凶器かAWRか
フリンを見送った早朝。
晴れ晴れとした太陽が重たい頭をもたげたように陽光を低い角度から浴びせてくる。一方で身体が温まる間もなく冷えた風は肌を引っ掻いていくようだった。
そんな寒波を予兆させる朝にアルスは遥か天を突き破らんとする巨大な白亜の塔を視界に入れる。四季を跨ぎ、外界の気候の猛威に晒されても変わらぬ雄々しい塔は聳え立ち続けるのだろう。役目を終えてもなお、老朽とは無縁な白さは初めから清廉潔白を訴えるかのようだった。
振り返りざまに視線を切ったアルスは寒風に抗うように歩き出す。
その隣では必死に欠伸を噛み殺したロキの姿があり、彼女は慌てて口元を手で覆う。
昨晩は随分と遅かったのだろう。熟睡していたアルスでは気付けなかったが、実際ロキとフリンはほとんど寝ていなかった。
最初こそ、軍や協会についての情報交換のような堅い話から徐々に胸襟を開いた雑談に変わるのは実に早かったし、ごく当たり前のことだった――そして夢中になるほど長かったのだ。
「お前も少し寝たらどうだ?」
目元を擦るロキは「これぐらい問題ありません」と毅然とした態度できっぱり言う。
しかし、彼女の目尻はやや下がり、見開こうとする目は抗い難い眠気を瞼に乗せていた。ロキもアルス同様、数日ぐらいならば不眠でも活動できるように鍛えられている。
眠気こそあるものの、憑き物が取れたようなロキの表情は無理をするには憂いの翳りを少しも覗かせてはいない。アルスではなく、テスフィアやアリスでもない。今回は心置きなく話すことができたのは相手がフリンだったからだろう。
一蓮托生とまではいかないまでも、フリンは一部しか知り得ない秘密を共有している。その意味で何の気兼ねもない。愚痴も、苦労も、楽しいことも、可笑しいことも、嬉しいことも共有できたのだ。
もっとも、アルスの生命を救った時点でロキはフリンを完全に信頼している。
女性ならではの悩みもあるのだろう、それは近しいアルスだからといって打ち明けてくれるかは別の問題だ。
たくさん話して疲れてしまったのだろう。アルスのすぐ隣をフラフラと歩くロキの肩が歩調に合わせて触れ合う。
「やっぱり寝ておけ……俺も今日は研究室から出る予定はないしな」
「わ、わふぁりました……でも」
言葉を紡ぐ口が欠伸へと一瞬変わりかけて、強引に噛み殺しながら会話を途切れさせずに告げる。
「朝食の支度が終わってからにします」
「それぐらいなら俺も手伝うよ」
「ア、アルがですか? そ、それは凄く、凄く……楽し、そうです、ね」
意識が遠のくような台詞にロキの目は自然と閉ざされていく。
足も完全に止まってしまったロキはコトンと人形が倒れるようにアルスに身体を預ける。
思えばアルスに付き合っていた彼女は指名手配されて以降、休まる時がなかったのだろう。最愛の人の死を目の当たりにして……全てを諦めかけ、それでもこうして日常に戻ってこれたことにロキの精神は追いつけていないのだ。
それに軍育ちの彼女が抱く疲労感は、アルスが学院に来てテスフィアやアリスとの出会いを経た時に似ているのかもしれない。慣れない馴れ合いに神経の糸を緩めたり、強めたり、忙しないのだ。
頬を持ち上げたアルスはロキの肩を二度軽く叩いて、彼女の前でしゃがんだ。
「自分の飯ぐらいはなんとかするし、朝ぐらいならば大丈夫だ」
「……はい」
うたた寝状態のロキは返事をしたのかすら覚えていないだろう有様で、アルスの背中に抱きつくように倒れ込んだ。
ひょいっと持ち上げるアルスは昔のことを思い出しながら軽い足取りで研究室へと歩き出す。
研究室へと戻ったアルスは、同居しているとはいえ、プライバシーであるロキの部屋へは入らず仕方なく自分のベッドに彼女を寝かせることにした。
自分が熟睡してしまうまで気づかない失態は、同時にロキにも当てはまるものだったのだ。もっとも彼女の場合はフリンとの夜通し行われた雑談によるものなのかもしれないが。
それからアルスは研究室にあるエレメントの資料を掻き集めた。エレメントと呼ばれる特殊な系統の解明は未だ進んでおらず、最低限必要な資料だけしかない。
研究室にある資料は何も過去グドマが行った非道な研究のように因子の分離や、その発生原因を突き止めることではないのだ。
机の上に山積みにした資料からいくつかエレメント関連の魔法式を洗い出し、続いて仮想液晶から魔法大全へとアクセスする。協会発行のライセンスを読み取り、アルスの順位を参照しアクセス権限を行使する。
魔法の形態を分類する改定によって開示される魔法はロックが掛かる仕組みだ。魔法師に公開されるのは上位級魔法までであり、最上位級から極致級は魔法師の順位や個人認証を必要とする。
アルスのライセンスはその全てをクリアしており、膨大な魔法名がずらりと画面を埋め尽くした。
系統に項目分けされた魔法名を調べ、試しに一つを開くと【失われた文字】の羅列が暗号の如き表示される。
集中して焦点を合わせていないと、ふとした瞬間に自分がどこを見ていたのかわからなくなるほどだ。
考え込むようにアルスは口元を軽く握った手で覆うと画面をすぐに閉じては、別の魔法式を開く。
まる暗記しているように瞬時にアルスは魔法式を理解していた。アリスの魔法を編み出した時もそうだが、魔法式には一定の法則が存在するものだ。
しかし、エレメントが先天性であるからなのか、他系統の魔法式とは成り立ちが微妙に違っている。
――やはり確立された系統式が存在しないのか。
他系統、所謂六系統には汎用性を重視した系統式をAWRに刻むものだ。それとは別に単体の魔法を最大限発揮する単一魔法式もある。これらは同様に最低限必要となる系統に関連した式――文字の組み合わせ――が必要なのだ。
どちらも系統によって定められた基盤となる式が存在する。端的にいえば魔法と魔力の関係性を表した公式である。
机の上に残った無骨で剥き出しの短剣に視線を落とし、二本ある内の一本を掴む。
片手で弄ぶように取り回す。
使い勝手は良く、刀身から柄に至るまで良質なセレスメントが使われているようだった。ブドナの工房に置いてあっても不思議ではない。
それほどの業物だ。ただし、それは短剣としてならばだが。
そう、短剣ではなく、AWRとして見るならば鈍ら以下と言わざるをえない。刻まれた式の歪さは失敗の刻印であり、AWRとしての機能を損なうものだ。
いくら材質が良かろうと、魔法式のミスは致命的だ。売り物にすらならない。本来ならば再利用できる範疇なのだが、ここまで短剣として完成された物を再度融解するのは確かに躊躇われそうな気がした。
さすがのアルスも職人というわけではないが、念入りに短剣を調べ尽くす。刀身の歪みや反りなどを細かく測定していく。
今のアルスを見たら、ブドナは年甲斐もなくにやけた顔を向けてくるだろう。それほどアルスを夢中にさせていたことは確かだ。
今のままならば魔法師に必要のないただの凶器だ。しかし、魔法師ならば必ずAWRは必要になる。
職人気質なブドナのような一からAWRを作ることはできないが、AWRの製造に欠かせない部分をアルスは担当できる。AWRの生命とも言える魔法式を……。
図面を広げて、一つ一つ丁寧に描き、魔法を構成するための骨組みの役割を果たすかの実験も欠かさない。
一通り下準備を終えたアルスはふと自分の寝室を見る。ロキが起きていればまたお節介だとか言われるだろうか。
知ってしまったからには、関わってしまったからには……そんな言い訳じみた理由は結局のところテスフィアとアリスが原因なのだろう。
それに見てみたくもあった。相対した時のフィオネの魔力は彼女の迷いを反映すると同時に、何も変わらないものだったのだから。
何も変わらないのだ。誰と比較してもそこには雛らしい真っ直ぐな理想があり、甘えがあり、弱さがある。
だから実際のところロキがいうようにお人好しではなく、アルス自身はただ興味を引かれただけだと思っていた。研究者とか打算的な話ではなく、一魔法師としての興味だ。
魔力が個人を定義する最大の材料だとするならば、フィオネは現代の固定観念を打開できる指針を示せるのかもしれない。変化への兆しを示せるのかもしれないのだ。
そればかりに構っている訳にもいかず、アルスは続いて仮想液晶に繋いだライセンスから協会へアクセスした。
「こっちも決めておくか」
映し出される仮想液晶の画面には難易度別に分けられた依頼がずらりと並ぶ。その中から外界に絞り、眺めていった。
テスフィアとアリスを連れて外界での訓練を考えているとはいえだ。どうせなら一石二鳥として依頼も受けてしまおうと考えたのだ。何せ、生まれて初めて懐具合が寂しくなっているのだから。
現状では学院の生徒を含めた部隊で外界へ出る依頼を受けることはできない。そのため、ロキと二人で依頼を受注し、二人と同行させるという抜け道を考えたのだ。
その辺りは理事長の許可とイリイスの許可が降りれば問題ないだろう。どちらにしても現役1位が同行する以上の安全は担保されないため、許可というより一言伝える程度で良いとさえ思っている。
依頼書自体は個人から軍、国と幅広くその数も膨大だ。凄まじい速度で流れる依頼内容をアルスは見ていく。そして、一つに目星を付けて手続きを済ませる。
その場で受注できるわけではなく、本来は申請期間として受理するまでに一時間程度の時間を要するのだが、アルスとロキの順位を参照しているらしく、この二人では待機時間などあってないようなもので数秒後には受理された。
その依頼内容にアルスは少しだけ眉間に皺を寄せたが、軍からの依頼にしては報酬は破格。かつ、内容が曖昧なところにアルスの食指が動いたのも確かだった。




