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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
番外編「約束の日」+SS
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SS 「愚かしき被害」




 聖職と呼ばれた時代もあったと聞く。

 それは子供達を教え導く者のことを指した、あるべき姿を目指す教員側への戒めの言葉なのかもしれない。


 7カ国にぞれぞれ一つしか存在しない魔法学院の教員になるというのは並大抵の努力ではない。軍務経験、研究成果としての論文の発表、何かしらで多大な功績を残した者が多く在籍している。研究者や軍務経験者、特に相応の順位や階級に就いていた者は高く評価される。


 だが、教員としてのプロフェッショナルというには偏向をきたす場合もある。そのため教養や魔法学における秀でた知識という一般公募から採用される魔法師教員免許を取得した者の中から選ばれる選考がある。


 これらは幅広い分野での知識というよりも一科目でも、専門分野を持ってれば教員として採用の資格を有するのだ。無論、その倍率は三桁魔法師になる以上に難関とも言われている。

 魔法師として大成することができなかった者に与えられた後進を育てるという新たな道なのだ。


 しかし、それとて競争率だけの問題ではなく、難解とされる採用試験を七段階突破しなければならない。魔法師の雛を教える上で最低限必要な知識が筆記で試される。当然のことながら最低限とは言いつつも、高度な試験問題は専門分野でも頭を悩ませるものばかり。


 次いで、魔法や魔物に関する特定のテーマに基づいた論文の提出と発表。それを突破したら、次は数人の採用試験受験者でのディスカッションまである。

 実はこの中に学院所属の教員が紛れているという。


 何段階もの試験を突破し、面接を経て採用結果が通知されるのだ。

 魔法師という道を閉ざされた者にとって学院で教員になるというのは誉れなことでもある。定年を迎えたわけでも、ましてや名誉の負傷でもなく、軍での居場所すらなくなった……魔物に屈した者にとっては残された貢献の道なのだ。



 だからこそ、その難関な試験を越えて教員となった男は学院の近場にある自室で頭を抱えていた。

 教員になるために血の滲むような努力をしたのはもう十年も昔のことだ。いや、今も最新の論文も目を通しているし、幅広い知識を得るために調べ物は毎日の習慣となっている。


 だがしかし、それでも男の苦悩は尽きない。昔はもっと教員という仕事にやり甲斐と責任を感じたものだった。近頃三十も半ばに差し迫ったこともあり、だらしなく膨れた腹同様、たるんでいたのだろう。

 他者からの評価にあぐらをかいていたのだろう。


 それでも教員として十年も勤務した誇りもある。自分一人の成果ではないが、学院として人類に貢献するための後進を自信を持って排出してきたつもりだ。

 生徒達は皆勤勉で自分も置いていかれないように今日まで頑張ってきた。そのせいもあって女っ気はなく、これから先も縁遠いのかもしれない。


 男は買ってきた弁当の容器をゴミ箱に入れ、小さな机の左右に積まれた文献に挟まれながら頭を抱えた。

 頭を過るのは――頑張ってきたが、それもここまでかもしれない、というものばかり。


 男の給料は外界に出る魔法師にも引けを取らないものではあるが、それでも贅沢ができるほど豪胆な性格でもなかった。もしかすると自室よりも学院で与えられている一室の方が広いのかもしれない。


 脇に置かれた資料は主に魔物と実戦魔法師の部隊編成に関するもの。もちろん、一般的なレート別に魔法師の部隊構成は全て頭に入っている。しかし、これらはシングル魔法師の出動基準を裏付けるものではない。シングル魔法師の出動要請、その命令を下せるのは総督のみとされているからだ。


 つまり、いくら資料を漁ってもシングル魔法師に関する最低限の情報しか得られないのだ。明確な基準でさえ各国にバラつきがある。

 アルファでさえもシングル魔法師の出動やその役目は臨機応変に変動するし、明確化されていないのが実情だ。


 男は引き出しから便箋を取り出して机に向かった。

 直筆で何かを書くということも現代においてあまりない。それでも大事な時、いや誠意を込めるにはこれ以上のものは他にないのだろう。


 部屋に薄暗い明かりを落として、男は深夜に差し掛かってもまだその筆を休ませることなく、慚愧の念に堪えない、その思いを綴り続けた。



 翌朝、目の下に憂鬱と覚悟を浮かばせ、男は理事長室へと朝一番に向かった。

 その手には昨晩認めた紙が握られている。


 最上階までひどく長い道のりのように感じられた。男がここに務めて十年余り、その歴史が一歩一歩を重くしていた。

 後悔しないためにポツリと手の中の便箋に目を落として溢す。


「これでよかったんだ」


 自ら教員という職を退くことで、将来的な可能性を残したのだ。魔法師を育て上げる教員がその最高峰足るシングルに無礼を働いたのだからケジメはつけなければ示しがつかない。教員として教えてきたことを真っ向から覆すことはできなかった。


 知らないでは済まされないことなのだ。去年の今頃、あんな感情的で溜飲を下げるためだけの質問は教員の間でも物議を醸した。幸い、答えた生徒への関心が高まったため、追求されることはなかったが、誰がどう見ても嫌がらせであるのは明白だった。

 何を隠そう、男はそれからも度々難題を一生徒にのみぶつけていたのだから自ら悪評を広めたようなものだ。


「聖職者か……」


 今更己を恥じるように男は翳を落とす。言葉通りに邁進していればこんなことにはならなかったのだろう。

 アルス・レーギン、彼がアルファ、延いては7カ国最高の魔法師であることを知った時は愕然としたものだ。と、同時に己の愚かさを思い知らされた。

 これは自業自得なのだ――ネチネチと自分の小さなプライドを守るために突っかかったのだから。


 どこかで驕っていたのだ。

 魔法師を育て上げることに陶酔していたのだ。

 自分が魔法師を育て上げたと勘違いしていたのだ。



 ふと気がつけば理事長室の前で男は最後となる決断を下すべく物言わぬドアをノックしようと腕を上げる。


 直後――。


「失礼しました」


 若い女性の声が室内から微かに漏れ、同時にノブが回される。


「先生、こんなところでどうされたのですか?」


 現れた女生徒に男は一歩二歩とたじろぎ、開かれた扉は理事長の姿を映すくことなく閉ざされる。

 咄嗟に便箋を後ろに回して、しどろもどろと言葉に詰まる。


「フェリネラ君にイルミナ君か……い、いや理事長に用があったんだ」

「先生……それは?」


 聞いて良いものかといった葛藤はフェリネラに見受けられず、彼女は隠した物を指摘する。

 学院始まって以来の秀才と謳われるフェリネラと彼女に引けを取らない成績のイルミナ。

 両名は揃って名家の出身で教員達も一目置く存在だった。


「見つかってしまったか。私の傲慢が招いたケジメみたいなものだな」

「アルスさんの件でしょうか?」


 一つ頷く男は今にもくず折れてしまいそうなほど憔悴しきっており、察したフェリネラは柔らかい声音を重ねた。


「知っていたのか……いや、そうだな。私の行いは褒められたものじゃない」

「先生、失礼ですがそちらは?」


 そう問うイルミナは特段気遣うような気配はなく、少し気になった、といった具合で示す。フェリネラとイルミナにはこの男がどんな目的で理事長室に用があったのか、粗方見当をつけていたのだ。

 ただ、二枚というのは初めて(・・・)だっただけのこと。


 男は気まずそうにもう一枚の便箋に視線を落とした。すると意志に反してポツリと言葉が喉から溢れていく。


「母への手紙だ。ハハッ、いかんなこんなところまで持ってきてしまうとは……大の大人が情けないとは知っていても、教員になった時誰よりも祝福してくれたのは母だったんだ。それがこんな形で幕を閉じるのだ、謝罪の言葉だけでは足りない。本当に……本当に親不孝なことをしてしまった」


 額に手を当てて男は涙腺が緩むのを堪える。

 吐露してしまいたいほど情けないことだが、それを生徒を前に言ってしまう教員とは尚更情けない。

 男は最後の最後まで教員の務めを果たさなければならなかった。それが十年という従事した期間への責務なのだろう。


「すまん。こんな弱音を生徒の前で言うべきではないな。悪かった。俺は今月一杯で学院を去るつもりだが、できれば秘密にしておいて欲しい」


 目を伏せ、切に願う教員の男はそれを最後に二人から視線を外す。

 が――。


「先生、申し上げにくいのですが、その必要はないかと思います。今学院を去られるのは学院のためにならないかと……」


 どこか言い難そうにフェリネラは苦笑する。

 そんな心遣いに教員の胸は締め付けられた。苦節十年、教員として日々最先端の知識を仕入れ、応用するための勉強は一度も欠かさなかった……この十年が報われた気がしたのだ。


「君にそう言ってもらえて、俺は……だからこそ、俺は潔くあらねばならない」


 潤む瞳に活を入れ、男は決意を固める。


 そんな男の様子にフェリネラは笑みを崩さず困惑気味に小首を傾げた。


「フェリ、あなたが言うと誤解を招くから、私に任せて」

「え? う、う~ん。お願いね」


 イルミナは教員の前に立ち、相も変わらぬ無愛想を突きつけた。無論、そう思うのは見られた側の印象だ。

 彼女は教員がやめることをまるで気にも留めないかのように語りだす。


「先生、フェリが言った学院のためにならない、というのはですね。実は……」


 一分程度の説明の間、教員の目は徐々に見開かれ、最終的には呆然と口を開けたまま、という間抜けに変わっていた。


 そう、何もこの教員だけに限った話ではないのだ。アルスが1位と知れ渡ったことで、後々立場が危ぶまれる前に潔く辞職するという行動は至極打算的でもある。

 もちろん、そういった心当たりがあるからなのだが。


 兎にも角にも、1位に対して行った数々の狼藉を言及されれば、懲戒免職は免れない。ましてやその理由が広まれば魔法に携わるあらゆる業種でブラックリストに載る可能性すらあった。

 アルスの研究室が置かれる研究棟においては、入学当時の高待遇に理事長相手に直訴までした者も多く、妬み嫉みはあからさまだった。


 魔法師の雛を育てる一翼を担う立場上、魔法師界のトップを侮辱したとなれば教員としての資質が根底から崩れ去る。

 無論、身分を隠していたアルスにも非はあるのかもしれないが、それを一教員が言ったところで何も変わりはしないだろう。シングルでなければ良いのか、そんな自分の首を締めることまで発展すれば見苦しいだけだ。


 そんなわけでフェリネラとイルミナの両名は学内でもトップの成績を収め、人望も厚く、家柄も十分、これらの理由から理事長直々に各教員達へ連絡を頼まれたばかりなのだ。

 理事長曰く、いちいち構っていられない、という理由でもある。


「それは本当なのだな、イルミナ君」

「はい、各先生方はそのまま辞職願を破り捨てていきましたよ。今後の対応も兼ねて先生方の間で職員会議を設ける必要がある、といった声も聞きましたが」


 目をひん剥いて教員はイルミナの肩を揺する。

 一度ならず、二度三度と揺する度に彼女の顔にも隠しきれない引き攣りが見え始めた。


 見かねたフェリネラは良く知るアルスのために、今後どういった対応を取るかの役に立てばと口を開く。


「先生、アルスさんは皆さんが思うほど気にはされないでしょう。私は父の仕事柄彼のことを良く存じ上げておりますが、先生方が退陣されたところでアルスさんは何も感じないかと。逆をいえばこれまで通り、職務に従事していようともアルスさんにとっては何も変わりないことなのだと思います。そんな小さいことを気にする方ではありませんよ」


 胸の内から溢れる言葉にフェリネラ自身、朗らかな笑みを作っていた。

 横では手を添えたイルミナが「そんな勝手なこと言っていいの?」と小声で耳打ちする。


 返ってきた回答は「大丈夫よ。教員の数が足らないとなったら、帰ってきた時に真っ先にアルスさんへ白羽の矢が立つと思うの……」と結論から入った。

 魔法学院の教員は水準からして高い。そうそう調達できる人材ではないのだ。つまり少なからず期間的な空きができる。

 そうなれば理事長の性格からしてなんとしてもアルスに教員の真似事をさせるはずなのだ。



 イルミナはアルスの性格といったものを表層的に想像する。僅かな付き合いだが、学園祭で彼が警備を引き受けた、その動機はフェリネラが運営委員の委員長であったからだと予想することができる。

 であるならば、基本的に決まりや規則に関心がないのだ。


 そう思えばフェリネラの言葉は妙に説得力があった。

 現1位がそうした雑事を満面の笑顔で引き受ける姿がまったく想像できなかったこともある。


「なるほど。それは嫌がりそうね」

「そういうこと」


 どこか知った風に告げるフェリネラは幼馴染としての付き合いの中で初めて見る笑顔だった。


「そういうことです先生……?」


 その頃には教員は慌てた様子で階段を降りるところまで離れていた。

 彼が去った後には後生大事にしていた二枚の便箋だけが淋しげに取り残されていたのであった。



「捨てておく?」


 イルミナの無慈悲な提案にフェリネラも苦笑で応える。顎に手を添えて困った顔をするも、それが一番賢い手段だと頷いた。


「その方が良さそうね……それにしてもいつになったら帰ってくるのかしら」

「外界調査任務前だといいわね」


 見透かしたようにイルミナは小さく微笑んだ。



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