約束の日 Ⅱ
昼食を済ませた後、二人はまた街へ戻ると、今度は店を一軒一軒見て回った。もちろん帰りの道中であり、午前中では回りきれなかった場所だ。一軒一軒とはいうものの市民街にある店を一日で全て回ることなどできやしない。どんなルートを選んでも数日は要するのだ。
大型ショッピングモールへ一度入ってしまえばそれこそ何時間も囚われてしまう。だが、そこはきっと女性にとって夢のような場所なのかもしれない。つまるところ女性は何時間でも居続けることができるだけの魅力がそこにはあったのだ。
ショーウィンドウで展示された服を見て、その都度足を止めるロキがいた。
大金を持っていた頃ならば彼女の気に入った服を全て買い与えることもできたのだろう。しかし、それができたとしてもロキは望まない気がした。
だからアルスは彼女が足を止めるならば、自分も足を止めて一緒に眺めることにした。
ロキの幻想的な美しさを感じるのはアルスだけに限らなかったようで足を止めれば店員が金の成る木を見つけたとばかりに、一目散に駆け寄ってくる。何着も試着させられたりの連続だったが、長い間軍で育ったロキにとっては凄く新鮮だったらしい。
店員の少々強引な接客に慌てふためくロキの姿を見るのは、アルスとしてもどこか面白かった。
どこの店も銀髪の美少女が試着するとなれば大声で宣伝でもするかのように褒めちぎった。もちろん、アルスもおべっかを使えるような器用な性格ではないため、率直な感想を述べる。
月並みではあるが、綺麗だ、とか良く似合っている、というキザな台詞がこれでもかというぐらい自然と出てきた。それは褒めるための語彙が口から湯水の如く、零れ落ちるかのようだった。何を着ても――サイズ的な問題はあるが――似合ってしまうのだから仕方がない。
それに加えて店員のコーディネートが合わさればまず似合わないなんてことはないのだ。もっとも店員は目の色を変えて次々と服を積んでいく。
「あ、あの私……そんなには頼んで……」
「大丈夫だから~、お姉さんに任せて……悪いようにはしないわ。じゃんじゃん持ってきてちょうだい! 素材が良いから腕が鳴るわね」
試着室で膝を突き、女性店員は豊満な胸を頼もしく叩いた。店内にいる女性従業員総出での手厚い接客。すでに客寄せマスコットですらなく、ある種店員の自己満足に等しいのかもしれない。
どちらにせよ、ロキの試着を見るために他の客が店先に続々と集まってきていることを考えれば十分過ぎる宣伝効果ではある。寧ろ専属モデルと化しているのは気のせいではないのだろう。
着替え終える度に漏れる甘い息が店の中に充満する。だが、彼女が仕方なく着替えるのは全てアルスに見せるためだったのかもしれない。注目されることに慣れていないロキの小さな勇気――逸したいはずの気恥ずかしそうな視線は全てアルスへと向けられていた。
試着した服、その全てをロキは買うつもりはなかった。だから正直これ以上は困る、といった顔を向けるが店員の洗練された営業スマイルに敵うはずもない。とはいっても店員に乗せられ、アルスに乗せられて、着せ替え人形へと変じるのも満更でもないようだった。
結局仕方なく何着か選んで買わざるを得なかったのだが、店長だろう女性はすかさず耳打ちする。
「お支払は結構よ。寧ろこちらが謝礼を支払わなくちゃ……だからお礼にもらっていって」
清潔感を纏ったような店員は満たされたように微笑んでから「私も楽しかったわ」などと小声で付け加えた。
買い物袋をアルスへと渡す店員もまた連れだと気づいていたのかお礼を述べてくる。
ロキが試着室から出てきて靴を履き終えたところで、奥から別の店員が大慌てでドレスを持ってくる。それは社交界など、縁のないような場所で着るためのドレスであろう綺羅びやかなものだった。この店が扱うような類の衣装ではなかったのだ。
「最後にこれをお願いできませんか」
「ちょっとあなた……」
帰り支度を終えたロキの手間を考えたのであろう店長の女性が語気を強く叱責する。ただ、スタッフが持ってきたドレスはオフショルダーで背中の空いたエンパイア・ドレスであった。バストのすぐ下からスカートへと切り替わったものでドレスとはいうが、カジュアルなデザインでもある。
腰についた大きめのリボンがそう思わせるのか。
小柄なロキに絶対似合うと今にも泣きそうな顔で懇願してきた。
「ご、ごめんなさい」
ロキは申し訳なさそうに頭を下げる。彼女はどこか痛ましい笑みを浮かべて一度肩に触れた。
それは……魔法師であるが故の勲章。でも……女性としてはただの傷物でしかない痕。
それでも必死に食い下がろうとする女性の熱は増す一方だった。窘めるはずの店長も気迫に押されて折れつつあった。服飾関係に携わるものからすれば、このドレスに最も似合う人物を見つけたことで、運命のようなものを感じたのかもしれない。
挙句の果てには店長までもが懇願するという事態になってしまった。
ロキを説得する会話から察するにドレスを用立ててきた店員はこの店、延いてはブランドの専属デザイナーらしい。
あまりの熱心さにロキは困惑しつつも何着か貰ってしまった負い目から首を縦に振ろうとしていた。
直後――。
「――!!」
「申し訳ない。そろそろお返しいただけませんか? 今日は久しぶりの休みなもので……」
紳士的な口調でアルスはロキの腕を掴み、引き寄せた。出来ているかも怪しいスマイルで店員へと暗に拒絶の意を告げる。
それを汲んだのは店長の女性だった――この場合はあるべき従業員としての礼節を取り戻したというべきなのだろう。
居住まいを正して「これは大変失礼いたしました」と折り目正しく謝罪する。「せっかくの貴重なお時間を彼氏さんからいただいてしまい……」
ピクリとわかりやすく反応を示すロキが腕越しにでも伝わってくる。
視線を落として俯くロキにドレスを持ってきた店員も店長に倣って頭を下げた。
それを少し悪いと感じたのかロキはアルスの腕にしがみつきつつ、貰った服を示す。
「……これ、ありがとうございます」
「いえいえ、滅相もございません。またお越しくださいませ」
そういって店長は愛想の良い笑みで見送ってくれる。すでに店内はモデルが不在となり、ショーで着用された服が軒並み売れ、長蛇の列を作っていた。その分、近場の店は一時的に空になっているのだが。
随分と長い間捕まっていたのだろう、すでに空は完全に夜へと切り替わっていた。とはいってもどこの通りも眩しいくらいに明るく賑やかではある。
黙々と歩く二人。アルスは唐突に足を止めて白々しく頬を掻いた。
「悪い、ちょっと忘れ物をした。悪いんだが少し待っていてくれるか」
「は、はい。それは構いませんけど……何を忘れたんです?」
率直な疑問を浮かべるロキにアルスは上手い言葉を提示できなかった。自分でも「忘れた」という如何にもな口実を言ってから頭痛を感じたのだから、後先など考えていない。
いくらでも上手い口実はあったのだろうが、この手の言葉をアルスは知らないとさえ言える。使ったことがなければ出てくる物もないのである。
解答の責任を放棄するようにアルスは踵を返して人の波を逆走していった。
研究に関する物以外で欲しいと思ったのはこれが初めてかもしれない――密かに先程の店員にドレスを取り置きしてもらうように頼んだのは何気に気恥ずかしい側面を感じていたからだ。
――早めに何か依頼でもこなさないとな。
しかし、残念ながら店を出てからあまり離れていなかったせいで、ロキにもアルスがどこへ入っていったのかはしっかりと見えていた。もちろん、知らぬ存ぜぬで見て見ぬふりが正解であるのはロキにもわかる。
ただ……察するようなこともしまいと、思っていても口元はしっかりと堪えきれない笑みを湛えていた。




