無系統を知る
「取り敢えずだ。アリスは光系統とは別に少しだけ無系統を有しているということだ。それが欠損からきているのはほぼ間違いないだろう」
だから、不幸中の幸い。
通常の魔法持続時間が犠牲になった以上のモノが備わったということだ。同時に懸念すべき不確定要素でもあるわけだが。
欠損とは言うがこの場合は利点になっているため、アルスは神妙にならずに気軽に話した。
「アルは無系統なの?」
「そう言ったが」
なんの確認かアリスは嬉しそうに頬を上げて、微かに震える。
アルスも系統で表せば無系統であるというだけで、その派生原因はアリスとは別物である。
アルスの場合は二つの異なる魔力が内在していることによって系統外というだけだ。言ってしまえば、無系統は先天的な二つの魔力……正確には異質な魔力のせいで通常の系統が備わらなかったための現象だと見ている。
一方のアリスは偶然の産物。後天的取得だ、そのため一部のみでこれを有していると表現するには無系統を使えるかの是非で決まる。
昨晩の内にアリスの欠損が自分の無系統と整合がないのは確認した。
秘匿ファイルにある自分の魔力データを呼び起こして比較したのだから間違いはない。
というより間違いようがない。
アルスの魔力データは全てが塗りつぶされているのだから、原型もくそもない。
それは壊れているのではなく、機器がそう表現したに過ぎないのだが。
今回アリスの無系統によっても確かめることができる。
2人目のサンプル。現状無系統についてはわからないことが多すぎるのだ。例がないことも原因の一つだが、魔力情報からは得られるものがないことが問題だろう。
アリスが無系統魔法を使えるのであれば、欠損と表現するのは適切ではなく、変革と言ったほうが良いのかもしれない。
それによってアルスの魔法も同じことが言えることになる。欠損、壊れているのではなく、何も無いこと自体に意味があるのだとすれば。
わからないことはまだまだ多い。魔力情報はロストスペルと呼ばれる古代の記号が使われている。まだ未発見な記号があっても不思議ではない。
現在判明している時点での解析結果に過ぎないのだ。
「だからどうと言うことではない。ただアリスがこれを受け入れるのであれば無系統を組み込んだ魔法を考えることもできる。自分の系統ならば一から考える必要もなくて助かるからな」
やはり念は押しとかねばなるまい。
「アリスの場合は極一部分が……つまり欠損部分に限り無系統に反応を示していることになるから、俺みたいに完全な無系統魔法を使えるというわけではない」
もちろんそれがあるから打ち明けているわけだ。あまりに不自然な魔法を見れば悟られかねない。だが、無系統で局所的に補完すれば光系統として片づけられるだろう。
そういった面でも光系統の研究が遅れているのは助かった。
「もしバレたら……」
そうお偉いさんにでもバレれば研究の被検体として拘束されるかもしれない。いらない危険にさらされることも考えられる。
「そう悲観ばかりするな、俺の場合は知られてもすぐにどうこうできないのはわかるな」
それもそうだ。順位1位に何かあれば不測の事態に付いていけない。SSレートとされる最悪が再来した場合、アルスなくしてはこの国に……いや人類に対処する術はないのだ。
少し考えた二人をアルスは待たずに結論を出した。
「順位を上げればいい。貴重な戦力だと認めさせればいいだけだ」
「そんなのすぐには……」
「素質は十分あると思うぞ」
「え!」
ロキは面白くなさそうな顔をした。
アリスはアリスで思いがけない評価に面食らったように硬直したが、アルスの言葉は決心を固めるには十分な威力を持っていた。
握られた拳に力が込められた。
「それに何かあれば俺と総督が口添えすることもできるから心配する必要はない」
「本当に!?」
後ろ盾としては最強タッグだった。最強と言うにはこの国にはもう一人いるのだが、彼女は気まぐれだし、あまり好かないという理由から除外する。
そのために一度総督に会わなければならないが、承諾を得るまでもないだろう。
アルスは実際懸念する事態にはなりにくいと考えていた。無系統といってもアリスの場合は本当に僅かなものだ。それだけでは魔法を一つ構成することはできない。良くても光系統の補助程度、無論その恩恵は絶大だが。
「で、どうする?」
「お願いします」
即答だった。
今の今まで暗い過去を話していたとは誰も思わないほどに。
悪いことばかりでないことがわかっただけでもアリスは救われた気持ちなのだろう。それがどんな形でも魔法師の血肉となったのだから。
しかし、アリスはその力は復讐のために授かったものだとも思っていた。
「まずは無系統魔法についての勉強だな」
これが一番めんどくさかった。
教えられるのはアルスのみときたものだ。
無系統魔法とは言ったが、その用途は割と限定的でもある。
主に空間干渉魔法が無系統にあたる。他系統でも干渉魔法と呼ぶが正確に言えばそれは間接的な干渉だ。
無系統魔法の場合は空間そのものに干渉することができる。
例えば火系統の魔法師が20m先に火球を生み出す場合、当然のように座標の指定が必要だ。
魔法式を通して発現場所を設定する。その際に指定された空間に魔法自体が投射されて発現。
指定した空間自体に作用するという点でも空間に干渉しているわけだ。
これを無系統魔法である空間干渉魔法を併用した場合、一連のプロセスを空間で発生させるため投射の工程が省かれる。
それ以上に空間自体の干渉は空間に影響をもたらす、世界の法則を歪めることでもあるのだ。
つまりそれによって元のあるべき空間に戻るために発生する矯正力は膨大なエネルギーになるのだ。それを同座標に発生する魔法に転用することができるのだ。
が、これはアルスほどの干渉力がなければ意味がない。アリスが使えるのはもっと簡易的なモノに限るだろう。
この勉強会にロキも参加したのはパートナーとしてだろうと判断しアルスは認めた。無系統を使えると知った今、彼女も学んでおくということなのだろう。
「そうだな、アリスも今日からここに泊れ」
「はい?」
「そうですね」
「はいいぃぃ?」
もちろん酒池肉林が目的なわけではない。
「ロキにも教えるとあれば一緒の方がいい。訓練に勉強と夜も遅くなるだろうからな、一々帰っていたんじゃ時間が惜しい」
「そうならそうと言ってよ」
最初から勉強のためだと言っているのに、アリスといいテスフィアといいろくなことに頭を働かせないなと思うのだった。
「無系統を教えるのは初歩までだ。それ以上は理解できんだろうからな、俺も研究を進めにゃならんからさっさと頭に叩き込んでもらうぞ」
「りょ、了解」
引き攣り気味に返事をする。
泊れと言っても3日程度だ。その間に出来るだけ教え込む。
もちろんメモを取ることはできない。どこで洩れるかわからないからだ。
だから、ほとんど手取り足取り状態で理解させる。それこそ脳みそに直接書き込むように。
合宿然とした様相も最初だけだった。何かと楽しく出来ているのが良いのかわからないが、少なくとも以前のようにアリスがトラウマを引き起こすことはなかった。
研究室と言っても広い部屋に機材が置かれている程度なので生活するための設備は充実している。
毎夜アリスとロキの入浴時間は何かと騒がしい。一人部屋を想定していたのか、壁が薄いのが盲点だったということだ。何故一緒に入る必要があるのかと思わなくもないが、野暮であるのがわかりきっているだけに耐えるしかなかった。
最終日だけあって騒がしさも一入だ。それも主にアリスの声だけだが。
「ふぅ~良いお湯だったぁ」
湯上りのアリスがバスタオルを肩に掛けてロキと一緒に出てくる。
卵肌といっても差支えないほど蒸気した肌が仄かに赤みを帯びていた。
ロキも首に掛けたバスタオルで髪をわさわさと拭いている。透き通るような銀の髪が雫を含ませて淡く光っているようだ。
本当ならば帰る時間なのにわざわざ風呂に入っていくのだからよくわからんというのがアルスの本音だった。
どうせこの後もしっかり夕飯に与っていくのだろう。
「後はこっちの仕事だから、明日からアリスはいつも通りの訓練に戻ってくれ」
「お願いします」
玄関前で深々とお辞儀をするアリスにやれやれと肩を落とす。
「わかったからさっさと帰れ」
実際のところ目途は立っているのだ。光系統の研究が進んでいないだけあって手の着けようはいくらでもあった。寧ろ多すぎるぐらいだと思っていたほどだ。
扉が閉まったのと同時――
「では、いろいろお聞かせくださいアルス様」
背後でぼそっと囁かれた。
(忘れてなかったのか)
ロキに隠していたことについての話題――弁解――はアリスが泊ることになってから有耶無耶になっていたが、そうは問屋が卸さなかったようだ。
「あのなぁ~散々いったようにだな……」
「私が秘密を洩らすと思われたことを言っているのです」
遮るロキの顔は怒りの色はなく、悲壮感を漂わせていた。
「そんなに信用無いですか……」
涙すら出てきそうな空気にアルスはコツンと頭を小突いてテーブルへと歩く。
「信用していないんじゃない。ただおおっぴらに出来ないだけの話だ。それでお前に迷惑を掛けると思ったら最初から伝えている」
「そうですが……秘密にされるのは……」
心証的に好ましくないというところだろう。
アルスからしてみれば不利益を被るので無いならば問題ないはずなのだが。
「ロキにだって秘密の一つや二つあるだろう。俺はそれについて……」
「ありません」
「…………まったく?」
「まったくです。アルス様に隠すようなことは一つもありません」
意表を突く断言にアルスはどうしたものかと逃げ道を模索した。
「だとしてもだ。言うべきことならば俺から明かすし、パートナーのお前を差し置いてほかの奴に先に話すことはない」
「本当ですか!」
「二言は無い」
一応テスフィアとアリスよりも優先順位を高くしてみたが結果は上々だろう。
安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間。
ロキからしてみれば一先ずと言ったところだったのだろう。
下から見上げる瞳が光ったように感じた。
「つまり、まだ秘密があると言うことですね」
「うっ……(鋭いな)」
咄嗟に思い浮かんだのはもう一種類の魔力のことだ。しかし、これこそ話せる内容ではない。
アルス自身コントロールだけで研究の手立てがまったくない状況なのだ。言ってしまえば自分のことでありながらろくにわかっていない。
「あ、あるが言えん」
「逃がしませんよ」
多少強引に気を逸らすために部屋の中をうろうろするが、猫のようにひっついて離れないロキとの問答が夜通し続くのだった。
結果だけ言えばアルスは口を割らずに済んだ。
後にロキが後悔の念に苛まれたのは言うまでもない。床に着いたロキは悶絶するように布団に包っていた。
(やってしまった。アルス様のパートナーになれて気が揺るんでいた。これ以上は贅沢だとわかっていてもあの時はそれすら脳裏を過らなかったなんて)
不毛だったやり取りを思い出すだけで頬をが緩む。まるで夢のようだと。
それも束の間――。
「はぁ~」
薄い板の向こうでは主が未だ研究に精を出している。見えないとわかっていても居るとわかっていればついつい目を向けてしまうのだった。
きっと机の前で頬杖を突いているに違いない。さっきから静か過ぎる。それほど集中しているのだろうか。
ロキも布団に入ってからもう1時間近く経っている。
(紅茶を持っていこうかな)
などと考えた瞬間に今さっき自重すべきだと反省したばかりなのを思い出した。
(だったらせめてポットに作り置きしておくのは)
枕の上で頭を振った。
(それじゃ濃くなってしまう。何か方法があるはず)
思考錯誤の結果、考えはまとまらず靄が掛かったように思考がフェードアウトしていく。
部屋の中に小さな寝息だけが揺り籠で眠る子供のように音を立てた。
(やっと寝たか)
アリスもだが、中々にハードな3日だったはずだ。疲れが溜まっているはずなのだ。
余計な気を回してアルスに付き合うから睡眠時間も十分に取れない。
(下見は俺一人で行くか)
アルスはゆっくり寝かしておこうと、一人いつかの課外授業で使った変装のローブとマスクを着けて窓から外に飛び出した。
屋根の端を掴んで、一気に屋上へと着地する。
「さっさと済ませるか」
ロキが起きる前に戻らないとまた何を言われるかわからない。
正面には軍の防衛ラインと基地がある。そして後ろには遥か遠くバベルの塔がある。
外界に近い側から常駐している軍の基地があり、工業街があって次に学院という順になっている。
内側に行くほど一般市民が多く、最も安全なバベルの塔付近には貴族の豪邸が多い。
アルスが向かうのは市民が多い中間層と富裕層の間だ。一部では未開の地とさえ言われている。無論、防護壁内のため魔物がいるということはない。
単に自然を保全しているということもあるが、そこは過去に軍が公にできない類の非道な研究施設が多く建てられていた。