一番の恥辱とそれに耐えうる少女
可憐なメイド服へと着替えたリンネは仕事柄、手持ち無沙汰に立ちすくんでいた。何か手伝いたいのに勝手がわからないのだ。
それでも一流のメイドとして完璧な立ち姿なのだが、今回呼び立てたのはアルスで、リンネは客側なのだ。
この部屋の中ではメイドとしての家事一切をロキが担当してしまっているため、リンネのやることはなかった。
それでも全くやることがない、ということではなかった。横目で機器の片付けをしているロキをチラチラと覗いてリンネは疼く身体を押さえつける。
申し訳ないということもあるが、どちらかというと家事手伝いは得意以前に好きでやっていることだ。このメイド服もそうしたリンネの性格を考えて誂えられている。
しかしながら今は目の前の好奇心旺盛な美少女二人を疎かにするわけにはいかなかった。
「リンネさん……」
「何でしょうか。テスフィアさん?」
仄かに赤く染まる頬はテスフィアが一人っ子であるからだろう。姉のような存在や妹のような存在に憧れを抱いているのだ。フェリネラもまた姉のような雰囲気があるのだが、貴族という立場があるため本当の姉という感覚にはなれない。
「魔眼を見せてもらうことはできますか?」
「はい、構いませんよ」
「あっ、私もいいですか?」
「はい、どうぞどうぞ」
そう言って二人はリンネの目を覗き見る。薄っすらと浮かび上がる魔法式は彼女の瞳を彩るように流れていた。
ふいに漏れる「綺麗」の言葉。彼女の瞳は宝石のように美しく、それでいて澄んでいた。
「そう言えば、私も自分の魔眼は見ることもあるのですが、他の魔眼は見たことがないのです。それに死を宿すと言われた【イーゼフォルエの漆眼】は一度見ておきたいところです……ということでアルス様」
話の流れから予想していたが、まさか火の粉が飛んでくるとは思わなかった。何にしてもアルスの目に魔眼としての特徴が表れるのは制御を意識し始めた時だ。通常時は普通の目……なのだが。
「死を宿すってなんですか?」
唐突な質問ではあるが、アリスは「死んでるってこと?」などと保持者を目の前にして訊ねる。無論、保持者であるアルスがいるのだから、あまりにも杜撰な質問ではあるが。
少しだけリンネは困った表情を浮かべた。それはどこまで魔眼について教えるべきなのかの判断に迷ったのだが、結局は言い伝えレベルの話のため難なく口を開き始める。
「怖がらせるつもりはないのですが、魔眼というのはどれも曰く付きなのです。それも古くから原因が不明とされていて呪いや祟、また神罰、病として恐れられていた部分もありますから。その中でイーゼフォルエの【死を宿す】と呼ばれる魔眼は開眼時に即死してしまうために付けられた呼び名なのです」
実際はもっと単純な理由がある。
「ま、開眼時の膨大な魔力消費が原因だからな。これまでの魔眼開眼者はおそらく百人近くはいるだろう。その中でもリンネさんのように制御できた者は、俺の知る限り片手で足りる、というより一命を取り留めたと言った方が正しいか。自在に扱えるとなるともっと少ないはずだ」
推測の域を出ない数字だが、アルスはもしかするともっと多いのかもしれないと思っている。魔眼とは発現してからでないと存在を確認できないものだからだ。ましてや暴走に開眼者が堪え続ける必要がある。
これについて二人はただ黙って聞いていた。何を言えば良いのか、わからないのだ。
それでも――。
「リンネさんも大変でした?」
血の気の引いた顔でテスフィアは不覚にも訊ねてしまった。アルスでさえ触れるべきではないと踏んでこれまで話題にもしなかったことを。
だが、テスフィアの問いはリンネをただ驚かせただけだった。気を遣われるのはあまり好きではなく、かといって無遠慮に聞いてくる輩は論外。
しかし、目の前の彼女は他人のことなのに辛そうな顔をリンネに向けていた。
少しだけ儚い笑みを見せたリンネは「そうですね」と口を開く。
「私の場合は拘束されていたこともあったのですが、それがかえってよかったのかもしれません。でなければ間違いなく両目を自分で潰していたでしょう」
偶然にも魔眼の発現兆候があったからよかったのだろう。保護とは名ばかりの拉致監禁。強制的な人体実験の被験者として魔眼の開眼時期まで隔離施設に閉じ込められた。
目を潰せば助かる確率は上がる、潰さなければほぼ魔力を喰われ死ぬ。脳を狂わされて死ぬ。その二択しかない状況でリンネは目を潰せない状況にさせられ、ひたすら開眼時の狂うような波に堪え続けた。
瀕死の状態でも、リンネは助かったのだ。運がよかったのかもしれない。
魔眼は全ての魔力を吸い尽くす直前、リンネの身体に適合、制御することができたのだ。
ただ、それも廃人同然の状態だったのも確か。
自分の中での整理、膨大な視覚情報が目まぐるしく脳を掻き乱す日々が続いた。それに慣れたのは――もしかすると麻痺したのは――開眼後二年が経過した頃だった。
魔眼を使い脱走し、後にシセルニアと出会い、彼女は大きく変わることが出来た。
「でも、今があると思えば頑張った甲斐もあります」
そんな若き少女に向けたあどけない笑み。
そして話を戻すために「ということで、見せてください」とアルスの手を引くリンネ。
半強制的に座らせられたアルスは先程リンネにしていたように三人に眼を覗き込まれた。
「何もないですよ」と主張しても聞き入られるわけもなく。
「リンネさんみたいな魔法式はないんだ……」
「そうだねぇ。ちょっと残念かも……」
「おい!!」
見世物のような扱いを受けて、アルスは「だから言っただろ」と言っても聞き入れられないのだろうな、と諦念のこもった脆弱な抗議をする。期待していた以上でなければ満足しない、というよりも期待以下だった時の落胆が酷く失礼なのはこの二人だけだろう。
何の変哲もない瞳であるにも関わらず、熱に浮かされたようにずっと覗き込んでいるのは……これ如何に。
「でも、それだけ制御できているからかもしれませんね」とリンネがフォローを入れて一先ず終わった。
実際にアルスの眼にも魔法式が浮かぶかは定かではない。本人の感覚としては目の端に靄が掛かったように侵食されていくのだから。
なんとか苦境から逃れたアルスはロキに逃げ場を求めて距離を取った。
「お疲れ様でした。やはり特異な力ですからね」
「そうかもしれんが…………疲れる」
待ち構えていたかのようにアルスへと向ける苦笑。
ロキが止めに入らなかったのはアルスがそういった輪の中に入るのをこれまで躊躇ってきたからだ。案外、良いものが見れたと思っているロキであった。
その後のことも考えて、しっかりと飲み物を用意する辺り周到である。
その後も訓練そっちのけでリンネに様々な質問をぶつけるテスフィアとアリス。
そんな光景に、女性特有の仲間意識みたいなものをアルスは見た気がした。すぐに仲良くなるといえばいいのか、遠慮がないというのか、いずれにせよ初めて会った割には打ち解けているように見えた。
だからなのか、訓練についてはあえて口を挟まないことにする。訓練や勉強ばかりが学びではないのだろう。時には人から授かる知識があってもいいはずだ。
アルスとて全てが自分だけで獲得したものではないのだから。
魔法師としての心得は一先ずアルスがいれば良く、内側は内側のトップである元首がおり、その側近がいるのだから彼女から得られるものもまた必要な経験なのだ。
だからこそ、魔力は色を持つ。系統色ではなく、人生そのものを彩ってくれるのだ。
ふとアルスはロキが片付け忘れた機器を目にした。最も本来奥の方にあってそんなに使う機会もない類の検査機器だ。
アルスの視線を追ったロキがその機器について助けを求めた。
「アル、あちらの機材なのですが少し重くて、一息ついたらでいいので手伝ってくれませんか?」
「あぁ、そんなことか。俺がやっておくから気にしなくていい……」
コップを置いて立ち上がったアルスは機器の下の台車を押す直前で、思い出したように訪ねる。
「リンネさん。一応健康状態なんかもこれを使えば今回の検査である程度の項目は調べられますが、どうします?」
健康診断のようなもので、すでに採血もしているためあえて再検査をするような手間は不要なのだ。万全を期すならば、という程度の提案だった。
「アルス様、それはどういったものなのでしょうか?」
「簡単な検査ですが……お前らも少し調べておくか?」
本当に手間なんて掛からない検査である。着替える必要もない、がタイミングはあるだろうか。
突然話を振られたテスフィアとアリスは「どうしようか」と互いの意思を確認しだす。
おそらく一人がやると言い出せば、それに乗っかる程度の逡巡。
アルスは「確かこの辺に」と言いながら機器の脇に備え付けられた容器を取り出して三人の前に突き出す。
「これに出せばいいから」
「「「はい?」」」
差し出されたのは内側にメモリの線が入った紙コップだった。
出せ、と言われた直後の三人の反応は盛大な頬の引き攣らせ方をしていた。そして見る見る真っ赤に染まっていく顔は静かなる怒りを露わにする。
「だだだ、出せって……あんたまさか!!」
怒りの口火を切ったのはテスフィアだ。自分の髪色よりも赤く染まりワナワナと言葉にできない怒気が表情に内包されている。
「え~と、うん、何の検査なのかはわかるよ。でも、そこは言っても同級生の男の子だよ。さすがに……」
もじもじと膝の上で軽く握った拳を作るアリスは視線を逸している。
「アルス様、さすがにそれは断らせていただきます」
リンネも丁重に断りを入れる。元首の側近という立場上、健康管理は最低条件だが知らない仲でもない相手にそこまで明けっ広げにできる者などまずいない。
「良いですか、アルス様。あまり言いたくはないのですが、普通は女性の前でそういうのはダメです。モラルというか……正しいのはわかりますし、下心がないのもわかります、でも私も含めて年頃の女の子なんですよ。もっと気を遣ってください……そして別の方法を模索してください。全力を出してください」
説教をするにもどこか姉のような雰囲気を醸し出すリンネの頬も少し赤みは帯びたままだった。できれば言いたくはないだけれども、それでも言わずにはいられない責任のようなものを感じたのかもしれない。
順位や立場など関係なく、何故かリンネは学院でのアルスの生活に不安を覚えた。
「え~っと、それもそうですね。採血の方が確実性が高いです、し……」
今更、冗談だとはいえない気まずさから、アルスは逃避できる退路を提示してみる。
現代医学において排泄物の検査よりも血液検査の方が信頼度は高く、更にいえば魔力情報を隅々まで解析した方がもっと確実である。
これで一先ず自らが迂闊にも放ってしまった爆弾は沈下した……かのように見えた。
「ふ、ふん。だらしない限りです。健康管理すらできないなんて二流以下ですよ」
サササッとアルスの手から紙コップを抜き取ると、ロキは両足の真下、その中間へと徐に置いた。
――ここに対抗心を燃やすのがいたか!?
先程のリンネが触診の際に見せた天然に対してのものかは定かではないが。
全員の目の前でロキは羞恥に堪えながらゆっくりと腰を曲げ、やや前屈みになる。彼女のプルプルと震える両手はスカートの中へと差し込まれて、何かを少し降ろしたのは手の動きだけでも見て取れた。
「ちょおおおおお!!!!!」
「ロキさん。何やってるんですかぁぁああ!!」
テスフィアが奇声を上げ、真っ先にロキの両腕を全力で押さえにかかる。
続いてリンネが驚愕の声でロキのしようとしていることの間違いを正すため、説教タイムの開始のゴングを鳴らした。
「何するんですか! これぐらい私ならできます。やってみせるんですからぁ」
そしてアリスは真っ先にアルスの傍に駆け寄って慌てて視界を身体で塞ぎ、両手で耳を押さえる。
「見ちゃダメ、聞いてもダメェェ」
背後でロキの奇行を必死に食い止めに掛かった二人に顔だけを向けて様子を窺うが、しばらくしてなんとか事件は免れるのであった。
抱きつかれるように至近距離でアリスの顔をまじまじと見る羽目になったアルスは盛大に溜息をついて。
「一回、全員血を抜いとくか?」
と眉尻をピクピク反応させながらそう口をついた。




