学院の聖地
眼前で鎮座するような重苦しい建造物。さぞかし中には金銀財宝が保管されているのだろう外観である。ある意味では財宝よりも価値があるのかもしれないが、そのための厳重な警備ではないのだろう。分厚い壁が周囲を覆い、その天辺には有刺鉄線。
誰を警戒しているのか、一目でわかるものだ。つまるところ、同じ敷地内に存在する全男性へ向けられた警告である。不落を誇示するかのような厳重さだ。
時間的には門限前なので、いくら男だからと門前払いされることはないだろう。
しかし、この防犯システムの徹底ぶりは見ただけで身体検査はもちろんのこと、いくつかの質問に対しての質疑応答、そういった厳重な検査が必要な気がするのは男性に限っての話なのかもしれない。
訪ねに来ただけで何かしらの容疑が掛かっている気がするのは、最近まで容疑者だったアルスには容易に想像できる光景だ。
夜だからなのか、夜勤の屈強そうな守衛が立っていた。近づくとギロリとこちらを睨んでくる。それは不審者かどうかといった判断の目で、アルスでなければ気づけたかどうかという一瞬のことだった。
近づくとわかるが、その直立不動の立ち姿は軍上がりを思わせる洗練されたもので、鍛え抜かれた体躯が威圧感を纏っていた。しかし、後ろで三つ編みにされた髪をアルスは見つけ、そこで初めて女性であることに気がつく。
見た目は強靭な肉体を持ち、歴戦の戦士のような風貌。新しく学院が雇ったのかもしれないが、少なくともアルスは初めて見かける。こんなのに睨まれたら悪いことをしていなくとも逃げ帰るに違いない。
すでにアルスは逃げ帰りたい気分になっていた。
一先ず、彼女を無視して通ることは絶対に許されないだろうと思い、守衛に話しかけた。
「すみません。約束があるわけではないのですが、用事があってお取り次ぎをお願いできませんか。学院のライセンスは持っていないので」
無難な言葉遣い。何故か目の前にすると敬意を払わなければならない気がして、意図せずアルスは敬語になっていた。
彼女の眼光は外界で鍛えられたものだと判断したからだ。
アルスが所持しているのは学院の生徒を証明するライセンスではない。見るからに怪しいですと言っているようなものだが、アルスはその眼光の前に偽るのをやめた。それが一番近道な気がしたからだ。
「ほぅ~あんたがそうかい。話には聞いていたけどなるほど見れば見るほど納得がいく。理事長からは顔パスで通せとのお達しだ……」
そのお達しが学院の規則に反していることに守衛は苦心したように溜息を吐いた。いくら理事長でもこと女子寮に限っては問題が起こる可能性が高い。つまるところ、男性が入るだけで大いに誤解を招くのだ。
「悪いが、必要な手順は踏んでもらわなきゃ困るんだ、わかるね。私が赴任してきたからには問題は起こさせない。一つもね」
分厚い壁を思わせる守衛、その二の腕が膨れ上がったように感じられた。服の上からでも筋肉に浮き上がった血管を確認できるかのようだ。胸なのか、胸筋なのか、もはやわからない。
軽く二メートルは超える身長でその女性は守衛所へと頭を低くして入ると、小窓を開けて「サインしな」とクリップボードを差し出してくる。彼女が持つとクリップボードも一昔前に見た名刺のように感じられた。
直筆でサインをし、手持ちの協会発行のライセンスを検査機に翳す。守衛が視線を落す仮想液晶には今、ライセンスから読み取った個人情報が転送されているはずだ。
鋭い視線に晒されながらアルスは許可が出るのを心なし緊張しながら待った。
すると守衛の女性は許可証の入ったストラップタイプのカードホルスターを渡し、親指を立て、軽くスナップさせて女子寮への入室を許可する。
「中では問題は起こさないほうがいい。男というだけで不利なことになるよ。さすがに世界のトップ魔法師が女子寮で問題を起こしたなんて前科は付けたくないだろ?」
「仰る通り、どちらにしてもあなたにしばかれるのは勘弁願いたいですね」
「それが私の仕事だよ。誰だろうと問題じゃない」
不敵な笑みを向けて女性は「場所は?」と歩き始めたアルスの背中目掛けて訊ねてきた。意外な親切心にアルスはふとフェリネラの部屋がどこにあるのかわからないことに思い至った。すぐに彼女の名前を出し、守衛に場所を教えてもらう。
「普段はほとんど男子生徒が入ることはないから、誤解されないように気をつけな」
その意味をアルスは良く理解しないまま、守衛にお礼を述べて先に進んだ。いくつかの部屋から灯りが漏れ、そこから聞こえるのは女性の入り混じった声。耳朶を刺激する高い声音であった。
女子寮自体は初めてではないが、夕刻に来たのはこれが初めてだ。室内は外の気温よりもやや温かく、一歩進む度に香りが変化するような気さえした。
一階から二階と階を上がる毎に鼻腔を擽る蠱惑的ですらある芳香。
本来ならば男を魅了して止まない光景がそこにはあった。これは見つかるだけでも一騒ぎありそうだな、とアルスは気持ち階段を一段飛ばして上がっていく。なお、フェリネラの部屋は最上階にあった。
だが、学院の全女子生徒がこの女子寮に収められているというだけで、すでにアルスに回避する術はなかったのかもしれない。
室内から漏れる声はドアの薄さを示し、今にも開きそうなドアにアルスは内心ヒヤヒヤさせられていた。表向きは来訪者を受け入れているのだが、こと女子寮に限っては完全に男子禁制となって長いのだろう。すでに聖地と化している。
そして聖地の中でふらりと羽休めに姿を現した女生徒とアルスはばったり目が合う。硬直する相手はみるみる目を見開いてワナワナと口を無意味に開閉する――さも悲鳴を上げる練習でもするかのように。
睨み合い? が続く中でアルスはすぐさま許可証を女生徒に見えるよう無言で掲げる。できれば彼女が自分の姿を改める前にアルスはここから去りたいと思っていた。
一年生だろうか。まだあどけない顔つきの女生徒は大きいサイズの白いTシャツを一枚着ており、首回りが広く、片側の肩があられもなく曝け出されている。そこからは白い下着の肩紐が見える。
なおかつ、問題はそのギリギリで途絶えているシャツの裾だ。スラリと伸びる生足。おそらくはショートパンツを穿いているのだろうが、絶妙な具合に隠れており、判断がつかなかった。
これから浴場に向かうつもりだったのか、その手には化粧品や洗面具が詰まったポーチを持っている。
女生徒は一度大きく息を吸い込む。
まさに悲鳴を上げるための予備動作である。
「むぐっ!?」
「――!!」
が、その女生徒が悲鳴を上げることはなかった。その口を背後から手で覆った者がいたからだ。
シックな黒い部屋着に身を包んだ女生徒。口を塞がれた女生徒より身長は更に高く、どこか大人びた雰囲気を纏っている。
イルミナ・ソルソリーク三年生であった。気難しそうな表情はいつも通りであり、しかし、その瞳にはどこか呆れた色をアルスに向けていた。
「まったく……女子寮は男子禁制ではないんですよ。手続きさえあれば普通に出入りできることは知っているでしょう。そんな格好でウロウロしないように。それとアルス君もこんな時間を選ばなくてもよかったのでは?」
「すみません。助かりました」
学院での癖が抜けておらず、アルスは一生徒として上級生であるイルミナに謝罪と礼を述べた。
「フェリに?」
「えぇ、直接会ったほうが良さそうだったので」
「そう、助かるわ。連日の訓練で相当参っているから、きっと喜ぶんじゃないかしら」
イルミナに後ろからホールドされた女生徒は固まったままである。そろそろ苦しくなってきたのか、さっきまで赤かった顔は徐々に青白くなっていった。
「あら、ごめんなさい。今度からは気をつけなさいね」
注意を受けた女生徒は慌ててイルミナに向かって腰を曲げる。そしてアルス側に向けられたのはシャツの下に隠れた白い布だった。ショートパンツを穿いているものだと信じて疑わなかったアルスは頬を引き攣らせ視線を逸らす。
幸いこれ以上騒ぎが大きくならないようにとの配慮である。
男性の目を気にしないラフな格好を改めるために、女生徒はネックの広いシャツの位置を直した。だが、元々そういうタイプの服であるため、余裕のできた首元は大きく胸元を覗かせる。
四苦八苦した挙句、女生徒は首元を手で握る。
その後、小走りで浴場に向かうべく、アルスの脇を軽く会釈して抜けていった。
「アルス君、今見たことは忘れてあげてください」
「誰も不幸にならないのならば、是非もないです」
さすがに貴族であるイルミナはアルスの一挙一動を鋭敏に察知していた。
どこか居心地が悪くなるアルスを他所にイルミナは何事もなかったかのように去っていく。数歩進んだ辺りで彼女はふと振り返り。
「そうだ。アルス君、申し訳ないのですが、帰りは屋上からお願いできますか? 男子がいるという事実よりもアルス君がいるということに女子寮内は騒々しくなりますから。守衛さんにはすでにお伝えしています」
「わかりました」
彼女はアルスが来たことをすぐに察知したようだ。しかも、騒ぎにならないように帰りのルートまで用意してくれていた。
少々杜撰な感は否めないが、1位であることを笠に着るアルスではないため、元より願ったりだ。
何事も穏便に済ませることができるのならば文句はない。もっとも、あの守衛が出てくる事態になる可能性は極力ゼロにしたかった。
そしてアルスは最上階へと一気に階段を上がる。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
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(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)




