過渡期の足音
訓練場の閉館時間まで余裕を持って本日の訓練を終えたアルスは道中、テスフィアとアリスの二人と別れて帰宅の途についた。
なお、背後ではロキとフリンの両名が雑談に花を咲かせていた。とはいってもロキがこれだけ饒舌なのも珍しいことではある。
耳を傾けなくとも聞こえるフリンの不穏な台詞にアルスは頬を掻いた。
「では、粛清というわけではないんですね。よく知りませんが、シングル魔法師ともなると一定の裁量権及びその執行を有しているという話ですよ」
「フリンさん、それは大げさです。ただの訓練ですよ。わざわざアルが相手をする必要はないのですが、お人好しなんです」
「…………お人好し? その辺りは私にはまったく理解できないんですけどぉ」
魔法師とは皆そうなのだろうか、とフリンは些か懐疑的な目をロキに向けた。そうであったならば自力で治してもらいたいものだ。
女子の会話に安易に混ざることの危険性をアルスは感じながら先導するように二人の前を歩く。何も言い返せないため、断頭台に向かう処刑人の気分を味わっているかのような配置である。その話題が自分であるのだからなおさらだ。
何故フリンが研究室まで同行しているかというと、彼女は今日一泊してから明日協会本部に戻るということらしい。
それにしても、とアルスは自分の右手を見下ろす。
――さすがに聖女ネクソリスほどではないが、全治癒魔法師中、これだけの治癒魔法を扱えるものは指の数ほどだろう。
傷跡どころか痛みさえすぐに引く手腕。おそらく麻酔の代用として治癒とは別に痛覚を一時的に麻痺させる方法を取っているのだろう。神経系への魔力干渉、それも相手の情報を阻害しないレベルでの同調、アルスをもってしても神がかっているのは確かだ。治癒との同時並行、それだけで彼女は聖女と謳われるだけの才覚を宿しているといえた。
ものの数分で傷口が塞がっただけでも軍お抱えの治癒魔法師を彼女一人で補えるほどだ。フリンを協会に引き入れたのは間違いではなかった。
「では、アルスさん……今回の出張費につきましてはツケとして協会に肩代わりする、ということで」
「あ、あぁ、そうしてくれると助かる……というか無償じゃなかったのか」
「当然です。将来は街で開業医として働きたいので。ガッツリ稼がせてもらいますから」
お金に無頓着そうな顔して、その実計画的な一面をアルスとロキは初めて目の当たりにした。
同時にアルス同様、フリンの治癒魔法の腕では夢を叶えるための弊害は、何もお金だけの問題でもないのだが、今は黙っておくことにする。
「それにしてもそっちは忙しいのか?」
呆れた顔で口を開いたフリンは声を出すまでに少し間があった。
聞かずともわかる唖然とした表情――忙しい中、わざわざ来てくれたのだろう。
「当然です!! これでも治癒魔法師の新人教育を任されているんですから。それに今度、外界の治癒魔法師部隊として同行することにもなっていますから、今が、すっごく忙しいんです!!」
語気を強めてみても、一応明日までは時間を確保していた。
協会に所属するようになって気付いたことだが、フリンが想像する以上にシングル魔法師が持つ言葉には相応の強制力が発生してしまうのだ。
命令でなかろうと断ることを許さない風潮は確かにある。
だからこそシングル魔法師、その頂点に君臨するアルスを治癒したという経歴はそれだけで称賛されるのだ――それこそ聖女の如く。
治癒魔法師界では本人の知らないところで、フリンの名は知れ渡っていた。
彼女が忙しい理由についてロキは軍の経験から単純な疑問を抱く。
「治癒魔法師部隊ですか? 外界へ大規模な治癒魔法師が派遣させるのは珍しいですね」
「お二人も知っているんじゃないんですか? 今度7カ国の学生の選抜部隊で行う外界テスト調査ですよ」
「あったな、そろそろか」
「はい、始動の初期段階で、協会は万全の態勢で臨んでいますよ。周囲の警戒も含めて高ランク魔法師が何部隊も各国から派兵されますし、協会からも治癒魔法師を十名同行させるようです」
「それもそうか。これでコケていては協会の求心力は底が知れる。少なくとも中立を保てるだけの示威は必要だしな」
「イリイスさんもそう言っていましたよ。目的地となる鉱床付近はもちろん、バルメス周辺に至るまで魔物の影を消すつもりだとか」
「気合い入ってるな」
協会の有用性を理解していれば各国の助力も受けやすい。
各国にも協会に対して反対の声はあるだろうが、協力的な姿勢を取らざるを得なくなっているのは確かだ。バベル崩壊後、それを担う可能性を協会は示す事ができた。
各国上層部はまさに過渡期へと突入した今をより良い方向に導かねばならないのだ。
――そういえば、第二魔法学院からはフェリも出るんだったか。
時間的にも余裕があり、かつこれ以上後回しにする非礼を感じてアルスは目的地を変更した。
「ロキ、悪いが先に帰っていてくれ。俺はフェリに会ってくる。礼もまだだったしな」
「わかりました。では私からもご助力いただきありがとうございます、とお伝えいただけますか」
「わかった。それとフィオネのAWRを俺の机に置いといてくれ」
「……はい、また何かするのですか?」
また何かしようとするアルスの表情はまったく読めない。それでもロキは悪い方向に向かっていないと知り丁寧に受け取った。
「あいつらにも言ったが、AWRとは魔法師がその力を扱うための道具でしかない。だからAWRは魔法師にしか必要のないものなんだ」
研究棟を通り過ぎてアルスは女子寮へと向かう。
フリンを研究室に泊めることができるのもロキがいるからだ。一般的にはやはり男性と寝食を伴にするというのは好ましくないのだろう。でなければきっとテスフィアとアリスはロキの時と同じように自室に招いたはずだ。
さすがにフリンを質問攻めという責め苦に晒すのは気が引ける。最も彼女が知り得た極秘事項について洩らしてしまうのではないかという不安もあった。
夜が近づき、その視覚的な薄暗さと外界から流れ込む寒風が本格的な冬の到来を知らせていた。
慣れ親しんだ肌が突っ張るような寒気、バベルの防護壁がなくなってから時折アルスはこの風に外界を感じて、神経が鋭くなる。
独白でも気を紛らわせるには丁度良いのかもしれない。そう思ったが、自ら進んで痴呆を患った者に成り下がるのは抵抗がある。ただ、一人でいるには少々心がざわつく季節だ。
このままではお礼を言う相手に不機嫌を告げるようなものだと、アルスはささくれ立ち始めた気分を落ち着けようと先程の訓練について思いを馳せた。
というのも一つ引っかかっていることがあるのだ。
アルスが自らの手を傷つけてまでフィオネにわからせたのはそういった理由もある。
つまり、今回の一件は仕組まれたものではないかということだ。
寒さが堪えたのかアルスは考えを巡らせていくにつれて、顰めっ面になっていった。
――そもそもフィオネの系統について理事長が知らないはずがないんだよな。
それに加えて、在校生が学ぶために暗幕を敷かないようにと条件を提示してきたのは理事長であるシスティだ。彼女なら訓練場を予約している生徒が誰なのか把握するのは簡単だ。
都合良く予約がキャンセルされたのは……。
「いや、やめよう。誰かの高笑いが聞こえてきそうだ」
そういった思惑は無視しても、実行に移したのはアルスの意思だ。
メインという少年も魔法師としては酷くとも、肉体的な強さは潜在的に持っている。本能的であろうが、致命傷となる怪我を確実に見分ける嗅覚を持っているのだ。
それは今回テスフィアやアリスに課した訓練の目的の一つでもある。その意味でいえばメインを見出して訓練を付けた二人は見る目があるということだ。
そしてフィオネの有り様は実に面白いものだった。本人を前にしたら失礼なのかもしれないが、それでも彼女は固定観念を覆そうとしている。本人の性格がこれほど系統を裏切るというのも珍しいことではあった。
魔力はパーソナルデータの集合体だ。先天性であるエレメントが故にその乖離は顕著に表れる。
抑え込まれた自分、否定された自分、彼女は自らを偽っていた。個人を識別する、定義するものは全て魔力で事足りてしまう。
ではそれを否定した場合、拒んだ場合……。
「こういう場合は本当の彼女はどっちなんだろうな……いや、どちらも彼女でしかないんだろう。まったくテスフィアもアリスも面白い奴を見つけたもんだ」
アルスはチカチカと街灯が灯されていく中、頬を軽く持ち上げて歩く。その背中は外界で孤独に戦う魔法師ではなく、一人の生徒であるようなありふれた背中であった。
ただただ、不気味な高揚が背中に貼り付く。
問題を提示し回答を待つ者として、彼女の答えにアルスは興味を持っていた。
フィオネに用意された道は一本道だ。大きく幅広な道、そこには学院の生徒が並び立ち、先に進もうと日々足掻いている。そこで彼女はずっとスタートラインに立ったまま動いていない状態だ。進んでいると自分に言い聞かせるために、ワザとらしくその場で足を動かしているに過ぎない。
だから彼女が進む先は一直線に伸びて、一寸先が闇のような果てのない道か、それとも後ろに続く道か、はたまた道を逸れてしまうのか。
そんな期待感を抱いているとも知らずにアルスは要塞の如き女子寮へと到着した。いつの間にか口から出ていた声は一人であったために誰も指摘する者はいない。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)




