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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
番外編「約束の日」+SS
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約束の日 Ⅲ




 いったいどれほど、あの騒々しい店に拘束されていたのか。すでに外は暗色に染まりきっていた。濃い一日がゆっくりと終わりに向かいつつあった。


 聞こえる無数の足音もきっと終わりに向かっているのだろう。帰るための足音は今日という一日の調子を表しているかのように雑多な音色を奏でている。

 充実したのであれば乱れることのない音を足下で響かせ、嫌なことが一つあればその足は重く地面を叩くように歩き、疲れていれば引きずるように擦れた足音を鳴らすのだろう。


 アルスの足取りはいつもの彼にしては妙に落ち着かない調子であった。

 それもそのはずで、今日は色々と疲れた……のだが、特段歩き疲れたというわけではない。あまり経験のない新鮮な一日に心が追いつかないのだ。


 それだけに今日という一日をどう纏めて良いものなのか困惑している、といった感じであった。漫然と流れ行く日々と、今日を十把一絡げにすることができないほどに平穏を満喫できたのかもしれない。


「ありがとう、ロキ」

「…………!! どうかしましたか?」

「何にもない……何も変わったことなんてないん……だろうな」


 無理矢理にでも連れ出してくれたことをアルスは感謝した。そしてどこかありふれた一日であることの大事さを噛みしめ、多くのことを改めて学ぶ。


 あまりにも唐突なアルスの言葉にロキは大凡を察して「疲れましたか?」と含んだ笑みを漏らす。

 それは何もアルスが持っている荷物のことではない。もちろんロキは半分持つと申し出たのだが、さすがにアルスも女性に持たせるほど常識を欠いてはいない。というか、それぐらいはさせてもらえないと男としての矜持が揺らぎそうだった。


 だからアルスは横の少女をチラリと窺い見た。

 後ろ手で一歩一歩踏み締めるように、こんな時間でもロキの足取りは軽やかだった。カツカツと鳴らす足音は雑然とした音の中で際立ってリズムを刻む。



「少しな……」

「そうですか。でも、まだ終わりませんよ」

「おい……」


 リズムが乱れ、彼女は小走りに先を行く。

 人通りが減ってきた隙にロキはステップでも刻むかのように三叉路へと出た。先へ先へと急ぐでもなく、アルスの前で一定の距離を保ちながらロキは羽のように石段を飛び越える。身体能力を惜しむことなく足場の悪い塀の上でバランスでも取るかのように歩く。


 危ないぞ、というアルスの台詞は彼女の足捌きを見れば出てこない忠告だった。


 抑えきれない嬉しさを表現しているかのようだ。

 それでも帰路はまだ終わりそうもなく、長い道のりを覗かせている。街灯がその導きをしっかりと照らし出していた。


 だが、ロキは最後にステップしていた足を目当ての店の前で止め、アルスが到着するのを待った。


「覚えていますか?」

「あぁ」


 帰路を照らし出すのは何も街灯だけではなく、店の照明もその一つだ。どこか古ぼけた趣のある雰囲気の店で、近づくにつれ香草だろう匂いが夜風に色を付けている。

 香りを満たして心を満たす、そんな空気の一変をアルスは感じ取った。まさに外の雑音が掻き消えたかのような穏やかな時間が胸の内に流れている。


 嗅ぎ慣れた茶葉の香りが鼻腔を抜けていくようだった。そしてこの喫茶店も兼ねている茶器を扱った古風な専門店。喫茶店部分とで区切られているようでそちらは真逆の瀟洒な雰囲気を感じさせる。無論、茶器に限らず、茶葉からオリジナルブレンドなど好みに合った調合もしてもらえる、つまり紅茶に関する一切を取り扱っている故の専門店なのだ。


 テスフィアが破壊してしまったティーセットもここで買ったものだ。ロキも茶葉を仕入れるために通っていたのだろう。


 本来の目的はティーセット一式を買うために出掛けたのだ。時間からしてすでについで・・・になりつつあるが、それは今更だ。


 年季の入ったドアに取り付けられたベルがカランカラン、と手作りを思わせる乾いた音を響かせた。

 すでに常連となっているのか、ロキは率先して店員の女性に会釈する。すると今度はショーウィンドウの方へと香りに誘われるように迷いなく目標を定めた。


 木造の店内は不思議と落ち着くし、床の見るからな木目は歩く度に硬質とは違った反発を足の裏に伝えてくるかのようだった。これだけ様々な香りで満ちていたならば、木材に匂いが染み付いているのだろう。もう、どこから何が香って来ているのかわからない。


 ショーウィンドウの裏手に来ると、ロキは物色するように屈んで、視線を左右で交互に移動させる。二つのどちらにするかで悩んでいるようだった。


 そこそこ良い値段はするが、それが判断基準になるわけもない。


「こっちは以前に使っていた物と同じですね……あっ、でも、少しデザインが新しくなっています」


 カップの細かなデザインの変化に気づけたのはロキだけだった。ティーポットやミルクポットも少しだけデザインが変化しているものの、以前使っていた茶器とほぼ似た作りだ。


「こっちも悪くないんじゃないか?」

「はい、そっちも気にはなっているんですが……やっぱり愛着がありますし」


 愛着があったのならば似た茶器にすれば良いのだろう。

 ではロキが何を悩んでいるのか、アルスは推察してみるがやはり本人に聞くのが一番手っ取り早かった。


「そんなに気に入っていたのなら、それにすればいい」

「…………」

「な、なんだ?」


 中腰のままアルスの方をじっと見つめるロキは結局、意味深な視線だけを向けて諦めたように顔を戻す。

 使い勝手が良かったとか、デザインが気に入っていたからとか、そんな理由の愛着ではないのだ。初めて二人で買い物に出掛けてそこでアルスと一緒に選んだからこそ、そこに価値が生まれる。共にティータイムを彩ってくれた日々が積み重なるからこその愛着なのだ。


 それもある種、いつかは壊れてしまうからこその愛着とも言えるのかもしれないが。


 要はどれほどの思い出があったかが重要なのだが、きっとそれをロキは自分で教えることではないのだろう。


「いいえ、なんでもありません。では、アルはどっちがいいと思いますか?」


 その問いは果たして正解があるのかとアルスは一瞬二の足を踏む。本音をいえばどちらでも良い。ただ、その言葉は彼女を不機嫌にさせてしまうことをアルスは学習済みだ。

 肝心なのは中身なのは確かだ、質素なものでは釣り合わないし、美味しく感じないという感覚的な言い分もわかる。

 だが、この二択はどちらも甲乙つけ難いのも確かだ。


「ん~あまり派手目の物も好きじゃないんだけど……」


 好みはすでにロキが把握していることもあってか、選ばれた茶器は両方とも抑えめで割りとシンプルな細工である。

 自らが使うものだけだったらここまで悩まないのかもしれない。即断即決とまではいかずとも、明らかな優柔不断ということもない。

 上手い言葉は出てこず、かといって適当に選ぶには今日という約束の日を台無しにしてしまう気すらした。


「そうだな、俺はデザインというよりもロキが選んだ物が良い……かな?」


 入れるのは彼女だ、彼女が淹れてくれるのならばたぶん彼女が飲んで欲しい入れ物であるべきなのかもしれない――そんな体の良い理由で納得するアルスがいた。

 本音をいえばロキがパートナーとして研究室に来なかったら、紙皿のような食器を今も使っていただろうし、掴んだだけで割れてしまいそうな薄いコップを使っていたはずだ。


 最低限の役割を果たしてくれれば良い、という考えなのだからセンスを問われたところでアルスにとっては皿は皿でしかなく、茶器は茶器でしかない。それに意味を与えることをしなかったのだから今更変えようもないのかもしれない。

 こういうところが自分の欠けている部分なのだと自覚はあるのだが……。


 すぐさま、何か言い直そうと眉間に皺を寄せるが上手い言葉はことごとく喉の奥から出てこなかった――寧ろそんなもの端からあったのかすら怪しかった。


 そんな慣れない苦悩を抱えたアルスとは別にロキは顔を赤くしてもぞもぞと手を合わせて口の前に立てていた。彼女の視線は茶器など眼中にないかのように視点をやや下方へと向けていた。現実から離れたお花畑を見ていたのかもしれない。


 すぐさま我に返ったロキは何かを消すように顔を振って一呼吸。

 隣を見れば、以前にも似た光景がそこにある。二人で選んだといってもアルスの性格上、もしくは経験上センスに訴えかけるのは無理難題に近い。


 少し意地悪な質問だったかもと反省しつつロキは冷静さを取り戻していった。


「そうですね。アル……こっちにしましょうか」


 指差した茶器は以前使っていたものとは違う方。つまり愛着は愛着のままで過去にするということだった。

 予想外の選択にアルスは「そっちで良かったのか?」と聞き返す。思い入れがあるからこそ、また同じ物を買うのだろうと思っていたのだ。


「はい。新しい出発には良いのかもしれません。それに前の物はカップが四つだけでしたので。こっちの方は六つありますから、フィアさんにアリスさん、それにフェリさんやフリンさんの分と考えれば、ね」


 指を折って数えるロキは最後に同意を求める笑みを向ける。


「そうだな。凄く良いと思いぞ」

「ではこちらにしましょう」


 店員を呼び、会計をするためロキはレジへと向かう――と思われたが、直後ピタリとその足が止まり。


「アル、お願いします」


 さり気なくロキは自分のライセンスをアルスへと手渡す。満足げな顔を前にアルスはただただ受け取ることしかできなかった。

 自分で払えないのがこんなにも情けないことだとは、アルスはお金の重要性に今更気がつくのであった。


 以前にも言われたが、ロキがお金を貯めていたのは「アルスのために必要になるかもしれない」という理由からだと聞いたことがある。どちらにせよ自分のために使うということ自体考えもしなかったのだろう。軍育ちとは普通とは大きくかけ離れているのだ。


 『私ので・・・お会計を』、ではない、それは今更であり、彼女にそんなつもりは初めからないのだ。だから、ロキが差し出したライセンスには『これ・・でお会計を』という意味が含まれていた。

 自分のではない、二人の……もっといえばそれすらもアルスの、という意味だったのかはロキにしかわからないことだ。


 早速今日から使うということで茶器は手で持って帰ることになった。



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