第一級治癒魔法師
《こいつ》アルスの口がふいに発したのも、吹き飛ばされながらもメインは地面の場所だけは見失わず、何度か腕と足で体勢を整えようと試みていたのだ。
だが、勢いに抗えるだけの余力はすでに失われ、力の入らない足腰では必死の抵抗が限界だった。ほどなくして背中から壁面に激突すると完全に意識を手放したのか、ぐったりと倒れ伏した。
「ま、まだ……」
霞む視界の中で、メインはうわ言のようにそう呟いた。身体中には細かい傷が走り、咳き込む口からは血を含んだ飛沫が地面に斑点をつけた。
衝撃に任せて吹き飛ばされていればもっと軽症で済んだはずだった。そのつもりでアルスは意識だけを絶てるように手加減したのだから。
しかし、メインは未熟にも抗い、結果的に自らを余計に傷つけたのだ。
メインの腕はただくっついているだけの飾りのようにだらりと垂れていた。吹き飛ばされながらも勢いに抵抗するため、地面を強引に突いたのだ。故に腕が折れたのだろう。
腕をつっかえ棒にするには知識も技術も経験も、全てが足らないのだ。
「メインッ!!」
「あ、フィオネ!」
アリスの腕を強引に振り払ってフィオネはメインの元に駆けつけた。その顔はサァッと血の気を失っている。
――まったく使い物にならないが、センス自体は悪くないか。釈然としないが、あいつらも案外見る目はあったのかもな。それでも教えるには向かないんだろうけど。
「ちょっとアル!!」
「なんだうるさい」
「うるさいじゃない!! やりすぎよ、まだ新入生なのよ!」
「そうか、運が良かったな。というかお前、さっさと治療しないと本当に痕が残るぞ」
「わ、わわわ、わかってるわよ。そんなの」
ぶすっと剥れてそっぽ向いてしまったテスフィアに代わってアリスが少々神妙な視線を向けてくる。彼女たちが受けた訓練よりは傷の度合いは異なるが幾分生優しいはずだ。
それでもアリスは無言で、言葉を視線に乗せる。
何故か罪を暴かれそうなその視線にアルスは居心地の悪さを感じた。それも彼女達には詳細な説明がないからだ。
つまりアリスはその後について説明を求めている。
「あぁわかったよ。わかったから、その目をやめろ」
「フフッ」そんな勝者のような笑みを浮かべてアリスははにかんだ。
「言っとくが、腕が折れたのはあいつのせいだぞ。その前に肋骨に罅を入れたのは俺だが――」
「じゅ、重症じゃない!!」
「あ~喚くな、鬱陶しい。一応想定の範囲内だ。そもそもお前らの時でさえ腕の一本や二本……」
やべっ、と心の声が聞こえてきそうなほど、不自然に逸らす視線。
そんなアルスの目を掴まえるようなテスフィアとアリスがじっとりと粘性を感じさせる視線を飛ばす。
「最悪の場合だ。ちゃんとその時のために優秀な治癒魔法師を呼んでるって……つか、あいつ遅いな」
アルスは一応ロキに呼んでくるようにと口を開こうとしたが、銀髪の彼女はすでに探知していたのか、すでにこっちに向かっていることを察していた。ロキの視線はアルスではなく、訓練場の出入り口へと注がれている。
だから、アルスが頼むより早く、その者は訓練場に現れた。
「なんで訓練場なんですかッ!! ずっと医務室で待っていたのに!!」
「遅いぞフリン」
若草色の髪は走って来たのか、少し乱れていた。仕事着なのか、白衣を羽織ったフリンは呼吸を落ち着けせてから、アルスに詰め寄った。両手で持ったアタッシュケースに似た医療バッグは使い込まれているのか、傷だらけである。
「校内が騒がしかったので、もしやと思ったんですけど。怪我人が出ることがわかっていたんですね。治癒魔法師として看過できませんよ」
「まぁそういうな、必要なことだ。それに治癒自体が難しいほど深刻な傷はないはずだ」
「またそんなこと言って、お婆ちゃんが聞いたら一日中説教されますよ」
「死人が出るよりかマシだ。治癒魔法師が忙しくなるのはそれだけ助かる人間がいるということだからな」
「そうやってまた巻き込もうとするんですから、もう遅いですけど」
はぁ~と気疲れの溜息がドッとフリンの口から溢れた。
「もっとも傷が重いのはあそこで寝ているガキだ」
「ああぁぁ!! 一体何をしたんですか!」
騒ぎ立てるフリンにどこか呆然と見守っているのはテスフィアとアリスだった。この打ち解けた空気にちょっとばかり疎外感が押し寄せている。
妙な焦燥感に突き動かされたのはテスフィアだった。
「え、ちょっと待って、この子が言っていた治癒魔法師?」
外見的にどう見ても同年代ぐらいだろう。テスフィアは驚きつつも目の前の事態の説明を求める。
それに答えたのはロキだ。
彼女は丁度アルスとフリン、テスフィアとアリスの中間まで移動し。
「こちら、アルが呼んだ治癒魔法師のフリンさん。以前、外界での一件で、私もアルもお世話になった方です」
「初めまして、第一級協会専属治癒魔法師、フリン・ルアロスと申します」
一言、二言でテスフィアとアリスも自己紹介を済ませる。「というか、女の子だったのね」という誤解されそうな言葉をテスフィアは小声を付け加えていた。
「一級とは名を広めるのが早いな」
協会が抱える治癒魔法師の中でもトップクラスの名医ということになる。
もちろん、その原因は。
「アルスさんが言うんですか、自分で推薦しておいて」
「俺の腕をくっつけたんだ。十分過ぎる功績だ。誰一人異論は出なかっただろ?」
「えぇ……まぁ……」
釈然としないフリン。師であるネクソリスが修行するにはちょうど良いといって了承してしまったのだ。ネクソリスは小さな街医者の助手を卒業させる機会を常々窺っていたという。まさにその決断すべき出来事がアルスの治癒に当たったのがきっかけである。
「えっ!? 腕?」
「ちょっと外界で腕を落としてな。こいつにくっけてもらった。だから言ったろ優秀だって」
「それよりあんたが腕を一時的にせよ失ったことのほうが驚きよ!!」
フリンの腕の確かさよりも衝撃が大きかったのか、テスフィアは声を大にして抗議した。それは自らが何も知らなかったことに対しての情けなさからくる虚勢だったのかもしれない。
「それで大丈夫なの?」
すでに訓練でその証明は済んでいるはずだったが、アリスもまた問わずにはいられなかった。心配せずにはいられなかったのだ。
「問題ない。綺麗にくっつけてもらったからな。とはいえ、魔力経路の接合ともなると世界広しといえどフリンにしかできないことでもある」
「本当に凄いのね」
耳慣れない単語でも、アルスが言うからにはおそらく正しいのだろう。そう感じたテスフィアは良く理解しないまま、素直に称賛の声を発した。
「いえ、それほどでもありません…………」
照れ隠しの中でもフリンはしっかりと二人の身体に視線を巡らせていた。
「ど、どうかしたの?」
「フリンちゃんかぁ~」
テスフィアの疑問を無視してアリスは何か想像を膨らせるように「ちゃん」付けで呼び出す。
しかし。
「お二人の傷はまだ大丈夫ですね。それならば痕は残らないでしょう。それよりもあちらの方を優先したほうがよさそうですね」
「え、うん。私はもう痛みもないから、最後でいいわよ?」
「いえ、それはできれば早く治癒したいとは思っているのですが」
殊勝な心がけであるが、それを聞いていたロキは赤毛の少女へと疑わしき視線を向けた。
「うっ……」その視線にテスフィアは後ろ暗い感情を隠すかのように頬を掻きながら目を明後日の方向に向ける。
「フリンちゃん、私も大丈夫だよ。フィアほどでもないし、かすり傷程度だから先にメイン君のほうをお願い」
「えぇ、そうさせてもらいますね。ここから見る限りでも重症というほどでもない感じですが」
顔ごと視線を振って、壁にもたれ掛かる少年に目を向ける。治癒に優先順位を付けるのは仕方がないことだ。それでもフリンはテスフィアとアリスに向かって後回しにしてまうことを詫びる。
一度だけ、深く頭を下げたフリンはすぐさま、メインの元に駆け寄った。
すでにそこには少女が一人、抱き起こそうとしているが、それによってメインは咳き込でいた。
「動かさないでください!!」フィオネにそう忠告すると、医療バッグを開きながらメインの全身に目を向ける。
「肋、右腕、足も軽症ではありますが、靭帯を痛めていますね」
手を翳しつつ、瞬時に患部を診断するフリンだが、全体的な傷の具合を見て「やはり」と口をついた。
――一見すると、どれも重症。けれども治癒し易いように魔力経路は無傷、何より痕や後遺症が残らないように意図された傷ですね。肋に関しては軽症といえますね。本当に人体の急所を理解しているというか。でも……。
そういってフリンの視線は下がる。腕の骨折は見ただけでアルスが意図したものではないと一目でわかるものだ。まるで無理をした結果として折れてしまったような。
まずは腕から処置したほうが良いだろうと判断すると、医療バッグから厚手の紙を取り出す。【魔整図】と呼ばれるものだが、一般的には知られていない医療器具である。
「メインは大丈夫ですか? 治りますか?」
フリンの処置を一歩ずれて心配そうにフィオネはそう尋ねた。訊かずにはいられなかったのだ。
「腕もそうですが、問題なさそうですね。こんな程度ならば本来学院の保険医でも問題ないほどです。この場で十分粗方治癒できますよ」
「良かった」
安堵したことでフィオネはメインに怪我を与えた張本人へと向き直った。
ここまでする必要がどこにあるのだろうか、と。内側に湧く怒りの感情はこのまま黙することを拒んだ。
そして感情の赴くままにフィオネはこの場から去ろうと背を向けたアルスを呼び止めた。
「待ってください!!」
 




