導く闇の美女
◇ ◇ ◇
一人、寂寥感じさせる孤独な少女。夜風に身を打ち付け、耐え忍び、戒める。
あの日から暖房の効いた室内でも、奥底に潜む不安の震えが治まることはなかった。
生存圏内でこれほどの寒さを味わったことはなかった。肌をヤスリで擦るような冷たさが少女の身を強張らせている。
学院内でも寒暖差に注意喚起があったほどだし、外界の一部となった7カ国は様々な環境の変化に順応しなければならない。
少女――フィオネは暗がりの中、一人でベンチに座っていた。膝を抱え、両の膝の間にほっそりとした顎を乗せる。
身体は冷え切り、吐かれる息は残り滓のように暗がりに溶け込む。
彼女は通学路へと行く人影に一瞬だけ意識を向けて、遠ざかる気配に安堵していた。あまり意識したことはなかったが、やはり夜目が効く。
学院の敷地、その広大な通学路の合間合間には等間隔に木々が植えられている。まるで木々の隙間を縫うようにしてフィオネは薄暗い闇を一心に見つめ、やがて闇が心の内に入り込もうとすると顔を伏せる。
生存圏内の木々は比較的温暖な環境で育ったせいか、寒風に当てられて戸惑うように葉をざわつかせる。
一人になりたいし、誰からも干渉されたくはなかった。思い知らされた自責は学院内では異分子なのだ。
誰もが本物を知らなくても、学院の生徒は皆等しく全力なのだ。全力で、本気で魔法師を志しているのだ。
夜気がそうさせているのか、フィオネは顔を埋めたままグッと目を瞑った。
では自分は……。
弱々しく顔を振ってみせるが、それは否定したい自分であって、事実とは遠いところにあるのだろう。それをフィオネは誰よりも、アルスより自覚した。
全力で、一切の妥協もしなければきっと立派な魔法師になれるのだと。
だが、実際はそうではなかった。自分がしたことといえばわざわざ遠回りで不毛の積み重ね。誰も褒めてくれない。「頑張ったね」と全てを知る者は口が裂けても言わないだろう。
だって、最初から全力ではないのだから。馬鹿にした行いに等しいのだから。
己の系統以外を磨くこと、この学舎においてこれほどの茶番はそうそうないのかもしれない。フィオネは自分でもつくづく思う……馬鹿馬鹿しいと。
「……ハハッ」
乾いた嘲笑いが喉から悲痛を伴って零れ落ちた。
囚われた愛情に飢え、それを認めて欲しくて努力した結果がこの有様。誰からも認めて貰えるはずがなかったのだ――父母にも。
細く吐いた嘲笑い声はいつまでも耳の中に残っていた。
それでもフィオネはこんな寒空の中、一人になりたいがために此処にきたのではない。出口の見えない愚かしさに一つの答えを欲したからだった。
彼女に悟らせた当人であるアルスに直接訊けばよかったのかもしれないが、それではきっと堂々巡りなのだ。何も変われず、何者にもなれない――自分自身にさえも。
だから――。
「来たッ!」
カサッと鳴る不自然な葉擦れの音が鳴り、視線を闇の中にフィオネは注ぐ。
徐々に近づいてくる気配は気まぐれな突風を思わせた。闇が降りるように、影を作るように、不気味な黒に溶け込む存在は、風を引き連れ先導していた。
「待ってノワール!!」
勢いよく立ち上がり、両手を開いて通せんぼをするフィオネの横を風は素通りしていく――影だけを残して。
「へぇ~よく見えたの」
フィオネの背後で軽やかに降り立つノワールはベンチの背もたれに器用に乗っていた。
「女子寮に帰るんでしょ。一緒に帰らない?」
恐る恐る振り返ったフィオネはその不機嫌そうなノワールの表情に気圧されないよう絞り出した。幻想的な髪は月夜に踊る一方で、彼女の顔はどこか苛立ちをも含んでいるようだった。
それはきっと高揚していた感情に冷水を浴びせるが如く、冷え切った目をフィオネに向けている。
ノワールが度々学院を抜け出しているのをフィオネは知っているし、そうでなくとも彼女は授業を度々休む。たんにサボっているわけではないのも、教員や寮長の態度から明らかだった。その証拠にノワールは単位が一部免除されているのだ。
帰ってくる時間もまちまちなのだが、ノワールは比較的女子寮の門限は気にしているらしい。
以前此処を通る姿もフィオネは偶然ではあるが目撃していた。
だから、張っていればきっと通るだろうと予想していたのだ。予想以上に時間は過ぎてしまったが、この機会を逃すことはできなかったのだ。悶々と考える時間は自責として結論が出ているのだから。
「別に構いませんの。ただ……」
薄く揺れる棒のようなものを肩に掛けてノワールはあどけなく手を鳴らす。
「私、あなたの事が凄く嫌いなの……イライラするから、だから声を発しないでください」
「――ッ!?」
見下ろすノワールの瞳は嫌悪を映し、その口元はたおやかに微笑を湛えていた。
歯に衣着せぬ物言い、良くも悪くも自分に素直な性格――いや、性質というべきなのだろう。
だからこそフィオネには彼女との対話が必要なのだ。
一度大きく深呼吸をし、全身が痺れるほどの冷気を取り入れ、温められた息を震えながら吐き出す。
「そうはいかないわ。あなたに聞きたいことがあるの……いいえ、教えて欲しいことがあるの!」
迷いはあれど、その瞳の奥に灯る勇気の光が闇夜の中で一際光る。行灯のように小さく弱く、それでも確かにそこに灯る光があった。
目を細めたノワールは一度だけ天を鬱陶しげに仰ぎ、そして……。
「――!!」
薄い靄を纏った棒のようなそれが滑るようにフィオネの首元に据えられた。靄の取り払われたその棒は大鎌へと姿を変え長大な三日月の刃を首の後ろでピタリと止まる。
「なら言葉は選ぶといいの。せっかくの気分を害するなら……食べちゃうの」
ノワールは艶やかに舌で唇を一舐めした。
「ヒッ――!」
喉を鳴らしたフィオネはその大鎌の刃に付着した赤い色を見た。乾いているようだが、暗がりの中でも確かに感じ取れる鉄の異様な臭い。
「上手く刈ると、この鎌の上に三人の首を乗っけられるんですの」
まるで成果を見て欲しいと言わんばかりにノワールは鎌を微かに引いてみせる。
実際に刃に乗り移った血の香りは酷く臓腑に拒否反応を示す。まるで受け付けないと身体が拒絶しているかのようだった。
「人を殺したの?」
「グスン……ヒック……ヒク……」
目元を拭う仕草は彼女の本意ではなかったかようにフィオネに思わせた。それは事故だったのだと、仕方なかったのだと、誰も殺したくはなかったのど、そう言っているように見えた。
だが――。
「アハハッ……ちょっとだけよ、ちょっとだけ…………あ、でも十から先は覚えてないの、ハハッ」
おどけるノワールは悪びれもなく、殺してきた人数を指を折って数えるが結局は十本では足らなかったようだ。
「必要なことなんだよね」
「…………」
否定の言葉はノワールから出なかった。
国、延いては軍が管理するこの学院内でそんな不祥事が起こるはずもない。彼女はアルスと知り合いという時点で無差別に殺し回ることができない身なのだ。
ノワールのお目付け役として傍にいるからこそわかる。彼女は軍と関係があるということ。
「それがお仕事なんだよね」
「…………それが?」
「ううん……」
的中したことにフィオネは安堵した。そして首裏に今もピッタリと張り付く鎌は少しだけ怖いだけのものではなくなっていた。
事実、ノワールは脅すためにあえて口を滑らせたのだ。フィオネは良くも悪くもノワールとは対極にあるため彼女もまた鏡を見ているような気になる。逆さに映った鏡のように。
 




