外界治癒魔法師
夕食は厳かに進んでいた。
誰もが率先して口を開こうと……遅めの夕食に華を添えようと気を利かせる者はいない。
機嫌が悪いだとか、元々仲が悪いわけでも、普段から無口なわけでもなく、あえて言うならば噛み合っていないような空気感がある。要はつい先程までの雰囲気を引きずっているのかもしれない。
もちろん最初に口を開いたのはアルスだった。慣れないおべっかはいつものように出された料理を褒めるばかりに終始する。わざわざ口に出すまでもなく美味しいのはいつも通りで、今回は腕によりをかけた品々が箸を休ませることなく胃袋に仕舞われていく。
その品の中には普段ロキが作らないような料理まで含まれていた。当然、調理者はフリンであり、彼女の料理は一言でいえば家庭的な雰囲気がある。
日頃から食事の支度をしていたらしく、その腕前はロキに劣るものではなかった。寧ろアルスには新鮮な味で一々驚きがある。
というのも郷土料理とまではいかないまでも、彼女の出身国であるイベリスでは一般的なものらしい。煮込み料理然り、スープの味付け然り、栄養価を重視した薬膳料理は素材の味と引き立つ香りが口の中で蕩けるように合わさる。
味覚に訴えかけるような直接的な風味ではなく、どちらかというと余韻を楽しむ料理といった印象だ。
故に飽きることなく、満遍なく他の皿に箸が伸びる。
その食べっぷりはアルスにしては珍しかったのか、ロキは驚いたように箸を休めて見入った――そして口を少しだけ尖らせる。
後でレシピを伝授してもらうべく、フリンに耳打ちしていたことは二人しか知らないことだ。
満足そうなフリンはアルスの手の速度が落ちるのを待ちながら食事をする。
今は食べることに忙しそうだし、できれば食事の後にしたい内容でもあったが、個人というよりも治癒魔法師として彼には聞いておきたいことと、報告しておきたいことがあった。
黙々と食べるアルスの手が休憩を挟んだ辺りでフリンは口を開いた。
「アルスさん。先程の訓練のことなんですが」
「……なんだ、またその話か」
食事時にしては重苦しい返答にフリンはブンブンと顔を振る。
「掘り返すようですが、治癒魔法師として訊いておきたいんです。一般的な診療所として培った経験や知識にずれがあるような気がしてるんです。お婆ちゃんもそれがわかっているから私が協会に所属することを修行だと言ったんだと思うんです」
「なるほど、それはありそうな話だな」
「あとは、今度の外界調査に同行する身としては知って置かなきゃいけないかもしれないんです」
これまでフリンが治癒してきた患者は主に非魔法師が大半を占める。ましてや外界で求められる治癒はこれまでと明らかに違う。
救う生命と救えない生命があり、訓練場でテスフィアやアリスにしたように優先順位を付けていかなければならないのだ。
「先ほどアルスさんは、下級生やテスフィアさんとアリスさんに怪我を負うほどの訓練を付けていたようですが、たぶんそこにヒントがある気がするんですよね」
ロキも彼女の深刻そうな疑問に一度手を止めて、耳を傾けた。
「つまり、フリンさんは軍人である魔法師は価値観が異なると?」
「いえ、そうじゃなくて……そうなのかもですが、必要とされている能力や意識の違いはあると思うんですよね」
歯切れの悪い言葉で伝えようとするが。
「なんだ、そこまでわかっているんなら話は早い」
「早いんですか?」
「そうだな、外界での治癒魔法師の役割は生命を救うことだが、逆をいえば生命を救う以外は自分の身を守ることに専念すべきだな。当然、体力や魔力消費もあるし、状況次第ということもある。俺があいつらに付けた訓練は致命傷となる攻撃を直感的に判断させる術だ」
戦闘中に重症を負えば部隊によっては見捨てざるを得なくなる。運良く治癒魔法師を同行させていたとしても戦闘中の処置は非常に困難であり、かつ足手まといになってしまう。
だから、最低限動けるだけの傷に留める努力は個々人にしてもらわければならないのだ。
時には無能な部隊に配属されることもあれば、最悪な状況での命令も下る。いくら部隊の中でも自分の身は自分で守らなければならない。
「少なくともあの二人に関しては目をかけてやったんだから、早々に死なれたら掛けた時間を捨てることになるしな」
「時間ですか……」
「フリンさんはまだ部隊での外界活動がほとんどないかもしれませんが、軽症程度では治癒魔法師は一々治癒したりしないものです。治癒魔法師でもおそらく状況を把握する力は必要になるでしょう。無闇矢鱈と治していたらキリがありませんし……」
その先をロキは一瞬言い淀む。食事中にするべき話しではないと思ったからなのだが、アルスは引き継ぎはっきりと口にした。
「隊が瓦解する。如何に優秀な治癒魔法師だろうと、如何に優秀な魔法師だろうと、守れる生命には限界がある。それを越えれば助けた生命さえも手から零れ落ちる」
自嘲気味告げるアルスにフリンは一度喉を鳴らして頷いた。頭では理解しているつもりだが、フリンが目指す治癒魔法師は救えない選択をしない者をいう。
ネクソリスのように分け隔てなく、全てを救うことができる治癒魔法師を目標にしているのだ。認識が虚構であると理解していてもフリンは治癒をする上で理想を持ち続けている。
「だから最小限、治癒魔法師の手を借りないようにするわけですね」
「治癒魔法師のことまでは正直、俺もわからん。やはりこればっかりは経験するしかないのかもしれないな。婆さんが教えなかったのもようはそういうことだからだろ。今はできることは精一杯やれば良いんじゃないか。実際問題として治癒魔法師が隊にいることで生存率は跳ね上がるわけだしな」
治癒魔法師の必要性を改めて説くまでもなく、ロキも頷く。これまではその希少性故に部隊への同行は限定的であった。アルスを除いてシングル魔法師による大規模戦闘などの長期遠征が該当する。
端的に言ってしまえば、治癒魔法師が同行することで隊の機動力が著しく低下する意味でも良し悪しはあった。
当然のことながら隊の生還率のみでいえばこれほど頼もしい存在もいないのだろう。何せ外界で致命傷を負えばまず助からない。何より連れ帰るだけでも一苦労なのだ。
現実として、外界に残される。または自害しなければならない。慈悲として隊員が介錯することもあるが、魔物に喰われないことも視野に入れなければならないため、その選択肢はやはり少ないのだろう。
「今度同行する外界テスト調査は鉱床付近で陣を張るんだろ?」
「はい、今後採掘時の橋頭堡とするために拠点作りはすでに始まっていますから」
ゆったりとした会話の流れで三人は食事を終える。
フリンに足らないのは魔法師の雛、学生と同様に、外界に対する知識と認識の違いだ。もっといえば外界で生命を懸ける魔法師そのものの理解が浅いことだった。
その点、常に死を身近で体験してきたフリンはより鮮明に理解することができたのかもしれない。
ロキとフリンの二人がかりで食器を洗い、簡単な拭く作業をアルスが担当する。せめてもの礼儀で、普段はそれすらロキにさせてもらえないのだが。
三人で掛かれば流れ作業のように食器を棚に戻すところまで僅かな時間で終えることができた。
全ての工程が終わり、烏の行水の如く素早く風呂から出た時には日付は変わろうとしていた。見計らったように三人分の紅茶を今度はロキが振る舞った。立ち昇る湯気に色づく空気。
眠気を誘うような香りにアルスは一度目を擦ってから口をつける。
身体の芯からほんのりと温かみが湧いてくるようだった。肩の力が抜けていく、いや、もっといえば全身の力が解れていくような気さえする。
瞼は重たくないのに、拒めない疲れにアルスは二度三度目を擦った。
思えば今日は疲れることが多かった気がする。外界でもないのに神経を研ぎ澄ませるのはこれまでほとんどなかったことだ。
「アル、もう寝ますか?」
「大丈夫……なんだが。いや、少し疲れた」
ロキの申し出をアルスは素直に受け入れた。このまま起きていてもおそらく何も手につかないだろうと判断したのだ。机の上にある二振りのAWRを一瞥して尚更決意は固まり、意識は靄で覆われたように薄れていく。
「そのほうが良さそうですね。アルスさんも無理して起きている意味はありませんし、逆に疲れを残しちゃいますから」
「あぁ、悪いがそうさせてもらう。見送りはさせてもらうから先に失礼する」
「はい! 期待せず楽しみにしてますね」
語尾を跳ねさせているが、その顔はやや苦笑気味であり起きれるとは思っていないようだった。
寝室へと消えていくアルスの背中をフリンとロキは戸が閉まるまで見ていた。
そしてアルスの姿がなくなると、小さいながらもドッと溜息を溢したのはロキである。
「本当にお人好しなんですから……それよりフリンさんの言ったとおり効果があったようですね」
「そうですね。アルスさんは疲れが表面化しないようでしたから効果は覿面です。もちろん、疲労がなければなんでもない効能なんですよ。あの様子ですから疲れが相当溜まっていたのでしょう」
「ありがとうございます」
礼を述べるのも、この紅茶には疲労回復などが見込めるフリン特製の薬草が使われているからだ。彼女の指示通り紅茶に含ませたのだが、それすら気づかないほど疲労が溜まっていたのだろう。
フリンも同じものを口に含みながらロキをチラリと見た。
「ロキさんも、結構苦労されているんですね」
「苦労ではないのですけど、今日みたいな時の休み方をアルは知らないんですよ。外界ではなく内側は特に……」
人付き合いは良くも悪くもアルスの心情を揺さぶる。彼に思考させてしまうのだ。だからお人好し……そこまでして気を遣うアルスをロキは心配していた。
研究ならいざ知らず、他人のために気を揉み過ぎるのだ。
二人はそれからも話し続けた。夜通しとまではいかないが、アルスが寝付いてからも会話は休むことなく夜の静寂を妨害せず続く。
時折、押し殺すような笑い声が響くのはご愛嬌なのだろう。
翌朝、フリンの予告を裏切ることなくアルスは日の出とともに目を覚ます。
ムクリと機械的に起き上がったアルスは身体を伸ばし異様な軽さから、一服盛られたことに気付いた。
学生たちが登校しだす前にフリンも支度を整え、大きなバッグを持ち、転移門に乗る。
見送るアルスもロキも昨晩の疲れを微塵も残していなかった。
そして彼女が指定の座標を入力する前に思い出したように口を開く。
「あっと! 忘れてましたアルスさん。ラティファさんの件なのですが……【循環型魔整図】は上手く機能しています。お婆ちゃんがもっと量産しろって言ってましたよ」
「……そうか、一応設計図も渡しているはずなんだが、近いうちに経過を見に行く」
「わかりました。お婆ちゃんと会長に伝えておきますね」
「あぁ、よろしく頼む」




