようなごく一部の者にのみ到達できる結論でもある。
やはり彼は研究者で探求者なのだと改めてロキは思った。こんなに嬉しそうなアルスを見たのは初めてかもしれなかった。いくつも知ることができた彼の顔。
まだ……まだまだ全てを知らないことがロキには嬉しくすらあった。テストで百点を取った学生のように嬉々とした表情は年相応で、これから世界のトップが集まる場に向かうなどこれっぽちも思えない。
気づけばロキも心が軽くなり、納得とか、議論を深めるとかではなく、本当に穏やかな表情で相槌を打った。
そしてタイミング良く、馬車が停車し、馬の嘶きがチラホラと聞こえてくる。御者のノックの後、ゆっくりとドアが開き、足下にはタラップが取り付けられていた。
目の前にある白亜の塔、バベルのせいで辺りは妙に白く明るかった。
古城までを使用人総出で出迎えるという異様な光景に一瞬アルスは眉をひそめた。この場には他にも参列者がいるが誰一人近づくことができない見事な使用人の列が両サイドに展開している。
微かにどよめく人の声が寒風の中を泳ぐように湧いた。
――さすがに学院のような……とはいかないか。
先の一件があったとはいえ、やはりアルスに対する感情は複雑だ。含む物が一切ない、混じり気のない称賛はこの場ではありえないのかもしれない。
思惑や計略といった企てはないにしろ、今日ここに集う者は紛うことなき強者である。魔法の腕に限らず、様々な修羅場を潜ってきた猛者であることは事実だろう。
協会が機能したとしても各国には各国の思惑や目論見が存在する。結局は国や個人に関わらず、そこには必ず益が介在するはずだ。己の生命さえも秤に掛けてきた者達の視線は敵意ではなく、個としての中身を探ろうとしていた。
そうした視線に気づくことはできても対処まではアルスでも心得ていない。領分でいえば貴族がまさにピッタリの土俵なのだ。
一切気に留めずにアルスは使用人に先導されながら古城、バラールへと踏み入る。
「さすがに人が多いですね」
聞こえない程度の距離でアルスの隣を歩くロキは意識だけを傾けてそう言い放った。
「あぁ式典並だな。一国の参列者はそれほどではないが、軍や国家の幹部クラスが来ているはずだ。それが7カ国、七倍ともなるとまだ増えるんだろうな」
はぁ~面倒なことにならなきゃいいが、そんな溜息すらも面倒くさそうにアルスは吐き出す。
今回の主賓はシングルでも新たに加わる魔法師だ。
それから二人はそれぞれの部屋に通されて、女性のみで構成された数名の使用人が着替えを手伝う。
一人で着れないこともなく、アルスの場合は断りを入れたが、結局のところ所々で手伝わせてしまうはめになった。アルファのシングルとしてならば軍服でもよかったのだろうが、今回は協会の代表として来ているため、正装に決まりがない。
五分程度で着替えたアルスはロキの方はもう少し時間が掛かるだろうとそのまま部屋に残る。水差しから一杯の水を喉に流し込む。
徐々に人も集まり、外が先程よりも騒がしくなって来たようだ。
探りを入れる意味でもアルスは神経を研ぎ澄まして、目を閉じ視野を広げる。脳内に構築される立体的なシルエット、それらの持つ魔力的な波長を掴む。
――外の警備はかなりの数だな。しかも手練揃いか。
刹那、アルスの感覚を逆探知するかのように同調する波長。
「ほぉ、気づくか」
アルスが用いる探知方法は彼のみが扱うことができる無系統魔法の一種だ。故に魔力とは異なる力でもある。空間自体を完璧に複写するため、人数や構造物などの把握は可能だが、魔力による反応は極めて脆弱である。が、これも良し悪しで、相手に察知されることがないのだ。ロキの魔力ソナーとは違う魔力を測るための探知方法ではないのだから。
ましてやリンネの魔眼のように実際に目視しているわけでもない。
率直な驚きにアルスは薄く目を開ける。
敵意などはない、相手が探られていると感じたために、その出処を探り返したような雰囲気がある。
これほど見事な逆探知は通常の魔法師はありえない。日頃から探知を生業としているものの反応だろう。
――各国でも名高い魔法師が来ているようだな。面倒ではあるが、退屈はしなさそうだな。
探知の気配はアルスが解いたと同時に綺麗に霧散していく。本当に他意はないのだろう。探られた気配から探り返した程度と考えて良さそうだった。
微かに口角を持ち上げるアルスの思考が切り替わったのはちょうどノックが室内に響いたからだった。
「お連れの方のご支度が整いました」と扉越しに使用人だろう女性の声にアルスは「どうぞ」と入室の許可を出す。
蝶番の軋む小さな音とともに扉が開く。




