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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第4章 「苦悩と想いの果てに」
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羞恥は隠すもの



 アルスが帰宅したのは夜も更けた時刻だった。寮の門限は超過しており、一般的に夕食を取るには遅すぎる時間帯。研究棟内の明かりは最上階にある、アルスの研究室だけだった。


 さすがに長居し過ぎたか、とアルスは気持ち急いで最上階まで駆け上がる。朝帰りの亭主は毎回こんな後ろめたい気持ちなのか、と分不相応な感想を抱いていた。朝帰りというほどには夜は始まったばかりで、その妖艶な闇は程遠い。結局のところ軍にいた頃にチラホラと愚痴を溢す仕事仲間から聞いた程度の知識しかないのだが。


 足取りは何故か重く、その理由は妙な静けさと寒さのせいだろうか。外界の気温は慣れ親しんでいるものの、こういう時は薄ら寒さすら感じる。

 もっともアルスの研究室には貴重な資料や機材があるため厳重な防犯システムや金庫並に壁も分厚くできているため、多少騒いだ程度で廊下に音が漏れることはない。


 だからこの静けさに影響されているのは主にアルス自身に原因がある。


 扉を開けるのに躊躇いはなく、いつも通りだ。ただ少しだけ開く扉の隙間から片目を覗かせる。今日はフリンも一泊していくため、中の様子を窺ってみる。聞き取れない程度だが、話し声は聞こえる。別に叱られるというわけでもなさそうだ。

 すぐに帰ると言った手前、気持ち忍び足になってアルスは入る。


 家主であるアルスが遠慮する必要はないのだが、心理状況は芳しくない――室内には真新しい夕餉の香りが漂っていたのだから尚更だ。

 時間的に見ても夕食の準備は整っているのだろう。ロキのことだ、そこは抜かりないはず。


 一先ず謝るべきか、と考えてアルスは「ただいま」と心なし小さな声を鳴らす。

 返ってくる言葉はなかった。確実に二人はいるはず、しかし、アルスから見える範囲に彼女達の姿はなかった。


 ダイニングを見れば、やはりテーブルの上には色とりどりの夕食が隙間なく並んでいた。スープの湯気はもう確認できず「悪いことをしたな」と反省の色を浮かべる。

 

 すると先程までくぐもっていた声が近づき、壁を一枚挟んだような声はクリアになって真っ直ぐアルスの耳に届いた。

 声の場所はロキの部屋であった。簡易部屋としてパーテーションで仕切られただけなので、防音効果は薄い。


「もぉ、着替えを持ってきてないなんて聞いていませんよ。そういうのはお風呂に入る前に言ってください! あ~下着は……サイズは同じくらいですよね? そうですよね。私の目に狂いはありませんから間違いないです」


 部屋から出てきたロキはバスタオルを脇の下で巻き、拭ききれていない湿った銀髪を揺らす。ペタペタと床を歩く足音は少女の軽さを表しているかのようだった。

 そして畳んであるフリンの着替えを両手に持ち、一番上に下着が乗せられていた。


「フリンさん、下着ですがブカブカでも許して下さい…………ね」


 皮肉だろうか、そんな声を風呂場に投げるロキは火照った身体を冷まさないように小走りにアルスの前を通り過ぎる……ことができなかった。


 ピタリと時間を止めたロキの顔は故障した人形のようなカクカクした動きで首だけを器用に回す。

 その姿にアルスはコメカミを擦った。タイミングが悪いことは一目で察することができる。確かこれと似た光景をアルスは幼少期、ヴィザイストの下で散々見てきた。

 この後は大概何かしらの制裁を受けて丸く収まる。その時は不埒を働いた男性隊員は本望であると言っていたような気がしたが、不運に変わりない。ある種、天災のようなものだ。


 いずれにせよ、ここに正義はなく、事故による制裁があるのみだ。これは男としての宿命なのだろう。女性よりも力が強い男性の責務だ。少なくともアルスの育った環境ではそう教え込まれていた。主にリンデルフ大佐に。


 言葉を探す前にロキの時間が動き出す。


「アルス様?」


 愛称ではなく、昔に戻った呼び名。現実で距離を取るのではなく、ロキの中で何かが切り替わる。それは彼女の根底にあるアルスのためならば、という使命感に基づいた対応だった。

 ならば裸体同然の姿を見られたところで羞恥など微塵もない。望むならばなんでもできるという奉仕の力を借りたのだ。


 欲が満たされた今のロキは唐突過ぎる出来事に一人の女性らしく恥ずかしさを感じずにはいられない。だからこその反射的な切り替え。

 だが、どちらのロキも結局は彼女自身。切り替えの効果は如何ほどもなく、混合されていく。


「……お、お風呂先にいただいております」

「あ、あぁ見ればわかる。ただ、いま」


 言われるがままにロキの視線は自らの身体を見下ろす。真っ白なタオルに包まれた身体は鎖骨から下、起伏の乏しい直線。足元を隠すはずの豊かな双丘は見当たらない。


 ぎこちないやり取りはアルスが予想していた展開ではなかった。張りのある艶やかな肌は健康的な白さを映し、熱を冷ますどころか上気した血色の良い肌はほんのり赤みを浮き上がらせている。


 すると姿勢を正したロキは「おかえり」と平静を装って告げる。

 直後、ロキは手に持った着替えの最上段に乗せられた下着を見て、ササッと盗み取るように片手で握りしめて後ろに隠す。


「突然はずるい、です」


 脈絡のない言葉にアルスは相槌すら打てずに首を傾げる。ロキの言わんとしていることを察するには、今のアルスでは難解に過ぎた。 


 フリンのために用意したとはいえ、それは普段ロキが身に着けているものだ。そうした羞恥が咄嗟に働いたのは下着単体だからだろう。身に着けているのとは別にそれが無造作に置かれている状況というのは妙に恥ずかしさがあったようだ。

 何よりも軍育ちの堅物なロキにとってその下着は、俗にいうランジェリーの部類に含まれていた。ようはお洒落なものであり、それを知られることが恥ずかしかったのだ。


「こ、これはですね……!!」


 着替えを片手の平で持ち、もう片方の手は乱雑に後ろへ回されたままだ。背後から見える下着のストラップについては特に触れないほうがためなのだろう。

 だが、そのロキの行動は少し大袈裟過ぎたし、大き過ぎた。


 胸の上で固定したタオルの結び目が耐えかねたように解けていく。

 「えッ!?」、呆然とロキは自らに纏ったタオルがはだけていく開放感に冷やりとした悲鳴を漏らした。


 両手は塞がっており、背後に回した手には下着が握られている。それをアルスに晒すことは避けなければならない。結果、人並み外れた反射神経と卓越した体捌きの末に辿りついた体勢は、もう何もかもがめちゃくちゃだった。


 着替えを持った腕を引き、肘でタオルを押さえるという器用な行動を取った。が、すでに解かれたタオルの結び目は戻らず、右の肘だけでは全ては押さえきれなかった。

 故に片側が完全にはだける、のと同時にロキは小さくしゃがみこんだ。背後に回されたもう片手を使えば防げたのだろうが、頭になかったのか何としても死守したい何かがあったのか。


 いずれにせよ、ロキは顔を真っ赤にして身動きができない状況に陥った。


 勝手に自滅したとはいえ、アルスは愛想笑いを作るので精一杯である。


「ア、アル……タ、タイムです」

「お、おぅ……」


 状況を整理して、今、ロキが身動きできない原因が自分にあるのだと考え、「風邪はひかないようにな」と告げ、そっと背を向ける。


 風邪などひく気配がない程には、ロキの身体は熱を持っていた。背を向けても、その背後で裸体になることを恥じらったのか。

 「フリンさん、ちょっと助けてください」と声を上げるとすぐさま風呂場から同じようにタオルを巻いたフリンが顔を覗かせた。


「何してるんですか?」


 状況がまったく掴めない彼女にしてみれば、どうしてそうなったのか想像できず、蹲る銀髪少女に白い目を向ける。いや、観察していく内に徐々に道筋が見えてきたのか、大きな溜息をついた。


「アルスさんが気を遣ってくれているので、今のうちに。私も身体が冷えちゃいましたよ」


 手招きするフリンは風呂場の扉を開け放ったまま、横にずれた。

 彼女も安全地帯である風呂場から出る気はなく、ロキが駆け込めるようにするだけ。


 直後、ロキは縮こまったまま方向転換して、タオルを押さえつつ小走りで入っていく。フリンを通り抜けざまに着替え一式を放った。更に一拍遅れてバスタオルが降ってくる。


 背を向けたままのアルスは呆れながら、バシャンと飛び込んだような音を後ろに聞く。


 それからロキとフリンは一緒にお風呂を入り直し、たっぷりと時間を掛けて平常へと戻っていく。


 先に出てきたのはロキで、彼女は長湯したために火照ったのか、それとも先程の一件が尾を引いているからなのか。どちらによせその顔は薄っすらと艶っぽい赤みを帯びていた。

 ハタハタと仰ぎながら出てきたロキは取り分け不機嫌ということではなさそうだ。


「アル、今度からは事前に言ってください」

「何をだ!」


 らしくないツッコミを入れると、ロキはそれには答えず代わりに。


「それとなのですが、フリンさんに服を貸していただけませんか? 大変遺憾ではありますが」


 どうやら服のサイズは合わなかったようだ。邪推をするならば下着のサイズはどうだったのか、いずれにせよこの場の女性はロキしかおらず替えはない。

 少し大きめの黒いシャツをフリンに貸すと、彼女は真っ先に匂いを嗅いだ。


「フリンも大概失礼だよな」

「そうですよ。私がちゃんと洗っているんですから大丈夫です!」

「あ、ごめんなさい。そうじゃなくて以前看病していた時と同じ匂いがしたもので」


 臭い、というわけではなく不思議と落ち着くのだ。

 フリンは照れくさそうに言うが、この場には聞き捨てならない少女が一人いる。


「ど、どれですか?」


 ちょっとワザとらしく、小芝居じみたロキはフリンの胸元に顔を寄せてクンクンと匂いを嗅ぐ。頬が解れるようにその香りはロキにとって不思議と懐かしさを感じるもの。


「アルの匂いですね。大丈夫、いつも通りです!」


 微笑みを溢してロキはフリンの肩に手を置いた。嗅ぎ慣れた香りに心がリフレッシュされていくような、そんな笑みを向けている。


「それ脱いでくれませんか?」

「い、いやです! というか着るものがなくなっちゃうじゃないですかっ!」 

「あの、そろそろ食事にしないか? というかやめてくれないか? お二人さん」


 拙い話題転換はこれ以上は居た堪れないからだ。ロキが味わった羞恥に比べれば大したことないのだろうが、少なくとも香水などの香料を身に着けているわけではないため味わったことのない恥ずかしさがある。


 ――これが制裁だったか。


 聞く耳を持たない二人を見てアルスは苦行に耐える覚悟を決めた。






・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ

・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」

・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定

・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。

(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)

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